第6話 逃走する者たち



 それは忘れもしない、私がウサギの後にヤマアラシのような生き物の姿を手に入れて、かなり時間が経ってからの事だった。

 6人ほどの人の集団が森の中を移動していた。

 目を惹いたのは、やたら早足だったから。

 切迫した雰囲気がこちらにも伝わってくるほど。

 まず、間違いなく、何かに追われているのだと直感した。

 武装した男が2人。

 同じく武装した女が2人。

 残りの2人は女だが、武装はしていない。

 ロングのスカートが足に纏わりついて邪魔そうだった。

 男は背中に荷物を背負っていた。

 腰に剣も下げている。

 同じ武装をしていても女の方が身軽だ。

 1人は弓を担いでいた。

 それにしてもただならぬ様子なのが気になる。

 

「あうーっ…… 」


 不意に赤ちゃんの声がした。

 武装してない女の一人が胸に抱えていたのは赤ん坊らしい。

 "あーばば、うーうー" と喃語が聞こえてくる。

 必死に赤ちゃんをあやしながら、それでも誰も足を止めなかった。

 よほどの事情があるのかなと、私は勘ぐる。


 事態が急変したのは、それから間もなく。


「∌≧ーσσ!」


 突然、男が叫び声を上げた。

 見ると膝の裏側に矢がささっている。

 怒鳴りながらひと言、ふた言、声を掛け合うと、男2人が向きを変えた。

 追っ手と対峙するつもりらしい。

 女達だけが、先を急ぐ。

 男達が迎え討ってくれるとは期待してないのか、それとも何か急ぐ理由があるのかは分からない。

 既に弓矢を射る程度の距離にまで迫っているのだから、もたもたしている暇はないという事だろう。

 私は女達の後を追った。

 少し進んだところで、後ろから "キン、キン" と剣戟を交える音がしだした。

 怒号混じりの争いの音は続いている。

 あわよくば、ここで男達の活躍を大いに期待したいところだけど。


ーーーシタッ!


 懸命に前に進む女達のすぐ横の木に矢が突き刺さった。

 男達は大した時間稼ぎも務まらなかったらしい。

 そんなに強い相手なのか、それとも数が倍以上違うとか、とにかく戦力差があり過ぎたのは間違いなさそう。


ーーーシタッ!  シタッ!


 先を急ぐ女達の右の木、左の木と、威嚇するように矢が射られる。

 

「φ∂∬ω∝ζν!」


「ε✢ⁿ√αα∂∝ζ……」


 今度は武装した女2人が急停止した。

 残り2人の武装してない、女だけが走り続ける。


「Ρ∂ζ!」


「∅√ⁿ⊇∞∞δπ∑εζ!」


 いよいよ追っ手が姿を現した。

 追っ手は、たったひとりだ。

 弓は持っていない。

 矢は魔法で放っていたのか。

 逃げる女達を狙い宙に現れた矢が飛んでいく。


「νⁿΘ∉ψψ!」


 それを止めさせるように剣を抜いた女2人が斬りかかっていく。

 追っ手も抜き身の剣で、それを受ける。

 2対1、数の上で言えば圧倒的有利なはずだけど。

 追っ手に斬りかかる女の剣を受けるのは2本の剣だ。

 一本は追っ手自身が手に持つもの。

 もう一本は、誰も支えてすらいない。

 宙に浮く剣が勝手にもうひとりの女の剣を食い止めていた。

 追っ手の背後に更にもう一本の剣が現れた。

 まるで魔法のように……。

 いや、あれは魔法に違いない。

 宙に浮かぶ剣を相手に2人の女は剣戟を交えはじめる。

 追っ手自身は逃げる女の背中に向け矢を放っている。

 これでは、1人で3人いるのと同じようなものだ。

 しかも、矢では足りないと思ったのか、今度は槍が出てきて逃げる女へと向かい飛んでいく。

 "ギャー" と悲鳴があがる。 

 剣を交える女達は、防戦一方で攻めあぐねている。

 武器のみが相手では、どこに攻撃を加えたらいいのか分からず戸惑っている様子。

 と、魔法を使う追っ手の影から何か伸びた。

 触手のようなそれは、 真っ直ぐに剣を振る女の背後へ襲いかかる。

 背中を触手に刺され、宙を浮く剣に首を斬り落とされた。

 

「∈φ∬∝δー!」


 剣を交えながら、叫ぶ残された女。

 その女も背後から触手のひと突きで剣を落としてしまった。

 ひと言、ふた言、何か言うと、追っ手は逃げた女に向けて歩き出した。

 うずくまり、虫の息の女。

 逃げるでも、追うでもない、動ける状態にないらしい。

 逃げた女2人は、すぐ近くにいた。

 1人は首から血を流し倒れている。

 もう一人の赤ちゃんを抱えた女は槍が背中から腹を貫通しており、地面に固定されていた。

 赤ちゃんを奪い取られると、抱いていた腕がぷるぷると震えていた。

 追っ手の目的は赤ちゃんだったらしい。

 女の腕がだらんと下ろされる前に、宙を浮く剣が飛んできて、その首を切り落とした。

 

「∑ζε∈∃⊇≧≦∬∬∝ー」


 何を言ったのかは、分からない。

 追っ手は赤子を胸に、ツカツカと来た道をもどって行ってしまった。


 残されたのは死体だけ。

 いや、まだ背中が微かに上下している武装した女は息があるようだ。

 とは言え、このままでほ、助かるとは到底思えない。

 私に出来る事など何もないだろう。

 死を待つ女の目から涙が流れるのが見えた。

 悔しいのか、悲しいのか、それとも誰か死ぬ前に会いたい人でもいたのかは、分からない。

 私は、知らないうちに鳥からスライムの姿に戻っていた。

 以前よりは成長して体は大きくなったけど、とても人のサイズには及ばない。

 けれど、死に行く女を目の当たりにして、どうせ死ぬならと、良からぬ思いが頭の中で頭をもたげていた。

 どうせ死ぬなら、その姿、私が貰ってしまおうか。

 このサイズにはとても足りてないが、着包みのように中身を中空にすれば、行けるのではないだろうか。

 そんな無理矢理過ぎる考えに取り憑かれる。

 早くしないと死んでしまう。

 駄目なら駄目で仕方がない。

 私は彼女の頭を包むようにその体を広げて覆い被さった。

 出来るだけ伸ばせば、上半身ならかろうじて包めそうだ。

 浅くて早い呼吸は私の中で、やがて静かに聞こえなくなっていった。

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