235話 ママ

「着いたぞ。ここだ」


 幸い誰にも見つかることなく、俺たちは一軒の家へと辿りついた。木造の平屋建ての建物なのだが、ここに着くまでに見てきたどの住居よりも大きいし、柵に囲まれた立派な庭まである。


 モブという名前なのにお姫様と乳兄妹だったり、こんなデカい屋敷に住んでいたりと、知れば知るほどモブググの存在感が増していく。


「おい、突っ立っていないでさっさと入らんか」


 モブググに促され、俺たちは家の中に入った。ふわりと木の匂いが漂う玄関ホールから短い廊下を歩き、その突き当りにある扉の前でモブググが立ち止まる。


「母上、人族……いえ、イズミを連れて参りました」


「はあい、入ってきなさい~」


「はっ」


 おっとりとした女性の声にモブググが短く答え、木の扉を横に引く。途端にまぶしい光が扉の向こう側から溢れた。


 光の発生源はランタンではなく、天井近くにぷかりと浮かんだ光球のようだ。おそらく魔法なのだろうが、こういう魔法って初めて見たな。そして部屋の奥では、椅子に座っている女性の姿があった。


 女性の年齢は二十代後半くらいにしか見えない。だがモブググの母親だということは百歳はゆうに超えているのだろう。もちろんエルフだけあって整った目鼻立ちをしている。


 薄紫の長髪からは長い耳が伸びており、その耳はこれまで見たエルフの誰よりもペタリと下に垂れていた。垂れ耳エルフだ。そして――


 ゆったりとした緑のローブ越しでもわかるくらい、めちゃおっぱいがデカい。説明不要のデカさだ。俺はてっきりエルフは貧乳しかいないと思ってたよ……。


「ママ」


 ララルナはモブググ母の姿を見るや、たたっと駆けていき、ひざまずいて腰に抱きついた。モブググ母はそんなララルナの頭をやさしく撫でながらこちらに顔を向ける。


「いらっしゃい、人族の方。私はララちゃんの乳母をやらせてもらっていた、ママリスと申す者です~」


「あ、おじゃましてます。俺はイズミっていいます」


 俺は頭を軽く下げて挨拶。ママリスはにこりと微笑むと、俺の首にかかるマフラーをじいっと見つめる。


 おっと、ヤクモも紹介しないとな。ってかコイツ、村の中ではぐれたら怖いと首に巻き付いてきたけど、いつまで俺のマフラーやってんだよ。


 俺がマフラーを取り外そうと首に手をあてたところで、ママリスが人差し指を自分の顎にあてて小首をかしげた。


「それで~そちらの神獣様のお名前は、なんとおっしゃるのでしょうか?」


「えっ」


 一瞬ギクリと背筋が震えた。獣の姿をしてる神様だから今のヤクモは神獣になるのか? っていうか、これまで出会った誰もが単なる従魔と信じているし、最近は犬化が進んでいるヤクモだぞ?


 この人はそんなヤクモからなにか神っぽい気配を感じているってことだよな? コレってヤバくね? 案の定、ヤクモが念話で慌てふためく。


『ひえっ、なんじゃ、なんじゃいこのエルフ! イズミ、なんとかシラを切り通すのじゃぞ! ワシの神バレはめちゃ困るのじゃ!』


 ヤクモに言われるまでもなく、コイツの正体は死守するつもりだ。神様が降臨していると世間にバレるのは、面倒なことにしかならないだろうからな。


 俺はにっこりと笑みを浮かべながら、首からヤクモを床に下ろした。


「はは、コイツが神獣だなんてとんでもない。ただの従魔ですよ。名前はヤクモっていいます。ほら、挨拶しな」


「フ、フフフニャンッ……!」


 ヤクモが挨拶代わりにひと鳴きする――すごい震え声で。うろたえてるのが丸わかりじゃねーか。お前そんな演技で大丈夫なのかよ。だがママリスは口元を緩めながら、ゆっくりと頷いた。


「……あら~、そうなのね。なんとも神々しいお姿に見えたものでしたから、私ってばてっきり……ごめんなさいね~うふふ」


「ははは……。まあ銀色の珍しい毛色をしてますしね」


「うふふふ、そうね、とても美しい毛色だわ~。イズミ君、ヤクモ様を大事にしてあげてくださいね~」


「はは、そうっすねー」


 冷や汗をかきながら答える俺。なにげに様付けだし、なんだか察してる雰囲気があるんだけど、なんなのこの人。恐ろしく勘が鋭いとか、それともなにか感じるものがあるのか?


 しかしママリスはそれ以上は追及するつもりはないらしい。彼女は一度居住まいを正すと、まっすぐ俺を見つめながら静かに口を開いた。


「――私は姫様のおっしゃったことを信じておりましたが、こうしてあなた方をこの目で見て……それが正しかったことを確信いたしました。このママリスはあなた方を全面的にお助けいたします。なんでもおっしゃってくださいませ」


 そうしてゆっくりと頭を下げた。どうやらママリスは俺たちの協力者になってくれるらしい。さっさと逃げるにしても協力者がいるほうが楽だろうしありがたい。


「そ、そうですか。そういうことでしたら、村から安全に出られる道を教えてくれると助かります」


 するとママリスは驚いたように、口に手をあてて目を丸くした。


「まあっ、もう帰っちゃうんですか~? もちろん帰るならお手伝いしますけど~何日だってここに滞在してもいいのですよ~? それに~逃げるのではなく、イズミ君に冤罪を被せた長老会議の皆さんに報復をしたいようでしたら、もちろんそれもお手伝いさせていただきますからね~? お気軽にお申し付けください~」


「ええ……報復って。ええと、その、ママリスさんと同じ村のお仲間……なんですよね?」


 そんな俺のドン引きな問いかけに、ママリスはふうと軽くため息をついた。

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