姉と弟の優雅なお茶会

 爽やかな秋の風が木々の枝を揺らしながらやってきて、軽く頬を撫でて去っていった。


「挙式の時も思ったけど、なんかすごいね、お金持ちって」


 カップからたちのぼる紅茶の香りを楽しみながら弟は笑う。


「もうどこから突っ込んで良いかわかんないや。披露宴とは全く別の場所にまだまだ手の込んだ造りの庭があってこのガゼボにティーセット。別世界だね」


 植えられた花々一つをとっても全て抜かりなく最高級。

 そんなものに囲まれて数週間経った。


「まあねえ・・・。私たちのあの爪に火をともす毎日って?思うわね」


 ダドリーでの暮らしとこの王都の暮らし。

 どちらかが夢だと思えてくる。


「それで、どうなの、奥様稼業」

「まあ、そこそこかな」


 セロン・忠犬執事とはうまくいっている。

 先日は邸内の案内をしてもらい、どの領分までナタリアが取り仕切るべきかも教えてもらっている最中だ。

 父が倒れた折に兄と手分けして家政を取り仕切り、領地経営も学んだ。

 義姉が嫁いできてからは、最新の美術情報もある程度把握できていた。

 王都の教育も受けられず田舎に引きこもっていた割には物知らずではないと評価してくれたようだ。

 さらに出過ぎた真似はするつもりはないと再三口にしているのが功を奏してか、だんだん警戒を緩めてきてくれている。

 執事を掌握しつつあるので、侍女や従僕といった内政は悪くない感触だ。

 グラハム・蛇面家令とも腹の探り合いも今のところ失敗していない。


「あとは、旦那さまをどうするか・・・」


 実は、初夜明けに逃げ出した夫はそれから一週間あまり行方知れずだ。

 正しくは、居所を尋ねるたびに蛇面家令が『旦那様はご多忙につき・・・』と判で押したように繰り返すので面倒くさくなり、とりあえず放置している。

 おそらくは、東西にある二軒の離れのどちらかに生息しているのだろう。

 執務が滞っている様子はないし、侍女たちの雰囲気を見ていたらなんとなくわかる。


「ジュリアンはどうなの。ちゃんと勉強してる?いじめっ子とかいたら教えてよ?」


 式からすぐの土曜日の休みに顔を出してくれたのは嬉しいが、姉としては心配だ。


「なにそれ、俺がいじめられると思ってたの」

「貧乏貴族なのに成績が良くて無駄に綺麗な顔していると、何かと突っかかられるんじゃないの」


 金銭的な支援がぎりぎりの状態では確実に冷遇されるだろうなと思いつつも、心を鬼にして王立学院へ送り出した。

 ジュリアンには最高の教育を施し、才能を活かせる場を見つけてほしいと思ったからだ。


「ご期待に沿えなくて申し訳ないけれど、あんな甘ちゃんの巣窟で俺が泣かされるわけないでしょ。最初によさげなヤツボコった途端なんか静かになって、教員も制圧してしまって暇だなあと思い始めたら、ナターシャのこれだよ。人生退屈しないね」


 ふふふと、心底嬉しそうに笑う。


「なにやってくれたの、あんた・・・」


 お前はどこのヤンキーか。

 田舎で腐らせるのはもったいないと思ったけれど、このやんちゃ者を王都で野放しにする方がよっぽど危険なのか。

 外見だけはステンドグラスに描かれた天使のように神々しく美しいというのに、中身は鬼畜だ。

 そういや、自分の夫も外見だけ押しも押されぬ立派な男だったと思い当たると頭が痛くなってきた。

 そういう星回りだとは思いたくない。


「俺はともかく、その旦那様はいったいどちらへ?俺、挨拶しないと礼儀がなってないとか蛇男から上へ報告が行くんじゃないの」


 暗号なのか、隠語なのか。

 家令のグラハム卿は蛇男で確定らしい。


「それがね・・・」


 未成年で実弟のジュリアンにどこまで話すべきか迷っていたところに遠くのざわめきが耳に入る。

 この広い敷地で普通は聞こえてくることはないのだろうが、たまたまナタリアたちは今風下にいた。


「・・・何かあったのか、様子を見てきてくれるかしら」


 そばに控えていた侍女のひとりに頼む。

 一礼して彼女は早足で去った。

 しかし、アニーと護衛騎士のトリフォードは残る。

 ウェズリーへやってきて以来、警備という名目上必ず誰かが控えており、ナタリアが一人になることはほぼない。

 おそらく役目の一つに監視があるのだろう。

 執事が屋敷内を案内してくれた時、さらっと説明のみで流したのが東西の別邸。

 確かに使用人の居住区など、いくつか立ち入っていない場所はあるが、来客用に使うであろうこの二棟に女主人を通さないのは不自然だ。

 とくに、東側は庭園も工事中なので入れないと言われた。

 このガゼボは敷地の北西にあり、ジュリアンとの茶席は執事の気遣いで設えられた。


「解り易すぎる・・・」


 東の館で何かが起きた。

 もちろん、そこにはローレンスがいる。


「ああ、そうだ。レドルブ候夫人から預かりものがあったんだ」


 レドルブ候夫人は義姉ディアナの母だ。

 ジュリアンはリボンのかかった小さな箱をテーブルに出す。


「義姉さんが渡したよく眠れるリキュールボンボンは中のアルコールが強すぎて身体に響くようだから、軽いのを取り寄せましたって。これなら毎日でも大丈夫だそうだよ」


 言いながら、リボンを解き箱を開く。

 中には綺麗な意匠を施された菓子缶があり、蓋を外すとさらに薄紙のカバーがありそれは小さな升目に区切られ、表面に数字が刻印されている。

 紙越しに見えるのは薄くパステルカラーに着色された糖衣の粒。

 見た目は、パティスリーが技を凝らした可憐なリキュールボンボン。


「面白いんだよね。アドベントカレンダーみたいになっているんだこれ」


 数字は一から三十一まで。

 七日ずつに分けてある。


「一日一粒ずつ楽しんでってさ」


 一日一粒、必ず服用すべしということだ。


「なるほど」


 これは避妊薬。

 義姉にもらったのはあくまでも緊急用で、長期で連続服用すると身体を壊す可能性があると注意された。

 ホーン医師が診察結果から判断して手配したものがレドルブ候夫人の元に届き、不自然に見えない配送方法としてジュリアンが選ばれたのだろう。


「悪いわね。助かるわ」


 せっかくの骨折りだが、初夜以来夫の訪れはない。

 無駄になるかもしれないという考えがちらりと浮かんだ。


「体調を整える効果もあるらしいよ。女の子は、色々大変だね」


 ・・・これは四の五の言わずにこっちの指示に従えとジュリアンの目が語っている。


「そうなのよ。ダドリーにいたころのようにはいかないわね」

「たとえば、今日絞めてるコルセットとか?」


 侯爵夫人としての一番の難関はこのコルセットだったかもしれない。

 頼み込んで軽めの装備にしてもらったが、締められるたびに野放しだったダドリーに帰りたくなる。


「そう、コルセットとか・・・。ねえ、ジュリアン一度着てみないドレス。今ならまだ似合うと思うのよね」


 男も一度は経験すべきだと思う。

 この苦行を。


「いや、丁重にお断りするよ。いくら俺が美しいからって、それだけは勘弁」

「あらそう。すごく良い経験になると思うのに、残念だわ」


 優雅にお茶でも嗜みながら、姉弟で冗談を言い合ううちに時間は過ぎていった。



 結局、様子を見に行かせた侍女は戻らなかった。

 彼女の手に負えない事態なのだなと判断し、日も傾いてきたので散会しジュリアンを送り出すことにした。

 ガゼボの近くに咲いていた花を庭師に頼んで摘んでもらい花束に仕立ててもらう。


「今日は会えてうれしかったわ。これを、レドルブ候夫人に」


 ダリアに薔薇に秋のハーブ。

 ベルベットを思わせる色合いと花びらがきっとレドルブ候夫人によく似合う。



 本邸の正面に馬車を呼び、そこで見送る。

 いつのまにか夕陽があたりを染め始め、風も冷たくなってきた。

 ジュリアンはこの後レドルブ候邸に泊まらせてもらい、翌日学生寮へ戻る予定だ。


「うん。また来るよ」


 花を受け取るために身をかがめ、ナタリアの頬にジュリアンはゆっくり頬を寄せる。

 そして、耳元で囁く。


「・・・さっきむこうでホーン見た」


 女性専用の医師、ジェニファー・ホーン。

 ナタリアのために呼ばれたわけではない。

 ならば。

 ジュリアンはガゼボからの帰り道に化粧室を借りた。

 そこは、東側への回廊を見下ろせる所だった。


「大好きだよ、姉さん」


 ちゅっと音を立ててキスを落とし、弟は天使のように愛らしくほほ笑む。


「・・・大きくなったわね」


 まだ十五歳なのに。


「俺は、もっと早く大人になりたいよ。そうすれば・・・」


 一瞬、彼の中に小さなジュリアンの顔がふっと現れる。

 本当は、泣き虫の甘ったれで典型的な末っ子だったのに。


「ありがとう。大好きよ」


 抱き寄せて、ぽんぽん、と肩を叩く。

 ついでに、ぎゅっと抱きしめた。


「ナタリア、花がつぶれる・・・」

「あ・・・」


 二人の間に素直な笑いがこぼれた。

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