第13話

 先輩と二人、並んで下校する。アトリエには、まぁ時間を決めているわけでもないので、やっぱりゆっくり行くことにする。

 ホイップをコネクトしてもらってから、色々気になっていたことを尋ねた。


 

「俺のことを聞いた美術部って、もしかして1年の樫峰ですか?」


「そうだよ。最初は姫野君に聞こうとしたんだけど、そいつなら樫峰の方が詳しいって紹介してくれたんだ」


「姫野君……?」



 部長は3年生だよな。でも水浦先輩は2年生のはず。

 俺の疑問に先輩が答える。



「実は私、留年してて。本当は春から3年生のはずだったんだ」


「へ、へぇ〜そうなんですね……」


「え?あ、ち、違うよ。決して素行不良とか、暴行事件とかで留年したんじゃないからね!」



 思わず先輩のプリン頭に目をやったのがバレたようだ。「そんなこと思ってないですよ。いやほんと」と弁明すると、ほんとかなぁ?という顔を一瞬しつつも説明してくれる。



「私、大きな病気に罹っちゃって、つい最近まで入院してたの。夏休み前に、身体を慣らすつもりで数日だけ登校することになって。久しぶりに学校に来たら懐かしくなっちゃって、あちこち探検してて……それで、あの絵を見つけたの」



 なるほど、これで腑に落ちた。こんなに美人な先輩が噂にならないはずがない。そして俺の情報網に引っかからないはずがない。今年度に入ってから学校に来ていなかったから、1年生の間では知られていなかったのだ。

 


「なんかね、冷静に考えてみたら1年くらい大したことじゃないのに、不安になっちゃって。死にかけたっていうのもあるんだろうけど、私の人生もうお先真っ暗だ〜!って、一人で勝手に騒いじゃって」


「ええ」


「退院しても、明日死んじゃうかも知れないとか、人と同じように生きていけるか分からないとか、色々な考えが消えなくて。今すぐ何かしないとって思って、でも何も思いつかなくて。うわーってなって髪の毛染めたんだよ。変でしょ」


「そうですね、変に思いきりがいいというか。でも改めて見ると、これはこれで似合ってますよ。先輩は美人だからどんなヘアスタイルでも似合うとは思いますけど。今から黒染めしちゃうのはもったいないな」


「ええっ、そんな……あ、ありがとう」



 先輩の気持ちは、分かる気がする。俺もサッカーで手を怪我した時、口では大したことないよなんて言いつつ、本当は誰よりも怖かった。意地を張って中学校の間はサッカーを続けていたけれど、心配してくれる周りの声が五月蝿くて仕方なかった。

 自分でもどうしたらいいかわからないくらい不安になると、急に思いついた変なことをしちゃうんだよな。俺の場合はピアノとか習字とか、絵の他にやってた習い事を全部やめて、偏差値も低くて評判も良くないマルヒガを志望したりしたもんだ。冷静になると、本当に大したことなかったのにな。

 


「私だけ2年生のままで、知ってる子は皆上級生で、クラスに友達も居なくて。久しぶりに来た学校で、またうじうじしてたんだけど……でもね、浅川君の絵を見て、不思議と元気が出たの。これも不思議なんだけどね。小さな風景を切り取った絵のはずなのに、すごく奥行きがあって。世界が自分の中にゔぁ〜って広がって。なんか私ってちっぽけだなって。そしたら、何も不安なこと無くなっちゃった」


「……ありがとうございます。ファンの声援が何よりの力ですよ!」



 普段、誰かに評価されたいなんて考えながら絵を描くことはない。自分を表現したい、描きたいものを描きたいという思いだけがある。でも先輩を少しでも元気づけられたというなら、素直に嬉しい。

 先輩を喜ばせる絵を描きたい。今、確かにそう思った。



「俺のことはタクトって呼んでください。皆からは、そう呼ばれてます」


「分かった。私のことも桜って呼んでくれる?」


「はい、桜先輩」



 俺がそう呼ぶと、桜先輩はおもむろに路肩の縁石に乗って歩き出す。そして、歌い始めた。



「あ……」



 先輩の歌はどこまでも透明で、空を飛んでいるようだった。


 バス停の時刻表や、塗装の剥げたポストや、犀川さいかわにかかる橋の欄干に、優しく響いていた。


 少し先輩がよろめいて調子が外れる。

 手をとって支えると、今度は一段と明るく楽しげに、世界が弾んだ。


 ああ、俺の中に、先輩と見ている景色がゔぁ〜っと広がっていく。


 やがて歌い終わった先輩がステージを降りて咳き込んだ。俺は少し迷ったが背中に触れてさする。



「ごめん、ありがとうタクトくん」


「桜先輩、歌が好きなんですね。とても上手でした」


「うん、大好き。でも入院してた頃、全然思うように声が出せなくてね。今リハビリ中なの」



 友達、というのが俺と先輩を表すのに正しいかは分からない。

 案外ピッタリなのかもしれないし、友情から最も遠い関係になるかも知れなかった。


 先輩が俺のファンだと言ってくれるように、俺も先輩のファンになっていた。

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