第20話 女の子を拾いました。2

 ちゅっ……ちゅっ……


 その日の朝、アメリアは自らの唇に触れる柔らかな感触で目を覚ました。


「ううん……ルーナ?」

 そして寝ぼけ眼を開けると、そこには深いエメラルドグリーンの大きな瞳がアメリアの顔を覗き込んでいた。瞳の持ち主はヒクヒクと鼻を動かしてアメリアの匂いを嗅ぐと——


 ちゅっ……


「うひゃあ!?」

 先程から自分の唇に触れていたものが人間体となったカーバンクルの唇であると知ったアメリアは、珍妙な悲鳴を上げて跳ね起きる。そしてそれに驚いたカーバンクルも、人間離れした動きで後方に飛び退いた。


「びっくりしたぁー……あなたまた人間に化けたのね。おはよう」

 返ってこないと知りながらも挨拶を投げると、カーバンクルはその大きな瞳でアメリアを見据えながら、ぎこちなく口を開く。


「オア、ヨウ」

「あなた……喋れるの?」

「オアヨウ……イエ、アア……」

 初めから人語を喋れたのか、それとも昨日のアメリアとルーナの会話を聞いて学んだのかはわからないが、どうやらカーバンクルは『おはよう姫様』と言おうとしているらしい。

 舌足らずながら一生懸命に喋ろうとするカーバンクルの姿に、アメリアは何故か一種の感動のようなものを覚えた。


「わ、私は『アメリア』よ!」

「アエ、イ、ア?」

「アメリアよ、ア・メ・リ・ア」

「アメイア!」

「そう! アメリア! 凄いじゃない!」

 アメリアが両腕を広げると、カーバンクルは「アメイア! アメイア!」とはしゃぎながらアメリアの胸に飛び込んでくる。アメリアの胸に頬を擦り付けるその顔には、年相応の少女らしい満面の笑みが浮かんでいた。どうやらそれがカーバンクルの本来の性格らしい。昨日はまだ警戒心が残っていたようだが、一晩共に過ごした事ですっかりアメリアに心を許したようだ。

 するとそこに、朝食の盆を抱えたルーナがやってくる。


「おはようございます姫様。あれ? その子、また人間の姿になったんですね」

「おはようルーナ。……ほら見て、あれはルーナよ」

 アメリアがルーナを指すと、カーバンクルは「ウーナ! ウーナ!」とはしゃいだ。

 それから顔を洗ったアメリアは、ルーナが持って来たお古の服をカーバンクルに着せてから朝食を取る事となったのだが……。


「ほら、パンよ。お腹空いてるでしょう?」

 アメリアは昨日から何も食べておらずに空腹のはずのカーバンクルに自らの朝食を差し出すが、なぜだか彼女はしょんぼりとした表情を浮かべるだけで手を付けようとはしない。しかし先程からくぅーくぅーと腹の虫は鳴っており、空腹でないというわけでもないらしい。


「野生の幻獣だから、人の作ったものは食べないのかしら?」

 すると、ルーナが思い出したように言った。


「あっ! そういえば昨日この子の事を本で調べたのですが、カーバンクルは木の実や果実、他者の発する魔力を食べると書いてありました!」

「となると……」

 アメリアは杖を手に取りカーバンクルに向けると、先端に魔力を集中させる。杖の先端から溢れた魔力にカーバンクルは一瞬目を閉じたが、やがてパァッと笑みを浮かべて杖にむしゃぶりついた。


 ちぱちぱ……ちぱちぱ……


「おぉ、魔力吸われてる感じがする……」

「なんかかわいいですねー」

 必死になって杖の先端にむしゃぶりつくカーバンクルの姿は、さながら母親のおっぱいを求める小動物のようで、アメリア達の母性本能を刺激した。


「ルーナ、お母さんになるってこういう気持ちなのかしらね」

「わかりません……。でも私、今この子を森に返したら泣いてしまいそうです……」

 しばらくすると、カーバンクルは「ぷはぁ」と杖から口を離し、満足気に口元を舐める。そして甘えるようにアメリアにじゃれつき始めた。

 頬を擦り付けてくるカーバンクルに悪戦苦闘しながら朝食を食べ終えたアメリアは、これからどうするかをルーナと話し合う。


「この子、早くどうにかしないと愛着が湧いて手放せなくなるわよ」

「マチルダさんに相談してみますか? マチルダさんなら部下を使って逃す事もできそうですけど」

「どうかなぁ……。マチルダは魔王に忠誠心あるし、逆に突き出されたりするかも」

 それはマチルダの立場上仕方なかったりもする。

 そして二人が昨日と同じように首を捻っていると、ベッドの下から青くブヨブヨした物体——プリムが這い出してきた。


「くぁー……おはよー」

「プリム!? あなたいつからそこにいたの!?」

「昨日の夜からだよ」

 プリムは昨日、いつも通り修行終わりのアメリアを癒すために幹部専用浴場の中で待っていたのだが、カーバンクルと遭遇したアメリア達が脱衣所から引き返してしまったせいで会う事ができなかった。そこでプリムは夜にアメリアの部屋を訪ねたのだが、ノックをしても返事が無かったので隙間から勝手に入ったのだそうだ。


「んで、珍しくアメちゃんはもう寝ちゃってたから、僕も一緒に寝ようとしたんだ。そしたら隣で緑のモフモフが寝てたから、僕は仕方なくベッドの下で寝たんだよー。で、その子は誰?」

 幸いルーナの掃除が行き届いていたおかげで、プリムは埃まみれにならずに済んだようだ。

 アメリア達はプリムに、カクカクシカジカと事情を話した。


「ねぇプリム、この子を元いた森に返してあげたいんだけど、何か良い方法はないかしら?」

「あるよ」

「あるの!?」

 プリムはアメリアにしがみついているカーバンクルの匂いをクンクンと嗅ぎ回る。その様子は本来獣であるカーバンクルよりも獣っぽかった。


「ふんふん、この子からは馬車で一週間くらいの所にあるマイジャグの森の匂いがするね。僕がそこに用事があるって言って出張すれば、荷物に紛れて逃してあげられるよ」

「本当!? お別れするのは寂しいけど……できればそうしてあげてくれないかしら?」

 せっかく仲良くなれたカーバンクルとの別れはアメリアにとって確かに寂しい。しかし、本来自然で暮らしていたカーバンクルを自らのエゴのために手元に置いておくよりは、故郷に返してあげたいというのが人の情というものだろう。


「でも、本当に返していいの?」

「どうして?」

「この子、アメちゃんの召喚獣にしたら?」

 プリムの言葉に、アメリアは先日の召喚魔法の話を思い出す。

 確かにこのカーバンクルであれば、アメリアと契約を結んで召喚獣になってくれるかもしれない。そして、昨日マチルダはカーバンクルが強力な力を持つ幻獣だと言っていた。アメリアはカーバンクルの力がどんなものかは知らないが、もしその力を借りる事ができたのならば、魔王討伐の武器になる可能性はある。しかし——


「ううん。いい」

 アメリアは首を横に振る。


「いいの?」

「うん、こんな可愛い子を、一緒に魔王と戦わせるなんてできないもの」

 そう言ってアメリアはカーバンクルを撫でる。

 穏やかな表情を浮かべるカーバンクルは、とても魔王と戦う力を持っているようには見えないし、争いを好む性格だとも思えない。アメリアにはそんなカーバンクルを自らの無謀な挑戦に付き合わせる事はできなかった。


「わかった! じゃあ、早速出張の届け出してくるよ」

「あっ、でも……バレたらあなたが魔王に怒られたりしない?」

「大丈夫大丈夫、まずバレないだろうし、魔王様はあんまり僕に怒らないしね。あー、字を書くの久しぶりだなぁ……」

 そう言ってプリムは部屋を出て行った。


「良かったね、お家に帰れるよ」

 アメリアが語りかけると、カーバンクルはキョトンとした表情を浮かべており、あまり状況がわかっていないようである。アメリアはそんなカーバンクルを抱き締め、終わりが見えた共に過ごせる時間を大切に過ごすのであった。


 ☆


「じゃあ、お願いね」

「はーい、任せてー」

 その翌日、アメリアの部屋には旅支度を整えたプリムの姿があった。

 その眼前にあるテーブルには人間一人が丸々収まりそうな空っぽのトランクが置かれており、パックリと口を開けている。プリムはその中にカーバンクルを入れて、本来の住処であるマイジャグの森まで連れて行くつもりなのだ。


「ほら、元の姿に戻ってこの中に入って」

 アメリアが促すが、カーバンクルは悲し気な顔でイヤイヤと首を横に振る。


「アメイア……オワカレ……イヤ」

 そう言って腰にしがみついてくるカーバンクルの抱擁を、アメリアは優しく解いた。それでもカーバンクルは何度もアメリアにしがみついてくる。そしてアメリアはその度に抱擁を解いた。

 それを見るルーナは恥ずかし気もなく涙と鼻水を垂れ流している。たった二日の事ではあったが、ルーナはカーバンクルにすっかり情が移ってしまっていたのだ。


「び、姫様ぁ……。やっばりごの子は私達が……」

「ダメよ。別れを長引かせても余計に辛くなるだけだし、魔王に見つかったら元も子もないでしょう」

 そう言いつつも、アメリアの目にも涙が浮かんでいる。

 アメリアもルーナと同じ気持ちだったのだ。

 アメリアはしゃがみ込み、カーバンクルの目を見て語りかける。


「お願い、あなたのためなの。私達は一緒にいられないの」

「イヤ! アメイア、ダイスキ!」

「ダメッ!」

 再度しがみつこうとするカーバンクルの手を、アメリアはピシャリと叩いた。驚いたカーバンクルは手を押さえ、泣きそうな顔でアメリアを見つめる。


「ここはあなたのいるべき場所じゃないの! 森にお帰り!」

「イヤ! オワカレ! イヤ!」

「ダメ! 早くトランクに入りなさい!」

 アメリアが手を振り上げると、カーバンクルはビクッと身をすくませる。そしてその大きな目から溢れた涙が床を濡らした。

 その時、部屋のドアがノックも無しに勢いよく開き、マチルダが飛び込んで来た。


「何を騒いでいるアメリア。いや、それより! 新たな事実が判明した! 先日お前が迷子だと言っていたあの緑髪の少女こそが……のわっ!?」

 カーバンクルはマチルダを突き飛ばし、泣きながら部屋を飛び出して行く。


「イタタタ……慌ただしい奴だな。そうそう! 先日お前達が連れていた少女こそが……あれ? 今飛び出して行ったのって……」

「待って! どこ行くの!?」

「のわああああ!!」

 アメリア達はマチルダを突き飛ばし、カーバンクルの後を追うのであった。

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