274話 変態!!変態!!変態!!変態!!

 ライデルの町の北に広がるリキアの森――そこにぽつんと建っている一軒の掘っ立て小屋。


 その小屋の主であるザインは椅子に腰掛けながら、若い男女を閉じ込めた小部屋の扉をまばたきもせずに眺めていた。


 扉からは微かな話し声や物音も聞こえるが、扉に耳をくっつけるような真似はしない。彼が期待しているのは内緒話ではないからだ。


 そうしてしばらく時が過ぎ、ザインが苛立つように脚を小刻みに震わせ始めた頃、突然扉の向こう側から少女の怒鳴り声が鳴り響いた。


「なんだよ! イズミンって全然頼りにならねーじゃん! こんなのタダの変態じゃねーか! なんなんコイツ!」


「うるせー! あたしだってこんな変態だと思わなかったっての! マジ最悪なんだけど!」


 扉の向こう側で怒鳴り合う声を聞き、椅子から身を乗り出すザイン。


「おほっ、きたっ! お、おもしろ……! や、やれ! もっとやれ……! ヒヒッ!」


 ザインは悦に浸った笑みを浮かべながら、魔道鞄から以前盗んだ上等なワインを取り出す。そして瓶に口を付けてひと飲みすると、再び扉に顔を向ける。


「ってか、こんなことなら狩りになんかついてくるんじゃなかった! ぜんぶリエピーのせいだからね!」


「……は!? いまさら何言ってんのさ! マリナだって乗り気だったじゃん!」


「こんな目に遭うって、わかってたら行かなかったっての!」


「そんなんウチにわかるわけねーだろ!」


「そんくらいわかれよ!」


「わかるわけねーべ! 頭ついてんのかこのバカ!」


「は!? あたしにバカって言った? マジムカツクんだけど!」


「あ? やんのかコラ! ウチは鍛えてんだからな!?」


「あたしだって、やるときゃやるんだからね!」


 ついに言い争いだけではなく、ドタバタと激しく床を踏み荒らすような物音も聞こえ始め、ザインは笑みを深める。


「イヒッ、フヒヒッ、いいねえ……もっと、もっとやれ……!」


 ザインは上機嫌に肩を揺らしてつぶやくと、椅子に深く背をもたれながらワインを飲み込み、気持ちよさそうに喉を鳴らしたのだった。



 ◇◇◇



 ――ようやく、激しい痛みが俺の身体からスウッと消えていくのを感じた。


 俺は気を抜けば途切れそうになる意識をなんとか繋ぎ止め、マリナの脚を軽く叩いて合図を送る。すると――


「もうリエピーとは口聞かねーから!」


「ウチだって! もう絶交っしょ!」


「フンッ!」


 その言葉を最後に、小部屋の中はさっきまでの喧騒がウソのようにしんと静まりかえった。


 俺はしばらく【空間感知】で扉の向こうの様子を探る――が、ザインの動きに変化はない。どうやらザインがこちらを覗きに来るということはなさそうだ。


 俺がこくりと頷いてみせると、背中に尻を乗せたままのマリナが口を寄せ小声で尋ねた。


「……ねぇイズミン、これでよかったん?」


「あ、あぁ……。変なことをやらせてすまなかったな」


「ううん、それはいいんだけど……。えっと、その、イズミン? さっきのはウソだからね? あたしイズミンのコト、マジで信じてるし」


「ん? ああ、わかってるよ」


 俺に勝るとも劣らない迫真の演技だなあとは思ったけれど、本心じゃないことくらいはさすがにわかる。


 というか、本心だったら俺泣いちゃう。そのくらいいろんな罵詈雑言が、マリナの口から飛び出していたからなあ……。


 俺が遠い目でさっきのことを思い出していると、リールエがニンマリとした笑顔を浮かべてマリナを見る。


「おやおやー? マリナってば、なんかマジトーンじゃん? そんなにイズミンに誤解されたくないのかにゃ~?」


「ちっ、ちがうし、そんなんじゃねーし! ウチのお客なんだから、変にギクシャクしたらマズいっしょ。それだけだし」


「ほーん。それじゃまー、そーゆーことでいーよ」


「ちょっ、そういうのマジでやめてってばっ!」


「にひひひー」


 俺を尻に敷いたままボソボソと小声でガールズトークをするギャル二人。現在置かれている状況にビビっていないのはいいことだけど、そろそろ俺の背中からどいてもらうことにしよう。


 さっきまでは必死だったので気にすることはなかったが、状況が落ち着いた今、背中から存分に感じるボリュームたっぷりの柔らかなマリナ尻と、きゅっと引き締まった小ぶりなリールエ尻。


 どちらの感触も甲乙つけがたく、早くどいてもらわないと俺は新たな扉を開きかねないのだ。



 俺は全身全霊を振り絞って二人に背中からどいてもらうと、全身をガチガチに縛っていたパラロープをウィンドカッターで切り、ふらつきながらも立ち上がった。


 ふう……、全身が汗でびっしょりだ。俺が上着のすそをバタバタとあおいで中に空気を送り込んでいると、暑さの要因のひとつである首のマフラーが念話を送ってきた。


『……まったく、いきなり拘束して尻で踏めなどと言い出したときは、ついに頭がおかしくなったのかと思ったぞい。――それで、どうじゃ? 【従魔+1】の具合は?』


『……ああ、これなら問題ないと思う。あとは任せてくれ』


 ヤクモの言葉通り、俺は【従魔】をレベルアップさせ、【従魔+1】の習得に成功した。習得に必要なスキルポイント435Pはヒール+1、キュア+1に次ぐ高コストだったが、なんとか痛みに耐えることもできた。


 これもすべてギャル二人が俺を拘束し、喧嘩の演技をしてごまかしてくれたお陰である。


 俺だけが痛みに声を漏らしたり物音を立てたりしていたら、さすがに不審に思われるからな。仲違いの喧嘩ならあの変態ザインは楽しそうに聞き耳を立てると思ったのだ。


 そんな俺の計画を、マリナとリールエも最初は俺を変態を見る目で見ながらも、軽く説明をすると即座に信じてくれたのである。


 ちなみに納得して理解するまでの時間が一番長かったのはヤクモだ。一番付き合いが長いはずなんだがな、あのアホめ……。


 俺が身体の様子を確かめていると、マリナが俺の服についた床の埃を軽く手で払いながら、心配そうに顔を覗き込む。


「というかイズミン、マジ大丈夫なん? あたしらに踏まれてニヤニヤしてるようなら、さすがに付き合いを考え直すところだったけど、めちゃ苦しそうだったし」


「ああ、まあ理由は冒険者の秘密ってことで教えられないけど、とにかくもう心配はいらないから」


「うん。ナッシュ兄も駆け出しの頃、部屋の中で水をいじってなんか変なことばっかりやってたし、そういうのはなんとなくわかるけどさー」


 案外あっさりと納得してくれたなとは思ってたけれど、ナッシュもアクアを習得するのに色々と奇行をしていたようだ。この世界では魔法の習得には様々な形がある。試行錯誤が必要なのだろう。


 ……さて、相変わらず扉の向こう側には動きがない。【聴覚強化】ではザインが何かを飲んでいる音がするので、酒でも飲んでくつろいでいるのだと思う。


 俺はウインドカッターで二人の足の縄も切ってやると、ギャル二人と手を繋いだ。軽口を叩いていてもやっぱり緊張しているようで、二人の指はひんやりと冷たく強張っていた。


 握った手をぷらぷらと揺らしてリラックスさせつつ、俺は二人に次の注意事項を伝える。


「それじゃあ今からびっくりすることが起きるけど、絶対に声を出しちゃ駄目だからな? 口を押さえておいてくれ」


「りょ!」


 二人が素直にそれぞれ空いた手で口を塞ぐ。それを確認した後、俺は二人の手を引いて壁に向かって歩いた。


「――壁抜け」


 壁に触れると、ざらっと少し気持ちの悪い感触がする。それを感じながら少し歩き――俺たちはあっさりと小屋の外に脱出した。


 俺が手を離すと、二人はきょろきょろと辺りを見回しながら、口をパクパクとさせている。


「もうしゃべっていいから」


「えっ? これ、マ?」

「は? ウソ? ヤバ、なに?」


 二人して二文字以上の言葉がしゃべれなくなっている。そういえばクリシアと一緒に座敷牢から出たときも、すごく驚いていたよな――


 と思い出に浸るヒマもなく、俺は二人の前に庇うように立った。小屋の周りをぐるぐると巡回していたハンマーエイプがやってきたからだ。


「ゴギャギャギャギャッ!」


「ヤバッ、イズミン。見つかったよ!」


 奇声を発しながら、両手で胸を叩きドラミングを繰り返すハンマーエイプ。ザインが小屋から出てくるのも時間の問題だろう。


 俺はハンマーエイプに一歩近づいて手を伸ばし――


「テイム」


 俺の声が届くや否や、ハンマーエイプは威嚇を止めてダラリと両手を下ろした。そして棒立ちのまま焦点の合っていない目で前を見つめている。……よし、後は名付けだ。


「あー……えーと……。お前の名前は今から【さるりん】だ。よろしく頼むよ」


 名付けが終わると、再起動したかのようにドラミングを再開するハンマーエイプ。


「ウッホウホホホウッホホイ!」


 あれ? なんかさっきまでと鳴き声が違うな? 可愛げがあるというか、マヌケというか……。もしかして飼い主によって変わるのか? ……まあいいか、とにかく成功だ。


 こうしてハンマーエイプことさるりんは、ザインの【従魔】を上書きされ、俺の支配下に置かれたのだった。

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