23話 テントの中で

 親父さんは俺をテントに押し込めると、さっさと踵を返して焚き火へと向かった。その様子をなんとなく見送った後、ため息をつきながらテントの中へと入る。


 テントの中ではクリシアが靴を両手にかかえて三角座りしていた。ちなみに組み立てのときに土足禁止と伝えている。


 俺も同じように靴を脱ぎ、テントの隅に置く。するとそれに習ってクリシアも俺の靴の隣にちょこんと靴を置き直した。


「なぁクリシア、ほんとにいいのか? 無理しなくても俺は別に外で寝てもいいんだからな」


「いろいろ助けてもらってるイズミを追い出して、私がこんないい所で寝られるわけないでしょ。……あっ、もしかして私と一緒なのが嫌、とか……」


 クリシアは言葉尻を弱めると眉を下げながら俯く。


「ああ、いや、そうじゃないって。君くらいの歳っていろいろ難しい年頃だろ? だから俺は気を遣ってだな、だからその……」


 それとも異世界だとその辺の価値観も変わってくるんだろうか。どう説明すればいいのか言いよどんでいると、くすりとクリシアが笑った。


「ふふっ、たしかにイズミってお父さんが言ったとおり、私より歳上みたいなことをたまに言ったりするね? でも私には気を遣わなくていいよ。嫌じゃないなら、もう寝よ?」


「ああ、うん……。そうだな、そうするか……」


 どうやらこの世界でもおっさんとは若者の貞操について説教をかます存在のようだが――たしかにぐだぐだ言い合っても仕方ない。クリシアが意識してないのに俺だけ意識するのもアホらしい。


 やたらと落ち着いてるクリシアに若干の敗北感を覚えながら、俺はテントの天井にランタンを吊り下げ、クリシアの隣に座った。


 テントの中を見回し、床を手で触ってみる。たしかにここは二人くらい十分に寝られるくらいの広さがあり、床もこのまま寝転んでも大丈夫そうだった。


 アウトドアおじさんの説明書によると、テントの床は当然地面と密着するため、地面の冷気が上がってくることによる底冷えがあったり、砂や石の凹凸で傷がつくこともあるそうだ。


 そこまでの説明を読んで、俺はまた何かを買わないと行けないのかと肩を落としたものだ。だがその後に続きがあった。


『ですがご安心ください。こちらも私のお古で恐縮なのですが、こちらのテントで使っていたグランドシートをおまけで差し上げます。もしすでにご購入でしたら、ぜひまだ購入されていない方に差し上げていただければ幸いです^^;』と。


 神かな、このおじさん。と思った。もしくはアウトドアを広める伝道師?


 とにかく本当に親切なおじさんである。アカウント名は覚えたので、今後は積極的に彼の商品を買おうと思う。アウトドア用品はこれからも必要になりそうだし。


 そういうことで、同梱されていたグランドシートとやらは設置の段階ですでに敷いている。


 俺は床にごろんと転がった。池で素っ裸だった頃はさすがに寒さを感じたが、テントに入って服まで着ていると、寒さはまったく感じない。


「ふう~」


 俺は寝転がったまま、大きく伸びをする。隣では、俺のように伸びをしているわけではないが、ぺたんと脚を伸ばし、リラックスした様子のクリシアが目に映った。


 こうなると普通なら、ここから二人で積もる話でも語らうのがテントの夜の定番という気もするが、俺とクリシアは今日出会ったばかり。それに焚き火でも結構話し込んだし、俺からは言えないことも多い。


 特に向こうから話しかけてくる様子もないので、このまま寝ることにしようか。


「それじゃあ寝るかー」


 俺はランタンのつまみを回して明かりを薄暗く調整すると、もう一度仰向けに寝転んだ。薄明かりの中、隣でクリシアも俺に背中を向けて横になったのが見えた。


「寒くないか? なんなら薄手の毛布くらいでよければ出すけど」


「大丈夫。寒くないよ」


「そっかー……。それじゃあおやすみー」


「うん、おやすみ」


 そうして俺は目を瞑った。



 ◇◇◇



 ――それから30分ほど経っただろうか。俺はまだ起きている。MP切れで気絶したように眠ったせいか、さほど眠くならないのだ。


 未だ冴える頭とランタンの薄明かりのせいか、妙に俺の神経が過敏になっている気がする。時折聞こえるギャーギャー鳴く謎の獣の声。森の木々が風でざわめく音。微かに耳に届く焚き火が爆ぜる音。いろいろと気になる。


 その中で一番気になるのは――隣で寝ているクリシアだ。


 具体的に言うとアレだ。ふんわりと俺じゃない匂いが漂っているのがすごく気になる。これはクリシアの体と汗の匂いだと思う。


 そういえばあれだけ必死に走って汗もかいたというのに、俺もクリシアも水で濡らしたタオルで軽く拭っただけなんだよな。


 体臭と汗の匂い。良い匂いとは言えないが、嫌な匂いでもない。なんというかこう……うん、この際はっきりと言葉にすれば、かなりムラムラしている。


 たしかにクリシアはかわいいとは思うけど、俺はもう少し大人の女が好みのはずなんだが……。肉体が若返ったことも関係しているのか? それとも異世界という極地に放り込まれた俺の生存本能がざわついているとか?


 なんにせよ、これはマズい。俺、やっぱ外に出よう。そう思い、腰を上げようとしたところ――


「……ねえ、イズミ」


「うえっ! な、なに?」


 背中を向けたままのクリシアが俺に話しかけてきた。寝息は聞こえてなかったが、まだ起きてたのかよ。


「その……助けてくれてありがとうね」


「あ、ああ、なんだその話か。お礼ならもう何度も聞いてるからさ、もういいよ。俺だって明日から君んちにお世話になるんだし」


「でもイズミ、命を助けてもらったんだよ? うちに泊めるくらいじゃ全然釣り合わないんだから」


「たまたまうまくいったみたいなところもあるし、クリシアには形見の品までもらったじゃないか。だから気にしないでいいって」


 俺としても最初から見返りを求めるつもりはなかったのだ。ツクモガミの万能感とほんのちょびっとの正義感。それらがうまく噛み合っただけで、後の事はなにも考えてなかった。


 むしろ情報皆無の異世界で、現地の人と仲良くなれたのは俺からすると計り知れないほどありがたかったのだ。だがクリシアは声を詰まらせながら答えた。


「気にしないでなんて……そ、そんなことできるわけないでしょ。だってあの時、イズミがいなかったら、私、もう今頃……」


 クリシアの肩が細かく震えているように見える。ダメだ、これはよくない。


「おいおい、そんなの思い出さなくていいよ。どうせならもっと楽しいことでも話そうぜ。あー……。そうそう、親父さんの話なんだけどさ、あの人ずっと上着の袖をまくってるけど、あれってオシャレのつも――」


 だが俺の話をクリシアが遮る。


「ねえイズミ、私本当に感謝してるの。私がこうして無事で、お父さんも生きてる。これは全部イズミのお陰なんだもの」


「ああ、うん。それはもうわかったって――」


「もう言ったと思うけど、私は教会でシスターをしているの。シスターとは神を伴侶とし、生涯その身を清く保ち続ける者。でもひとつだけ例外があるの」


「へ?」


 背中を向けていたクリシアはこちらに振り返った。薄暗い中、俯いた彼女の表情は見えない。


「それが命を救われた時。私は神の伴侶であると同時に、その財産でもあるの。神はその財産が失われることをなによりも悲しまれる……。だからシスターが命を救われた時は、その心の底からの感謝を伝えるために、身も心もすべて捧げて恩に報いる必要があるの」


 クリシアが俺の方へそっと体を寄せてきた。さっきから感じていた匂いがさらに濃厚に俺の鼻へと届く。


「だからね、イズミ。君がそうしたいなら、私を好きにしていいんだよ?」

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