236話 移住

 ママリスは椅子の背もたれにゆっくり寄りかかると、ララルナの頭をやさしく撫でながら口を開く。


「この村には、おバカな方がすごくすご~く多いの。私としてはね……少しくらいは痛い目にあったほうがいいと思っているの~」


 おバカて。この人、見た目はバブみあふれるのに、思ったよりも辛辣だな。しかし気持ちはわからんでもない。


 人間嫌い、頭が良い、魔法が使える。それがヤクモからも聞いていて、俺も持っていたエルフのイメージだ。しかしここのエルフは脳筋が過ぎるんだよな。


「まあたしかに、俺が思っていたエルフさんと少し印象が違ったかも……」


 そんな俺の言葉にママリスがぐっと身を乗り出した。いちいちおっぱいが揺れるので、視線を動かさないように必死である。


「でしょう~! ……でもね、それって理由があるのよ。今から百年……いえ、モブちゃんがお腹にいた頃だから八十年ほど前? その頃、どこからかリザードマンの集団がこの森に大移動してきたの。その話は誰かから聞いているかしら~?」


「あー、はい。それは聞いてますけど……」


 何十年もリザードマンとの抗争が続いているとグルタタが言っていた。俺の答えにママリスは形の良い眉を下げながら話を続ける。


「リザードマンは私たちの森を荒らしたり、畑からお野菜を盗んだりとたくさん悪さをしちゃうから、村の住人は頭を悩ませていたの。それで~もちろん見つけ次第やっつけたり、こっちからも相手の根城に攻め込んだりしていたんだけどね~ぜんぜん数が減らなくて~。後からわかったんだけど、近くの湿地帯が産卵にすっごく適した場所で~、倒しても倒しても次から次へと生まれてきてね、とにかく大変だったのよ~」


「はあ、それは大変ですね」


 リザードマンの生態はよく知らないが、トカゲと湿地帯はさぞかし相性がいいだろうな。リザードマンからすればついに新天地を見つけたってことになるのだろうか。そこでエルフとの争いが起こったわけだ。


「そんな状況が数年続いたかしら。先に折れたのは私たちエルフだったわ~。別に負ける気はしなかったんだけど、住民の大半がリザードマンと争っていることに疲れちゃったのよ~。それでね~もうこの土地を捨てて別の森に移住しないかって話が出たのが……たしかモブちゃんが生まれた頃だったかしら~?」


「えっ、移住ですか?」


 てっきり今でもリザードマンと抗戦し続けているとばかり思っていたんだけど。だとすれば……今残ってる人ってなんなの?


「幸いなことに移住先には心当たりがあってね、大多数のエルフの民は新天地に移住したのよ~。今でもたまにお手紙のやり取りはしているけど、リザードマンはもちろんいない、とても豊かな森らしいわ~」


 するとこれまで横に直立不動で立っていたモブググが鋭い声を上げた。


「母上ッ、そやつらは戦いを恐れるあまり逃げだした弱きエルフではないですか。この先祖代々の土地を守ってこそ、伝統あるリギラ族なのです!」


 そんなモブググ見て、ママリスは頬に膨らませながらぷんぷんと腕を振る。


「もうもうっ! モブちゃんったら、いつの間にかお友達に感化されて、こんなになっちゃって! すぐに決着がつくならまだしも、いつまで経っても駆逐できないなら、こっちが場所を移したほうがずううっと効率的よ~? それにここはもともとムルラ族村だったのに、族長の弟のリギトト君が後を継いで名前をリギラ族村に変えちゃったんだから、伝統って言ったって百年もないじゃないの~」


「ですが、うぐっ……!」


 悔しそうに黙り込むモブググ。どうやらリギラ族というのはできて百年ほどの比較的新しい部族らしい。


「そういうことでね、今この村に残っているのはよくわからない伝統にこだわる、頭カチカチのおバカさんたちばかりなんです~。なんだかほっとけなくて、村に残った私もおバカさんなんですけどね~」


 口に手をあて、ママリスはうふふと微笑んだ。


『なるほどのう。ワシが見ていない間にそんなことが……。ワシが村を覗き見したときと雰囲気が違うのはそういうことじゃったのか』


 ひと通りの話が終わり、納得いったとばかりにうんうんと頷くヤクモ。――そしてその様子をじっと観察しているようにみえるママリス。


 おいおい、ただですら神かと怪しまれてるんだから、今だけはもっとアホっぽくしてほしい。ところかまわず粗相をするとかさ。


 しかしまあとにかく、これでこの村の事情はわかった。比較的柔軟な考えを持つエルフは村を去り、頑固な連中ばかり残ったのが、今のエルフ村だということなのだろう。


 とはいえ、もちろん俺には報復する気はまったくない。なんだかんだで興味のあったエルフ村を見学できたし、ララルナはめっちゃ謝ってくれたしな。やはりここは適当に話を切り上げた後に帰らせてもらおう。


 だがそれを言い出すより前に、ママリスに抱きついたままのララルナがこっくりこっくりと船を漕ぎ始めていることに気がついた。

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