赤と緑の思いやり

星都ハナス

赤と緑、どっちにする?

 その日、私は朝から体調が悪くずっと寝ていたいと思いました。朝ご飯の片付けをして洗濯物を干してから、めまいがおさまるまで横になるわと夫に言いました。


「大丈夫なの? 病院に行った方がいい?」

 夫は湯呑みをコトンとテーブルに置くと、心配そうな眼差しを私に向けます。


「少し寝たら大丈夫だから。ごめんね、お昼には起きるから」


 花が芽吹く頃は決まって軽いめまいが起きます。先月、定年退職をしたばかりの夫は知らないだけです。結婚して四十年、年を重ねるという事は自分の弱さも見せる事だと、私は心配そうな夫になるだけ優しく答えました。


 慎ましい年金生活ですから、お昼ご飯は手間暇かけずに、冷蔵庫にあるもので用意しようと布団の中に入りました。体調が悪くても主婦業が頭から離れません。


 仕事一筋だった夫に家事をお願い出来るのはいつの事かしらと、私は少しばかりの期待をして目を閉じます。天井がぐるぐると回る前に一眠りしたいと思いました。




「大丈夫? ご飯食べられそう? 赤と緑、どっちにする?」

 

 どのくらい眠ったのでしょうか。枕元で夫の囁く声がします。私は少し寝ぼけていたので、夫の質問の意味が分かりませんでした。分からないけれど、とても懐かしく感じました。


「よく眠れた? お昼ご飯買ってきたよ」


 夫はそういいながら、エコバッグからカップ麺を取り出して私に見せます。右手には赤いきつね、左手には緑のたぬきをしっかり掴んで私に見せます。子供が捕まえた昆虫を母親に見せるかのような笑顔です。


「ありがとう。どっちでもいいけど。……赤いきつねにしようかな」

「分かった。作ってくるね」


 作るといっても、熱湯を注ぐだけですのに、夫は張り切って台所に向かいます。私はカーディガンをはおって居間のソファーに腰掛けました。めまいはすっかり治っていましたが、夫の思いやりが嬉しくて甘えてみたくなりました。


───赤と緑、どっちにする?


 私は先程の夫の言葉をもう一度思い出しました。その言葉を口にすると胸の奥がじんわりと温かくなり、お義母かあさんの顔が浮かびます。懐かしく感じたのは嫁いだばかりの頃に同じ事を聞かれたのだと思い出しました。


 お義母かあさんは明るい人で、日曜日のたびに娘家族や息子家族を家に招くのが好きでした。結婚したばかりの私たちもお義母かあさんの手料理が食べたくて招きに応じたものです。


 今日と同じ桜の花が咲き始める頃だったでしょうか。その日も車で十分ほどの実家へ向かいました。少し体調が悪かったのですが我慢しました。


 実家に着くと、夫の甥っ子たちはゲームに興じています。親戚が集まる日曜日は大人たちにとっても楽しいものでした。夫もゲームに参加する中、私は台所にいるお義母かあさんとお義姉ねえさんたちと夕飯の支度を始めます。


「今夜は巻き寿司にしようかと思うんだけど、かんぴょうと玉子焼きは家で作るから、ハツミさん、悪いんだけど、マグロの短冊を買ってきて貰えない?」


 お米を研ぎながらお義母さんが言いました。実家のそばには新鮮な魚を仕入れて、欲しい分だけ売ってくれる魚屋があります。私はいいですよと返事をし、着けたばかりのエプロンを外します。


「ハツミさん、なんか調子悪い?」

「……朝から少し体調が悪いんです。なんか吐き気もして」


 私は雰囲気を悪くするのが嫌でしたが、お義母さんの優しい話し方につい本音を言いました。最近食欲が無く、今日は特に悪いと正直に言いました。


「お寿司ならさっぱりしているから食べられる? それとも」


 お義母さんは心配そうに聞いてくれます。お寿司が好きな私は頷きましたが、生あくびが出るような気持ち悪さは変わりませんでした。


「メニュー変更しようか。温かいものにしましょう!」


 そう言ったかと思ったら、お義母さんは突然和室に行き、あの質問を始めたのです。


───赤と緑、どっちにする?


 

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