163話 ぐへへ

 腹いっぱいにバーベキューを食べ、俺たちは少し煙が染みついた身体をクリーンで洗浄した。腹をさすりながら空を見上げると、その頃にはすっかり日も暮れ、あたりは真っ暗になっていた。


 その後も俺とマルレーンでしばらく語らい、傍らではヤクモがウニャウニャンと相槌を打つ――そんな時間が続く。


 そうして時が経ち、軽くあくびをしたマルレーンは警戒結界を張ると、寝袋に包まり星を見ながら穏やかに眠りについたのだった。



 俺も同じように星を眺めながら、時間が過ぎゆくのを待っていた。


 今はパチパチと焚き火の音と共に、すっかり寝入ったマルレーンからすうすうと穏やかな寝息が聞こえている。


 すぐそばに俺という男がいるのに、マルレーンは相変わらず俺に警戒心を持っていないらしい。アレサの言うことをあまり鵜呑みにするのもどうかと思うんだがなあ。


 俺は寝袋の中のマルレーンの顔を覗き込んだ。マルレーンは無防備にあどけない顔で、むにむにと口元を動かしている。夢の中でもおにぎりを食べているのかもしれない。


【気配感知】まで使ってみたが、完全に寝入っているのは間違いないようだ。


 この状態ならちょっとやそっとの物音じゃ気づきはしないだろう。


「ゴクリ……」


 俺は生唾を飲み込むと、その音が思いの外大きく自分の耳に響いた。


 ぐへへ……。さすがにもうこれ以上は辛抱できない。


 俺は心がはやるのを抑えきれず、自らの上着を脱ぎ捨てると――


「おい、イズミや。さすがに同意なしで寝込みを襲うのは感心せんぞい」


 背後の声に振り返る。そこでは人の姿に戻ったヤクモがじっとりとした目で俺を見つめていた。


「なんだヤクモか」


「なー、イズミ……。あやつもお前のメシの虜のようじゃし、頼み込めばなんとかなるかもしれんぞ? 早まる前にいっぺんお願いしてみたらどうじゃ? そしてそれでも駄目なら、きっぱり諦めるのが肝要じゃと思うぞ」


 ……は? なに勘違いしてるんだコイツ。俺はボリボリと頭をかきながら、脱いだ上着をストレージにしまう。


「違うっての。ついつい気持ちを抑えきれなくて、ここで上着を脱いだだけで、そんな気は全くないって」


「……? この娘とまぐわうつもりじゃないんか?」


「んなわけないだろ。それよりどうして人型に戻ってんだ?」


 マルレーンを起こさないように声を抑えながらヤクモに尋ねる。コイツは俺と二人きりでメシを食うとき以外はほぼ狐姿だからな。それ以外で人型なのは珍しい。


「ほれ、向こうに川があるじゃろ? たまには水浴びでもしようかと思ってなー」


「ふーん、そうか。それじゃあ行ってきなよ。俺もこれから似たようなことをするつもりだしな。むっふっふ」


 思わず顔をニヤけさせた俺の言葉に、ヤクモはピクンと大きな耳を動かすと好奇心に目を輝かせた。


「お? 何をするつもりなんじゃい。またなにか面白いことでもやるのか? そういうことならワシにも教えてくれい。いいじゃろ? なー?」


「フフン、しゃーねーなー。それじゃあ俺についてきな」


 俺は若干偉そうに川の方にクイッと顎をしゃくってみせると、ヤクモを引き連れて焚き火の傍を離れたのだった。



 ◇◇◇



【アクア】を習得して以来、ずっとやりたいと思っていた。だが今までは、やりたくても場所がなかった。


 宿の裏庭でやるわけにも、ましてや部屋の中でやることもできない。かと言って、町の外には魔物がいる。


 今ここでなら、水回りを気にすることなく、警戒結界のお陰でのんびりとしていられる。


 ――俺は、ついに風呂に入れる機会を得たのだ。

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