第3話

 俺の家はもうしばらく歩いた先だ。今日登校してみた感じ、距離的には自転車通学にするのもいいかもしれない。

 だが金沢周辺はどこもかしこも坂だらけだ、きっと自転車が煩わしい時もくる。悩ましいな。

 ……と現実逃避してこれからの明るい学校生活に胸を膨らませていたが、一人になると途端に考えなければならないことが山積であることが思い返された。

 なんといっても、小説の世界に転生、なんてオタクの妄想全開のシチュエーションが、今まさにこの身に降り掛かっているのだ。


 一体何が原因だろうか。思い出せる最後の記憶は、夜に皆と通話しながらゲームをしていて、一人が寝落ちたので、じゃあお開きにとなって。

 俺もいい加減眠かったから歯磨きだけしてベッドに入り、気絶するように意識が呑み込まれていった……のだと思う。

 なにもおかしな部分はなかったはずだ。人格を誰かと入れ替えるような大仰な装置は着けてないし、神の遣いのごとき異世界転生トラックが入る隙間も無い。


 理由などないのかもしれないし、理由などどうでも良いのかもしれない。それでも折角の貴重な機会だ。とことん考察してみよう。


 改めて状況を整理してみる。

 まず俺は浅川拓人、拙作『星とキスと礼拝堂』、通称星キスの主人公だ。

 高校時代に自作同人ゲーム『チェーンソー・カラー』を個人で作り上げた経験からシナリオライターに憧れつつも、一般企業への就活を決意した大学生。サブカル研究会というサークルで、今度はチームでの創作に精を出しつつ、肉食世話焼き系同期と小悪魔妹系後輩との三角関係が泥沼の方向に進む……という内容だ。


 タイトルの星は、性に開放的な同期のヒロインにプレゼントした、彼女の趣味からしたら控えめなそのイヤリングの柄から。礼拝堂は、いつも拓人をからかってくる生意気な後輩が、その実敬虔なクリスチャンであり礼拝堂で毎週手伝いをしていることから、それぞれ付けている。


 女子の先輩と全然話した経験が無いため、定番の先輩系ヒロインは出さなかった。そのかわり、実際の同期や後輩の仲の良い子をモデルにキャラクターを作ったので、かなり質感のある魅力的なダブルヒロインになったと思う。

 勿論、本人達に許可はとっている。話の流れ的に、結局二人とも拓人と肉体関係を持ってしまった辺りではずいぶんこってり絞られた上に、色々とお詫びの品を奢らされたが。


 それをネットの小説投稿サイトで公開していた。まだまだ続きを書きたかったが、流石に卒論に取り掛からないといけない段になって、駆け足気味に一旦完結させた。友人達には黙っていたが、実は一度書籍化の話が来たことがある。

 ただ「『小悪魔系後輩と肉食系同級生のどちらも選べない俺は財力で全て解決することにしました』に改題して舞台を学園にしてエロ売りしませんか!」と提案されれば、断らざるを得なかった。

 いやーそれはちょっと……手に取ってもらえなければそもそもスタートラインに立てないという理屈は分かるけれど、だからってあらすじ風クソ長ラノベタイトルをつけるのは俺の矜持に反する。

 こちとら著名な作家もOBに沢山居る、そこそこの大学の文学部に所属するわけでね?という下らないと言えばあまりに下らないプライドからその話は無くなった。


 特別な才能もないくせに、折角のチャンスも掴めない。成功出来ない奴の典型例だ。そこで折れることが出来る人から日の目をみるというのに……。


 それで何の話だったか。

 そう、金の力なのだ。

 物語の主人公には主人公たる資格がある。親が海外で働くからと、都合よく一人暮らしになるのもそう。

 常人には無い特別な才能があったり、過去に壮絶な経験をしていたり。主人公がストーリーの中心となるに足る説得力が、必ず存在しなければならない。

 確かにゲームのシナリオや小説を完成まで漕ぎつけるだけの熱意はある。が、それはメインウェポンではない。


 拓人の力は、金の力。

 つまり……良いとこのお坊ちゃんであるということに尽きる。



「うお、でっか……」

 


 毎日見ているはずの正門を、感慨深く眺める。高級住宅街のなかでも、一際景色のいい場所に、俺の家はあった。自然とインターホンに伸びそうになる手を慌てて止める。

 自宅に帰って来ただけだ、お手伝いさんを雇っている程大きな屋敷というわけじゃない、でかいだけであくまで一般住宅。

 決心して、ドアを開けた。



「た、ただいまー」


「おかえりなさい、早かったのね」



 母、浅川香菜子あさかわかなこがリビングから出て迎えてくれる。

 面識の無い、知らない綺麗な女性。なのに、確かに俺を15年育ててくれた母さんである。むず痒いような居心地の悪いような気がする。



「まぁ、今日は入学式だけだったからね」


「部活とか見学しなかったの」


「んー、帰宅部かなって思ってるけど」


「そっか、そうかもね。中学と同じでサッカーは続けないの」


「趣味の時間を多く取りたいから……あ、居間に居るね」



 母さんがお茶を淹れてくれる。うぃ、さんきゅ。

 落ち着いて考え事をするには、こうしてリビングのマッサージチェアに座って、小さいながらも父さんの趣味に整えられた庭を眺めるのが一番だ。このチェアは机も付属している優れものである。

 鞄から真新しいノートを取り出して、表紙に「現状考察記録」とデカデカしく記入して気合いを込める。

 さて……。



「たっだいまー」

 


 この世界が『星とキスと礼拝堂』の内部世界観であることは疑う余地が無い。俺が浅川拓人であることもそうだし、ホイップという俺のオリジナルアイデアが広まっているのもその証拠だ。


 つまり、大きく分けて2つの考え方がある。1つ目は、ここが何かしら箱庭的な、閉じられた空間である可能性。それが何処にあるかと言えば、俺の心の中、あるいは脳の中だろう。


 例えばこんなのはどうだ。実は現実の俺は既に老人であり、その終末期を、AIが俺の記憶から作り出した幸せな仮想世界で過ごすことを決めた、とか。

 もしくは、睡眠中に不慮の事故に遇った俺は、今この瞬間にも生死を彷徨っており、ここはその境界。三途の川を渡るような特定の条件を満たす前に意識を覚醒させなければ死んでしまう、とか。



「え!お茶飲んじゃったよ!?」


「あれ、マッサージ椅子取られてる。先帰ってたんだお兄ちゃん」



 これは、まずいんじゃないか……いわゆる“よもつへぐひ”という考え方からすると、冥界の食べ物を口にしてしまうと、生き返ることが出来なくなるのでは……。

 いやまぁ、考えても仕方ないな。母さんの淹れてくれるお茶は美味しい。そんなんズルですやーん、不可抗力ですやーん。



「ねー聞いてよ、陸上部のキャプテン決めなきゃいけなくてさぁ。てっきりミホがやると思ってたのに私が推されて、断り切れなくてさぁ」



 2つ目の考え方は、ここが元の世界と関係のない、完全な別の世界という可能性。

 若くして死んでしまった俺を憐れんで、神様がこの世界に転生させてくれた……これがラノベとかだと一番多い説明か。でもどうせなら何か魔法とか、チートが使えるようになってくれてたら良かったのに。



「部活どうすんの?お兄ちゃんも球技やめて走るのに専念したら?それか美術部とか」


「拓人は帰宅部にするそうよ」


「えー勿体ないなー」



 いやいや、お金持ちの上にイケメンって、現代社会じゃ一番のチート属性じゃないか。これ以上物理法則を曲げた力を望むなんて、神様に申し訳ないか。

 あと考えられる仮説としては……そうだな、これはオタクなら皆大好き観測物理学とかいう分野からの理解だが。

 世界には無数の並行世界がある。それらは観測出来ないだけで確率の上では存在している。この『星キス』の世界とよく似た世界も、確率だけなら宇宙の何処かにあったのかもしれない。そして何も特別なことは起きておらず、何者かの恣意が介在したわけでもなく、単なる自然現象として、これら2つの世界の間で俺という人格と拓人という人格が重なって一つに……。



「はっ、バカらし」


「はー?何笑ってんの、お兄ちゃんが悪いんだよ!?手当たり次第に優しくするから皆勘違いしちゃってさ。あの浅川拓人の妹ってのがどんだけプレッシャーなのか分かる?分かんないよね」



 そして俺は考えるのをやめた。考えても仕方がない。人間死ぬ時は死ぬし、生まれた場所で生きていくしかない。置かれた場所で咲きなさい。諦めて運命を受け入れ「えいっ(ぽちっ)」そして精一杯目の前の現実に向き合ああああばばばばばばばば



「ええいやめんかっ」


「ちょっと真面目に聞いてよ、んでマッサージ椅子代わってよ私もやりたい」



 お茶が溢れたらどうする。リモコンを奪って振動を止め、仕方ない代わってやるかと腰をあげようとして……



「ところで、お前だれ?」


「へ?」



 一応念のために聞いてみる。綺麗な黒目、よく手入れされ肩までさらさらと流れる黒髪。俺と似た、だが幾分あどけなさの残る整った顔立ち。

 知っている。だが知らない。

 毎日会っているが、初めて見た。

 

 脳が理解を拒否している。『星とキスと礼拝堂』の作中において、浅川拓人は一人っ子である。

 

 そこには“設定に無い妹が居た”。

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