第11話 修行、始めました。
ある日の昼下がり——
「せやっ! はあっ! えいっ! ぜあっ!」
魔王城の中庭にはアメリアの気合いと、振り下ろされる木刀が発する風切り音が響いていた。
中庭周辺を通る者たちは皆好奇の視線でアメリアを見て行くが、アメリアは気にせずに一心不乱に木刀を振り続ける。
「腰が引けてる! 振りは手首を使ってもっと鋭く! 力を入れ過ぎるな! 脱力と緊張をスムーズに切り替えろ!」
足が完全に回復したアメリアはマチルダの指導の下、ようやく剣の稽古を始める事ができていた。
とはいうものの、アメリアが稽古を始めてもう三日になるが、まだ基礎体力をつけるためのランニングと筋トレ、そして剣の握り方と、『一歩踏み込んで斬る』という動作しか教えて貰っていなかった。
水筒とタオルを傍に置いているルーナは、ここ三日ほとんど変わらぬ素振り風景に欠伸を噛み殺す。
「マチルダさん、他の事は教えないんですか? そりゃ、奥義とか必殺技とかはまだまだ先でしょうけど、打ち合いとか足運びとか……」
「剣がまともに振れとらんのに足運びもオムスビもあるか」
「ブンブン振れてるじゃないですか」
「そのブンブンがいかんのだ。剣が正しく振れていれば、音は『ブン』ではなくこう聞こえる」
マチルダは右手に持った木刀を手中でクルリと回転させると、肘から先のみで軽く振り下ろす。すると木刀はアメリアのように『ブン』とは鳴らず、笛を吹いたかのような鋭い『ピュン』という音を鳴らした。
「おー」
ルーナはパチパチと拍手を送る。
「この音が出せる事で、ようやく『剣を振る感覚』を理解できたという事になる。これは腕力だけでも知識だけでも身に付くモノではない」
「それができなきゃどうなるんですか?」
「うむ、まず剣に力が伝わらず、まともに相手を斬れん。次に軸がぶれて連続で剣を振れないし、狙った場所に振れぬうえに隙ができやすい。つまり子供のチャンバラごっこと変わらんのだ」
「なるほどー」
「まぁ、できたところで今のアメリアでは魔王様にまともにダメージを与える事はできんだろうが……」
体内に膨大な魔力と気を巡らせている魔王は、僅かに気を張るだけで大抵の攻撃を弾いてしまう。そして気を張っておらぬ時に攻撃が当たっても、多少の『痛い!』で済んでしまうのだ。
つまり、今のアメリアでは椅子に縛り付けられて寝ている魔王を倒す事すらできないという事だ。更には魔王が力を解放すれば近付く事もできないだろう。
「じゃあ、姫様はどうやって魔王様に……」
「それを今から奴に教える。おい、アメリア!」
マチルダはアメリアに声を掛けるが、アメリアはまるでマチルダの声が聞こえないかのように木刀を振り続けている。
「おいアメリア! おーい! アメリアー! アメッ……アメリアァァァァッ!!」
「はっ、はいっ!」
マチルダの怒号でようやくアメリアは手を止めた。
それ程までにアメリアは素振りに集中していたのだ。
「何かしら?」
「素晴らしい集中力だが、私の話はちゃんと聞け! いいか、今のままではお前は魔王様を倒すどころかダメージも与えられん」
「はいっ!」
「よってこれより、いずれお前が身に付けねばならぬ技を一つ見せておく」
アメリアが頷くとマチルダは頷き返し、辺りを見渡す。そして中庭に生えている一本の枯れ木に目を付けた。
「いいか、よく見ておけ」
枯れ木の方を向いたマチルダは目を閉じて、深呼吸をする。
こぉぉぉぉぉぉぉお……
洞窟を吹き抜ける風のような呼吸音が辺りに響く。それに伴い、マチルダの全身からは赤いオーラのようなものが湧き上がってきた。
マチルダの周りで煙のように宙を漂う赤いオーラは、吸い込まれるかのように木刀に纏わりついてゆく。そしてマチルダはオーラを纏った木刀を大上段に振り上げると、カッと目を見開き、勢い良く振り下ろした。
「はぁぁぁぁぁぁあっ!!」
ビリビリと肌を震わせる衝撃波がマチルダから放たれ、アメリアとルーナを襲う。そして木刀の剣先からは赤い刃が枯れ木に向かって飛んだ。土煙を上げながら飛ぶ赤い刃が枯れ木の幹に命中すると——
ズガボォン!!
三メートルを越えるであろう高さの枯れ木は、内側から爆ぜるかのように音を立てて砕け散った。それを見ていたアメリアとルーナは目を丸くし、あんぐりと口を開ける。
「どうだ? 今何をやったか理解できたか?」
アメリア達を振り返ったマチルダはちょっとだけドヤ顔であった。
「い、今のは『魔法剣』と呼ばれるモノかしら?」
「そうであり、そうではない。今のは私が師匠から受け継いだ術、『感情剣』だ。別名エモーショナルアーツとも言う」
「感情剣……」
「いかにも。己が剣に気と感情、そして『破壊する』という意志を込めて放った
その威力は枯れ木の残骸を見るからに明らかだ。枯れ木は斬れるでもなく、倒れるでもなく、バラバラの残骸となって砕け散っている。
「今はお前にも分かりやすいように術を飛ばしたが、これを剣の一点に集中して直接撃ち込む事により、破壊力は更に数倍に跳ね上がる」
「そんな事したら魔王はバラバラになってスプラッタになるわよ……?」
「お前は魔王様を舐め過ぎだ。私が無防備な魔王様に全力で撃ち込んだとしても、全治一ヶ月の傷を負わせるのがせいぜいだろう」
「全治一ヶ月……」
それ程の傷を負わせれば魔王も立ち上がれないだろうし、勝ちと言っても過言ではないのではなかろうか。
「まぁ、まず魔王様ともあろう方が素直に食らうはずがあるまいし、そもそもこの術を習得するのに数年、実戦で使えるレベルに達するには更に数年、そして今の私と同レベルに達するには早くとも更に数年かかるだろう。新たな勇者が派遣されてお前を助けに来る方が遥かに早いだろうな。それでも魔王様に挑みたいというのであれば、気長に修行する事だ」
「そっかぁ……」
アメリアは自らの細腕と、手に握った木刀を見やる。
ただのお姫様である自分が魔王を討伐しようという無謀さにようやく気付き始めたのだ。
「……でも今の術、私にもできる気がする」
それを聞いたマチルダは、呆れによって笑いが溢れた。
「はっはっは! お前のそういう所は好きだが、それは無理というものだ。私が何をしたのかも理解できていなかっただろう?」
「理屈はわからないけど、とにかく呼吸で自分の力を全身に巡らせて、それに感情を乗せて放つんでしょう?」
「あぁ、口で言うのは容易い」
アメリアの発言は『パンを作るには小麦粉をこねて焼けばいいんでしょう?』と言いつつも、小麦の育て方もオーブンの扱いも知らないようなものであった。
「ちょっとやってみていいかしら?」
そう言ったアメリアの目は至って真剣である。
マチルダはフンと鼻を鳴らすと、「まぁ、いいだろう」と頷く。
「おい、ルーナ。ちょっとあっちに立ってろ」
「え? 私がですか?」
「今からアメリアに術をやらせるから、そよ風でも感じたら教えてくれ」
「い、嫌ですよ! もし本当にさっきのが出たらどうするんですか!? 私死んじゃいますよ!」
「大丈夫だ、万が一にも出るはずがない。ただアメリアに才能があれば、正面に立つお前がそよ風くらいは感じるだろうというレベルの話だ」
「フラグにしか思えませんよ!」
「いいから行かんかぁ!!」
マチルダに怒鳴られ、ルーナはトボトボと歩いて行く。そしてアメリアから十メートル程離れた場所に立った。
「よし、やってみろ」
アメリアはルーナの方を向き、木刀を上段に構える。
「まずは深呼吸だ」
マチルダの声に従い、アメリアは目を閉じて深く呼吸をする。そして胸と下腹の辺りから何かが腕へと上って行くのをイメージする。
「ふむ、中々いいぞ。次に集中して、己の感情をコントロールしろ。攻撃には怒りの感情が良い」
「怒り……」
アメリアは記憶を辿り、これまで自分が怒った時の出来事を思い出してゆく。しかし、元来あまり怒らないアメリアは上手く怒りの感情を引き出す事ができない。
それを見ていたマチルダは少し考え、ある言葉を口にした。
「勇者が逃げ出した」
——ズオッ
アメリアの胸の中で急激に何かが噴き出す。
「女を孕ませ、全てを投げ出して、お前を見捨てた」
————ズズズズズ
それはアメリアの中で渦巻き、行き場を失った感情は毛穴から体外へと排出されてゆく。アメリアはそれを剣先に集めようと必死に意識を向ける。すると、剣先に鉛のような重さを感じ始めた。
「それを一気に……解き放て!!」
マチルダの合図でカッと目を見開いたアメリアは、「フンッ!」というお姫様らしくない気合いと共に木刀を振り下ろす。
すると——
ピリッ……と空気が一瞬震えたが、木刀の剣先からは何も放たれる事はなかった。ただ素振りをした時と同じで、ブォンと風が鳴っただけである。
「……やっぱりダメね」
「当たり前だ。だが、筋はかなり良かった。特にその集中力と感情のコントロールは千人に一人の天才の域と言ってもいいだろう」
「ありがとう。でも残念だわ」
「まぁ、何事も地道にというわけだ」
するとそこに、ルーナが戻ってくる。
「こ、こ、怖かったぁ……。本当に出るかと思っちゃいましたよ!」
「あぁ、出てもおかしくはなかった。だが、やはり——」
マチルダが言いかけたその時だ。
「ひゃっ!?」
ルーナが突然声を上げ、その胸元がぷるんと揺れた。
そしてエプロンの下に着ているワンピースの胸元がハラリと左右に分かれる。
「こ、これは!?」
マチルダが見ると、ルーナのワンピースのボタンは上から三つほど砕けており、その下に身につけているブラジャーの金具までもが変形して外れていた。これが偶然でないとするならば……。
マチルダとルーナはキョトンとした表情を浮かべるアメリアを見る。
「ふ、ふふふ……訂正しよう。どうやらお前は千人に一人ではなく、万人に一人の天才だったようだな」
苦笑いを浮かべるマチルダの額から冷や汗が伝った。
「私、何かやっちゃった?」
「あぁ、お前なら、もしかしたら本当に——」
そんな二人のやり取りを見ながら、ルーナはガクガクと震えていた。
「ねぇ! もし姫様が一万人に一人の天才じゃなくて、一万二千人に一人くらいの天才だったら私当たってましたよねぇ!? ねぇ!?」
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