260話 フナッチャ

 俺の目の前に置かれた木製のお椀。その中身は深い緑色のどろりとした液体で満たされている。このドロッドロがフナッチャなんだそうだ。


 ぶっちゃけ見た目は青汁にしか見えない。しかし俺はママリスとララルナが調理するところを見せてもらっているので、これが青汁ではないことは知っている。


 きれいに洗ったフナ芋の皮を剥き、それをレッサーガビアルの皮を使ったおろし器できれいにすりおろす。そこに卵黄を加えて混ぜ混ぜすればフナッチャ完成である。


 とても簡単な料理なんだが、作り終えたときのララルナはそれはもういい笑顔を浮かべていたよ。たいへん微笑ましい。


 白いフナ芋に卵黄を入れると、なぜか緑色になるんだが、それを除けば日本ではお馴染みの料理、とろろ汁とまったく一緒。色のインパクトはともかく、まさかエルフの村で見知った料理を見るとは思わなかった。


 ……とはいえ、まだ同じ物とは限らない。


 ママリスによると、フナ芋は土壌に魔素がふんだんに含まれている湿地帯でしか育たない芋なんだそうだ。さらには卵黄の方も普通の卵ではなく、リザードマンの卵を使っていたりする。テレビで見たダチョウの卵より一回りデカかったよ。


 素材の魔素がなんらかの反応を起こして緑色に変わるのだろうか。とにかく俺の知っているとろろ汁とは、まったく別物の可能性が高い。


「イズミ、食べて。おかわりもたくさんあるよ」


「うふふ、ララちゃん一生懸命作ったものね~」


 じっとフナッチャを眺めていると、ララルナとママリスからお声がかかった。ちなみに夕食の時間なんだけれど、モブググはまだ帰ってきていない。俺が破壊した門の修理に出向いているのだ。本当にスマン。


「……よし、それじゃあいただくか」


 俺はお椀を手に取ると、そのまま傾けて口に流しこみ――


 おお? 見た目は緑のとろろ汁だが、やっぱり味がぜんぜん違う。魔素の影響なんだろうか、めちゃ濃厚でトロトロな肉そぼろを飲み込んでいるような感覚だ。匂いの方も、肉じゃないのになんだか肉の香ばしさを感じる。


 うーむ……不味いわけではないんだが、このまま食べるにはちょっと味が濃すぎる気がするな。これは飲み込むよりも、熱々のご飯にかけて食べたい部類の料理かもしれない。


 などと思いながらお椀から口を離すと、すぐさまララルナから赤色の細長いパンを渡された。この村で常食されているのは苦くて硬い緑のパンばかりで、赤いのは今日まで見たことがなかった物だ。


「イズミ、違う。フナッチャはこのパンと一緒に食べる」


「このパンは?」


「これはゲリリンの実を混ぜ込んでる、すごく酸っぱいパン。これで食べるとちょうどいい」


 ああ、例のさくらんぼみたいな甘い実か。あれって茹でて毒を抜くと酸っぱくなるんだな。たしかにテーブルには赤いパンも置かれていたんだけれど、てっきり添え物かと思っていたぜ。


 俺は赤いパンを一口サイズにちぎると、たっぷりとフナッチャにつけて口にする。


「お……おお?」


 赤いパンは酸っぱいというよりも、風味豊かな梅干しみたいなスッキリとした味がした。……なるほど、それがいい感じにフナッチャのクドさを中和してるのか。ああ、これならいくらでも食べられそう。つまりアレだよ――


「美味いな! フナッチャ!」


 思わず声を上げた俺を、じいっとララルナが見つめる。いやいや、ウソはついてませんて。マジ美味いし、酒にも合いそうだよ。


「……ん」


 一言そう答えたララルナは、なぜかママリスの後ろに隠れる。


「あらあら~。ララちゃんったら、よかったわね~」


 後ろに隠れたララルナをナデナデするママリス。うつむきがちのララルナの耳が真っ赤になっている気がするが、ひと仕事終えたことで、今日の大冒険の疲れが今頃になって出たのかもしれない。


 頭を撫でられてるララルナを見ながら、俺が赤いパンをちぎっていると――


 ズボボボボボ……!


 足元から掃除機が変なものを吸い込んだような音が聞こえた。足元を見るとヤクモが狐の口をお椀につっこみ、そのまま吸引している姿があった。


『ズボボボ! うむ、この喉ごしは悪くないのう! リザードマンの卵を使うと知ったときは食欲がわかんかったのじゃが、食ってしまえばどうってことないのうズボボボボボ!』


『おい、それ単体だとちょっと味付けが濃いだろ。パンをちぎってやろうか?』


『いらーぬ! ワシはこのくらい濃いのがちょうど良い! ズボボボボボ! うまいうまい! ズボー!』


『マジか……』


「あらあら、ヤクモ様もお気に召したみたいですわね~」


 ママリスがヤクモのお椀におかわりを注ぎながらにっこりと微笑む。


「ズボ、ズボボボウ!」

『おう、すまんのう!』


 礼を言いながらも口を離すことなく吸い続けるヤクモ。そういやヤクモはすっかりジャンクフード好きだし、こういう濃い味付けが好みになっているのかもしれない。カップラーメンも汁まで完飲するしな。


 まあいい、好きに食べるがいいさ。でもフナッチャはともかくとして、今後は塩分の摂り過ぎにも気をつけような。


 俺は再び赤いパンにねっとりとフナッチャを絡ませて口にする。やっぱり美味い! よーし、酒も出すとするか。昨夜の宴会でも見たけど、ほろ酔いのママリスは色っぽくて目の保養にもなるしな。


「ララルナもママリスさんも、俺たちばかり見てないで一緒に食べようぜ。ママリスさん、お酒も出しますよ」


「あら、そういうことなら遠慮なくいただくわね~」


 いそいそと席につくママリスと、その隣にちょこんと座るララルナ。それから俺たちは三人と一匹でテーブルを囲み、この村に来てから一番の夕食を味わったのだった。



 ◇◇◇


「――ひえっ、マジかよ……」


 翌朝、トイレの個室でつぶやく俺。トイレでは大も小も緑色だったからだ。


 ヤクモはそれに加えて口がかゆいと言っていた。どうやら口元をしっかり洗わなかったらしいが、そこはとろろ汁と一緒なんだな。


 念のため今日も朝早くから仕事に出かけるモブググに聞いてみたところ、フナッチャを食べた翌日は緑色になるらしい。


 そして色々と世話をかけたモブググとは、こっちの挨拶だと言って固い握手をして別れた。「便所の後、手は洗ったか?」と聞かれたけどな。失礼なヤツめ。


 その後朝食を終え、ヤクモを連れてララルナとママリスと共に門へと向かう。


 ――俺は今日、この村を去ることにした。


 心残りだったフナッチャも食べたし、これ以上長居をするとライデルの町の連中にも心配されそうだ。そろそろ頃合だろう。


 宴会やら門でのリザードマン掃討やらで目立ったこともあり、事前に伝えると騒ぎになりそうな気がしたので、早朝にひっそりと去ることにしたのだ。


 そして門の出入り口。村の代表としてやってきたリギトトが俺の肩をバシンと叩く。


「本当に世話になったな! お前が一気にリザードマンをやってくれたせいか、あいつらも勢いを無くしちまったようでまったく姿も見せねえしよ」


 リギトトは知らないけれど、根城をぶっ潰したからなあ……。エルフとリザードマンとの争いはしばらくは沈静化することになるだろう。


「ほら、ララちゃん。お別れの挨拶しましょうね~」


 なぜか昨日からしおらしくママリスの背中に隠れているララルナをママリスが背中から押し出すと、もじもじしながらララルナが声をかけてきた。


「イズミ、また来てくれる……?」


「また来るよ。ララルナも元気でな」


「ん。お料理、上手くなっておくから、また食べてほしい」


「おーわかった。楽しみにしておくな」


「……ん」


 はにかんだような笑顔を浮かべるララルナ。それを見て、大人二人が騒ぎ出す。


「おいおい、ララちゃんの様子が……」


「うふふふ、野暮なことは言いっこなしよ~」


 子供なんだから、別れでさみしくなることもあるだろうに。けれど俺もしんみりした空気は苦手だし、これに乗じて去ることにしよう。


「よし、それじゃ世話になりました。では!」

「フニャンニャ」


 俺とヤクモがくるりと背を向けると、後ろから声がかかる。


「ちょっ、待てイズミ! 話がある!」


「うふふ、また来てね~!」


「また、ね」


 三者三様の声を背中に受けながら、俺は振り返ることなく森に向かって走り出す。そうして俺たちはリギト族村での長い滞在を終えたのだった。

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