第29話 ルーナ奪還作戦。3
「姫様!? どうしてここに……?」
ルーナは独房に入れられてから、アメリアに自分の事がどのように伝えられ、アメリアがどのように過ごしているのかも知らされていなかった。そんなルーナの思考はこの一週間、多くの時間アメリアの事で埋められていた。
「姫様……私……」
ルーナの胸は、アメリアの顔を見た途端にカッと熱を帯び始める。
「ルーナ、私は勇者じゃないけれど……待っているお姫様がいるなら必ず助けに行くわ」
ルーナの抱くその気持ちは、愛でも恋でも無いかもしれない。
しかし、ただひたすらに暖かく、熱かった。
「さぁ、帰りましょう」
ルーナへと歩み寄ろうとするアメリアの前に、護送兵達が立ちはだかる。そして上空からは——
「あなた達! 何をモタモタしているのですか!」
メルティアを振り切ったブランシュが舞い降りてきた。その鼻には鼻血を拭った跡がある事から、メルティアの健闘ぶりが伺える。
「申し訳ありません! 邪魔が入ってしまいまして……」
「まあ良いでしょう。マチルダもプリムもまだ足止めを食らっていますし、後はあのおてんばなお姫様を拘束するだけで事は終わります」
アメリアの周囲には数人の護送兵達。そして眼前にはブランシュがいる。
「アメイア!」
ブランシュを追って来たメルティアはアメリアの元に戻ったが、マチルダもプリムもまだブランシュの部下達と戦闘を繰り広げているだろう。状況はアメリアにとって絶望的であった。
この数ヶ月、アメリアはアメリアなりに一生懸命修行をしてきた。しかし、その結果身に付いたのは不完全な感情術、魔法の初歩中の初歩、メルティアの召喚、そして一般女性の範疇を出ない体力のみである。まともに戦えば護送兵一人にすら敵わないだろう。
それでも、ルーナを見捨てるという選択肢だけはアメリアの中には無かった。
「さて、どうしますか? 王姫アメリア。大人しく降参するのであれば別れの言葉くらいは告げさせて差し上げますが?」
アメリアは一度俯き、顔を上げると、ブランシュを真っ直ぐに見据える。
「ブランシュさん、確かにこの状況で私に打つ手はないわ」
「潔いではないですか。しかし、何か言いたげのようですが?」
あまりにも潔いアメリアの口調から、ブランシュは何かを感じ取っていた。
「えぇ……。もしあなたさえ良ければ、私との一騎討ちを受けて欲しいの。メルティアも抜きで、本当の一騎討ちを……」
藪から棒にとは正にこの事であろうか。
アメリアの口から飛び出した予想外の言葉にブランシュは一瞬唖然とし、笑った。
「ハッハッハ! 何を言い出すかと思えば私と一騎討ちですって!? あなたのデータは全てこちらに揃っていますが、剣も魔法も碌に扱えぬあなたが私と一騎討ちとはどういうつもりですか? 一対一であれば私に勝てるとでも?」
「いいえ、今の私では逆立ちしてもあなたに勝てないでしょうね。ただ、あなたも知っていると思うけど、私はいずれ魔王を倒そうとしている。その時のために、あなたを仮想魔王として模擬戦をしておきたいの」
「この期に及んで打倒魔王様を口にするとは……。では、メイドの事は諦めるという事でいいのですね?」
アメリアは寂しげな表情を浮かべてルーナを見ると、「そうね……」と呟く。
「でも、それじゃあなたが本気を出してくれないかもしれない。だから、もし私があなたに一撃でも入れられたらルーナを返して貰うというのはどうかしら? それならあなたも本気を出さざるを得ないでしょう?」
「どこまでも思い上がった方ですね。私に本気を出させようなどと……。いいでしょう、その一騎打ち受けて立ちます!」
アメリアが口にした通り、ブランシュは逆立ちしてもアメリアに負ける気がしなかった。例え一撃食らえば負けというハンデを背負ってもだ。それはただの慢心ではなく、これまで魔王軍の一員として訓練を受け、戦い、役職を果たしてきた経験から来る自信である。
するとそこに、タイミングよくマチルダとプリムが駆けつけて来た。
「アメリア!」
「アメちゃん!」
二人はアメリアの側に駆け寄り、ブランシュへと身構える。
「フフフ……私の想像より遥かに早く部下達を退けてきたようですが、一足遅かったようですね。私はたった今アメリア王姫との一騎討ちを受けたところです」
「一騎討ちだと!?」
「えぇ、よってこれ以降、あなた方が彼女に手を貸す事は認めません」
マチルダはアメリアへと向き直る。
「無茶だアメリア! ブランシュは魔王軍の幹部で我々と同格だぞ! しかも役職上、拘束魔法の達人だ! 今のお前では敵うはずが無い!」
アメリアは首を縦には振らず、代わりにマチルダへと手を差し出す。
「マチルダ、剣を借りてもいいかしら?」
「アメリア、今からでも一騎討ちを撤回するんだ! もし敗れれば、お前は魔王様と……」
「わかってる。でも、人生の冬はもう終わったのよ」
そう言ってアメリアは微笑んだ。
「アメリア、お前……。わかった。だが私の剣は少々重いぞ」
マチルダはアメリアに自らの剣を手渡すと、肩を叩いて後ろに下がった。アメリアが手にするマチルダの剣は、二つの意味でズッシリと重かった。
「マッチー、大丈夫なの? ブランシュさんは強いよ」
「あぁ、だが……」
アメリアはマチルダに『人生の冬は終わった』と言った。それは先日アメリア達が演じた舞台のセリフである。マチルダにはそれに意味が無いとは思えなかった。
「お待たせしたわね」
「構いませんよ。勝負自体は一瞬で終わるでしょうからね」
ブランシュは護送兵に命じてルーナの見送り人達を下がらせる。そして十メートル程間隔を空けて立つアメリアとブランシュを中心に輪になって取り囲み、固唾を飲んで見守る。そしてその中には、馬車から出てきたルーナもいた。
「姫様……」
ルーナにはどういう経緯でアメリアがこの場に現れたのかはわからない。ただ理解できるのは、アメリアが自分を救おうとしてくれているという事だけだ。その事がただひたすらにありがたく、そして申し訳なく思えた。
「さて、始めましょうかアメリア王姫。あなたと私の一騎討ちを。あなたが踏み出せば、それを開始の合図としましょう」
ブランシュは翼を広げ、その身に魔力を漲らせる。
周囲には木々が騒めく程の風が巻き起こる。
ブランシュは恐らく全力の三割程も出してはいないだろうが、アメリアからすれば絶望的な戦力差であろう事が周囲の者達には感じられた。子供と大人、いや、子鹿と獅子、それ以上の戦力差である事が。
「一撃、当てれば勝ちでいいのよね?」
「えぇ、できるものならね」
アメリアはマチルダに教わった通り、剣を正眼に……は構えなかった。深く腰を落とし、剣先はブランシュに向けて、剣の腹を腰に付けるような構えは、突きの構えであった。
「まさかあいつ……あの突きを使うつもりか?」
マチルダの脳裏に浮かんだのは、かつて自らに一撃を入れたアメリアの『奇跡の突き』であった。
そして、アメリアの構えを見たブランシュも思考していた。
(なるほど、一撃の突進力に全てを賭けるつもりですか……。戦力差のある相手への戦法としては間違ってはいませんが、あまりにも甘い……)
直線で突いて来ると分かっていれば、ブランシュはただ横に躱し、アメリアに手をかざして『
(しかし、本当にそれだけでしょうか……? 王姫には何か奥の手があるのでは……?)
ブランシュがそう訝しんだ時だ。
アメリアの目がギラリと光った。
「ブランシュさん、あなたの負けです!」
「何っ!?」
一歩踏み込んだアメリアは、「メルティア! これを!」と叫んで剣を上空に放り投げる。するとマチルダ達と共にアメリアを見守っていたメルティアはハッとして上空に飛び上がり、空中の剣を掴んだ。
アメリアの行動の意図が読めぬブランシュは、いつでも魔法が放てるように腕に魔力を通わせつつも、瞬時に思考する。
(何だ!? 召喚獣に何をさせる気だ!? これは一騎討ちではないのか!? まさか私を謀ったのではあるまいな!? 剣で来るのか!? 魔法を放つのか!?)
しかし、ブランシュが目で追うメルティアは、剣を掴んだまま、それをどうすればいいのかわからぬ様子でキョトンとした表情を浮かべている。メルティアはただ召喚主であるアメリアに命じられ、反射的に剣を掴んでしまっただけだったのだ。
(何だと!?)
すかさず視線を下に戻すと、既に地を蹴っていたアメリアが眼前に迫って来ていた。
「おのれ小賢しい!」
手に赤いオーラを纏ったアメリアが次にどう動くのか、戦闘経験の豊富なブランシュは回避行動を取りながらも注視して分析しようとする。いや、分析しようとしてしまった。
次の瞬間、アメリアの全身が凄まじい光を放った。
それはかつてアメリアがルーナとの修行の際に放った、魔素を光属性の魔力に変換してただ垂れ流した時の光である。しかし、魔素を魔力に変換する方法を学んだアメリアの発光は、その時の何倍も力を増していた。
周囲にいる者達すら目を開けていられぬ程の凄まじい発光。それをブランシュは至近距離で、しかも夜間で瞳孔が開いている時、アメリアを注視している状態で、もろに目に受けてしまったのだ。
「グァァァァァァァア!!!!!!」
暴力的なまでに強烈な光を目に受けた時、生物が反射的に取る行動は、ネズミであろうと人間であろうとドラゴンであろうとも変わらない。顔面を庇い、身を縮めるのだ。
ブランシュが立ちながらも身を丸めた時、勝負はついていた。
ゴチン
その額に、軽く突き出されたアメリアの拳が触れた。
「なっ……!?」
「し、勝負有り……で、いいのかしら?」
アメリアは発光を止め、目が眩んでよろめくブランシュの体を支える。その様子を目を細めて見ていたマチルダは呟く。
「そうだったな……。一度痛い目を見た私がすっかり忘れていた」
「どういう事? 僕、眩しくてよくわからなかったんだけど」
「あいつの一番の武器は、にわか仕込みの剣技でも、未完成の感情術でも、操りきれぬ莫大な魔力でも、メルティア頼りの召喚魔法でもない。お姫様らしさとはかけ離れた、その狡猾さだ」
そう、かつてアメリアは、マチルダに一撃を当てるために躊躇わずに卑怯とも言える手段を選択した。それこそがアメリアの一番の武器だったのだ。
一見意味不明に思われたアメリアの行動は、全てはブランシュに一撃を食らわせる事に向けられていた。
アメリアが初めに低く身構えたのは、クラウチングスタートに近い体勢を取り、素早くブランシュに近接するためである。次に勝利宣言をしたのは、ブランシュに「何かあるのではないか」と思わせるための揺さぶりだ。そして剣を上空に投げたのはブランシュの視線を上に向けさせるためであり、メルティアに剣を掴ませたのは、より長く自分から視線を外させ、更にブランシュの思考を混乱させるため。
そしてその隙に近接すれば、ブランシュはアメリアを注視せざるを得ない。その拳に感情術の赤いオーラが纏われていれば、次に放たれる一撃を警戒して尚更である。
そこから先は語るまでも無いだろう。至近距離で強烈な目潰しを受けたブランシュがアメリアの拳を受けるのは必然であった。
最も、これらの作戦はほぼアドリブであり、ブランシュが一騎討ちを受けてくれねば成功するはずのないものではあったが。
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