164話 念願の風呂
俺はツクモガミを起動させると、以前からチェックしていた88000Gの浴槽をさっそく購入。
自立できるように脚が付いている、いわゆる猫足バスタブと言われる浴槽だ。洋画の入浴シーンでたまに見かけるアレ。
追い焚き用の穴が空いておらず、外で使うにしても脚があって置きやすそうなので、少々お高い買い物だったがコイツを選んだ。
ちなみに屋外の風呂というと、最初に連想されるのはやはりドラム缶風呂だろう。
ツクモガミにはドラム缶も出品されていたし、アレはアレでロマンあふれる一品だとは思うのだが、やっぱり風呂には腰を下ろしてのんびりと入りたい。そういうことでドラム缶風呂は見送ることにした。
さっそくストレージから出した猫足バスタブは、真っ白でなんとも高級感があふれるつるんとしたフォルム。その上、俺が前の世界の自宅で利用していたものよりも若干大きい。これなら満足のいく入浴ができそうだ。
「んんん……? なんじゃこれ? 鍋にしてはデカすぎるじゃろ。これでなにを作るんじゃ?」
ヤクモがバスタブの中を覗き込みながら尋ねる。とりあえずなんでもメシに結びつけるのは止めてほしい。
「これは鍋じゃねーよ。これは風呂だよ、風呂」
「ほほー。これは浴槽なのか? そういえばお前のおった世界では、こちらに比べて入浴の文化が広く親しまれておるのじゃったな」
「ああ、そうだな。こっちじゃ濡れタオルで体を拭くか、桶に入れた水や湯を浴びるのが普通だからな。ようやく念願が叶ったぜ」
さっそく俺はストレージから、この日のために貯めていたといっても過言ではない【アクア】で作り続けていた熱湯を排出する。
俺の手の付近からアツアツの熱湯が吹き出すと、どんどん浴槽に溜まっていった。
すぐに浴槽は湯でいっぱいになり、俺はそっと手を入れてみて――あっつ!
思わず手を引っ込める。【アクア】では結構な熱さを設定しながらストレージに貯め込んだからな。このままじゃ入れそうにはない。少し水で薄めるか。
俺は浴槽から湯を溢れさせながら【アクア】で作った水を足していく。
そうして何度か湯の熱さを確認していると、湯加減もいい感じになってきた。よし、そろそろ風呂に入ってもいいだろう。
そうして俺は上着に続き、ズボンも脱ごうとして――じっと俺の様子を見つめているヤクモに気がついた。
なんで俺が全裸で風呂に入るってのに、コイツはそれを堂々と観察しているんだ?
ふと俺たちの視線が重なるが、ヤクモは「どうかしたか?」と言わんばかりに小首をかしげる。
なるほど。コイツは俺の裸をなんとも思っていないらしい。
そういうことなら、コイツに裸を見られることを恥ずかしがってると思われるのもシャクだな。実際に恥ずかしいわけでもないし、俺も気にせず脱ぐことにするか。ほーい、すっぽーんっと。
俺はさっさと全裸になると、ストレージから取り出した桶でバスタブの湯をすくって頭からかぶり、そのままどぷんとバスタブに体を沈めた。
――その瞬間、ここしばらく感じたことのない快感が全身を駆け巡る。
「はああああ~~~~~~~~。ひっさしぶりの風呂……! 生き返るわぁぁぁぁ……」
「お前は別に死んではおらんではないか」
万感の思いで声を上げた俺に、ヤクモが冷静なツッコミを入れる。というかやっぱりコイツは俺が裸だろうがどうでもいいらしい。普段の様子となにも変わらないからな。
「生き返った気分になるくらい、気持ちいいってことなんだよ~。はあ~……」
俺はバスタブにもたれかかり、ただただ長くながーく息を吐く。吐いた息と一緒に疲労やストレス、煩わしいもの全てが流れ出ていくかのような心地よい感覚を覚える。
そんな俺を見て、ヤクモが湯の中にちゃぷんと手を入れながら口を開く。
「……ふうむ……そんなに気持ちいいのか?」
「ああ、最高だ……」
俺は夜空を見上げ、心の底からの思いの丈を言葉にして吐き出した。
「ほんなら、ワシも一緒に入ってみてもいいかの?」
「――は?」
その言葉にヤクモの方に顔を向けると、ヤクモはバスタブの縁に両手をかけ、そわそわと体を揺らしながら俺を見つめていた。どうやらかなり好奇心が刺激されているようだ。
「なー。ワシもいっぺん入浴というやつを体験したいんじゃ。なー頼むー。つまらんかったらすぐ出るゆえ、いっぺん頼むのじゃ、なー?」
「えー……」
呟きながらしばし思案する。この世界にきて初風呂だ。一人でじっくり味わいながらのんびりと浸かっていたい気持ちはある。
なので俺が浸かった後でなら……と思ったのだが、俺がのんびり湯に浸かっている間もヤクモが「まだか? まだ終わらんのか?」とうるさく聞いてくるのは安易に想像できた。
「あーわかった。いいぞ、入ってこい」
それに比べれば一緒に入るほうがまだマシだ。幸い広めの浴槽なので、小さいヤクモなら大して場所も取らないしな。
「うっひょーい、ありがとうなのじゃ! ……あっ、ワシの裸に欲情するでないぞ?」
ヤクモが俺にじっとりとした視線を向ける。
「するかいアホ。親戚の子供を風呂に入れてやるような気分でしかないわ」
「親戚の子供て……それはそれで失礼なやつじゃな。神の裸体じゃぞ……? まあええ、それならさっそくお邪魔するぞい、そりゃー!」
ヤクモはバスタブの縁に手をかけたまま、ぴょんと飛び上がると、ポンと煙に包まれ一瞬で素っ裸になった。
思ったとおりの真っ平らボディなので、特になにも思うところはない。俺は健全である。
そしてヤクモはそのまま湯船の中にざぶんと飛び込む。バスタブからざばーっと湯が溢れだした。
「うわっぷ! もうちょい静かに入れ!」
「すまんすまん、少し気持ちがはやりすぎたのじゃ! ……いや、しかし……ああ~。なるほど、なるほど~……。これは確かに生き返るという心地じゃのううううううう~」
俺の反対側に陣取ったヤクモが早くも顔を蕩けさせてぐったりとバスタブにもたれかける。
「風呂とは体を清潔にするものとばかり思っておった。神は天界におるかぎり汚れはせんからな、今まで関心はなかったのじゃが……。現世に降臨し、実体を得て……。湯に浸かるという行為が、これほどまでにワシの身体と心を震わせるとはのう。まったく恐れ入ったわい~……」
ふにゃんと顔を蕩けさせたヤクモが、全身の力を抜いたせいか風呂の中で次第に浮かび上がりながら呟く。どうやら尻尾に浮力があるらしい。
「ほれ、肩まで浸かったほうが気持ちいいぞ」
俺はヤクモの脚を引っ張り、むりやり腰を降ろさせた。
「おお、そうなのか? ふぁー……体がぬっくぬくなのじゃあ……ふにゃ……」
しっかり肩までつかったヤクモが焦点の合わない目でただひたすら空を見上げる。どうやらようやく落ち着いてくれたようだ。後はこのままほっといても問題ないだろう。
俺はヤクモから視線を外すと夜空に浮かぶ月を眺め、川のせせらぎを聞きながら時間を過ごす。
あー、なんて幸せな時間なんだろう。もっと早く風呂に挑戦してみるべきだったな……。
軽く後悔を覚えるが、今が幸せならそれでいいか。俺は身体に浸透していく熱を感じながらゆっくりと目を閉じた。
そうして俺とヤクモは体がふやけるまでたっぷりと風呂を楽しんだのだった。
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