122話 ライデルの町娘、マリナの災難

「ちょっ! マジでやめてってば!」


「へへっ、いいじゃねえか。ちょっと付き合えよ」


 ああっ、もう最悪! 酔っぱらいに絡まれるとかマジありえんし。


 ほんの少し近道しようと路地に入ったところでばったりと会ったこの男は、すれ違いざまにいきなりあたしの腕を掴むと、さっきから酒臭い息を吐きながらしつこく言い寄ってきている。


 マジ気持ち悪いし、当然ついていくつもりもないけど、あたしの腕をきつく握って力任せに引っ張ろうとするのは、すごく……怖い。


「あ、あの、あたしマジで急いでんの。だから、いやっ、離して……」


 男の腕力にビビったのが自分でもわかる。あたしの喉から吐き出された声はすごく弱くて震えてた。やだ、もう無理。泣きそう。


 普段、イタいナンパに遭ったら◯玉蹴ってソッコー逃げればいいっしょ、なんてツレ同士で笑い合ってたのに、言うのとやるのとじゃ大違いだった。


「へへ、まあそういうなよ。いい店知ってるんだ、飲みにいこうぜ。もちろん奢ってやるからさあ。ほら、こっちが近道なんだよ」


 男が濁った目であたしを見つめながら、さらに細い路地へと引っ張った。


 あたしもこの近所に住んでるし、あの先が行き止まりなことくらいは知っている。もう飲ませる気もないじゃん。ヤバいっしょコレ……。


 この路地に面した通路の人通りはけして多くはない。でもさっきから何人かが前の道を通ってこっちに気づいても、すぐに前を向いてそそくさと去っていく。ウソでしょ、誰か助けてよ……。


 今もまた、男の子がこっちをじっと見ている。助けてって大声で叫びたいけど、言った瞬間に殴られたらと思うと、まるで口を塞がれているみたいに声が出せなくなった。


 でも男の子はあたしの方をじいっと見つめ、それから横に連れている銀色の狐? に頷くと、こっちに向かって歩いてきた。


 黒髪であたしと同い歳くらいの男の子だ。男の子はペコペコと頭を下げながら近づくと、なんとも申し訳無さそうに声をかけてきた。


「あのー。すいません……」


「ああっ!? なんだコラァ!」


 男はあたしの腕を握ったまま、つばを撒き散らしながら大声を上げる。それで男の子が嫌そうな顔で一歩後ずさると、男を無視してあたしの方に顔を向けた。


「ちょっと事情がわからないんで、聞きたいんだけどさ……。君、もしかして今困ってる?」


「うっ、うん! さっきからしつこく付きまとわれて……!」


「ああ、そうなんだ。知り合いとか彼氏とかじゃないの?」


「全然違うし!」


 こんなヤツ彼氏なわけない! まだ彼氏がいたことだってないのに!


「って、言ってますよ。お兄さん、手を離してあげたらどう?」


「ああっ!? だったらなんだよ! カッコつけて横から口出ししてんじゃねえぞクソが! ……そういうことなら、望みどおりに離してやるよ!」


 男は振り払うようにあたしの腕から手を離すと、グッと拳を握りしめて男の子に向かって殴りかかった。危ないっ!


 ――でも、男の子はそれをひらりとかわし、よろめいてる男の無防備な背中に軽く蹴りを入れた。男は足をもつらせながら、転がるように地面に倒れ込む。


 そして男の子はあたしに近づいて、かばうように背中を向けた。え、ヤバ。めちゃかっこいいんですけど。


「ね、お兄さん、もう止めときましょ? 今ならお酒のせいってことで……ね?」


 倒れたままの男に向かって、男の子がやんわりとさとすように声をかける。……うーん、これはちょっと減点かな。ここはビシっとかっこいい一言を決めて欲しかった。


 ――って、あたし、なんだかすごく安心しちゃってるな。でも、そんな軽口を考えるくらい、この男の子の背中がすごく頼もしくて守られてるって実感しちゃったんだから仕方ないよね?


「うっ、うるせええー!」


 男は突然起き上がり、酔っ払った顔をさらに真っ赤させながら男の子に向かって飛びかかってきた。


 でも男の子はハァと軽く息を吐くと、いつの間にか手に持っていた長めの棍棒のような物を頭上にかざして――


 ゴンッ


 と、男の頭にそれを落とした。


「あへぁ……」


 男はなんだかマヌケな声を上げると、殴りかかったままの姿勢で地面にどさっと倒れてしまった。え、これで終わり? マジ? 瞬殺じゃん!


 男の子は倒れた男をチラッとだけ見ると、すぐにあたしに振り返った。


「あの、大丈夫だった? 怪我とかない?」


「えっ、えっと……」


 なんて言ったらいいんだろう。言いたいことが多すぎて言葉が出てこない。やるじゃん? 強いね? 歳いくつ? どこ住んでんの? ああ、ちがっ、こういうときは――


「あっ、あり――」


「ああ、こっちの酔っぱらいなら大丈夫だから。死んだりとかしてないと思う。俺、気絶させるの得意になってきたんだ……」


 あたしがなかなかしゃべらないからだろう、なんだか苦笑しながら男の子は答えた。違うって、そうじゃなくて――


「あ、ありがと! お陰で助かったってマジで!」


 ようやく言えた。なんか顔が熱いんだけど、赤くなってないよね?


「あー、どういたしまして。それよりここから出ようか」


「うっ、うん!」


 あたしはパタパタと手で顔を仰ぎながら、彼と一緒に明るい通路へと出た。


 ようやく人通りの多いところに出て、気分が落ち着いてきたところで、もう一度お礼を言う。


「あ、あの、マジでありがと! ありえんくらいしつこくて困ってたんだ! そ、それでさ、なんかお礼をしたいんだけど、あ、あんたの名前は?」


「えっ、あー。名乗るほどの者ではない……んで」


 彼はそう言いながら頬をポリポリとかいた。自分で言ったくせに、なんか照れてない? えっ、ヤバ、かわいくね?


 それに顔も別にかっこよくはないけど、妙にスレてなくてこの辺じゃあまり見かけないタイプ。嫌いじゃないかも。……えっ、もしかするとこれ、運命の出会いってヤツじゃん!?


「ま、そういうわけで、俺はもう行くから。これからは気をつけなよ?」


 男の子はそそくさとあたしに背を向けると、銀色の狐と一緒に通路をまっすぐ歩いていった。


「あっ、ちょ待って……!」


 でも、あたしが声をかけても振り返らず、彼はその場から離れていく。ああ、運命の出会いが……。


 正直追いかけたいところだけど、これでしつこくつきまとったら、さっきの男と一緒になるじゃん。がっついてるように見られるのもイヤだし。


 はぁ……これはもう、しゃーないっしょ。あたしは彼の姿が見えなくなるのを待つと、ため息をつきながらとぼとぼと道を歩き始めた。

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