17話 逃亡
「イズミッ、どうしたの!?」
クリシアがしゃがんで俺の顔を覗き込む。スカートの中が覗けそうだが今はそんな気力もない。俺はひんやりとした地面に頬をつけながら、なんとか言葉を返す。
「な、なんか、回復魔法を使いすぎたみたいで……」
「えっ、そんな……!」
「これほどの効果だ。さすがに魔力がもたなかったということか」
納得だと言わんばかりに落ち着いた親父さんの声が聞こえる。どうやらさほど珍しい状態ではないらしいが、状況が状況だけにこのままではマズい。立ち上がったクリシアがおろおろと辺りを見回す。
「ど、どうしよう。お父さん!」
「……俺に考えがある。お前はイズミを連れてそのまま逃げろ」
「お父さんは?」
「俺は死んだ振りをしておく。ここに置いていけ」
たしかに倒れた馬車の向こう側から現れた野盗からは、座り込んだままの親父さんは見えていないだろうし、倒れていれば死んだものと思われそうだが、それって自分一人はこのまま野盗をやり過ごすってこと?
……いや、さっきの父娘の様子を見ていただけにそれはありえない。けれど、それじゃあ一体どういうことなんだ。
「お父さん……大丈夫?」
「ああ、
親父さんの言葉を聞いたクリシアは真剣な表情で頷くと、俺の脇の下に首を入れて無理やり立たせた。森を駆け抜けたときも思ったけど、俺より体力も力もあるよな、この子。
「ほら、イズミ、行くよ?」
「親父さんはいいのか?」
「うん、たぶんだけどね……」
少しだけ不安げに眉を下げながらも、クリシアは俺を引きずって野盗から逃げるように歩きだした。
「なんだ怪我してやがるのか! ははっ、待ってろ、すぐに追いついてやるからな?」
楽しそうな兄貴の声が背後から聞こえる。振り返ってみると三人並んで仲良くこちらに向かっている姿が見えた。
ちなみに獰猛な笑みを浮かべる兄貴とは対照的に、小男とナイフ男は赤く腫れ上がった顔をしかめながら走っている。どうやら兄貴から鉄拳制裁を受けたらしい。
俺を引きずり徒歩より遅いくらいのクリシアの歩みに、駆け足の野盗がどんどん近づいてくる。
やがて野盗が馬車を通り過ぎ、うつ伏せに倒れた親父さんの姿をちらりと見た兄貴が満足げに口を歪めた。
「ったく、お前らもあのおっさんと同じ場所に送ってやれねえのが残念でならねえよ。だが十分痛い目にはあわせてやるから、思う存分逃げたことを後悔してくれよな!」
野盗と俺たちとの距離の差が縮まってきた。もう野盗は走ってもいない。いつでも追いつける言いたげにニタニタ笑いながら歩き、距離を保っているだけだ。
俺に肩を貸して歩くクリシアの顔も苦しそうだ。俺たちが追いつかれるのは時間の問題だろう。
「くそっ、気づくの早すぎだろ……」
不意に口をついた悪態が聞こえたらしい。歩きながら手に持った斧を振り回していた兄貴が上機嫌に笑った。
「ああ、それはな、泉に行こうとしたらよ? なんか木の幹に赤い塗料が塗られていたのがいくつもあったんだよ。何なのかはよくわからなかったが、俺はゲンを
ああっ、もしかして俺が目印のつもりで木につけていたクレヨンか!? あれを見て引き返したってこと? マジかよ、俺のせいじゃねーか!
「それで引き返したら部屋はもぬけの殻だったってわけだ。どうやって逃げたのかは知らねえが、まったくボンクラな子分を持った俺は不幸だよなあ!」
兄貴は小男の頭をバカンと殴った。痛そうに顔を歪めた小男が反論する。
「俺たちはちゃんと見張ってましたって! 扉だって閉まってたでしょ?」
「ごちゃごちゃうるせー! お前らがしっかり中を見なかったからだろうが!」
「兄貴が閉じ込めておけって言ったんじゃねーか……」
「ああんっ!? なんか言ったか!?」
「いえ……」
ナイフ男も不満顔だ。だがそんなふうに喧嘩しながらも、じわじわと俺たちに近づく野盗たち。クリシアは汗だくになって必死に逃げているが、俺の足にほとんど力が入らないせいで俺が酷い重荷となっている。
これはもう逃げられないだろう。……うん、どうせ逃げられないなら、俺だって男の子だ、かっこくらいつけたいよな。俺はクリシアに囁く。
「な、なあ、クリシア」
「……はぁ、はぁ……、なに?」
「俺を置いて逃げなよ。俺はほら、回復魔法があるし、体調が治ったらまた逃げられると思うしさ。殺すつもりはないらしいから、なるべくあいつらの邪魔をして逃げる手助けもしてやれる。お前ひとりなら逃げられるだろ?」
「バカッ! 私たちを助けてくれた君を置いて逃げられるわけないでしょ。私を見くびらないでっ!」
眉を吊り上げながらクリシアが言った。その言葉は嬉しいけどさ、このままだと二人とも――
「それに」
クリシアが言葉を続ける。
「きっと大丈夫だから。今度は私たちを信じてよ、イズミ」
そんな風に言われると何も言い返せなかった。はっと息を呑んだ俺は、それをゆっくりと吐きだしながら頷いてみせた。クリシアが口元を少しだけほころばせる。
「……ありがと。それにね、そろそろ頃合いだと思うんだ。声を出したりせずにじっとしていてね」
クリシアは足を止めるとくるりと反転し、野盗たちと向き合った。観念したのかとニタリと口を歪ませる野盗たち。
――だがその背後には、大きな角材を手に持った親父さんがゆらりと近づいていた。
それに気づかぬ野盗たちは下衆な笑みを浮かべたまま、それぞれが持つ得物を手で遊ばせる。
「へへ、ようやく観念したか。だが、一度逃げたからには優しくしてもらえるとは思わないことだな。せいぜい生き地獄を味あわせてから、奴隷商に売っぱ――」
兄貴がそこから先を語ることは二度となかった。
親父さんの振り下ろした角材がまっすぐ兄貴の頭を叩き潰したからだ。首を引っ込めたような体勢で前に倒れ込む兄貴。
「なっ、お前――」
振り返って声を上げた小男とナイフ男。
「フンッ!」
だが続けざまに親父さんが野球のバッターのように角材を真横に振ると、それはナイフ男の頭にぶち当たった。ナイフ男が首を変な角度に曲げたまま吹き飛んでいく。
そして親父さんはさらに角材の一撃を放ったが、小男は後ずさってギリギリのところで避けた。
だが小男は兄貴とナイフ男の状態を見て、すぐさま己の不利を判断したらしい。手に持っていた錆びたショートソードを投げ捨てて両手を上げた。
「た、助けてくれ、命だけは――」
しかし親父さんは表情すら変えることなく、今度は的確に角材を小男の頭に振り下ろした。
「ばきゃっ」
変な声を上げて小男は膝から崩れ落ちる。
「――娘を人質に取られなきゃ、お前らなんぞに負けねえんだよ」
そう言って親父さんは赤く染まった角材を肩に担いだ。
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