第十五章
第33話
夏休みが明け、持月は毎日のように顔を合わせていた勝来とも会う回数が減っていた。互いにメッセージを送り合い、たまに二人で外出をする機会がなかったわけでもないが、あの日以来、彼女との生温かいやりとりが彼にはどこか退屈に思えてしまう。
「それが幸せって感覚なんじゃねーの?」
嶋田に相談したところ、そのような回答があった。
「そうなのかな?」
「自然体でいられるのは大事だろ。直接会う機会が減ったから、ちょっとばかし物足りなく感じてるだけだよ」と答えながら、嶋田は毎度のごとく彼の肩に腕を回し、「また何かあったらいつでも相談しろよ。話くらいは聞いてやるからさ」
「ほとんど冷やかしのくせに」
「それもまた一興だな」
「扱いがまるっきりバラエティ番組じゃないか」
百瀬は二学期になってもクラスでは相変わらずの八方美人を貫いていたが、とうとう持月に朝の挨拶を寄越さなくなった。長い休みを経て自分の存在は彼女の中で完全にリセットされたのかと思うと、持月は肩の荷が下りたような、それでいて目の前の視界に靄が掛かったようなバランスの悪い感情が胸の中を占めるようになった。
まもなく図書委員の仕事が再開され、ここでも会話は行われないものかと持月は予想していたが、二人きりになった矢先、彼女は唐突に口を開いた。
「最近、部室に来ないよね。なんで?」
「えっと、夏休みだったし」
「そんなの言い訳に過ぎないよ」
彼女はあからさまにむくれた表情を浮かべている。暴力的なまでに感情を曝け出すその姿がとても懐かしく思えた持月は、思わず口元が緩みそうになるのを堪えるのに必死だった。
「じゃあ百瀬は、夏休みも部室に顔を出していたって言うの?」
ありえないと確信した上で彼はその質問を投げかけたつもりだったが、百瀬は少々言い淀んだ後、「たまにね。一応、部長だし」と答えた。
「それってもしかして、動画のこと彼氏に――」
「はぁ? そんなの言う訳ないじゃん」と鼻で笑った彼女は、持月の方に身体を寄せ、「ねぇ、次はいつ来れる? 明日は?」
「僕は写真部に入った覚えはないんだけど」
「あっ、生意気なこと言って。私のこと避けてるだけなんでしょ」
「避けてないよ、勉強が忙しいんだ」と答えた彼は、夏休みに橋の上から見かけた光景を思い出すと深いため息をつき、「それに君は、……彼氏持ちじゃないか」と不貞腐れたように言った。
それを聞いた百瀬は怒ったように彼を睨みつけながら、「じゃあ、私は彼氏がいたら、それ以外の人と会ったり話したりしちゃいけないの? そんなの誰が決めたのよ?」と早口に言った。「友達でも話しちゃ駄目なの? 私たちが男と女だから? それとも君は、私のことを友達だとも思ってないってこと?」
「そ、そんなこと……」
「ねぇ、こっち見なよ」
至近距離に詰め寄った百瀬からは嗅ぎ慣れた香水の甘い香りが僅かに漂い、それを嗅いだ途端、彼の脳裏には彼女の艶かしく卑猥な姿が想起され、耳元で話す声にすら身体が反応してしまう。
「ももちゃん……?」
彼女を呼ぶ声が聞こえ、持月はふと我に返った。入口に視線を移すとそこにはあの日に目撃した百瀬の彼氏が立っており、二人が座るカウンターを見つめていた。
「あ、宗太くん」と答えながら彼女は自然と身体を離し、「まだ帰ってなかったの?」と相手に向かって尋ねた。
「……うっ」
持月は、背筋が凍りつくようだった。なぜなら百瀬は彼から離れてもなお、片手で彼の右手を握りしめたまま会話を始めてしまったからである。
「一緒に帰ろうかと思って様子を見に来たんだけど、まだかかりそう?」
「うーん、そうだね。これから先生が来て今月の入荷分の説明とかするみたいだから、まだ少し長引きそうかも」
彼女は撫で回すようにゆっくりと、持月に指を絡めた。一本、また一本と、その動きは滑り落ちるように流暢でありながら思いのほか強引で、時おり舐めるように指先でこねくり回されると、持月はまるで全身を侵され、支配されていく心地になった。
「じゃあ、もう少しだけ教室で時間潰してるから、早く終わりそうだったら連絡くれる?」
「うん、もちろん」と答える彼女の柔らかな笑顔とは対照的に、指先では腹黒いエロスが暴走し、彼の右手のあらゆる箇所を支配し尽くしていく。
「それじゃ、頑張ってね!」と百瀬に挨拶をした彼は、持月の方にもはにかんだ顔で会釈を寄越してその場を去った。
彼の気配が完全に絶ったことを確認すると、彼女の手を勢いよく振り払った持月は「どうかしてるよ!」と叫んだ。
離された手のひらをしばらく見つめていた彼女は、澄ました顔でカウンターの正面に向き直り、「じゃあ、もっと早く離せば良かったのに」と拗ねたように言った。
「そのまま、彼に言いつければ良かったじゃない」
「何がしたいんだよ?」
「聞いたよ、彼女できたんだってね」
「……嶋田の奴」と内心で思いながら、「彼女じゃない。友達だよ」と持月は答えた。
「そんなこと聞いてないもん」
「百瀬の方から言ってきたんじゃないか」と答えると、彼女は短くため息をつき、「異性の友達って厄介だよね。恋人ができたら疎遠になっちゃうんだから」と言って目の前に置かれた雑誌のページを捲り始め、そのまま一言も口をきかなくなった。
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