49話 聴覚強化

「まあワシのことはええじゃろ。それよりほれ、進むのじゃ」


 ヤクモは俺の服の裾を持ったまま、ぐいぐいと俺の背中を押す。服がめくれてるので勘弁してほしい。


 しかし立ち話しても仕方ない。やれやれと足を進めようとしたところで俺の【聴覚強化】になにかが引っかかる。


 ――ガサッ


 直後に近くの草むらも物音が聞こえ、何かが飛び出してきた。


「ふぎゅうっ!」


 ヤクモが奇声を上げて俺の背中に隠れる。しかし飛び出してきたのは、どうやらただのウサギっぽい生き物のようだ。俺を見上げて鼻をひくひくさせているのが超かわいい。


 そしてお互い見つめあってると、すぐに興味をなくしたのか、再び草むらの中へと飛び込んでいった。背後のヤクモが大きく息を吐く。


「ふう~。びっくりしたわい」


「俺はお前の奇声にびっくりしたよ」


「しっ、しかたなかろう! 怖いもんは怖いのじゃ! ……なあイズミよ、お願いがあるのじゃが、なにか飛び出てくるときは事前に言ってくれんかの? 事前に言ってくれれば心の準備ができるのじゃ」


「んなこと言われても、俺も直前までわからなかったし」


「んん? お前、【聴覚強化】はどうしたのじゃ」


「遠くに兄妹がいるかどうか確認するのに使ってるけど、それがどうかしたのか?」


 ずいぶん遠くの音まで拾えるので、兄妹がいたらすぐにわかると思う。とても便利なスキルだよな。


「そうではない。もうちっと自分の周辺の音もたくさん拾ってみい。そうすれば周辺の状況をある程度は知ることができると思うぞ。それで頼む……もう心臓をビクンビクンさせるのはイヤじゃ。現世降臨は精神に悪いのじゃ……」


 ヤクモが大きな耳をぺたんと垂らしたまま、しおらしく俺を見上げる。こいつこんなに怖がりなのに、仕事したい欲の方が勝って森までついて来たんだからある意味すごいよな。


 俺は変に感心しながらも【聴覚強化】に意識を切り替え、さっそく広く浅くだけ聴いていた音を、狭く深く聴いてみることにした。


 これまで聴いていた風の音、風に揺れる木の葉の音だけではない。音とは空気の振動だということを意識して、深く深く、音を掘り下げていく――


 すると……聴いていた風の音、葉の音だけではなく、その音の跳ね返りや、さらに音が向かっていく先、それらを感じ取れるようになってきた。ちょっと情報が多すぎて頭が痛くなりそうだが……スキルのお陰だろうか、なんとか処理できそうだ。


 そうしてしばらく音の情報処理に全力を費やしていると、次第に目を閉じていても自分の周囲の状況がある程度読み取れるようになってきた。


 目の前に広がる木々、近くで隠れてる小動物、木の上に止まっている鳥、未だに耳をペタンとさせているヤクモ。まるで視えているかのように感じられる。


 盲目の人の中には舌打ちの反射音で離れた場所にある物の形や距離を知ることができる人もいるらしいが、俺の【聴覚強化】も意識を集中させれば、それと似たようなことができるようだ。最初からこれをしていれば、近くの草むらにウサギが潜んでいることに気づくことができただろう。


「ほうほう、なるほど……これは便利だな。とりあえず今は近づいてくる獣はいないと思うぞ。それじゃ先に進むからな」


「おうっ。そういうことならガンガンいくのじゃ!」


 ヤクモが片腕を振り上げて威勢よく言った。もう片方の手で俺の裾を掴んだままじゃなければ、俺の士気も少しは上がったんだがな。



 ◇◇◇



 そうして俺たちは森の中をさらに進んでいく。幸いなことに獣に遭遇することはなかった。もちろん魔物にも。


 それにしても結構な距離を歩いたよな。この森の広さまでは知らないが、さすがにこれ以上進んでいいものなのかもわからなくなってきた。仮に兄妹たちとすれ違いになっていたりしたら最悪だ。


 しかしそんな俺の考えも杞憂に終わる。遠くの方から今までとは違う音が聞こえてきたからだ。


 これは……人の呼吸音だ。荒く息を吐き、疲れているのが読み取れる。もう一人の呼吸音は逆に弱々しい。そして引きずるような足音。


「ヤクモ、どうやら見つけたぞ。状況はよくないらしい。行くぞ!」


「うむっ! それではワシは狐姿になるからの」


 くるんと一回転して狐になったヤクモ。俺は頷くと音のする方へと向かった。

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