第10話 スライム女が現れました。

 ————時と場所は現在の魔王城地下へと戻る。


「今思えば、あの頃どこかに嫁いでおけば、こんな事にはならなかったのかなぁ……」

「姫様も色々あったのですね」

 確かにあの頃さっさとどこかの王子と結ばれていれば、魔王に攫われる事もなく、三年も幽閉される事もなく、勇者に逃げられたショックも味わう事もなかったであろう。

 しかし、魔王を倒すと決意してからの日々は、そんなに悪くないような気がしない事もないアメリアであった。


「ルーナ、ありがとうね」

「え? マッサージそんなに良かったですか? なんなら毎日でも……」

 ルーナはギラリと目を光らせて両手をワキワキと動かす。


「違うわよ! いつも私のお世話をしてくれるし、無茶にも付き合ってくれて本当にありがとうって事」

「お礼なんていいですよぅ。姫様のお世話が私の仕事なんですから」

 ルーナは照れながらそう言ったが、アメリアはルーナとの間に姫とお世話係りという関係以上の、友情のようなものを感じていたのであった。


 ☆


 それからしばらく二人は入浴を楽しみ、そろそろ上がろうかという時であった。湯船から出ようとしたアメリアは突然何かを感じ取ったかのように、ピタリと動きを止める。


「……何かしら?」

「姫様どうしました?」

 アメリアは何かを探すように浴場内をキョロキョロと見渡すが、そこにはただ湯気が漂うだけであり、何者の姿も見当たらない。


「ルーナ、今ここにいるのって私達だけよね?」

「えぇ、最初から誰もいませんでしたし、後から誰か入ってきた様子もありませんでしたが」

「何か……誰かの視線を感じるような……。ハッ!?」

 その時、アメリアの目が湯船の中で蠢く透明な何かを捉えた。


「そこぉ!」

 湯船の縁に置かれていた木桶を素早く手にしたアメリアは、それを水面へと勢いよく叩きつける。しかし、その一撃はただバシャリと湯を巻き上げただけであった。


「ひ、姫様……どうしたんですか? のぼせて幻覚でも見ました?」

「違うわよ! 今お湯の中に何かがいた気がしたの!」

「何かって、何もいないじゃ——」

 ルーナが言いかけたその時だ。


 ドゥルン


 湯船の中から大量の湯の塊が飛び出し、宙を舞うと、ドチャリと洗い場へと落ちる。そして湯の塊はそのまま流れて散る事はなく。まるでゼリーや煮凝りのようにその場でプルプルと震えながら鎮座している。それを見たルーナはクワッと目を見開いた。


「あ、アレは!?」

「知っているのルーナ!?」

「自らの肉体を液体に変える術! あれを魔王軍で使える者を、私は五、六人しか知りません!」

「結構いるのね……」

 プルプルと震えていた湯の塊は、ニュルニュルと蠢きながらその形を変えてゆく。


「しかし、あれほどまでに見事に気配を消す事ができ、この幹部専用温泉に入っているとなれば可能性は二人だけ! 現在西に出張されている静水のクリア様を除けば、あとは一人しかいません!」

 そして変形した湯の塊は人の形を成した。

 そのシルエットは細身の女性のように見える。


「そのお方の名は——」

 透明な女体は足元から色付いてゆき、やがて色が満たされた時にその場に立っていたのは、細く長いシルエットのローブを身に纏い、栗色の髪をした一人の背の高い人物であった。


「ヌフフ……水中に潜む僕を見破るとは大した——」

「スライム達を統べる者! 『軟体姫』プリム!」

「ちょっとルーナ、あなたそのプリムさんとセリフ被ってるわよ」

 出鼻を挫かれたプリムはやや腑に落ちない様子でルーナをジトリと見た。しかしアメリアの視線に気付き、すぐにポーズを決め直す。


「い、いかにも僕は軟体姫プリム! スライム達を統べる者さ!」

 どうやらプリムはしっかりと名乗りたいタイプの人物であるらしい。

 本来であれば突如現れた謎の僕っ娘の存在に驚かねばならぬところであろうが、直前の流れのせいでイマイチ驚けなかったアメリアは、とりあえずプリムに軽く会釈をした。


「えーと……じゃあ、私達はお先に失礼しますね。ごゆっくりどうぞ。ルーナ、行きましょう」

「は、はい」

 そう言って浴場を去ろうとするアメリア達の前に、プリムはヌルリと滑るように回り込む。


「ちょ、ちょっと待ってよう! もうちょっとリアクションとか無いのかい!?」

 二人の前に立ち塞がってアセアセとしているプリムはアメリアよりも十センチ近く背が高いが、表情が豊かなせいかどこか幼く見える。


「……と、言われても」

「もっと『あなたは何者なの!?』とか、あるでしょう!?」

「何者か……って、軟体姫プリムさんよね……?」

 確かにあれだけ堂々と名乗りをあげた者に『何者なの!?』と尋ねるのも変な話だ。


「じゃあ、他にも『どうしてお湯の中に潜んでたの?』とかさぁ」

「……どうしてお湯の中に潜んでたの?」

「よくぞ聞いてくれたね! 僕は……あれ? えーと、どうしてだっけ?」

「私に聞かれても……」

 眉を顰めるアメリアに、ルーナがこっそり耳打ちをする。


「プリムさんは精霊族なのですが、元々知性の弱いスライムの精霊の集合体なので、パニックになると記憶の方がちょっと……」

「あぁ……」とアメリアは気の毒そうに頷く。


「あっ! そうそう思い出した! 僕がお風呂に入ってたらね、君達が脱衣所に入ってくるのが聞こえたんだよ。それで僕はね、お湯に隠れて君達を脅かそうとしたんだけど、なんだか君達がイチャイチャし始めたから出るに出られなかったんだ!」

「別にイチャイチャなんてしてるつもりはなかったんだけど……」

「してたよう! 女の子同士で仲良く体をナデナデしてたじゃないか!」

 ナデナデしていたかと言われれば、確かに二人は互いをナデナデと洗い合っていた。それが仲良しの基準かと言われれば……まぁ、仲が悪い者同士はナデナデし合ったりはしないだろう。


「いいなぁー、君達は仲良しなんだなぁー、羨ましいなぁー」

「羨ましいって、あなたにも一緒にお風呂に入る友達くらいいるでしょう?」

 アメリアがそう言うと、プリムは唇を尖らせてツンツンと人差し指を合わせる。


「僕、友達いないんだー……。いつも『ヌルヌルしてて気持ち悪い』とか、『子供っぽくてうるさい』とか言われちゃうし……」

 急にヘビーな話になってきた。


「この前なんて、かわいいダークエルフの子の耳が気になったから後ろからペロって舐めたら、悲鳴をあげて殴られたんだよ……」

 それは殴られても仕方ない。

 するとそこで、ルーナがすかさずフォローを入れる。


「で、でも、プリムさんは男性からは結構人気ありますよ! お付き合いしたい女幹部ランキングでも……」

「僕、男の人は嫌いなんだぁ。可愛くないし、ゴツゴツしてるし、汗臭いし……」

 そう言ってプリムはドロリとスライム化すると、ルーナの背後に回り込んで、包み込むように抱きついた。突然生暖かいヌルヌルに首から下を包まれたルーナは「ひゃひぃー!」と珍妙な悲鳴をあげる。


「はぁ〜、女の子はプニプニスベスベでいいなぁ〜。僕も君みたいな女の子とナデナデし合いたいなぁ〜」

 どうやらプリムはルーナと同じ性癖の持ち主のようだ。


「あうっ……はぅ……ヌ、ヌルヌルが……全身を……」

 スライム状のプリムの体に全身を撫で回されるのは気持ち悪いような心地よいような奇妙な感覚で、ルーナはモジモジと身悶えするが、スッポリと包み込まれてしまっているために逃れる事はできない。


「ちょ、ちょっとあなたやめなさいよ!」

 アメリアはプリムをルーナから引き剥がそうとするが、スライム状のプリムの体を掴む事はできない。その間ルーナは悲鳴とも嬌声とも呼べぬ声をあげながら徐々に蕩けた表情になってゆく。このままではあらゆる意味で危険だ。


「やーめーなーさーいってばー!」

 唯一人の形を残している頭部を叩いても、ただペチペチと湿った音がするだけである。

「ひ……姫様ぁ……」

 そこでアメリアはゴクリと唾を飲むと、意を決して巻き布を自ら放り捨てた。


「こっちよ! ルーナを放してこっちに来なさい!」

 すると——

「え? いいの〜? わーい」

 プリムはルーナを解放し、全裸になったアメリアへと飛び付いた。


「んぐっ……」

 ヌルヌルとしたプリムの体に全身を包まれても、アメリアは悲鳴をあげなかった。唇を噛み締め、得体の知れぬ感覚にただ耐える。


「はぁ〜、あったかいなぁ……気持ちいいなぁ……いい匂いだなぁ……」

 ルーナも太鼓判を押すアメリアの肌の滑らかさに、プリムは歓喜の声を漏らした。


「ひ、姫様、私のために……」

 プリムに開放されて崩れ落ちたルーナはヨロヨロと立ち上がり、手に魔力を込める。

「プリムさん! 私は姫様のお世話係りとして、その行為は見逃せません! 失礼します!」

 そして魔法を放とうと掌をプリムへと向けた。

 だが——


「ダメっ!」

 アメリアの声がルーナを制する。

「なぜですか姫様!? このままでは姫様が新感覚セクハラの餌食に!」

「い……いいの……私は大丈夫……」

「姫様……?」

 アメリアは自らを包み込むプリムの体を、内側から優しく撫でた。


「あなた、寂しかったのよね……。私もここに連れてこられた時は寂しくて怖かった。でも、ルーナが私の側にいてくれたの。最初は魔王軍の人だからって碌に口もきかないで冷たい態度を取っていた私にも、ルーナは根気よく話しかけてくれて、ずっと優しかった……」

「姫様……」

「だから、ルーナが私にくれた優しさを、今度は私があなたに分けてあげる。ちょっと恥ずかしいけど、私は大丈夫だから……んっ……」

 そう言ってアメリアが目を閉じると、全身を這い回っていたプリムの体が動きを止めた。


「……君は優しいんだね」

 プリムはシュルリとアメリアを開放すると、人の形へと戻る。そして床に跪くと、アメリアの腰に手を回してしがみついた。


「うわぁぁぁぁぁあん! ごめんよぉ! 別にそんなつもりじゃなかったけど嫌がる事しちゃったみたいでごめんよぉ!」

 プリムは号泣しながらアメリアの腹に頭を擦り付ける。そんなプリムの頭を、アメリアは戸惑いつつも優しく撫でた。


「べ、別に泣いて謝るほどの事じゃないわよ。ねぇ、ルーナ」

「えぇ、ちょっとクセになりそうでしたし」

 そう言ってルーナはポッと頬を赤く染める。


「でも、もういきなり誰かに抱きついたりしちゃダメよ。あなたは精霊だからそうじゃないかもしれないけど、普通の人はびっくりするんだから」

「うん、わかったぁ……」

 因みに精霊だろうがゴブリンだろうが、突然抱きつかれたら驚くのは変わりない。プリムがちょっと変なだけである。


「それに、寂しいなら私が友達になってあげるから」

「えっ!?」

 アメリアの言葉に、プリムは目を丸くする。


「いいの!?」

「もちろんいいわよ、あなた根は悪い人じゃなさそうだし。今度塔にある私の部屋に遊びにおいでよ、ルーナが美味しい紅茶を淹れてくれるから」

 アメリアが見ると、ルーナは「私も友達になります」と言って、うんうんと頷く。


「やったー! 友達ができたー!」

 プリムは歓喜の声をあげると、スライム体となって浴場内を縦横無尽に飛び回り始めた。そんなプリムの様子を見て、アメリアとルーナは顔を見合わせて微笑む。

 するとその時——


「いやー、今日は珍しく忙しかったなー」

 そんな事を言いながら褐色のバストを揺らして浴場内に入ってきたのは、ナイスバディなダークエルフであった。猛スピードではしゃぎまわっていたプリムは急には止まれずに、そのダークエルフにベシャリとぶつかる。


「んぶっ!?」

「ご、ごめーん! んっ? この耳はまさか……」


 ペロッ


「ひゃふぅ♡ だ、誰だ、私の敏感な耳を舐めるのは……!?」

 プリムに衝突されたダークエルフ——マチルダは、張り付いたプリムの体をベリベリと引き剥がすと、怒りの形相を浮かべる。


「また貴様かぁ! 風呂場で……遊ぶなぁ!!!!」

 プリムはマチルダに投げ飛ばされ、ドボンと水飛沫を上げて温泉にダイブしたのであった。

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