ボリバル男爵(3)
ボリバル男爵は応接間で魔剣を、二階の領主の執務室でいくばくかのポーションを見つけるという僥倖を得た。そして、
「仕込みも万端整った」
満足げに頷くボリバル男爵は、館の外で雨音に混じる物音に気が付いた。
「……ちっ」
舌打ちしつつ、執務室の窓にかかったカーテンを僅かにめくり確認する。
屋敷の周囲に
「集まってきおったか。フン、丁度良いわ。ワシの魔法騎士としての実力を満天下に知らしめる時が来たというだけのことよ。この件を片付ければ新たな領地の拝領か、勲章か。ぐふっ、ぐふふふふっ」
貴族らしからぬ下品な笑いを漏らしつつ、ボリバル男爵は正面玄関へと足早に向かった。
玄関の扉は健在だったが、既に一階の窓は何枚も割られ、動屍体が手を伸ばしていた。窓から入ってこようとする個体もいるが他の動屍体に押されたり引っ張られたりしており、屋内への侵入を果たせないでいた。
「馬鹿どもめ」
ぺっと唾を吐き、ボリバル卿は玄関扉を勢いよく開いた。
分厚い雲に覆われ星明りさえなく、雨は弱まる気配もなく屋外にいる者たち――動屍体を打ち付けていた。豪雨が地面を濡らすことができないほどに、辺り一面、動屍体に埋め尽くされている。
「我こそはジェイムズ・ボリバル! 貴様ら不浄なる者どもに引導を渡してやろう! かかって来い!」
堂々たる名乗りを終えるやいなや、くるりと反転。今来た道を駆け戻る。ちらりと振り返れば、堤防が決壊した際の濁流のように、動屍体が屋敷の中へ一斉になだれ込んできていた。
「よぅし。その調子だ。――こっちだ、ついて来い!」
動屍体の数はあまりにも膨大だった。
ボリバル男爵はゾンビ化した村人の殆どが集まってきていると判断していた。剣の腕に自信はあれど、それだけの数をひとりで相手にするほど向こう見ずではない。ここからは予定通りに“策で殺す”つもりだった。
脱兎の如く逃げるボリバル男爵の足取りに迷いはない。退路はあらかじめ決めてある。目立つ足音を立てながら動屍体を引きつけつつ、それでいて回り込まれたりしない経路を取る。可能な限り多くの動屍体を領主の屋敷に引き込むための動き。
だが、
「kisyaaaaaaaaaaaa!!」
奇声を上げて背後に迫るのは恐ろしく機敏な動屍体だった。
走る速度はボリバル男爵よりも速い。
「ちいっ」
ボリバル卿は即座に異常個体の迎撃を決意。
剣を抜く。
「《
刀身に冷気を纏わせる。
素早い動屍体の攻撃を剣でいなすと、剣に触れた部分が氷結した。連続攻撃。足を切り裂き、次いで腕。四肢を氷漬けにされ、動屍体は動けなくなった。
「驚かせよってからに……!」
止めを刺す時間も惜しい。少し足止めされただけで後続の動屍体との距離が詰まっていた。これでは自分の安全が確保できない。上ってきた階段とは別の階段を使って一階まで駆け降りる。
これでボリバル男爵は領主の屋敷をほぼぐるりと一周したような形になった。正面玄関とは真逆の使用人の通用口から外へと脱出すると同時に、
「《
火を放った。
夜の闇を切り裂いて魔法の炎が走る。着弾。炎は一瞬で大きく燃え上がった。自然に延焼しているわけではない。あらかじめボリバル男爵は油を撒き火薬を仕込んでいたせいだ。
火の手は僅かな時間で屋敷全体を覆い尽くし――、火薬に引火したのか大きな爆発音が上がった。
「ぶははははっ。燃えろ燃えろっ!」
策がハマり哄笑を上げるボリバル男爵。
窓から炎に包まれた動屍体が落ちてくるのを確認し、僅かに緊張したものの、黒焦げになったそれはピクリとも動かなかった。死んでいる、というのもおかしな話だが、間違いなく、死んでいる。
これで屋敷を囲んでいた動屍体は殆ど全て屋敷の中で焼殺することができたはずだった。
「がっはっは。戦いは知恵と度胸よ」
敵の数は残り少ない。残敵掃討は容易だろう。剣はある。予備の魔剣もだ。魔力にも余裕がある。ボリバル男爵は勝利を確信していた。
背後から足音が聞こえる。
炎につられて動屍体がやってきたようだった。
「来おったか」
不敵な笑みとともに振り返ったボリバル男爵は絶句。
眼前の光景に己の目を疑わずにはおれなかった。
動屍体。
動屍体。
動屍体。
「馬鹿な……」
ありえない。あれだけの数を倒したというのに。
屋敷を囲んでいた数に匹敵するほどの膨大な動屍体の群れが、重い足取りで近づいてくる。背後で燃える屋敷が闇に蠢く大軍の姿を照らし出す。
「村人の数より遥かに多いぞ。どうなっておるのだ? どこから湧いてきおったうわぁああああああっっっ!?」
ボリバル男爵の疑問と絶叫は群がるゾンビのうめき声に瞬く間に掻き消された。
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