239話 リギトト来襲

 大声で怒鳴りあげている人物の名前はリギトト。つまりはララルナの父親で、この村の族長なのだろう。騒がしい二人の気配はこの屋敷にどんどん近づいてきた。


「ママリスさん、俺どっかに隠れますね」


 俺が早口でそう告げると、ママリスは俺の腕をがっしり掴んでにこりと笑った。


「大丈夫よ~。ここにいなさ~い」


「えっ、いや、俺、牢屋から脱走してるし、見つかるとマズいんですけど!?」


「いいからいいから~。私にまかせなさいって~。ね?」


 ママリスは笑みを浮かべたまま、俺の腕を自分の両腕でしっかりと抱いた。俺の腕でおっぱいがむにゅんとつぶれ、幸せな感触に包まれる――けど、今はそれどころじゃないんだよなあ!


 なんとかこのおっぱいの呪縛から逃れなくては。そうして俺が気力を振り絞ろうとしたところで、足元にいるヤクモから念話が届いた。


『のう……のうイズミや。ちょうど向こうの親玉がやってきたのじゃし、ここいらでワシらの言い分を話してみるのもよいのではないか? 牢屋にやってきた頭カチコチのエルフには参ったものじゃったが、一族の長ともなれば案外話を聞いてくれるやもしれんぞい?』


 相変わらずお人好しマインドを炸裂させるヤクモ。だがもともと排他的だというエルフ族だし、そんなに簡単にはいかないとは思うんだけど。ついでに俺、脱走中だし。


 しかし……今ならママリスとララルナ、ついでにモブググという味方もいる。相手の親玉と話すなら、この舞台が最適なのは間違いないだろう。そう考えると、試してみる価値はあるのかもしれない。


『……よし、わかった。そうしてみるか。でもダメそうなら、俺はすぐに村から逃げるからな? ヤクモ、お前はいつでも逃げられるように首に巻き付いとけ』


『うむっ、了解なのじゃっ!』


 どこか嬉しそうな声色で、ささっと首に巻き付くヤクモ。それを見てママリスがララルナに声をかけた。


「さてと~。ララちゃん、お父様がお見えですよ~」


「……ん」


 外の騒がしい声に、眉間にシワを寄せながら眠っていたララルナが顔を上げて目をこする。それからすぐにドタドタと廊下を踏み鳴らす足音が近づき、二人のエルフがこの部屋に飛び込んできた。


 一人はモブググ。もう一人は彫りの深い顔に額から鼻にかけて斜めにデカい傷跡をこさえた、耳が長くなければとてもエルフには見えないような大男。これがララルナの父親、リギトトかあ……。


 リギトトはきょろきょろと部屋を見回し、椅子に座るララルナを発見すると、その図体に似つかわしくない猫撫で声を上げながらララルナに近づいた。


「おおっ、ララちゃ~ん、ここにいたか~! まったくもう、黙っておうちから出ていくなんて、父様びっくりしたんだからな~」


 いかつい大男が体を縮めながら、ニチャアとした笑みを浮かべる姿はなかなかのホラーだ。そしてそれを一身に受けたララルナはプイッとそっぽを向いた。


「父様なんて嫌い」


 その一言にリギトトは目を大きく見開くと、ララルナにすがりつくような情けない声を上げる。


「ラッ、ララちゃん……!? なんだなんだ、父様、なにか悪いことでもしちゃったのか? お願いだから機嫌を直しておくれよう!」


「……じゃあ、ちゃんと私が言ったことを信じて」


 そんなララルナの言葉に、リギトトは眉をぴくりと動かした。


「……人族がララちゃんを助けたとかいうアレかい? でも言っただろう? アレはなあ、ララちゃんが勘違いしているだけなんだってさあ~」


「そんなことない。私は本当にイズミに助けてもらった」


「うーん、ララちゃんはまだ小さいし、純粋だからわからねえかもしれねえけどさあ……。人族っていうのは人助け、ましてやエルフを助けたりなんかしねえもんなんだよ。それに知恵者のグルタタが、あの人族はリザードマンと共謀しているだなんて言ったんだぜえ? 正直こっちのほうがしっくりくるわなあ」


 頭カチコチエルフは頭良いポジションだったらしい。だがそこで、これまでじっと話を聞いていたママリスが口を挟んだ。


「リギトト君、なに言ってるのよ~。グルタタ君って頭が良さそうな見た目だけど、お勉強はリギトト君の次にできなかったじゃないの~」


「そっ、そんなことねえし! ってかママリスさん、ララちゃんを説得してるんだから余計なこと言わないでくれよう!」


 どうやら族長であるリギトトでもママリスには弱いようだ。さらに追い打ちをかけるようにララルナがぽつりと呟く。


「父様、私よりグルタタを信じてる。やっぱり嫌い」


「ああっ、ララちゅわああん! お願いだからそんなこと言わないでおくれよ~! あのな、人族なんて本当にどうしようもねえやつなんだぜ? ずる賢くて残忍で、人族以外の命なんてどうとでもいいと思ってやがる。俺だって若い頃に出会った人族にはえらい目にあわされたもんだ」


 そう言いながら額の傷をぽりぽりと掻くリギトト。


「イズミはその人と違う」


「いやいや、人族なんてだいたい一緒なんだって。だってよう、俺たちエルフは耳の形だけとってみても長さとか角度とかみんな違うだろ? でも人族はみーんな同じ丸い耳なんだぜ。ホラ、ちょうどそこのみてえにさ。おっかしいだろ?」


 個性を耳でしか判断しないんかい、そもそも人だって耳の形は微妙に違うし――などと心の中でツッコミを入れていた俺を、ふいにリギトトは指差した。そしていぶかしげに首を傾げる。


「……ん? アイツ……人族じゃねえか。どうしてこんなところにいるんだ……?」


 あっ、やべ。ついに気づかれた。俺はごくりとツバを飲み込むと、今にも飛びかかってきそうな顔でこちらを睨むリギトトと向かい合ったのだった。

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