礼拝堂にて
エミリア・ヴィンセントは床の上で体をぶるりと震わせた。底冷えのする冷たい空気が礼拝堂の床を撫でるように流れ、服の隙間から入り込んでいた。
「くしゅんっ」
自分のくしゃみで目が覚めた。鼻水が出かけていた。鼻を擦り、冷えた体をかき抱く。手指の先は恐ろしく冷え切っていた。触れた二の腕の方がまだいくらか温かい。
エミリアはゆっくりと体を起こして、
「冷気なんてどこから入ってくんのよ、もう!」
巫女の立場を忘れて悪態を吐いてしまった。つい地が出た。よかった、誰にも聞かれていないみたい。
厳重に締めきっている礼拝堂は寒くはあっても空気の流れは無いはずだった。なのになぜ冷気が流れてくるのか。すきま風だろうか。いや――
「っ!」
エミリアは慌てて立ち上がった。
蝋燭の短くなった燭台を手に取って礼拝堂をぐるりと、厳重に、見渡した。
ここに避難している人の数を確認していく。
10人。自分を入れて11人。
おかしい。
ひとり足りない。
もう一度数える。やっぱり足りない。
誰だ? 誰がいない?
「皆さん、起きてください!」
「……うん?」
「何が……?」
「おはよ、う……ございます……」
のろのろと起き上がってくる村人たち。
その中に、睡眠を阻害されて真っ先に文句を言うであろう男の姿が、ない。
「まさか! ボリバル卿!?」
彼を転がしていた祭壇の側には焼き切られたロープが残されていた。よく見れば彼の剣も無い。あの馬鹿、という言葉は辛うじて飲み込んだ。
「どこへ行ったのよ? もしかして外!?」
礼拝堂の正面の扉は、大丈夫だった。今も閂がしっかりとかかっている。僅かの安堵と大きな疑念。ではどこから。
祭壇の脇の小さなドアが僅かに開いている。冷たい空気はそこから流れ込んできているようだった。エミリアの嗅覚は、冷気に微かに土と木の匂いが混ざっていることに気が付いた。
……マズいっ。
土と木の匂いがするということは、「外」から空気が、入ってきている。
「皆さん! 武器を手に取って密集してください! 背中合わせになって死角をなくして! 早く!!」
エミリアの矢継ぎ早の指示に村人たちが慌てて動き出す。手にする得物は鍬や鋤、木材など。まともな武器は門兵とエミリアの持っている剣くらいだった。エミリア自身は燭台を両手で槍のように構え直した。
キイ、とドアが動いた。
エミリアは一縷の望みをかけて、
「ボリバル卿ですか――」
と声を掛けた。
しかし、姿を見せたのは、
「gruuuaaaaaaaaa!!」
ボリバル男爵ではなく、
燭台の明かりにぼんやりと照らし出された動屍体は、灰がかった濁った眼をしていた。血で汚れた口元は半開き。欠けて、黒く汚れた歯が見える。歯の間に髪の毛だかが挟まっているのが目視できた。
全体的に緩慢な動作の割に、突き出してくる両手の動きだけは常人離れした速度だった。掴まれれば逃れるのは困難だと思われた。
「皆さん下がって!」
エミリアの対応は迅速であり、容赦なかった。
礼拝堂の床板を踏み抜かんばかりに強く踏み込み、手にした燭台を動屍体の顔面めがけてに突き込んだ。ずぶり、と肉に食い込む感触に顔をしかめる。そのままぐるりと腕を捻った。
人間なら悲鳴を上げるか、さもなくば即死してもおかしくない一撃。
それでもおかまいなしに動屍体は突っ込んでくる。
痛覚も恐怖も無い。
目の前の新鮮な餌にまっしぐらだ。
エミリアは燭台から手を離し、動屍体の突撃を半身で回避。同時に、下段蹴りのような足払い。前のめりに倒れた動屍体の後頭部を踵で思いきり踏み砕いた。
ようやく動きを止めた動屍体を見て村人たちがほっと息をつく傍ら、エミリアは次の行動に移っていた。
腰の剣を抜く。剣の神殿の巫女は刃物を身に着けることを厭わない。剣こそが信奉する神に通じるものなのだから。剣はうっすらと青白い光を帯びていた。剣の神の籠の力だ。
「Grrrrrr……!!」
教会内に侵入した動屍体は一体ではなかった。新たな一体が小さなドアにつっかえながら侵入してきた。ドアに引っかかるほど侵入している動屍体の数が多いということだ。
「はああっ!」
裂帛の気合いとともに剣を振るう。青白い軌跡が闇を裂くように走り、動屍体を斬り払う。数が多い。このまま斬り続けてもキリがない。少しでもペースが落ちれば動屍体の集団が一気に雪崩れ込んでくるだろう。
エミリアは一瞬だけ後ろを振り返る。
門兵と目を合わせる。
それが目的だ。
すぐに視線を前に戻しながら、叫ぶ。
「祭壇をこちらに押してきて! このドアを塞ぎます!」
「はっ、はい! みんな手伝ってくれ!!」
門兵の号令で傍観していた村人たちが一斉に動き出す。
重い祭壇を村人全員の手で押す。ガリガリと床を削る音。遅々として進まない祭壇に誰もが焦りと苛立ちを覚えた。だが、それくらいの重さがなければゾンビの侵入は防げない。
エミリアは自身のなすべきことを正しく理解していた。
「《
なすべきこと――、すなわち時間稼ぎ。
聖光による目つぶしは聖属性のダメージを与えることにも成功した。
至近距離にいた数体の肌や目がじゅうじゅうと灼けた。
動屍体が怯んだ隙をエミリアは見逃さない。
「――今です! 押し返します!!」
血で切れ味が落ちてはじめている剣に、
「《
強化魔法をかけて補強する。斬った。剣は一時的に本来以上の攻撃力を得た。斬撃が死肉を深く抉る。エミリアは今が勝負どころだと判断を下した。
出し惜しみは無しだ。
ここを防ぎ切らなければ自分だけではなく村人たちも皆、全滅しかねない。
「《
エミリアの全身が発光する。
身体強化の魔法の一種だ。使用した魔力の分だけ速度と腕力を劇的に上昇させる。エミリアは残りの魔力をつぎ込んで自身を強化することを選択したのだった。
拳闘士さながらの膂力で殴りつけると、動屍体が吹っ飛んだ。剣と拳で溢れ出ようとする死者の群れを押し返す。
「これならいけるはず……!」
斬るというよりは圧し潰す。
「今です!」
「うおおおおおっっ! 押せ押せぇっ!!」
最後はエミリアも協力して、祭壇でドアを塞ぐことに成功した。
「やああっ!」
巫女が最後の力を振り絞り、祭壇の端を持ち上げて、ドアのある壁に押し付けた。ドアがあった空間は隙間なく塞がった。
「押さえていてください」
身体強化の効果が切れてしまう前に礼拝堂の床に固定されている長椅子を幾つか引きちぎって投げ飛ばした。組み合わせることで祭壇が動かないように押さえつけることができた。
「なんとか……なりましたね」
エミリアは荒い息を吐いて膝に手をついた。
村人は全員無事だった。
だが、代償はある。
エミリアの魔力はほとんど底をついてしまった。
それより何より、彼女たちは完全に逃げ道を失うことになっていた。
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