そして迎えた朝。
閨教育の短期集中講座か。
ナタリアは枕に顔を埋めてうめいた。
「甘かった・・・」
所詮は真綿にくるまれて育ったもやしっ子。
領地の男たちに比べて筋力も体力も持続力も劣るだろう。
そもそも、偽装結婚だし。
田舎娘など、抱く気も起らないはず。
そう高をくくっていた。
しかし、結果は。
「なんでこうなる・・・」
全身筋肉痛。
手加減抜きのみっちり強化合宿だった。
カーテンの隙間から陽の光が差し、鳥たちの元気なさえずりが耳に届いてようやくローレンスは正気に戻った。
「はっ、もう朝か!」
がばりと起き上がり、周囲を見回して青ざめる。
言い訳の仕様がないくらいに乱れたベッド、そしてナタリア。
「どうして俺はこんなことを・・・っ」
頭を抱え、最後まで言ってはならぬことを口走りながら慌ててベッドから飛び降り、己の部屋へ向かって遁走した。
「いや・・・。あれはないわ・・・」
これはまるで一夜の過ち。
いや、事実としてそうなのか。
見た目を裏切る中身の残念さでは頂点に立つ男、ローレンス・ウェズリー侯爵二十七歳。
これは、まだまだ序の口だ。
煮え湯を飲まされ続けても、切れてはならない。
腹をくくり直した。
気持ちが落ち着いたら侍女たちを呼び、とりあえず寝室の掃除と飲み物を頼んだ。
本当は風呂に入りたいが、とにかく休みたかった。
「おくさま。お加減が悪いようならお医者様を呼びましょうかと、執事が・・・」
執事が言うなら、グラハムとローレンスの承認済みということだろう。
むしろ、積極的に検査したいのが本音か。
「・・・そうね。お願いできるかしら」
吉と出るか凶と出るかわからないが、昨夜のことは様々の人の記憶に残しておく方が良い気がした。
「・・・ところで、ローレンス様は?」
受け取ったジュースを一口飲んでから尋ねる。
「ご友人をお見送りした後、お仕事に出られました」
アニーは少しきまり悪げな雰囲気だ。
用意された回答だったのだろう。
「そう・・・」
まあいい。
「お医者様が来られたら起こしてちょうだい。とりあえず眠りたいの」
リネン類を取り換えてもらい、新しい寝間着に着替えたナタリアの疲労は限界に近い。
「承知しました」
寝室を暗くしてもらい、侍女たちの去る気配を感じながらナタリアは目を閉じた。
「ああ、中がちょっと切れてるね。痛かったでしょう」
「ええ、まあ・・・」
痛かったも何も。
心の中で、顔だけ長所の男を呪う。
初めての相手が若くて美形でなおかつ女慣れしているなら幸運な方だと、領地で見送ってくれた女たちに言われた。
まあ、今年資金繰りが上手くいかなかったら金回りが良いが嫁の来てのない男の家へ転がり込むしかないと考え始めていただけに、運が良いうちに入る。
確かに。
酔っぱらっている割に、初手に関しては丁寧に触れてくれたと思う。
絶叫するほどの痛みは感じずに済んだ。
だけど、その後がいただけない。
ナタリアが丈夫だと気づいた瞬間、あの馬鹿は容赦しなかった。
発情期の獣だってもっと慎みがあるだろうと殺意がわいてくる。
「念のため軟膏を処方しますが、絶対塗らないといけないわけではありません。しばらく安静にしていたら自然治癒するかなとも思います」
「王都には女性の医師もおられるのですね」
丹念に診察してくれたジェニファー・ホーンは、黒い髪を一つにまとめたおよそ三十代の女性医師だ。
辺境ではまず見かけないのでさすがにナタリアも驚いた。
「昔は女人禁制だったのですが、二十年くらい前から妻を男性に見せたくないというお貴族様の要望のおかげで門戸が開かれて、私としては好都合ですね」
にやりと、片頬を上げてホーン医師は笑う。
とはいえ、身分制度と教育機会の釣り合いの問題で医師を職業に出来る女性はなかなかおらず、おかげで彼女は王都で引っ張りだこらしい。
「うちは名ばかりの子爵だったから、ぜひ女医で荒稼ぎしたいと思っていたので」
悪びれないところに好感が持てた。
それに手際も良い。
「ホーン先生のような方と知り合えて、心強いです。これからもよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ。ナタリア様のような奥方様は王都では珍しいのでぜひこちらとしてもよろしくお付き合いのほどを」
「私のような…?」
首をかしげると、すっと顔を寄せ低く囁いた。
「その無駄のない筋肉のつき方。女性騎士でもなかなか見ないわ、素晴らしい。いつかじっくり拝見させていただきたく・・・」
「は・・・?」
思わずまじまじと至近距離からホーンを見返した。
「柔い女ばかり漁ってたローレンス様を一晩で趣旨替えさせたくらいですから、興味は尽きませんわ」
彼女の滴るような色気は危険だ。
「残念ながら、酔っぱらった勢いで珍味を食べただけです。正気に戻ったら逃げ出しましたよ」
「あはは。ナタリア様はやはり面白い方ですね。すっかり好きになってしまいました」
寝室にからりと笑いが響く。
人払いをしているので二人きりだが、さらに声を低めてホーンは囁いた。
「・・・本日使用された避妊薬は確実ですが、人によっては副作用もあります。嘔吐した場合はコップ一杯の水と一緒にこちらの方をお試しください。いくぶん胃に優しいので」
一包の薬を手に握り込まされる。
「・・・よく、お気づきになられましたね」
この人は、何者なのだろう。
敵なのか、味方なのか。
「ナタリア様のお口から感じる香りと、人脈からの想定ですね。王太子妃さまつながりで入手されたでしょうから」
もしくは、中立か。
「御明察です。ホーン医師の目は色々ご存じなのですね」
「だてにこの王都で荒稼ぎしていませんから」
なんにせよ、恐ろしい人だ。
少なくとも、今は、ウェズリーの指示でここにいる。
「私がウェズリー家から承ったのは、昨夜の確認と現在妊娠されているかどうかです」
「ああ、なるほど・・・」
処女を疑ったのはもちろん、誰かの子を孕んでいる可能性を危惧していたのか。
「それと、王太子妃さまからは生存確認を。今こうして診察を受けておられるのはナタリア様ご本人なのかも」
義姉たちには本当に頭が下がる。
こうして気遣ってもらえるなんて、どんなに心強いことか。
「とはいえ、その件に関しては王太子妃様に釣り上げられただけですが」
言うなり指先にちゅっと音を立てて口づけされて、さすがに衝撃を受けた。
「最強の身体を拝める機会よってそそのかされて、ほいほい引き受けてしまいまして。役得ですね」
甘ったるい声は、危険どころの話ではない。
しかも、ぬけぬけと。
このひとは・・・!
「王都って…すごいところなのですね」
「ええ。頑張ってくださいね、ナタリア様」
うふふ、と無邪気に笑われて、天を仰ぐ。
「どうか、何卒。お手柔らかに願います・・・」
王都入りしてまだ十日足らず。
いきなりこれだ。
まだとても、うまくお付き合いできる気がしない。
この鬼才とどう対峙しろというのだ、王太子妃よ。
王都には魔物が住むという。
都市伝説ではないと、ナタリアは知った。
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