ボリバル男爵(1)



 教会の礼拝堂は、概ね静けさを取り戻していた。

 外の動屍体もどこかへ行ってしまったのか、扉を叩く音は聞こえなくなっていた。


 村人たちはそれぞれ椅子や床に座ったり寝転んだりして休息を取っている。皆一様に眠っているようで、そこかしこから寝息が聞こえてくる。剣の神の巫女であるエミリアも壁に背中を預けるような恰好で眠っていた。


 そんな中で、ただひとり目を覚ましている者がいた。

 ボリバル男爵だ。

 彼は両手両足をロープでしっかりと縛られていた。


「……」


 彼が目を覚ましたのは、エミリアたちが眠りにつく少し前のことだった。

 食欲をそそる匂いが鼻腔をくすぐったのである。あり合わせの材料で作ったスープが村人たちに振る舞われ、気絶させられていたボリバル男爵のそばにも木製のスープカップが置かれた。


 視界の端にカップを収めて、ボリバル男爵は忌々しげに喉の奥で唸った。縛られた状態でどうやってスープを飲めというのか。だが、声を上げるようなことはしない。誰かが目を覚ましてしまっては面倒だ。


 ボリバル男爵は口の中で短く詠唱をして《小火ファイア》を発動させた。火属性の初歩の魔法で後ろ手に縛っているロープを焼き切る。ロープと一緒に服の袖、更には肌も少々焼けてしまった。痛みは堪えた。火傷の痛みよりも屈辱と憤怒の方が勝っていた。同じように小火を使って足首の拘束も焼き落とした。


「ふざけた真似をしおってからに」


 小さく悪態をついて、ボリバル男爵はすっかり冷めたスープを口に運び飲み干した。味は薄く、具も殆ど入っていない。色付き水だな、と思った。水分補給としての役には立った。


 ボリバル男爵は薄暗い中、目を凝らして自分の剣を探した。

 剣はすぐに見つかった。

 祭壇に立てかけるようにして置いてあったのだ。


 派手な意匠を施された鞘に納められたその直剣は、男爵家の家宝のひとつであった。鞘から抜いて刀身を確かめる。美しく手入れの行き届いた刀身が燭台の僅かな光を反射させた。


「よし」と頷き、腰に差す。

 礼拝堂の中を物色して見つけたカンテラを拝借すると、いよいよ扉を開けて出て行こうとしたが、扉には門兵がもたれてうたた寝をしていた。

 それでも、


「門番の役割は果たしておるな……」


 と、ボリバル男爵は眉を顰めた。

 門兵を起こすわけにはいかない。


 ――となれば裏口か。


 礼拝堂の隅に小さなドアがあるのは確認済みだった。そこを通れば裏手に回ることはできるはずだ。


 ドアの向こうには狭い廊下と、その先に小部屋があった。

 裏口も見つけた。


「巫女風情が偉そうにしおってからに。おまけに不意打ちで殴るとは。ワシを誰だと思っているのだ。若かりし頃ボリバル男爵と名乗れば王国騎士団さえ白旗を上げたものだぞ。ワシがゾンビどもを斬り伏せて目にもの見せてやるわ。泣いて土下座するまで許してやらんからな……!」


 剣はある。

 魔力も十分だ。

 明かりもカンテラを見つけることができた。雨で消えてしまう事はあるまい。

 防具が無いのが少々心許ないが、


「攻撃など喰らわねば良いだけの話よ」


 不敵な笑みを浮かべる。

 ボリバル男爵には自信があった。

 意気揚々と進む。


 小窓から外を見れば、外は今も雨が降りしきっている。

 すっかり日も落ちて、あたりは真っ暗だ。月明かりも雨雲に遮られて期待できそうにない。カンテラを見つけられたのは僥倖だった。


「まずは領主の屋敷で物資の確保といくか」


 あんなスープだけでは動屍体ゾンビと朝まで戦い抜くことはできまい。

 ボリバル男爵は頭の中で大まかに作戦を整理した。


 その① 領主の屋敷を目指して移動しながら適宜動屍体を倒していく。

 その② 屋敷で休息をとる。

 その③ 包囲されないよう留意しつつ一撃離脱を繰り返す。

 その④ ②と③を繰り返す。


 夜明けが近づけば不死の存在アンデッドの動きは極端に鈍るはずだ。勿論日の出までに掃討するつもりではあったが、念のためのプランBの用意も怠らないのが強者というものなのだ。ボリバル男爵には別の策もあった。


「動屍体どもを全滅させて村を救えばワシは英雄よ。爵位は上がらずとも新たな領地を下賜されてもおかしくあるまい」


 より王都に近い、交通の要衝などが好ましいな。

 図らずも栄達の好機やもしれぬ。

 皮算用もいいところだが、ボリバル男爵は状況を前向きに捉えていた。


「いざ、出陣だ」


 裏口のドアの錠を外す。

 ドアを押すと、大雨だというのにギィという軋み音がやけに大きく響いた。舌打ちするのを堪えてボリバル男爵はドアを閉め、周囲を確認。幸い動屍体の姿は付近には見当たらない。


「よし」


 教会の壁伝いに一歩ずつ慎重に進んでいく。

 剣の神の教会は、村の外れの小高い丘の上に位置している。領主の屋敷は丘を降りて一番大きな通りの交差する中央部だ。

 おおよそ村を横断する半分ほどの距離。


「……ちと遠いな」


 足早に、しかし注意深く歩き出す。草を刈って踏み固めただけの細い道は雨ですっかりぬかるんでいた。ところどころ大きな水溜まりもできている。

 道の両脇は背の低い雑木林。手入れはされておらず、奥を見通すことはできず闇がより深く濃くなっている。


「……」


 いつゾンビが飛び出してきてもおかしくない状況だった。

 索敵能力は高くないボリバル男爵だったが、できうる限り周囲を警戒する。


 用心するに越したことはない。


 顔に打ち付ける雨粒は拭っても拭っても意味がないほどの豪雨のせいもあって視界は最悪だ。カンテラもないよりマシだが焼け石に水といったところだった。



 ――落雷!



 轟音と閃光が、雨音と闇を一瞬吹き飛ばした。


 ボリバル男爵はほんの数歩先に動屍体が立っているのを見た。

 落雷の光がなければ体がぶつかるまで気付かなかったかもしれない。


「っ!」


 腹周りに余分な肉がしっかりとついた体型からは想像できないほどの機敏さで、ボリバル男爵は抜剣から斬撃を放った。洗練された無駄のない動き。


 振り上げかけていた動屍体の右腕が斬り飛ばされ、宙を舞った。剣を切り返し胴を薙ぐ。体を上下に分断されて動屍体が崩れ落ちる。

 しつこく地面を這って近づいてくるゾンビの頭部に剣を突き立てる。


「フン。不浄なる者に安らぎを、だ」


 吐き捨てるように聖句を告げた。

 剣を二度振って付着した血や体液を払って鞘に納める。


「この程度であればさしたる脅威ではないな。それをあの巫女めが日和りおってからに。惰弱極まりない。事が済み次第、剣の神殿は糾弾してやるぞ。そもそも」


 巫女への罵詈雑言をまくしたてるのに夢中になっているボリバル男爵の背後に、新手の動屍体が迫る――


「フンッ!」


 くるりと身を翻し、脳天から切り裂いた。


「気付かぬと思うたか。舐めるでないわ」


 またも雷鳴と閃光。 

 近くに落ちたようだ。

 

 真っ二つになったゾンビのその向こうに更なるゾンビの群れが蠢くのが見えた。

 見えただけでも七、八体はいた。


「ちっ」


 多勢に無勢だ。一対一なら負けることはないが、囲まれてはかなわない。ここは予定通り領主の屋敷を目指すとしよう。


 そう判断したボリバル男爵は半ば泥濘と化した細道を駆けていく。足を滑らせないよう細心の注意を払いながら。

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