232話 牢屋

 ――【壁抜け】が通じない。


 その事実にどうしたものかと牢屋をうろうろしながら考えを巡らせていると、俺の首元からするっと降りて人型に戻ったヤクモが、こちらを見上げながら首を傾げた。


「なー、おいイズミ。お前なにを焦っておるのじゃ?」


「なにってお前……【壁抜け】が通じないんだぞ? そりゃあ焦るってもんだろ」


「は……? 【壁抜け】が通じるわけなかろ。壁がこーんなに分厚いんじゃぞ?」


 ヤクモは眉をひそめると、石壁を拳でコンコンと軽く叩いた。


「……あっ」


 自分の口から間の抜けた声が漏れる。そういや壁抜けって、通り抜けられる厚さの制限があったんだっけ?


 ……ああ、そうだ、【壁抜け】で5センチ、【壁抜け+1】で15センチじゃねーか! ってことは、この石壁や石扉がそれより分厚いってことかよ。


「うわあ……マジだ。【壁抜け】、通じないのか……」


 俺はその場に腰を下ろし、がっくりと項垂れた。そんな俺の肩をヤクモがゆさゆさと揺さぶる。


「ちょっ、お、おまっ、お前! まさか【壁抜け】が通じると思っとったのか!? さっきまで余裕ぶっとったのはそれが根拠か? ウッソじゃろ、なあおい!」


「うっかり忘れてたんだよ。っていうか、お前もそのことを覚えてたなら、なんで教えてくれなかったんだよ……」


「お前のことじゃから、他になにか手があると思っとったんじゃい! このアホ!」


「は? んなもんあるわけないだろ! アホ!」


「アホ言うヤツがアホなんじゃい!」


「じゃあお前がアホなんじゃねーかアホ!」


「ぐぬぬぬぬ……!」


「うぐぐぐぐ……!」


 しばらくにらみ合う俺とヤクモ――だが、ヤクモの見た目がちんまいせいか、すぐに俺なにやってんだろと冷静になってしまった。


 アホアホ言い合ったところで何も解決しないし、それが一番アホらしいもんなあ。さっさと忘れて次の手を考えることにしよう。


 俺は大きく息を吐きながら手をぷらぷらと振った。


「はー……わかった、この話はやめよう。ハイ、やめやめ! そもそもだ、ここから出るだけならイーグルショットで壁をぶち壊せばいいんだし、どうでもいいことだったわ」


「むうっ、切り替えの早いヤツじゃのう……。じゃがその通りじゃなあ」


 ヤクモも怒りを収めて、その場にぺたんと座り込む。


「それにメシはツクモガミから出せるし、ここなら雨風だってしのげる。これってエルフ村に家を一軒もらったようなもんじゃね? テントより快適だろ、この牢屋」


 そんな俺の持論にヤクモはジトッとした目を向ける。


「自由に出入りできん牢屋を普通、家とは言わんじゃろ。やっぱりお前は楽観的というかなんというか……まあええ、お前までビビってしまうとワシめっちゃ心細くなるからの。とりあえず今はその調子で頼むぞい」


「はいはいっと。しばらくはここで様子を見ようぜ。俺の処遇がいつ決まるのかは知らないけどさ、なるべく近いうちになにか動きがあればいいんだがなー」


 そう言いながら、俺はよいしょと立ち上がった。まずはこの牢屋を住みやすくするところから始めないとな。



 ◇◇◇



「完成だ……!」


 俺はそう呟くと、素晴らしく改装された牢屋を見下ろした。


 まず俺が取り掛かったのはひんやりする床下の改装だ。そのためにツクモガミで梱包に使われているダンボールを床に敷き、その上に空飛ぶ絨毯だった物を敷いてみた。これで石畳の底冷えがずいぶんと改善されたことだろう。


 次に作ったのはトイレスペース。最初はプラスチックの箱さえあればいいと思っていたが、外に出れないようなので少し真剣に考えてみた。


 そこで大型のダンボールで仕切りを作り、牢屋の隅に小さなスペースを形成。そこにツクモガミで購入した災害用ポータブルトイレ(6800G)をセットした。


 これは被災した際に持ち運びができるようにコンパクトに作られた携帯できるトイレで、見た目は腰掛けできる程度の立方体なのだが、上蓋を開けるとトイレになっているのだ。


 蓋を閉めれば臭いもカットできるし、中のビニール袋を入れ替えるだけですぐに汚物処理ができる大変便利な物だった。


 気になる点は牢屋で用を足すと音がすることくらいか。俺はそのくらいどうでもいいとは思うが、ついさっきヤクモが大声を上げながら用を足していたよ。


 くつろぎスペースとトイレ。たった二点だけの改装だが、それだけでずいぶんと居心地が変わった。これはもう俺の城だと言っても過言ではあるまい。


 俺は絨毯の上にごろんと寝転がり、LEDランタンに明かりを灯し、ストレージからマンガを取り出す。


 奇しくも今読んでいるマンガでは、牢屋にビールとラジカセを持ち込んで主人公がくつろいでる。ちょっとマネしたくなったりしたが、さすがに今の状況で酒を飲むのは自重しよう。


 俺がぺらぺらとマンガをめくっていると、呆れた声が耳に届いた。声の主はもちろんヤクモだ。


「イズミ、お前……宿にいるときとまったく変わっとらんくつろぎっぷりじゃのう。そんなので大丈夫なのか?」


「ああ、張り詰めてても仕方ないし、外の様子は見れないしなー。気になるならお前だけでも外に見にいくか? ほら、狐になったらそこから出られるだろ」


 俺は扉の下部に打ち付けられている木の板を指差す。これを上に開くとぽっかりと横長の穴が空いているのだ。たぶん食事なんかを渡すために作られたものだろう。


「むむ……。そうじゃなあ、めっちゃ怖いがそれもアリかもしれんのう……。獣姿のままなら捕まることもないじゃろうし」


「おっ、おい。本当に行く気か?」


 半分冗談みたいなもんだったんだが、意外とヤクモは乗り気だ。


「うむ! お前にばかり仕事を任せるのもいかんなと思っておったし、ちょうどいい機会じゃ。ワシがちょっくら見に行ってやろうかの!」


 どうやら仕事中毒ワーカホリックが恐怖を上回ったらしい。どこか決意を秘めたような面持ちでヤクモが声を上げた。


「それじゃ行ってくるぞい! でもアレじゃ、すぐ戻ってくるからな! 遅いと思ったら牢屋をぶっ壊して探しに来るのじゃぞ? 絶対じゃぞ? 忘れたら泣くからな!」


 と、念入りに言いながらヤクモは狐に変化した。そして扉に向かって歩いていき――


「ちょい待ち」


 俺はヤクモの尻尾をむんずと掴む。


「ふぎゃっ! 何をするんじゃい!」


「情報収集は中止だ。誰か来た」


「むっ……」


 ヤクモは口をつぐむと、すぐに俺の体によじ登り首に巻き付く。俺はマンガとランタンを片付け、しばらく待っていると……扉の鉄格子越しにこちらを覗き込むイケメンの顔が見えた。


 エルフの団体に初遭遇したときのリーダー格だった男、グルタタだ。

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