29 可愛い。


 十年前に使っていた私の部屋は、今も私の部屋。

 その部屋のベッドに、スクリタは横たわっていた。

 私は入浴をさせてもらったけれど、そのあとでもスクリタは起きない。

 職務を片付けたと言うジェフも、私のそばから離れなかった。


「エグジとアルテは、まだ戻らないの?」

「そのうち、戻るよ」

「……私の研究室を覗いても?」

「リリカの研究室だよ。ご自由に」


 研究室も同じく私のもののまま。

 きっと私を取り戻すための魔法を、弟子達が探していたはず。

 研究室に移動すれば、ジェフもついてきた。


「神奈ちゃんを呼び戻そうとしたんだってね?」

「はい。エグジがカンナ様の蘇生の魔法なら、完璧に蘇らせることも可能かもしれないと聞いたからね。でも魔王から鍵をかけたって。それも聞いてなかったよ?」


 ちょっぴりジェフはむくれっ面をする。


「リクルートゥ前陛下には言っておいたわよ? 承諾してくれたもの。私がいる限り、呼ばれることはないって言ってたのにな」

「リリカがいなくなったから、呼ぼうとしたんだよ。でも、君の鍵は、弟子達も外すことが出来なかった」

「厳重にしておいてよかった」

「僕達は君を蘇生してほしかったんだ、よくないね」


 さらに、ジェフは不機嫌な顔になる。


「ジェフ、十年も経ってからまた異世界に連れ戻されたらどんな気持ちになると思う? きっと二人には二人の生活がある。結婚して子どももいるかもしれない。それなのに、連れ戻すなんて。酷いわ。絶対に百年は召喚させないんだから!」


 そう言いつつも、私は二人の反応を想像した。

 神奈ちゃんは歓喜で声を上げては私に飛びつくし、光太郎くんは張り切って必要な戦いに身を投じるだろう。


「……この十年の間、結婚して子どもを作らなかった君が言うと、説得力に欠けてるよ?」

「私に子どもはいるよ? 魔法と弟子三人だ」


 さらりと髪を掻き上げて、私は言い切った。


「弟子ね……? 認めるとは思わないけれど」


 ぼそっと言うジェフ。

 私は聞き返そうとした。


「ところで、スクリタはどうして君を見付けられたんだい? 起きた時に、スクリタがちょうど戻ったのかい?」

「あ、ううん。私が起きた時は、誰もいなかったわ」

「ごめん……君を一人にしてしまって」

「ああ、気にしないで」


 街まで運んでくれた悪魔のことを話そうとしたけれど、その前にジェフが申し訳なさそうに眉を下げて謝る。


「スクリタは匂いでわかったみたいだけれど、どうしてジェフは私だってわかったの?」

「あはは、何言ってるんだい? 一目瞭然じゃないか」


 ジェフは一目でわかったらしい。

 解せぬ。


「そう? 四十歳から十歳に若返ったのよ? 見た目が似ている程度じゃない?」

「ううん。幼い姿に変わった君だってわかったよ。それにあれだ」


 ジェフは自分の黒髪を掻き上げた。

 仕草が、イケメンか。


「こうする癖を見て、確信したよ」

「……したっけ?」

「してたよ。君の美しい癖だ」


 美しい癖、なんて褒めるジェフに面食らう。


「もう、大人をからかわないで」

「今は僕の方が大人だよ」


 くすくす、とジェフは笑った。

 今度は私の方が、むくれっ面をする。

 私の魔導書は弟子達がいつでも取り出して見れるように、鍵の解き方は教えてあった。

 だから、我が家の研究室から取り出したであろう魔導書は、研究室に置いてある。

 開きっぱなしだが、ページは白紙に見えた。

 ちゃんと他人が閲覧出来ないように、工夫はされているようだ。


「聖女の蘇生の魔法の次の案は、私の死の原因を突き止めて時間を巻き戻すって聞いたけれど」

「ああ、でも、君の死因が突き止められなくてね。どんな魔法も効かないから、三人とも頭を抱えていたよ。ほら、僕の父上を診察してくれた時の魔法があるだろう? あれも発揮しなかったから、アルテが改良するって言い出した」


 ジェフの父親であるリクルートゥ前陛下の容態を診るために、エックス線検査のような魔法を作った。

 そのおかげで、悪い箇所を調べやすくなったと、治癒師が大喜びしていたっけ。


「エグジは古代の魔法を調べていたよ、何時間も時計を見つめてはぶつぶつと独り言を言ってたね。スクリタの方も時間を巻き戻す魔法についての伝承とかを調べていたよ」

「なるほどね」


 懐中時計が何個か置いてあることに気付いていたが、それを見つめてはアイデアが閃くことを待っていたのだろう。


「可能かい?」

「え?」

「時間を巻き戻すこと」


 ジェフは白紙にしか見えないページをぺラパラとめくりながら、時間を巻き戻す魔法を作れるのかと問う。

 少しの間、黙って考え込んだ。


「戦闘で例えるならそうね……敵が魔法を唱えたとする。けれどこちらが時間を巻き戻す魔法を使えば」


 パチンと指を鳴らす。

 これも癖かな。


「魔法を唱える前の時間まで戻せる。そういう魔法なら、ええそうよ、可能よ」

「そうなのかい……」


 興味深そうに、ジェフが頷く。


「でも、何日も前に時間を戻す魔法は、どんな代償を受けるかわからないわ。開発する前に、起きれてよかった」


 強引に時間を戻して、何か代償を受けてしまったらと思うと、その前に起きれてよかった。


「そうか……よかった、起きれて」


 安堵した笑みを浮かべて、ジェフは私の頭を撫でる。

 ……子ども扱い。

 でも、キュン、です。

 いつもは撫でる側なので、撫でられる側になるのは効果てきめん。

 年下イケメンに撫でられる。キュンとはするけれど、面白くないので、ちょっと唇を尖らせた。


「ん? どうかしたの?」


 私の唇に気付いたジェフは、私を覗き込む。


「エグジ達はまだかしら。私の杖、エグジが持っているのよね? それがあれば、少しはマシに魔法が安定して使えると思うのだけれど」

「うん、エグジが持っているよ。でも回復しているんでしょう?」

「今の私は魔法が使えないただの子ども! 天才魔導師の称号が無駄だわ!!」


 くわっと目を見開いて、私は声を上げる。


「若返ったのはいいけれど、この身体忌々しいわ!!」

「可愛いけど」

「ジェフ……」


 実はロリコンなのか。

 そう思えてしまうほどのデレっぷりを感じてならない。

 ジェフは、私の頬を摘まんだ。むにむにと揉む。


「本当に可愛い」


 そこでスクリタが来た。

 またもや、乱暴に扉を開けて入る。

 ジェフは戸棚にあった眠り粉の瓶を手にした。

 しかし、また吹きかけられる前に、スクリタが魔力を当てて飛ばす。

 眠り粉は、床に落ちた。


「やめなさい、二人とも」


 そう言ったけれど、スクリタは毛を逆立て、歯を剥き出しにする。

 戦闘態勢だ。

 ジェフは青い光の剣を、魔力で作り、ひゅんっと取り出した。

 私が教えた無詠唱の剣の召喚だ。

 こちらも戦闘態勢か。

 バチバチと火花を散らすような魔力を感じる一触即発。


「やめなさい」


 手を翳して、魔力支配をする。

 ぴたっと、二人が止まった。


「……よえーよ」

「ほんと、魔力まで可愛い」


 しかし、あっさりと二人は動き出す。

 ちょっと重かった程度の反応だ。


「だめ、ちょっと……無理ぽよ」


 私はよろっとしてしまい、机にしがみつく。

 顔色を変えて、ジェフもスクリタも駆け寄った。

 近付いた二人の顎に、魔力を込めたパンチを食らわせる。

 ジェフもスクリタも、自分の顎を押さえては蹲った。


「魔力を込めて殴るなよっ!」

「痛いよ、リリカ」

「私は弱いんでしょう? 可愛いんでしょう? もう一発どう?」

「「ごめんなさい……」」


 もう一発と拳を固めれば、二人は素直に謝る。


「はぁー。スクリタ。エグジとアルテの戻りが遅すぎるから、一回帰って見てきてくれない? 何かあったんじゃないの?」

「は? 嫌だし。アンタから離れない。心配しすぎだろ」

「そうだよ、リリカ。エグジとアルテの身に何か起こるわけないだろう? 君がいないから探し回っている最中で、すぐに戻るよ」

「……そう」


 確かに、心配のし過ぎかもしれない。

 でも死んだと思われている身としては、弟子に早く生き返ったことを伝えたいのだ。

 もう少しだけ、もう少しだけ待ってみよう。

 そう思っていたら、夕食をもらう時間になってしまった。


「遅すぎない!? もういい! 私が転移魔法を使って帰る!!」

「バルコニーに落ちたこと忘れたのかい? 不安定ならやめた方がいいよ。もうすぐ戻るって」


 スクリタが拒むなら、自分で行こうとした。

 しかし、ジェフに止められてしまう。


「寝てんじゃねーの?」

「スクみたいに?」


 こくん、とスクリタは頷く。

 疲れ切って、自分の寝室に眠ってしまっているのではないかと、予想を立てた。

 今日スクリタがずっと眠っていたみたいにか。

 そうか、それなら……しょうがない。


「落ち着けよ、リリカ」

「リリカ師匠、だろう。スクリタ」


 宥められながらも、私はちまちまと食事をとらせてもらった。

 でも戻ってくるまで待つと言い張って、私は城壁の門で待つことにする。

 スクリタは寒いと思ったのか、獣に変身してそばにいてくれた。

 忙しいはずなのに、ジェフまで一緒だ。


「もう休んだ方がいいよ、リリカ。子どもは眠らないと成長しないんだよ?」


 いや、ちゃんと寝かせたかっただけのようだ。


「もう迎えに行く! 我が家で寝ているなら、一緒に寝る!」

「おい、あれ見ろ」


 スクリタが顔を上げたから、私も見上げる。

 エグジの守護獣エランだ。蛍光色のピンクと赤と青のグリフォンに近い生き物。

 翼を羽ばたかせて、門の前に降り立った。

 くちばしには、私の杖をくわえている。白い木の柄に、先端の方に深紅の石をはめた長い杖。

 エランは目を丸くさせつつ、ゆっくりと門をくぐった。

 近付くまでわからなかったが、エグジはエランの背にいる。

 しかも、どうやらエランの背にしがみ付いて、眠っているようだ。

 エランは、私に杖を渡してくれた。

 それから、丁寧にお辞儀をする。

 昔から変わらない。礼儀正しい子。


「エグジ。起きるんだ」


 そう身体を少しのけぞらせて、背にしがみ付いて寝ているエグジを起こす。

 疲れて寝ているなら、起こさないでいいのだと首を横に振る。

 でもエグジは起き上がった。


「げほ! げほ!」


 苦しそうに咳込みながら、エグジはエランの背から滑り降りる。

 十六歳になった美少年もまた、やつれた顔をしていて、イケメンが台無しだ。

 髪はぼっさぼさな上、煤にまみれたような格好をしている。


「エグジ」


 名前を呼べば、私と目が合う。

 エグジは、私を見て固まった。

 杖を持っているのだから、一目瞭然だろう。

 ちゃんと私だと認識してもらえる自信があった。

 けれども、エグジの頭の中は停止してしまったらしく、ピクリとも動かない。

 そのまま、沈黙。

 見かねたのか、エランが頭を押し付けて、エグジの背を押す。

 よろよろと私に近付き、そして目の前でエグジは両膝をつく。

 今度は、両手を伸ばした。わなわなと震える手も、煤のようなもので汚れている。

 私は気にせず、エグジの手を掴む。


「……ただいま、エグジ」


 力なく微笑んだ。

 エグジの目から、大粒の涙が溢れ出す。

 ポロポロッと涙は地面へと落ちていった。


「師匠? リリカ師匠?」


 泣きながら確認するから、私は頷いて見せる。


「リリカ師匠っ!!」


 堪え切れず、エグジは声を上げて、私を抱き締めた。

 嗚咽を溢しつつ、泣きじゃくる。

 エランに再び杖を持ってもらい、精一杯両腕でエグジを抱き締めた。

 昔に比べて、かなり大きくなったエグジの背中は広く感じる。

 私が小さくなったせいか。

 ひくひくっと肩を震わせて泣いていたけれど、エグジはやがて静かになる。

 どうやら、寝落ちたらしい。


「しょうがねー奴」


 スクリタが、エグジの身体を浮かせて運び始めた。

 エランから杖を返してもらった私もついていく。


「また会えて嬉しいです、リリカ様」

「私もよ、エラン。我が家に帰ったって聞いたからすぐ戻ると思ったのだけれど、飛んで戻ったにしても時間がかかりすぎるわね。どこに行ってたの?」

「……悪魔を訪ねに行っていたのです」


 白状するエランを見てから、宙で浮かぶエグジを見た。


「まさか! 取り引きしてないわよね!?」

「ええ、しておりません。ご安心を」


 エグジが悪魔と取り引きしたのかと焦ったが、エランは安心させてくれる。


「棺が空だったので、エグジもアルテも取り乱しまして……アルテは魔王の仕業だと思いすぐにいなくなってしまい、エグジと自分は外にあった悪魔らしき痕跡を見付けたので、悪魔の崖に向かったのです」

「あの煤みたいな汚れは、瘴気の立ち上る崖に行ったせいなのっ?」

「自分には瘴気は効きませんでしたが、エグジには毒のように効いてしまい、回復を待ってから飛んで戻ってきたのです。悪魔は見つけられず……仕方なく戻ってきたのです」


 瘴気を浴びたのか。

 そう言えば、瘴気から身を守る魔法なんて、教えたことなかった。

 瘴気のある場所なんかに行くわけないから、教えようとも思わなかったのだ。


「しょうがない子! スク、私の部屋に運んで」

「わかってる」


 瘴気の毒を解毒する薬を作るために、私の部屋に設けた調合のスペースでさっと薬を作る。

 寝込んだままのエグジに無理矢理飲ませることに成功。

 その服のままでは寝かせられないと脱がせ始めたが、二人と一匹に止められた。

 一度、追い出されてしまう。私の部屋なのに。

 エランと部屋の前で待っていて、気付く。


「なんでアルテは戻らないの? シャンテが連れ去ったって誤解、すぐにとけるでしょう。遅すぎない?」

「……わかりません。魔王シャンテを見たのは、リリカ様が……」


 エランが言葉を詰まらせる。


「私が死んだ日から見てないの? 会ってないの? 墓参りにも来てないわけ?」


 最後のは冗談と笑った。

 でもエランは真面目な顔つきで続けた。


「エグジ達が禁じたからです。リリカ様。あなたをアンデットにするしかないと言い出したので」

「あー聞いたわ。元々仲が良いわけじゃないから、アンデットにしようとして余計、か……」


 私は自分の額をこつこつとつついて、唸る。


「なんで皆無茶するのかしら!」

「……リリカ様。リリカ様だって、弟子の誰かが唐突に亡くせば、きっと無茶をなさるでしょう?」


 ぐうの音も出せない。


「シャンテにも会わないと。アルテを迎えに行こう」

「こーら。だめだよ」


 床に叩きつけようとした杖を取り上げられた。

 真上を見上げて後ろを確認すれば、ジェフだ。


「もう遅い。君にも睡眠が必要だよ」

「でも、まだアルテが」

「眠り粉をかけられるか、自分で寝るか、どっちがいい?」

「むぅ!」


 眠り粉をちらつかせるジェフの前で、地団駄を踏み、仕方なく部屋の中のベッドに向かう。


「怒った顔も可愛いよ、リリカ」

「うるさい! おやすみ!」


 私はスクリタとエグジの間に潜り込んで、眠ることにした。

 シャンテのことだ。

 きっと、私の弟子であるアルテを傷付けたりしない。

 アルテが魔物嫌いだとしても……。

 きっとね。



 

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