62話 レクタ村の狩人、ラウラの独白2
私たち兄妹はいつの間にかホーンラビットの縄張りへと足を踏み入れてしまっていたらしい。すぐさまその場から逃走することにしたが、奴らは執拗に私たちを追ってきた。
そしてホーンラビットの群れから逃げる最中、私は毒蛇に脚を噛まれてしまった。兄さんは私を背負い、さらに逃走を続ける。
でも私より身長の小さい兄さんが私を背負うのは相当な負担のはずで、その足取りは少しずつ重くなっていった。
私はこれ以上、兄さんの足手まといにはなりたくなかった。しかしいくら降ろしてほしいと頼んでも、兄さんは頑なに私を降ろそうとはしなかった。
身体に力が入らず、自分から降りることもできない。私は自分が情けなくなってきた。幼かった私は両親を亡くして以来、さほど歳の離れていない兄さんに守られ育てられ、そしてようやく狩りができるようになった今でも、兄さんの足かせにしかなっていない。
私たちは背後に魔物の気配を感じながら逃亡を続けた。魔物を振り切れそうで振り切れない、そんな状況が長々と続き、兄さんの体力もとうとう限界を迎えようとしていた。
このままではいずれ追いつかれる。もう一度兄さんに降ろしてもらうよう説得しよう。そう決意したとき、なぜかイズミさんがふらりと森の中に現れた。
イズミさんはまるで村でたまたま会ったかのように手を大きく振りながらゆっくり近づいてくると、私たちを探しにきたんだと言った。
今日届けられるはずの弓が来ないので、私たちが戻っていないと見当がつくのはわかる。でも、だからといって夜の森に探しにくるのはおかしい。私たちは一度会っただけの知り合いでしかない。
当然、兄さんはイズミさんに怒り始めた。しかしイズミさんは兄さんの話を適当にはぐらかすと、私の背中に手のひらを、あの不思議な指を乗せた。
すると今までのまったく動かなかった私の身体に力が入るようになり、吐き気をもよおしそうな気分の悪さも消えていった。どうやらイズミさんは私にキュアを唱えて解毒を行ったらしい。
キュアの魔法を使えるものは村にはいない。ガルドスおじさんが練習中だとは聞いたことがあるけれど、まだ習得していないと聞いている。それをあっさりと使ってみせたイズミさん……。
やっぱりイズミさんは普通の人とはどこか変わっていると思う。それとも私が田舎者だから知らないだけで、他の村や町ではこういう人もたくさんいるのかな。
まだ少しぼんやりする頭でそんなことを考えていたけれど、休む間もなく危機は訪れた。ついにホーンラビットの群れが私たちを取り囲んだのだ。
しかしイズミさんは夜の闇の中でも、先日見たのと変わらない弓さばきでどんどん魔物を屠っていった。その勢いに後押しされ、私と兄さんも協力しながら三人で背中を合わせて弓を撃つ、撃つ、撃つ――
たまに視界に入ってきたイズミさんの指は、兄さんに狩人らしくなってきたと褒められた私のごつごつした指とは違い、つるつるしていて綺麗だった。
ホーンラビットを迎撃していると、ついにイズミさんが包囲網に穴を開けてくれた。私たちはまたイズミさんの収納魔法という新しい特技に驚きながらも森の中を走り抜けていく。
この調子でいけば生き延びられる――そんな希望はすぐに打ち砕かれた。ホーンラビットの上位種が現れたからだ。
初めて見た上位種はただただ恐ろしかった。私は恐怖で息をするのも精一杯で、身体はこわばり背中にはずっと冷たい汗が流れていた。
だけどイズミさんは今までと変わらぬ様子で弓を使い、上位種に当ててみせる。でもイズミさんの弓の腕をもってしても、上位種には効かないみたいだった。
それを見て、私はもうここで死ぬんだと思ったし、兄さんはそんな私を逃がそうと必死にイズミさんに頼み込んでいた。
でもイズミさんは余裕の表情を崩さずに、指先を不規則に動かしていく。少し前に兄さんが聞いたときはそれを魔法の訓練だと言っていた。けれど私にはそれがまた別のものに見えていた。
私にはそれが舞のように思えたのだ。本来、舞とは体全身で表現するものだけど、私にはあのイズミさんの綺麗な指先が織りなす不思議な動きが、神様へと奉納する舞にしか見えなかった。
その指先の舞に呼応するように、天から黄土色の箱が降ってきた。イズミさんがその箱から取り出した矢は光沢を帯び、私や兄さんが木の枝を削って作ったものとはまるで違う、まさしく天からの授かり物だった。
イズミさんはその矢を掴み取ると上位種に狙いを定める。理解はできなかったけれど、なにかの力が矢に集まってきているのを感じた。ここまで弓に愛されたイズミさんだ。きっと森の神が力を貸してくださっているのだろう。
そんなイズミさんの一撃は上位種を瞬時に葬った。
すごい人だと思った。戦いが終わった兄さんが駆け寄り、イズミさんに向かって友人だと言ったとき、私もこんなすごい人の近くにいてもっと彼のことを知りたいと思った。
緊張のあまり何と言ったのかは覚えてないけれど、私も友人にしてもらえた。初めての男の人の友人だ。
そしてイズミさんが笑いながら私の肩をポンと叩いた。あの強くて、繊細で、不思議で、綺麗で、神々しい指が私の肩に触れたのだ。
その時、私は一瞬気を失ったと思う。すぐに兄さんの怒鳴り声で我に返らなければ倒れていたかもしれない。
ふと、クリシアは彼の指に触れたことはあるのだろうか。そもそも二人はどういう関係なんだろうか。それが気になった。
ようやく森から抜けた後はイズミさんに食事に誘われた。兄さんは私が疲れていたのを知っていたので、家で休むように言ってくれたけれど、この機会にイズミさんとクリシアのことを知りたいと思い、絶対に行くと駄々をこねた。
そして教会での食事前にイズミさんにクリシアのことを問いかける機会が訪れた。でも、間が悪くて機会を逃してしまった。すごく勇気を出して聞いたので、もう二度と聞けそうにない。
でも、クリシアが彼をどう思っているのかはすぐにわかった。クリシアは今まで見たことないような楽しそうな顔をイズミさんに向けていたから。
私……私の気持ちはどうなんだろう。イズミさんは気になる。それはあんな男の人、今までみたことないという好奇心なのか、それともクリシアと同じ気持ちなのか――それはわからない。なにより私みたいな背が高くて指がごつごつの女よりも、可愛らしいクリシアの方がお似合いだと思うし。
そもそも、イズミさんはこの村にいつまでいるのだろう。ずっといるのかな? それが気になった。
盛大な食事を終え、教会からの坂道を兄さんと下りながら、私は坂道を振り返る。
教会の前にはまだイズミさんが取り出した不思議なランタンが光を放っているのが見えた。きっとまだイズミさんとガルドスおじさんが笑いながら飲み比べをしていることだろう。
イズミさんは食事でも変わった木の箸をくれたり、美味しい飲み物を出してくれた。
ガルドスおじさんは「イズミがわけがわからんのは今更だ」と言ってた言葉はそのままで、彼のやることなすことを私たちの常識で考えたところで意味はない。今日一日でそれは思い知った。
でもそんなイズミさんが、こんな小さな村にずっと留まるということはありえないように思える。いつかきっとこの村を去り、新天地を目指して旅立つときがくる。
それなら私のこの気持ちも、これ以上は考えずに深く深く心の奥底に閉じ込めてしまったほうがいいかもしれない。そうしないと、きっと別れる時に辛くなるから。
私はもう一度だけ教会に振り返り、それからイズミさんに触られた肩をそっと撫でながら、心の奥底にそっと鍵をかけた。
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