第17.5話(『星とキスと礼拝堂』より抜粋)
明けて月曜日。午前で講義は終わり、午後からは電車を乗り継いで大手ライトノベル出版社、アクセル文庫の編集部があるビルまでやってきた。受付でアポイントの照会をすると、エレベーターで2階に登った3番の部屋だと案内された。2階なら目の前の階段を使いたかったが「あちらのエレベーターをお使いください」と再度念押しされれば仕方がない。言われた通り2階に上がり、少し廊下を進んだところに3と数字が貼り紙された扉を見つける。中に入ると、綺麗だがこじんまりとした個室だった。出入り口は入ってきた扉一つで、小説の編集者が打ち合わせに使う部屋というより、警察が容疑者を尋問する取り調べ室を思わせた。全て俺の勝手なイメージに過ぎないが。
机を挟んで椅子が二つある。恐らく扉に近い方が下座になるだろうとそちらに座り、待っていると間もなく男性がノックもそこそこに入ってくる。
「お待たせしました、
「はい、お時間を取っていただき、ありがとうございます」
立ち上がって礼をとろうとするが「ああ、いや楽にしてください」と抑えられた。恐らくこの階には他にも同じように打ち合わせ中のラノベ作家達や仕事をしている人達が居る。あまり椅子をガタガタ鳴らすのもよくないか。
「編集部の丸井です」
名刺を受け取る。
「篝火タクトです、よろしくお願いします」
学生の身分で名刺も無いが、頭を下げる。受け取った名刺を一旦机の横に置きながら……やばい、今更ながらにめちゃくちゃ緊張してきた。これ以上しゃべると声が上擦ってしまいそうなので丸井さんが口を開くのを待つ。
丸井さんは紙袋から俺の書いた原稿と思われる紙束を出して言った。
「率直に言って、あなたの作品から、可能性を感じました」
「本当ですか!?」
どんな評価が出ても冷静に反応しようとしていたのに、思わず声が大きくなってしまった。
「ええ、あくまで可能性ですが。篝火タクトさん、本名は浅川拓人さんで合ってますか」
「は、はい」
あさがわではなく、あさかわだが、まぁどうでもいい。ここにいる間は篝火タクトが俺の正式名だ。
「まだ大学生なんですよね。学生のうちからデビューする人も、少なくはないです。今までかなりの文章量を書いてきたようにお見受けしますが、どうなんでしょう」
「そ、そうですね……高校生の時から文芸部に入ってて、大学でもそのようなサークルで活動しているので、人に読んでもらって感想を聞くという経験はいくらかあります」
「なるほど、文芸部ですか……」
丸井さんは顎に手を当てて、少し考える様子を見せる。
「まぁ、そういう感じだろうなぁとは予想してました。女子も居ましたか?」
「え、はい。というか女子の方が多かったです」
「みんなアニメオタクとかラノベオタクの人ですか?」
「えっと、半々、ですかね。普通の小説しか読まない人も……あ、すみません」
いやライトノベルが普通の小説じゃないとか、わざわざ言う必要無いだろバカか!それもラノベの編集者に対して。
丸井さんはおおらかに笑ってみせて、
「こちらこそすみません、回りくどい言い方でした。つまり、純文学を書いた経験は豊富だけど、ラノベはほぼ初めてといったところですか」
と言ってくれた。
「そう、ですね。純文学というほど高尚なものかは分かりませんけど、私小説とか、なんていうか」
「一般小説ですね」
「……はい」
「ええ、この作品に対する評価が『可能性』止まりなのも、そこが原因です」
赤ペンを取り出し、原稿の1ページ目に「1:3」と書く。
「何の比率だか分かりますか」
「ええと、すみません、分からないです」
「男キャラが1人出たら、少なくとも3人女キャラを出すように、編集ではまず指示を出します」
あー、と納得する。そりゃそうだ、女の子のバリエーションはそのまま作品の華やかさに直結する。普段書いている話は、登場する男女の割合は多分1:1になっているはずだ。目の前にある原稿も、意識して女の子を出そうとはしたが、確か主要な男キャラが3人に女キャラが5人だから、1:2にもなっていない。
「すみません、そこら辺の定石とか全然分かってなくて……」
「勿論、それを指示するのも私の仕事ですから、ここからガンガン直していけばいいんです」
原稿を捲り4ページ目を開く。
「例えばですね、男女比で言えばこの土岐くん、この子を女の子にしちゃえばどうでしょう」
美術部、土岐の名前に赤線が引かれる。
「え……あ!なるほど……!」
土岐は主人公の加賀美と敵対するグループに所属している。家が地元でも発言力を持つ老舗製菓店を営んでおり、ヒロインの綾がのっぴきならない事情からその店を頼ろうとした時、加賀美が土下座して頼むことを条件に協力している。加賀美はしばらくその事を隠していたが、あとで知った綾から土岐は平手打ちを食らう。
確かにこの役は女の子でも務まる。土岐が女であれば男キャラが2人に女キャラが6人で、その比率は1:3だ。
「この話の中だと、土岐くんは出番が少ない方ですよね?話が続けば後から出番が増えるかも知れませんが、そういうキャラはとりあえず女性にしておきましょう。イラストレーターからしても男の子を描き分けるより、楽なんですよ」
そうか、女の子の方が属性を色々盛れるから読む方も嬉しいし、描く方も慣れてるんだ……!
こんな初歩的なことも気付かないまま書いてたのか俺は。勉強の為に名作と言われるラノベは結構読んだんだけどなぁ。登場人物は一旦何も考えずに美少女にする、くらいに思い切らないと、ついいつもの癖で男ばっかり増やしてしまいそうだ。
「平手打ちってのはかなり強い武器ですから、もっと後にとって置くとして。土岐くんはこのままだと親の七光りで威張る、かなり鼻につく嫌なキャラですけど、美少女であればそれも個性。改心して加賀美くんを好きになる話も欲しいですね。本気の嫌われキャラは居ないほうが良いです」
「そのほうが後味がいいんですね。勉強になります」
「……いい反応ですねー。こうして面談まで漕ぎつける人は大体そこら辺感覚が染み付いてるので、あんまり基本的なこと教え甲斐が無いんですよー。そしてなにより、うん、いいですね」
「何がですか?」
「私は今、だいぶガッツリ作品の構成に切り込みましたけど、咄嗟に否定しなかったでしょう」
それはまぁ、プロがいう事だし。俺はまだ何も知らない素人だし。
「同じ作家が言うならまだしも、自分で書いてないくせにベラベラ文句ばっか垂れやがって、と反発する方も結構いらっしゃるのでね。ですがね、安心してくださいタクトさん。書いてる本人以上に、外から見たほうが分かるので」
ふぅ、と息を吐き胸のボタンを1つ外す丸井さん。うっすら汗をかいている。
「我々編集は『売れるもの』を作ることは出来ません、それはあくまで作家さんの仕事です。ですが『売れているもの』に近付けること、『売れていないもの』から遠ざけることに関しては、任せてください」
胸を張る丸井さん。力強い言葉だった。そのどっしりとした姿に安心して……あれ?
「任せてってことは……これ、本に出来るんですか!?」
丸井さんはすこし、しまった、という顔をしたがすぐに「まぁいいか」と呟き、
「あくまで可能性です。この話を相当いじくり倒すか、もしくは新しくもう一本書いて来てください。それを読んでから、またお話させていただければと」
「そ、そうですよね」
いかん先走ってしまったか。しかし、折角のチャンスだ。
「本日はお時間はまだ大丈夫でしょうか。丸井さんが良ければ、是非お話をお聴きしたいなと」
「そうですね、私はあと20分ほどはありますが……いやそうだ、そういえば適任が居ました。ちょっと呼んできます、選手交代としましょう」
そう言って出て行ってしまう。丸井さんの名刺を仕舞って……名刺入れなんて無いし、スマホカバーに挟んで……待つ事数分、丸井さんがひょろっとした、髭が生えた男性を連れて戻ってきた。
「こいつが、新入社員の安田です。こちらが篝火タクトさん」
「安田です」
「あ、ど、どうも」
見た目の割に綺麗なテノールで話しかけられ、ちょっと面食らった。いや見た目の割にって言ったら失礼なんだけど、てっきりもっとボソボソした話し方を想像してしまったから、つい。
「去年まで大学生だった安田が、アドバイスするのにいいかなと思いまして。じゃ、後は若いお二人で、はははっ」
行ってしまった。流石に男3人入ると狭そうだったから少し楽になった感じがするけど、正直ベテランっぽい丸井さんから話を聞いたほうが有意義だったかなぁ。
「えー、改めて安田です。今名刺切らしてて、すんません。てかこんなペーペーの新人で、へへ、すんません」
「いえいえっ、プロの方からお話を伺わしてもらえるなんて、ありがたいですよ」
パッと見、無職ですといわれても信じてしまうが、話してみるとこの人も悪い人じゃなさそうだった。
「ペンネーム、篝火タクトです。よろしくお願いします」
「ええ、未来のうちのエースかもというお話でしたよね」
「ははっ、そんな、勿論そうなったら本当に嬉しいんですけど、まだラノベってものについて初心者で……今までもっとこう、直木賞とか本屋大賞とかの作品を手本に書いてきたので」
「ああ、アドバイスってそういうことっすか。うちに来る人では珍しいタイプっすね」
そうだなー、と腕を組んでしばし上の方を眺める安田さん。
「とりあえず丸井さんには、男性1対女性3で、みたいな話を聞きました」
「まぁそれも出版社によりますけど。ああ、そっか、そういった部分からっすね」
うんうんと頷き、丸井さんが置いて行った資料をペラペラと見る。
「じゃ学生さんに、お得意の座学の時間っす。ラノベと一般小説の違いは何だと思いますか」
それは前世紀の昔から永遠に議論されてきたことだ。でも結局答えは出ていない。答えのない問いから入って考えさせて、まずは自らの無知に気付かせる手法だ。家庭教師なんかがよくやる……さては安田さん、人に教え慣れてるな。
「はっきりした答えは無いと思いますが、出版社、でしょうか」
「あはー、確かに。ラノベを出す出版社から出てればラノベ。それは実際、良い線いってますよ。出版社が変われば本の装丁とか見た目の雰囲気が変わりますからね。つまり」
「イラストですか」
「そうっす。イラストがついてて、それぞれのキャラクターのビジュアルが設定されてて、とっつきやすい感じがするのがラノベと、俺はざっくり定義してるっす。もっと正確に言うと、イラストがつくことを前提に書かれた小説ってことになりますかね」
概ね賛同出来る意見だ。普段の小説を書くときに、登場人物に細かいビジュアルの指定なんてしない。ましてや金髪ツインテール吊り目とか、そんな感じの記号的な描写を盛り盛りにするのも、今回ほとんど初めて挑戦したことだ。
「んで、さらにさらに言うとそれは、アニメ化とか他のメディアにミックスされることも最初から想定しているわけっす。小説を文字だけで完結させてないのがラノベなわけっすね」
アニメ化か。夢がある話だ。そこまで辿り着けるのは、一体どれだけ実力があって幸運なことだろう。
「編集からはまずテンプレを覚えるように言うっす。さっきの1:3とかもそっすね。慣れないうちは、出て来る女の子はみんな主人公の男の子に好意を持つものだと思いながら書いてください。馬鹿の一つ覚えみたいにハーレムハーレムって、マジで馬鹿みたいな話ですけどね。ちゃんと理由があるんです」
「と、言いますと」
「魅力ある女性を書くのは皆出来るんすけど、魅力ある男性を書くのは難しいんです。なんでこいつがこんなにモテるのか。その仕組みを苦心して捻り出すという経験を積む必要があります」
……考えたことも無かった視点だ。かっこいい男は、男からも惚れこまれるくらい振る舞いがかっこよければ、それでいいんじゃないのか。
「だから、順序があべこべなんすけど、こんな魅力的なヒロインが惚れてるんだから、そりゃ魅力的な主人公に違いない。てなロジックで読者を騙すことも、ひとつのテクニックっす」
「そうか、それならヒロインの魅力を描くことに注力出来ますね」
「そうっすそうっす。あと大衆小説、例えば毎年ノーベル文学賞候補に挙がる、あの人居るでしょう。あれなんか、煙草や酒といった小道具や、セックスという飛び道具も使えますが、学園ラノベでは基本出せません。教師とか大人キャラが煙草を吸うことはあっても、主人公には、中々ね」
「セックスって飛び道具扱いなんですか?」
「そりゃね、少なくともうちの作品だとgoサインはあんま出ませんよ。他のところ……ネット発の作品をメインで扱うところなんかでは、最近増えてますけどね。なんてったって、アニメ化し辛いですもん。出てきてもベッドに倒れ込んで、次の瞬間には朝チュンですかね。有名所だと、ログアウト出来ないVRMMOのやつとか。篝火さん、性行為を細かく文章に書いたことは?」
「まぁ、いくつか」
援助交際とかクスリとか、爛れた人生を送っている友人から実例を取材出来たから、あくまでフィクションという形で小説に書き残したことがある。
「あっはっは!そりゃマジで珍しいっすよ。ほんと、見ないタイプだわー」
安田さんは話しながらも原稿を捲り続けていたが、やがて資料の中にメモを見つける。原稿を読んだ当時の丸井さんが書いたもののようだ。
「あーそれと、送ってもらったこの話みたいに、まずは学園ものっすね。中学生か高校生、んーいや高校生の話を書いて練習してください。ヒロイン達の肉付きとか、メリハリつけて描写してくださいよ。大学生の話も売れませんからダメです。これも理由があります」
「正直大学が舞台のほうが書きやすいんですが、ダメなんですか」
酒も煙草もセックスも使えるし。車も運転できるし、主人公が親元を離れて一人暮らしになり易いし。
「だって日本人の大学進学率は五割ですもん」
……なんてエグい理由なんだ。
「人間、細かい描写がされてなくても、勝手に脳内で補完してくれるんすよ。自分の経験を元にね。高校が舞台の話なら九割五分の日本人が気持ちよく読めます。でも大学の話って急にハードル上がるんすよ。わざわざ販売ターゲットを最初から半分に減らす必要は、まぁ無いっす」
どうしよう、この人明け透けでめっちゃ面白い。笑いが込み上げてくる。
マジで来てよかった。
「そういや、なんでラノベでデビューしたいんです?一般小説だと限界を感じて?」
「あ、いえ。実はまだそっちも挑戦中というか、どちらか一本には決めかねてて。なんならサラリーマンやりながらとかもあるかなって。だから今日も専門家のお話を聞きたくて、来ました」
「あーなるほどなるほど。そりゃいいっすわ」
そして安田さんは、いいことを思い出したという風に話題を変えてきた。
「『なるにはBOOKS』って知ってますか」
聞いたことがない。作家になるには、という本だろうか。
「作家だけじゃなくて、色んな職業についてどんな人が向いてるか、その職に就く為にはどんな資格が必要で、どんな学校に進めばいいかってことが書いてある、まぁ小学生か中学生向けのシリーズなんすけどね」
「安田さんも、その本を読んで出版社に?」
「まぁそんなとこっす。結構参考になりましたね。で、『作家になるには』も当然あるんすけど」
「けど?」
「これがまた、投げやりなんすわ!投げやりというか、身も蓋もない。ええとですね確か……無職でも刑務所も中からでも文章は書ける。何もかも失ってからでも、どんな状況からでも作家には成れる。作家にしか成れない人間など、今作家をやっている者のなかにもほとんど居ない。だからわざわざ最初から物書きに成ろうなどと思うな……って書いてあるんすよ!」
「ふははっ」
つい吹き出してしまった。小説家になりたいと願って図書館に調べに来た純粋な小学生がそんなものを読んだら、さぞ途方に暮れてしまっただろう。
「それ書いてんのバリバリ現役の作家ですけどね、芥川賞か何かとってる。ですからー、もし篝火さんがうちの稼ぎ頭になって頂けたら、こんなに嬉しいことはありませんけど。ぜひ、じっくり考えてください」
それからしばらく、参考にすべきお勧めの作品なんかを聞いて、今日は解散ということになった。帰り際に安田さんが、丸井さんの名刺は貰ったかと聞いてきた。
「ええ、貰いました」
「ちょっと借りて良いすか」
「はい、どうぞ」
スマホカバーから取り出して渡すと、裏に名前と電話番号を書いてくれた。そういえば安田さんの下の名前って聞いてなかったような……
「改めまして、
その日一番の衝撃が俺の口から噴き出されたのは言うまでもない。
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