生存者



 陽光を遮る雨雲と夕暮れがもたらす闇を照らすようにして、炎が轟々と燃え上がっていた。降りしきる雨にも負けない火勢を上げているのは、民家だった。


 村の大部分の建物は木造。

 火が付けばよく燃える。

 否。

 火が付いたのではない。

 火を付けたのだ。


 焼け落ちる家の中から数名の人影がまろび出てきた。

 全身を火だるまになりながら歩いているのは人ではなく動屍体ゾンビだった。体の一部が欠損していたり、腹や頭に農具――ナタやフォーク――が突き刺さっていたりするがまだ動いている。


 動屍体を倒すために火を付けたのである。


 その効果はたしかにあった。

 やがて全身黒焦げになり、そこでようやく動かなくなった。

 彼らの顔を見れば村人は気付くだろう。

 その焼けて動かなくなった動屍体が村の住人であったということに。 


 




 多くの動屍体がふらふらと蠢く農村で、辛うじて難を逃れた生存者はひとかたまりに集まっていた。集まっている場所は村では数少ない石造りの建物――教会だった。


 農村のやや外れに位置する小高い丘の上に建つその教会は、農村にしては珍しく剣の神を祀っていた。


 集まった生存者の数は少ない。

 十数人ほどが礼拝堂に身を寄せ合っていた。

 村の住民が十名と、地元の貴族が一名。

 そして、王都から祭祀を執り行うためにやってきていた巫女が一名だ。


 燭台に灯された蝋燭の小さな火が、疲労と恐怖の色濃い村人の顔を照らす。

 陰鬱な表情が輪郭を際立たせて浮かび上がる。


 礼拝堂の中はじめじめとした雰囲気に満ちていた。

 どんどん、と教会の扉を叩く音がする。


 外から扉を叩くのは動屍体に違いなかった。

 礼拝堂に人が隠れていることが分かっているのかいないのか、つい先ほどから扉を叩き続けている。 


 教会の扉は木製ではあったが、分厚い木材を使用したものだ。金具で補強もされており、強度は民家の比ではなかった。内側からしっかり閂もかけているため、そう簡単に破られる心配はない。


扉を叩く音に混じって動屍体の奇声も聞こえてくる。う、とも、あ、ともつかない濁った呻きは数を増していき、扉の向こうの様子を否が応でも想像させた。


 扉の側に陣取っているのは、村唯一の剣士だった。小さな村の門兵を長年務めてきただけの彼を支えているのは僅かな責任感だけだった。動屍体を相手にすることなど今日まで考えたことさえなかったのだ。それでも、教会に避難した僅かな村人を護れるのは自分の他にはいない、と思っていた。


「いつまでここでこうしているつもりなのだ!?」


 突然の叫び声に門兵の彼を含め村人全員が体を震わせた。

 声の方向を見ると、上等な身なりをした中年の貴族が祭壇近くで激昂していた。


 この中年貴族の顔を知らない者はこの農村にはいなかった。

 彼は、農村を含むこの辺りの領地を治めるボリバル男爵だった。


 ボリバル男爵の詰め寄っている相手は、祭祀を執り行うために村を訪ねていた、うら若い巫女だった。シルバーブロンドを短くした長身の美女。


「さっさと外の動屍体ゾンビどもを片付けて安全を確保してはどうかね、エミリアくん。先ほど試したが火は通じるようだぞ」

「民家に火を放ったのは貴方だったのですか」

「フン。家も何も命あっての物種だ。そのおかげで教会に逃げ込む時間が稼げただろうが」


 剣の神の巫女――エミリアは小さく溜息を吐いた。結果論よね、とは思ったが口にはしない。する意味がないからだ。


「安全確保という意味ではこの教会の中が、村で最も安全ですわよ。ボリバル卿のお蔭で逃げ込むことのできたこの教会が」

「こんな薄暗く湿っぽい教会が安全だと!?」

「ええ、その通りです。微弱ではありますが結界も施されておりますし、扉も頑丈です。ここで救援を待つのが最良と考えます」


 動屍体ゾンビの正確な数も分からない。

 戦力も無い。

 できることは籠城くらいのものだった。


「絶対だな! 絶対大丈夫なんだな!?」


 ボリバル男爵が子供のようなことを喚く。その声に反応して扉を叩く音が大きくなった。はっと気づいて口を押えてももう遅い。


 エミリアは頭痛がする思いだった。


「ボリバル卿、絶対などと子供のようなことを仰られましても」

「安全だと言ったではないか! 剣の神殿の巫女は虚言を弄するのか!?」


 内心の怒りを抑え込み平静な表情を保ち、エミリアは首を振った。


「……いいえ。ここが最も安全なのは間違いありません。ええ、ボリバル卿がお静かにしておられる限りは」


 余計な一言を加えてしまった。

 と反省しても遅かった。

 ボリバル男爵は聞き逃してくれなかった。


「どういう意味だ!!」


 怒鳴る貴族に「失礼しました」と形ばかりの謝罪。

 そんなことよりも、


「動屍体に気取けどられます。既に扉の外には複数が来ているのです。これ以上集まられては面倒どころではありません。今はおとなしく救援を待ちましょう」

「……どれほど待てばよいのかね」


 不満たらたらなボリバル男爵の問いではあったが、それは礼拝堂にいる村人全員が知りたいことでもあった。視線が自分に集まるのを自覚しながらエミリアは慎重に言葉を選んだ。


「はっきりとはわかりかねますが、三日。あるいは四日ほどかと」


 その見込みもかなり楽観的な予測に過ぎない。四日で救援が到着すれば早い方だ。


「四日! 四日だと!?」


 だがボリバル男爵は納得しない。


「四日もこんなところに居れると思っているのか!」

「……最低限ですが保存食の備蓄があることは確認しています。幸い雨も降っていますので、飲み水は確保できますし」


 四日程度ならなんとかなる、とエミリアは目算していた。

 食料と水、籠城に適した建物がある。

 戦力は心許ないが戦わなければいいだけの話なのだ。


「そういうことを言っているのではないのだ!」

「では、なにを?」

「こんな場所で! 農民どもと! 寝食を共にできるものか!」


 ボリバル男爵の意図が分からないでいたエミリアだったが、ようやく理解した。彼は生死がかかったこの状況にあっても自分だけが特別だと思っている。この村は男爵の所領だ。領民を護るべき立場の者にあるまじき態度。


「……ここは礼拝堂です。個室などありえません。我慢なさってください」

「ワシを誰だと思っているのだ!」

「ボリバル男爵です」

「そうだ! ワシは爵位持ちだ! 貴族だぞ!」


 位階持ちだというのであれば、せめて立場に見合った義務を履行してもらいたい。

それができないのならせめて黙っていろと言いたいのを必死で我慢した。

 代わりに、


「今は、位階は関係ありません。いかに皆で生き残るかを考えなければ――死んでしまいますよ」


 言いたくなかった言葉がつい口をついて出た。ボリバル男爵はさておき、村人たちに動揺が広がった。この場で一番頼りになるだろう巫女の放った言葉の重さに彼らは耐えられなかった。


 一方で、ボリバル男爵はエミリアに侮蔑の視線を投げ、


「よくわかった。剣の巫女殿には危地を脱する力も気概もないことがな! ワシが死体どもを蹴散らしてやるから、そこで見ておるがよいわ!」

「ちょっ、なに言ってんですか。おやめください!」


 エミリアはうっかり少々地が出てしまう。

 ボリバル男爵は気にせず胸を反らして自慢をはじめた。


「こう見えてもワシは剣と魔法を修めておる。若い頃は天才魔法騎士などと言われたものよ。そこの門兵よ、扉を開けよ!」

「で、できません。外には動屍体が待ち構えているのですよ!?」


 制止を無視して扉の閂に手をかけたボリバル男爵を、門兵が後ろから羽交い締めにした。


「離さんか! ワシは男爵だぞ!」

「危険ですボリバル卿」

「ええい。黙れ黙れ!」


 暴れるボリバル男爵の力は意外に強く、門兵を振り払った。再度扉に手をかけようとした直前、エミリアは近くにあった燭台を掴むと、ボリバル男爵の後頭部を思いきり殴打した。鈍い音と「う、う~ん」という呻き声が続き、ボリバル男爵は気絶して床に倒れた。


「困った方ですね」


 燭台をそっと元に戻してエミリアは村人たちに振り返った。

 全員若干腰が引けているのは見なかったことにする。


「貴族様を殴ってしまってよろしかったのですか?」

「皆さんを危険にさらすよりはずっとマシです」


 おずおずと問うてくる門兵に、エミリアはにっこりと笑った。


「ボリバル卿には申し訳ありませんが、ひとまず拘束させていただきましょう。これ以上暴れられては助かるものも助かりません。あの、ロープか何かありますか?」


 今のうちにこの厄介な男爵を拘束してやろうと考えたのだ。


「あったと思いますが……」

「ご心配なく。男爵に対する行為全般については剣の神の神殿が責任を負います」

「あっはい」


 男爵からの苦情などどうでもいいのだ。

 そんなことより、


「皆さんが無事に生き延びることが先決です。ボリバル卿を自由にさせては生存確率が下がってしまいます」

「我々は巫女様に従います」


 全員がコクリと頷いた。


「ありがとうございます。けれど、私が死んだ際には皆さんひとりひとりが適切な判断をして、生き残る努力をしてくださいね」

「巫女様が死ぬなど」

「ありえない話ではありません」


 果たして援軍は間に合うだろうか。

 一刻も早く到着してほしい。それが難しいのは重々承知しているが。


 最悪の場合、独力での脱出も検討すべきかもしれない。

 エミリアは闇の中目を凝らして礼拝堂の祭壇を見つめていた。


「剣の神よ。ご加護を――」

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