第2話

 面談の後しばらくして、先生は私を教科準備室に呼んだ。

「受験する気になったか?」

「する気はないけれど、受験はすることにしました」

「気持ちが変わったのはどうしてだ?」

と先生が聞いた。

 先生や両親に受験をしないことを納得してもらう理由がないこと。説得したりされてたりして時間を無駄にするよりも、自分のために時間を使いたいこと。進学した方が、自分のための時間が作れる気がすること。

「だから受験することにしました。」

と私は答えた。

「自分のことをしっかり考えているんだな。それが人とは違ったとしても、自分の気持ちに素直なのは大切なことだよ。」

 それが先生の本心の全てだとは思わなかったけれど、頭ごなしに受験をするのが当たり前みたいに言われなくてちょっと安心した。

 

 それからは、時々先生と話をするようになった。

高校は、家の近くがいいか、そうじゃなくても良いのか。

高校でやりたいこと。

私の成績で行かれそうな学校。

今、興味があることは何か。

だいたい先生が質問をして、私が答えていった。

 時々先生は自分の話もした。

コーヒーや釣りやキャンプといった先生の趣味の話。

先生のお母さんの話。

学生の頃はプロのサッカー選手を目指していたこと。それを諦めなければならなかった話。

先生はひとりごとのように話したので、私は黙って聞いていた。


 終業式の前日、先生は

「特別だよ。内緒だからな」

と言ってコーヒーを入れてくれた。それを二人で飲んでいる時、先生はコーヒーを飲むながら、

「みんな人生のどこかで、全てが意味のないことだと思う瞬間がある。だから自分が他の人と違うと思わなくていいんだよ。人と違う事をしたり、人生を進んだりするのも良いと思う。ただね、たくさん経験をして、たくさん人の話も聞いて、それから自分で決めればいい。今は正しいと思っている事も、次の瞬間、1年後、10年後には変わっているかもしれないからね。人生の中ですぐに答えを出さなければいけないことなんてほとんどない。うまく行かなかったり、答えが出なかったりすることは、先延ばししていいんだよ。今回の進学のようにね。

 自分で考えて、答えを先延ばしにしたのは、本当に素晴らしいことだと思うよ。それを忘れないでね」

 といつものようにひとりごとを言うように言った。顔を上げると、先生の視線は私の方を向いていた。なんだか私はむず痒くて顔が赤くなってしまった。

 

 3学期が始まってすぐ、受験校を最終的に決めるための面談が行われた。この前と同じ、先生、母、私で話をした。

 私は先生と両親から勧められた学校の中から、2校を受験すると伝えた。1校は家から一番近い公立高校。ここが第一志望。もう1校は電車で30分くらいの所にある私学の女子高。

 先生も母も納得していた。この2校であれば、アクシデントがない限り合格できる可能性は高い。

 そろそろ終わりかなと思った時に、

 「お母さん」

と先生が母に声をかけた。

「この前の面談、驚きましたね。私も同じです。進学しないと生徒から言われたのは初めてだったので」

先生は伝えたいことが正確に伝わるように慎重に言葉を選んで、ゆっくりと、少し声を張って話し続けた。

「あれから何回かお嬢様と話をしました。何かに反発しているわけでもなく、逃げているわけでもなく、簡単に考えている訳でもないと私は思いました。むしろ人生について、深くしっかり考えていらっしゃる。それに自分に素直に生きようとしています。これだけしっかりと自分と人生について考えているお子さんは、この年のお子さんにはほとんどいません。素晴らしいことだと思います。

 お母さまもこの前はびっくりされて、心配になったと思いますが、お嬢様は自分の考えを持っている素晴らしいお子さんです。だからそれを誇りに思っていただきたいと思うのです。そのように育てられたのはご両親です。ご両親がしっかり育てられたということです。

 私もできる限りのことをしよう思っています。これからもお嬢様のことをあたたかく見守っていきませんか」

私は面倒臭がられることはあっても褒められることは期待していなかった。だからこんなふうに言ってもらえるとは思っていなかった。自分を理解しようとしてくれる人がいることが、こんなにも心が柔らかくなると感じることを初めて知った。

 母はハンカチで顔を覆っていた。前回の面談後、母は変わりなく過ごそうと努めていたようだった。しかし明らかにため息を吐くことが増えた。私に進学の話をする時は顔が硬っていた。

 あの面談以降、両親と私との距離は少し広がったてしまった。両親が悪いわけでもなく、私が悪いわけでもない。誰も悪くない。違う価値観を持った人間がいるというだけだ。誰も悪くないけれど、お互いに気まずい思いをして、関係が変わってしまったのだ。私はそれを仕方ないと思ったけれど、母は自分を責めたのだろう。先生の言葉で、母は母親としての自分を肯定してもら得て安心したのだと思う。先生は母が安心することで、私の居場所を守ってくれたのだ。

 

 私と母は先生に一礼して、教室を出た。母はまだ時々目元をハンカチで押さえていた。校舎を出ると白い空から雪がちらちらと舞っていて、吐く息が白く広がった。私の一歩前を歩く母はまだハンカチを左手に持ったままだったが、1回目の面談の後とは違い、母はまっすぐ前を見て歩いていた。私も雪が舞い落ちてくる白い空を見上げながら家に向かった。

 進学をすると決めたことが正しい判断だったと思えて、晴々とした気分だった。







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