153話 牛丼と紅生姜と私
米とレトルト牛丼に火をかけている間、マルレーンは警戒結界のことも教えてくれた。「これがあるので見張りはなくても大丈夫です」とのことだった。
仮にマルレーンが教えてくれなければ、お互い無駄なことと知りつつ交互に見張りをすることになっただろうし、警戒結界を教えてもらえるくらいに仲良くなってよかったと思う。
アレサにいきなり組まされた即席パーティではあったけれど、こうやって少しずつ手の内を見せたり見せてくれたり、お互いに歩み寄っていくのはなかなか楽しいかもしれない。
そうしてしばらく雑談していると、ライスクッカーから湯気が出なくなってきた。これは炊きあがりの合図だ。
しかし火を止めてからも、さらに五分ほど蒸らす必要がある。その間に俺はツクモガミで紅生姜を検索する。やっぱり牛丼には紅生姜がないとな。
検索していくと、某牛丼チェーン店のロゴの入った紅生姜を発見。同チェーン店で使われている物とほぼ同じものなのだそうだ。
四パックセットで価格は980G。少し量が多いけれど単品売りがないので仕方ない。ポチッと購入だ。
そうこうしている間に蒸らし時間が終わった。
俺は後ろでマルレーンとヤクモが見守る中、ライスクッカーの蓋を空ける。途端に炊きたての米のいい匂いが辺り一面にふわりと広がった。
この匂いが苦手な人もいるのだが――後ろをチラッと見ると、マルレーンは目を瞑りながら幸せそうな顔で、鼻の穴をぴくぴく動かしている。
どうやらマルレーンは炊きたての米の匂いも大丈夫のようだ。……というか、かなりの米好きになりそうな予感しかない。
さっそく俺は丼鉢にご飯を盛り付け、その上にレトルト牛丼&ホーンラビット肉をたんまりと乗せる。牛丼の完成である。
後は生卵があれば完璧なんだけどな。とはいえツクモガミには売ってなかったし、この地域で卵の生食をやっているのを見たことないので、チャレンジするには勇気が必要だ。
産みたての卵を【クリーン】で洗浄すればいけるか? 最悪、食中毒になっても【キュア】でなんとかなるか……? いつか試そうと思う。生卵には命を危険にさらすだけの価値がある。
とにかく今はこの牛丼を楽しもう。俺は三人分を丼鉢によそうと、最後に小皿の中に紅生姜を盛り付けた。
「この赤いのは漬物だ。よかったらこれも試してくれ。よし、それじゃ食べるかー」
俺はストレージから椅子を二つ取り出すと、作業台をテーブル代わりにしてマルレーンを椅子に座らせた。
「あ、ありがとうございますっ! ところで、この料理に名前はあるんですか……?」
「ああ、牛丼っていうんだ」
「ギュードン……。ああ……なんて素敵な響き……。名前だけでもう美味しいってわかっちゃいますね……。はあ、はあ……」
なんだかさっきからマルレーンの顔つきがおかしい。荒い息で目をらんらんとさせながら、目の前の牛丼を凝視している。
「ま、まぁいい名前だよな! あっ、箸を出すの忘れてた」
「自分のがあるのでお気になさらず!」
マルレーンはどこからかマイ箸を取り出し、牛丼の前で構えたままピタリと動きを止めた。きっと俺からの合図を待っているのだろう。
俺は自分の箸を取り出すと、短距離走のスターターの気分になりながら声を上げる。
「よし、食おう!」
「はいっ!」
「ニャーン!」
即座にマルレーンは丼鉢を掴むと、箸で具材とご飯をたっぷりとすくい上げ、豪快に口の中に入れた。そして、もっもっもっもっと口いっぱいに頬張ると、幸せそうな声を漏らした。
「ふわああああああ~……。お肉がとろけるように柔らかくてすごく甘いですう~! それに下にあるお米におつゆがたっぷり染み込んで、こっちもすごく美味しい……いくらでも食べられちゃいそうです~!」
『うむうむ、こやつの言うとおりじゃ!』
ヤクモも同意しながらハグハグと丼に口を突っ込んでいる。どうやら二人に気に入ってもらえたようだ。俺は満足感に浸りながら、自分も最初の一口を食べてみた。
うまいっ! 玉ねぎの甘さがしっかりとホーンラビットの肉にも染み込んでいるように感じる。最初からレトルトに入っていた肉は……まあ、ドンマイと言ったところだけどな。やはり肉は魔物肉に限る。
ちょっと口が甘くなってきたところで、紅生姜の存在を思い出した。俺は小皿から紅生姜を取り、牛丼に乗せて一緒に頬張る。
すぐに紅生姜の酸っぱさと辛さが口の中をしゃっきりとさせた。いいねえ、やっぱこれがないと牛丼って気がしない。
『イズミー、ワシのもその紅生姜とやらをかけてくれ』
『おう』
俺は紅生姜を箸でつまむと、ちょびっとだけヤクモの牛丼の上に乗せた。紅生姜は苦手な人もいるからな。まずはお試しだ。
ヤクモは紅生姜をすぐに食べずにじろじろと見つめる。
『ふむ……赤い色がなんとも美しいのう。これは見て楽しむものではないのか? 本当に食べられるのかのう?』
『食べられるんだって、ほら』
ヤクモの前で紅生姜を食べて見せると、それを見て納得がいったヤクモもパクンと紅生姜を口の中に入れた。
『ほうほう……これはこれは……。イズミ、ワシは紅生姜を気に入ったぞ。もっとかけてくれい!』
『おっ、そうかい。これくらいか?』
どうやらヤクモにも紅生姜の良さがわかったらしい。今度は箸でしっかり摘んで入れてやった。
『違う違う、もっとじゃ』
『これくらいか?』
さらにひと摘みして牛丼に乗せたが、ヤクモは満足しない。
『もーっと、なのじゃ!』
「マジかよ……」
俺はげっそりとしながら、紅生姜1パック分の残りを全部どっちゃりとヤクモの牛丼に乗せてやった。そうして出来上がったのは、牛丼というよりもはや紅生姜丼と言ったほうが正しい代物だ。
『うほほー! これじゃこれじゃ! はぐはぐっ! 辛いすっぱいうまい!』
満足げに赤い丼鉢のなかに顔ごと突っ込むヤクモ。まあ前の世界でもそれくらいかけて食ってるヤツも見たことあるし、ヤクモもその素質があるんだろうな……。
っと、ヤクモの世話ばかりしてないで、自分も食べないと。そうしてようやく三口目を口に入れたところで、申し訳なさそうにマルレーンが声をかけてきた。
「あ、あの……お代わりって貰えるのでしょうか?」
「えっ、もう食べたのか?」
「は、はいぃ……」
そっと空の丼鉢を俺に見せるマルレーン。
「す、すいません……あまりに美味しすぎて、夢中になっちゃいました……」
どうやら思ったとおり、マルレーンは牛丼の虜になったようだ。ここまで気に入ってくれるなんて、俺もごちそうした甲斐があったよ。
「お代わりはあるぞ。腹いっぱい食ってくれよな」
俺は答えながらマルレーンから丼鉢を受け取る。
「あっ、ありがとうございます……! 本当に美味しくって! それにギュードンを食べると、なんだか体がポカポカとしてきますね」
見ればマルレーンの顔は真っ赤でじんわりと汗もかいている。マルレーンは手で顔を扇ぎながら眉を下げた。
「ふうふう……。せっかくきれいにしてもらったのに……すいません、ちょっと汗をかいたのでローブを脱がせてもらいますね」
そう言ってマルレーンはもそもそとローブの中に手を入れ、それを一気に脱いだ。薄い上着一枚のマルレーンが気持ちよさそうに息を吐いた。
「はふう……。涼しい~」
デッッッッッッッッッッッッッッッッカ!!
と叫ばなかったのは我ながらグッジョブだと思いたい。どうやらマルレーンは栄養がすべて胸にいってるタイプの人だったようだ。
だぶだぶのローブを着てるし、普段は猫背だし、とんでもない不意打ちを食らった気分だぜ。
思わずガン見してしまいそうなのをグッとこらえて上を向く。ルーニーならともかく、この子でそれはアカン。
するとちょうどマルレーンと目が合った。
「あ、あの、やっぱり二杯目だなんてずうずうしかったでしょうか……」
突然こわばった俺の態度を不審に思ったのか、おろおろとするマルレーン。
「……いや、問題ない。しっかり食べて、もっと大きく育ってくれ……」
俺はにこりと静かな笑みを浮かべると、丼鉢にご飯を大盛りによそったのだった。
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