信仰と、覚悟



 礼拝堂の雰囲気は重苦しいものだった。

 溜息とすすり泣きは村人たちのもの。

 それだけではなく、暗い闇の底から響くかのような動屍体の声。

 ドア――今は祭壇だが――を隔てただけの、すぐ向こう側から聞こえてくる。


 エミリアはこの状態でも平静を保っていた。冷静さを欠けばすぐに死んでしまう。そのことを理解しているからだった。


「こっちはもう無理ですね……」


 祭壇で塞いだドアの向こうで、動屍体の声がどんどんと数を増しているのが分かった。今はどうにか支えているが、長くはもつまい。援軍が来るまで籠城する計画は既に瓦解している。


 ボリバル男爵が先走ったせいだ。

 単独行動も看過できないが、せめて出て行ったドアは閉めて行って欲しかった。躾のなっていない子供か何かだろうか、あの貴族は。

 

「こんなことならもっと厳重に拘束しておくべきでしたね」


 悔やんでも悔やみきれないが、後悔している暇も無かった。


 籠城は不可能。

 裏口は使えないどころか、そういつまでもつまい。 

 脱出を試みるしかない。


 使える出口は、


「正面扉だけですか……」


 閂のかかった頑丈な扉だ。

 こちらが破られる心配は当面なさそうだ。


 手持ちの戦力を確認する。門兵の青年がひとりと、力を使い果たした巫女自分がひとり。村人たちが絶望に支配される前に行動を起こさなければならない。


 エミリアが村人たちに声をかけようとした時だった。

 大きな爆発音が響いた――


 轟音と衝撃に教会の建物がびりびりと震えた。

 爆発の方角は村の中心。

 礼拝堂にいる全員がざわめいた。


「援軍だ。騎士団が助けに来てくれたんだ!」


 明るく喜ぶ村人もいるが、エミリアは内心でそれを否定した。


 援軍が来るには早すぎる。連絡くらいは届いているだろうが、現実的には先発隊が王都を出たかどうかといったところだろう。


 ならば誰が? 動屍体が爆発を引き起こすことはないはず。そんな知性は無い。残る選択肢はボリバル男爵だった。前例もある。彼が魔法か何かで爆発を引き起こしたのだ。多くの動屍体を巻き込んで。


 十中八九正解だろうとエミリアは思った。

 爆発でどれだけ数減らしができたかはわからない。

 だが、今が最後の好機かもしれない――

 

「皆さん」


 エミリアは努めて冷静に村人たちに呼びかけた。


「外の爆音は救援ではありません」

「そんな……!」

「じゃあ俺たちはどうなるんですか!?」


 恐慌状態に陥りそうになる村人たちに、エミリアはなけなしの魔力を使って《緩和リラクゼーション》を使用した。


「どうか落ち着いて、私の話を聞いてください」


 そう告げるエミリアに村人たちは静かに頷いた。目に見えて落ち着きを取り戻してくれている。《緩和》はあまり得意ではなかったが、上手くいってよかった。


「ご覧の通り裏口から侵入を許してしまいました。ここで救出を待つプランは既に崩れています」

「ではどうするのですか?」

「私たちだけの力で脱出するしかありません」


 力強く断言する。弱気な姿を見せるわけにはいかなかった。


「……そんなことが可能なのでしょうか?」

「かなりの危険が伴いますが、可能性はあります」


 勿論、絶対脱出できるなどという保証はできない。

 状況はどう取り繕ったところで最悪なのだ。


 いい加減な言葉で言いくるめることはできるかもしれない。


 けれど、現実から目を背けていては僅かな生き残りの可能性すらなくなってしまう。それだけは避けなければならない。


「……方法は?」


 村人のひとりが手を挙げた。


「巫女様はどんな方法でこの教会から脱出するおつもりなのですか?」


 エミリアは沈黙した。舌が渇く。喉がひりつく。糸できつく縫い付けてでもあるかのように口が開かない。


 確実な脱出方法。

 そんなものはありはしない。

 あるのは剣の神への絶対の信仰と、決死の覚悟だけだ。


「私が先頭に立って道を切り拓きます。必ず包囲に穴を開けますから、皆さんは振り返らずに真っ直ぐ駆けてください。村を出て王都を目指して」


 自分が先陣を切って、皆を逃がして、殿しんがりも務める。無理無茶無謀もいいところだが、他に手段が無い以上はやるしかない。


「巫女様は俺たちに死ねと仰るんですか!」

「ここで手をこまねいていては僅かな可能性さえなくなります。大丈夫です。皆さんは私が守護まもってみせますから」

「ゾンビがうようよいるのに脱出なんかできるわけが……!」

「さっきの爆発で数は減っているはず。今が、剣の神がくださった最後のチャンスなのです!」


 エミリアの真摯な訴えは村人たちの心を揺さぶった。

 だが、踏ん切りがつかない。

 勇気が出ないのだ。

 外に出れば逃げ切れるかもしれない。

 けれど同じかそれ以上の確率で死ぬかもしれない。

 翻って今、礼拝堂でこうしている間は生きていられる。

 決断を保留している間は死なずに済むのだ。


 無論、村人たちが自分たちの心理を冷静に理解・把握していたわけではない。ただ死ぬのは嫌だ。ゾンビは怖い。とにかく生き延びたい。そんな生への執着心が決断を遠ざけているにすぎない。


「皆さん……!」


 村人たちはエミリアから視線を逸らした。


 それでもエミリアは村人に対して怒りを感じたりはしなかった。こんな極限状態に放り込まれてポジティブな判断をしろという方が無理だろう。相手は騎士でも冒険者でもない。ただの普通の人間なのだ。

 彼女の提案に命を預けられないのはひとえに自身の無力のせいだ、と考えた。衆生しゅじょうを救うに足る力を持っていれば安心してついてきてくれたかもしれない。


「どうすれば……」


 エミリアが迷いを口にしたのが、残された猶予の時間の最後の瞬間だった。

 礼拝堂の正面の扉がのだ。


「えっ?」


 衝撃や圧力による破壊ではない。

 斬撃による切断で、扉は斬られた。


「誰が、こんな――」


 動屍体が斬撃? ありえない。

 そんなエミリアの思考に対する答えは、視界からやってきた。

 破られた扉の外、ずぶ濡れになった恰幅の良い男が両手に剣を提げて立っていた。

 礼拝堂から姿を消したボリバル男爵その人だった。


「そんな……」


 ぎらついた目の光は失われ灰色に濁っている。過剰な自尊心に彩られた口元は見る影もなく半開きで、血と体液の混ざった何かをこぼして、シャツの襟を汚していた。


「Aaaaaaaaaa……」

「ゾンビ化してしまったのですか、ボリバル卿」


 あれだけの大爆発を起こして、それでも上手く脱出できなかったということだ。


 ボリバル男爵のゾンビ化は、彼が礼拝堂を抜け出た時点で少なからず想定していた。問題なのは生前の剣技を扱っていることだった。しきりに腕前を誇っていたが、話半分にしか聞いていなかった。


「まさか教会の大扉を切断できるなんて」


 魔法騎士という自称もあながち伊達ではなかったらしい。

 だが、今はただただ脱出の邪魔でしかない。

 この貴族は死んでもなお面倒事を残してくれる。


 最悪の状況の中で、良かったことを見出すとするなら、脱出する以外にできることはなくなったという点。そして、ボリバル男爵以外の動屍体の姿が視える範囲にはいないこと。


「皆さん! 扉は破られてしまいました!」


 決断を保留するという贅沢はもう許されない。


「選択の余地はありません! 行きますよ!!」


 叫びながら剣を構える。

 まずはこのゾンビ化したボリバル男爵を退けなければならない。


 エミリアの魔力はもう殆ど残されていない。

 剣の実力だけで倒す必要があった。

 だが、


「Aaaaaaaaa!!!!」


 ボリバル男爵の剣の冴えはエミリアの想像をはるかに上回っていた。

 生前と変わらぬ剣技を、動屍体の疲労を知らない体力でたたみかけてくる。


 それも両手の剣で、だ。


 二刀流の技能は無いのか、左の剣はただ振り回しているだけといったところだが、エミリアにとっては十分脅威だった。


「このっ」


 他に動屍体のいない今ならボリバル男爵さえどうにかすれば逃げられる。

 その焦りがエミリアに隙を生じさせた。


 ボリバル男爵は老練な技術でエミリアの手から剣を叩き落した。

 左の剣を大きく振りかぶる。

 刃すら立てていない雑な振り下ろしではあったが、ゾンビ化したことで強まった膂力によって十分な威力が込められていた――


 頭蓋を割られての即死。

 エミリアは覚悟した。


 ……ゾンビにはなりたくないな。


 と思いながら目を閉じた。


「……?」


 いつまで経ってもあるべき衝撃は来なかった。恐る恐る目を上げると、一人の青年が音もなく剣を受け止めていた。


「ギリギリセーフだったね」


 場違いな、どこかふわふわとした、軽い口調。

 この声の主は、


「アル!?」


 エミリアの幼馴染にして、リーデルシュタイン現国王アルベルトその人であった。

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