第34話
臭いが残らないよう気を配ってはいたが、鼻が利く奴はいるものだ。校舎裏でそいつらに声を掛けられた持月は、仕方なく煙草を分けてやった。
どれも真面目そうな顔ぶれなのは意外だったが、受験勉強に心が疲弊して一時的な非行に走るにわか者たちであると彼にはすぐに分かった。
それにしても、彼らの浮かれた表情はなんだ。これは玩具じゃない。ルールを犯しているんだぞ、それも校内で!
百瀬は決して、そんな表情を浮かべたりはしない。彼女は真剣に悪事と向き合い、アンモラルで
薄っぺらな高揚感と共に彼らが立ち去ると、持月は一人で煙草に火をつけた。そこへ背後から伸びた影が彼の全身を覆い、振り返ると目の前には生徒指導の柿崎が立っていた。
何故だか、恐怖は感じなかった。
自宅謹慎を命じられてから、すでに二日目を迎えていた。彼は自室に篭って一日中机にへばりついていたが、かといって勉強には一切手つかずで、勝来からの連絡にも応じず百瀬の動画を眺め続けた。
両親に煙草を没収されると母からは泣きながら叱咤され、父からは言葉の代わりに重い拳が飛び交うと文字通り身体が宙を舞った。彼は罰をその身で体験し、痛みを知ったが、同時に異様な開放感を味わっていた。
秘密は孤独を生み、他人を遠ざける。正直に生きる事がどれほど気楽であることかと思い知らされもしたが、すっかり染みついたよこしまな感覚は容易には拭えず、今も煙草が吸いたくて仕方がなかった。
玄関の呼び鈴が数回鳴り、しばらく経ってから両親が不在であることを持月は思い出した。居留守を貫こうと彼は決めていたが、表から嶋田の声が聞こえ、仕方なく自室を出て階段を降りた。
「よう、薫」
「亮くん……」
今の持月にとって、嶋田という存在はあまりに眩しすぎた。相変わらずの軽やかさを見せる彼はまるで潔癖そのものであるように思われ、持月は目を合わすことが出来なかった。
鞄からプリント用紙を数枚取り出した嶋田は、「ほらよ」と言って彼にそれを差し出した。
「まぁ、あれだ。ちょっとした骨休めだよ」
「うん」
俯いた持月の肩に手を触れた嶋田は、「親は?」と小声で尋ねた。
どちらも外出していて家には彼一人きりだと持月が答えると、安心したようにふっとため息を漏らした嶋田は、「実は例の桃園女子の彼女、――勝来さんだったか? あの子が校門の前に立っててさ、少し話をしたんだ」と言った。
「お前、あの子に全然連絡してないだろ。心配してたぞ」
「あぁ……」
連絡できるはずもなかった。道を踏み外し、すっかり薄汚れてしまった持月は清らかな勝来とはもはや縁遠い存在に思われた。嶋田に出会って話をしたということは、恐らく自身の罪は彼女に伝わったのだろうと持月は思った。
むしろ隠して欲しいなどとは微塵も思っておらず、彼の口から伝えてくれたことに感謝したいくらいだった。罪を償うことは信頼を失い、痛みを味わうこと。彼女との健やかな関係は断ち切られ、
「謹慎のことだけど、一応あの子には言わないでおいたからな。ひどい風邪でしばらく寝込んでるって話したら、納得して帰って行ったよ」
「えっ?」
持月はその瞬間、頭の中の回路が熱を帯びるのを感じた。目の前が一瞬真っ白になり、続けて視界に入った嶋田の善良な眼差しを見つめると、彼はまさしく怒り狂った。
「何で……、何でほんとの事を言わなかったんだよ! 亮くんは嘘なんてつくなよ!」
彼に真実を伝えてもらうことで、楽になりたかったからではない。彼に嘘をつかせた、その状況を作り出してしまった自分自身が最も許せなかった。
嶋田という人間が穢れていくように感じられた持月は激情に駆られ、「帰って……、帰れよ!」と叫ぶと戸惑う彼を追い出し、玄関の扉を勢いよく閉めた。
一人きりになった持月は放心状態のまま玄関に座り込み、そのまま魂が抜けたように動かなくなった。
どれほどの時間が経過しただろうか。気づけば扉の隙間からは眩しい光が差し込み、目の前には汗を拭いながらワイシャツの胸元をぱたぱたと仰ぐ百瀬が立っていた。
「なんだ、中もあんまり涼しくないじゃん」
「百瀬……」瞳にふと生気が戻り始めた彼は、幻を見ているような面持ちで彼女を見上げていた。「どうして」
「一応呼び鈴は押したよ? ドアが少し開いてたから、中を覗いたら君がそこに蹲ってて。ねぇ、大丈夫?」
持月は力いっぱいに目を閉じると、何度も指で強く擦った。それから少し待ってゆっくり目を開くと百瀬の姿は未だ消えておらず、不安げな表情で彼を見下ろしていた。
「何しに来たのさ」
彼女に向けて冷ややかな視線を送った持月は、身体をふらつかせながら立ち上がった。「百瀬は彼氏や友達の相手で忙しいはずだろ。用がないなら帰れよ」
いつになく好戦的な彼の態度に百瀬は一瞬戸惑うような、怯んだような表情を浮かべたが、すぐに飄々とした様子に戻ると、「……用事ならあるもん」と口にした。
「何だよ」
「もちろん、プリントを届けに」
迷いなく彼女にそう言われた持月は、目を丸くしながら靴箱の上に置かれたプリント用紙に目を遣った。そして思わず顔を綻ばせると、彼女の方に再び向き直りながら「嘘つき」と答えた。
何とも堂々たる嘘か。だが今の持月には、それが心地よく響いた。まさにそれは百瀬と過ごした時間を体現するような瞬間であり、そんな彼女の清らかな不徳を心の底から渇望していたことに気づかされた彼は、まんまと平静を取り戻した。
「ほんと、僕には嘘が下手だよね」
「余興は楽しんでもらえた?」と言ってさっさと革靴を脱ぎ始めた彼女は、持月に鞄を持たせてすたすた廊下を歩き進み、階段の方に足を向けた。
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