第6.5話(『星キスと礼拝堂』より抜粋)

 毎月最終火曜日は、我がサブカル研究会の定例会の日である。今年度の第一回ということで、新体制に移行する重要な会と位置付けられる。このサークルは過去に統廃合されたいくつかの団体のキメラと化しており、その内部構成は大きく分けて主に2つ。元漫画研究会を母胎とする「チーム健全神話けんぜんしんわ」と、主に元ゲーム部を母胎とする「チーム篝火かがりび」から成る。

 男子7名女子5名、総勢12名。

 運動場横の、質素ながらそれなりに大きいこちらのプレハブが部室である。周りのプレハブがバドミントンサークルやサイクリングサークルといったきらめかしい陽キャの集団であるなかに、何故か一つだけ、こんないかにもなオタク軍団が閉じ込められている。昨年度までは隣にマンドリンクラブという、唯一の陰キャサークル仲間がいた。しかし、日曜日に活動が無いからという理由で草壁鈴くさかべりんとかいう超特大の爆弾が今年から急に入り、彼女のファンという男子数人も加入して、クラブは陽キャ勢の波に飲み込まれ……るどころか活動もままならなくなって空中分解寸前だという。

 普段の部室は真ん中に遮光カーテンがひかれ完全に前後で分断されている。プレハブの出入り口も前側と後ろ側で2つあるので、言ってしまえば小さな部室が2つあるようなもの。だがこの月一定例会だけは、中央のカーテンを開け放って本来の大きさで部室を使う。

 我々2つのチームは決して、かつて敵対していたとか、今もいがみ合っているとかそういうことはもなく、普段から本当に仲の良い友人達である。作品の即売会にも「サブカル研究会」という一つの団体として出展している。今日も部会が終われば、チーム篝火の新リーダー兼研究会会長として、俺から皆を飯にでも誘おうと思っていた。では何故線引きが必要かというと、チーム健全神話で制作される作品には、R18要素が含まれる場合があるからだ。勿論作っているのはそれだけではないが、えっちな内容が苦手な人は、作業時間には篝火スペースに避難しておいた方が無難ということだ。

 今日のところは新役員と新設備の紹介だけに留めて、じゃあ終わろうかという空気になっていた。ところが今日も、いつもいつもいつも余計なことをしでかすチーム健全神話の新リーダー、和瀬穂波わせほなみが余計なことを言い放ちやがった。

「タクトー、今日お前んち泊まるからよろしくなー」

 途端にシン、と静まり返る部室。皆顔を背けているように見えるが、横目でがっつり俺たちを見ているのが分かる。俺は出来るだけにこやかに、努めて冷静に言葉を返した。

「やっだぁはしたなくってよ和瀬さん。女の子が簡単にそんなことを言うものじゃないわよん」

 年頃の娘さんと接する時、最も有効なコミュニケーションを取るにはオネェキャラが一番だ。あたーし女心分かりますよー、あなたたちを性欲の対象に見てませんよーと態度全て使ってアピールする。

「いーじゃん今更でしょ私たち、初めてでも無いんだしさー」

 うっすら全身健康的に日焼けした女が、何かほざいてる。耳には俺が去年、気の迷いか何かでプレゼントしてやった、こいつの趣味からしたらかなり控えめな星型のイヤリングが光っている。まだ4月半ばで暑かったり寒かったりするのだが、艶かしい肢体を既にガッツリ出している。寒いと思った日は男に温めてもらえばいいじゃんなどとよく嘯いているビッチだ。

 ヒッ、と息を呑む声が聞こえた。それは健全神話に加入したばかりの純朴な新入生マキちゃんからだった。

「んふ❤️あ〜らやだ、それはお酒飲んでゲロゲロに吐きながらうちの玄関先でくたばってらしたことを言ってるのかしらん。おかしな事を言うのはお辞めになって〜」

 これは……オネェというよりお嬢様言葉だな。篝火の副リーダー河西典明かさいのりあきに視線で後を託し、クソビッチがこれ以上変な事を口走る前に、首根っこを掴んで出口へ引っ張っていく。

 マキちゃんは今年、ただ1人入ってくれた新入生、我々の希望なんだ。女子校育ちの(さっきの俺みたいなエセじゃない)本物のお嬢様。特別男性が苦手というわけではないが、男女のイザコザの無い健全なサークルに憧れてたところを、健全神話副リーダーで典明の妹、河西風呼かさいふうこが、なんとかかんとか騙くらかして連れてきた次世代を担うエースなんだ。

 とっくの昔にサークルの健全神話が崩壊していたことを知られてこの大物を逃すなんてことになったら、歴代のリーダー達に申し訳が立たない。部室で過ごしていれば、じきに健全神話スペースの本質がすっかりエロに染まっていることもバレるだろうが、そうなったら仕方ない。カーテンを挟んだ向こう、篝火スペースでは、健全神話など比べるべくもない、口に出すのも憚られるド変態野郎たちの酒池肉林が繰り広げられている。だからまだ健全神話の方がマシであるというデマカセで押し通す手筈になっている。だってマキちゃんが女子比率の高い健全神話が良いっていうんだもの!

 外に出て扉を閉め……ダメだ聞き耳を立てられている気配がひしひしと伝わってくる。さらに部室をずんずんと離れていく。「ちょ、チョークチョークっ」配達中の荷物が何やら暴れているが、俺はプロの配達員だ。焼却炉まで確実にこいつを運ばねばならない。

「あれ、先輩だ。おーい先輩、タクトせんぱーい」

 こちらに小走りで寄ってくる小さな人影。

「スズじゃないか、どうした?ああマンドリン始めたんだっけ、今日も活動?」

「その予定だったんですけど、何か皆今日休むみたいで、ていうか最近全然活動してなくってー」

 それはねスズ、君だけが台風の目に居て、周りの惨状に気が付いていないだけなのさ。

「先輩は何してるんです?」

「俺もサークル活動だよ、部室で出たゴミを捨てに行くところ」

 うぐっ。なんだろう、ゴミを抱える左の脛がひたすらに痛い。まるで硬めのお洒落靴で蹴られているような。

「そうなんですか。じゃあ先輩、そこまでご一緒していいですか」

「断るはずがないだろ。良い天気だしね、ちょっと散歩しようかぁあふんっ」

 いかん。カッコ良くエスコートするつもりが、気色悪い声を出して地面に沈んでしまった。

「だぁれがゴミだタクトぉ!」

 枷を外された肉食獣が吠えている。

「ふっ……やるじゃないか和瀬、人体の急所である膝裏を的確に突くとはな……っ」

「キメェ声出してんじゃねぇぞ!」

「和瀬、お前が知らないだけで俺の喘ぎ声は常にあんなのが出る。一晩中聞き続けるのは嫌だろう?キモいと思うなら、馬鹿なこと言ってないで早く自分の家に帰れ」

「それは……いやぁ、今日はちょっと無理っつうか、鞄部室に置いてきたままっつうか」

 くりくりっと目を丸く輝かせて、スズが「紹介して?」というおねだりビームを発射してくる。仕方ないな。

「こいつは……同じサークルのわせ。和瀬穂波。俺の同期だ」

 武士の情けだ、クソビッチと呼ばれていることまでは言うまい。

「ども、和瀬穂波、通称クソビッチっす。今日はタクトと一発パコろうかなって思って誘ってました」

「うぉおおおいっ!!」

「これはご丁寧に、ぺこり……初めまして、和瀬先輩!マンドリンクラブ2年の草壁鈴です。鈴って書いてリンって読むので、スズって呼ばれてます!よろしくお願いします♪」

 わざわざぺこり、と口に出しながら上目遣いにお辞儀……するフリをしながら股間を見られた、気がする。いや、大丈夫反応してない。一切していない。ちょっとボディラインが出やすい服を着た肉付きの良い女と密着しただけだ。少しばかり意外とフローラルな女の子っぽい良い匂いがするのねってそんな、やましい考えなど全く、これっぽっちも浮かばないね。

「いやー和瀬はこんな風にジョークが好きな奴なんだ。ただちょっと初対面から下ネタが多すぎるかな?うん、まぁ懐かれた証拠だよ。良かったなスズ」

「なんで背中向けて話してるんです?せんぱーい」

 ああ、うん。15秒で片付けるので待ってほしい。

「で、家に帰れないってどういうことだよ」

「なんで背中向けて話してるんだ?まぁなんてーか、複雑な家庭の事情ってやつだよ。ありふれた話」

 ……そうか。和瀬は大学のある、ここの地元出身で実家暮らしだ。確か現在、ほとんど県外からの進学者であるうちのサークルで唯一の地元民。

 口さがない噂によれば、基本は母親と2人暮らしだが、時々入れ替わる母の恋人が、家に居着いたり居つかなかったりといった感じらしい。それで本人も家に帰ったり帰らなかったり、夜の街をうろついて、適当な男に身体を許しては小遣いを貰ったり一晩の宿を得たり……なんだとか。

 俺だってその噂の全てを信じたわけじゃ無い。けど本人も一切反論しないし、母子家庭にしちゃ変に金回りがいいし、正直どうしても彼女を公平な目では見られない……。

「今日はその、母親が男連れてくんだよね」

「うん?うん……」

「それでまぁぶっちゃけると、隣の部屋で一晩中アンアンやられてたら私も我慢出来ないっていうか、混ざりたくなっちゃうっていうか、お義父様になるかもしれない人の子供孕んじゃうかもしれないっていうか〜」

「んんんんんんんんんんんんん?!?!?!」

 色々片付くどころか完全に萎えてしまい、思わず振り向いて和瀬の顔を凝視する。

「Oh!I don’t know, what are you mean.」

「お前、咄嗟に出て来る英語が中学生レベルなんだな」

「うるさいよ……いや、でも、うーん」

 まぁ確かにそれは家に居辛い、かもしれないな。

「でしょ?だから先にタクトの子供孕んどけば良いかって思ってさ」

「NoooooOOOO ! NoNoNoNoNoNo ! 今そういう話してないから!ははっほんと冗談ばっか言うやつで困るよな!……なあ、ははっ、スズ」

 ニコニコと少しずつ気配を消していたスズに向き直って一歩近づく。

「え……何ですか。あの私はそろそろ……」

 キョロキョロ、よし。

「な、スズ!」

「えっ」

 辺りに人の視線が無いことを確認し、逃がさないように両手でスズの肩を掴む。

「やっ……」

 後退りするが、離しはしない。そのままズルズルと下がって行ってバドミントンサークルの部室に背中をつけてようやく止まる。小さなスズの身体が、さらにぎゅっと縮められている。内股に閉じた脚も震えていて今にも崩れ落ちそうだ。

「……や、めてください」

 潤んだスズの瞳を、真正面から捉える。安心させるように肩に置いた手を、ぽん、ぽん。

「スズ、頼みがあるんだ。いいかな?」

「………………やだ」

「お願いだ。本当に大事なことなんだ、スズにしか頼めない。君だけが頼りなんだ!」

「私、だけ?」

「そうだ」

「で、でもこんな場所じゃ……」

 俺は……そこにボケっと突っ立っている売女の頭を引っ掴んで、彼女の前に下げさせる。

「ぐぇぇ。……あ、オナシャス」

「は?……………………やだやだやだやだやーだー!」

「お願い、一生のお願いだから」

「やーだー!それはもっと大事なとこで使ってよ!」

「今日だけ!今日だけこのバカを家に泊めてやってほしい。大丈夫女の子には興味ない!こいつ男専門だから!多分!」

「やーだっていってんじゃん!やーだーーーーーーー!」

「許可が降りたぞー!」

「ありがとうスズちゃーん大好きーーーーー!」

「良いって言ってないっ先輩のバーーーーーーーーーーーーーーーカッ!!!」

 その後レディを我がサークルの部室に、それはそれは丁重にご案内し、熨斗代わりにアバズレの鞄を押しつける。

「なっ、馬鹿な早すぎる!この数分で子供を仕込んで産ませただと!?」

「うるさいぞ典明。ゴメンねマキちゃん、ちょっと頭がおかしいお姉さんが居て、怖かったよね。少し可哀想な子なんだけど、優しく見守ってくれたら嬉しいな」

「えぇ……?」

 スズは、完全に彼女を親と刷り込んだらしい和瀬に組みつかれながら、最後まで抵抗していたが、ついには力なく項垂れて家まで持って帰ることを受け入れたらしい。本当にすまない、君の尊い犠牲には最大限の謝辞を贈ろう。合掌。今度なんか埋め合わせするから許して。

 スズは半ベソ、いや完全に泣きながら私にべーっと舌を出して消えていった。

「さぁ皆、もう心配はいらない。僕らは真っ当なサークル活動に励もうじゃないか。まずはご飯でも一緒に食べて親睦を深めよう」

 11名はファミリーレストランに向かい親睦会、というかなんだかんだで後回しになってしまっていたマキちゃんこと綾縄真紀あやなわまき新入生の歓迎会を執り行った。それにしてもマキちゃんは育ちの良さが隠し切れていない。一回も染めたことが無いであろう長い黒髪は、一切ハネずにさらさらと左右に揺れる。なんてファミレスのドリンクバーが似合わない子なんだ。季節にぴったりの、ゆったりしたロングスカートがよく似合っている。素晴らしいよ風呼、君は本当にいい仕事をしてくれた。スープバーのあまりの(低)品質に思わず固まってしまったマキちゃんを眺めながら、河西兄妹と3人、サムズアップをキメる。

 こうしてまた長い1年が始まるのだった。

 ところで、チームのリーダーは投票で選ばれる。俺の方は大した事情も無い、ただの消去法だ。では和瀬は?何故あんな股も頭も緩いやつがチームのリーダーに選ばれたのだったか……。

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