14 孤独と安らぎ。(アルテ視点)


 とても温かい魔力に包まれて、何日も眠っていたらしい。

 目覚めれば、青に艶めく白の部屋にいた。

 身体がだるい。まだ眠っているように頭が回らない。

 あの女が。

 わたしに笑いかけてくるけれど、特に何も感情は湧かない。

 食事をもらった。

 そして、頭を撫でられる。

 そうされるのは、いつぶりだろうか。

 母がしてくれていた。

 それを思い出して、涙が溢れる。

 涙を拭われた。その指の温かさは、知っている。

 眠っていた間も、感じた。

 この人に。

 涙を拭われるのは、初めてじゃない。


「……少しは安らげた?」


 優しい声。

 そして、優しい茶色の瞳。

 そうだ。私は安らげた。

 いつぶりだろう。

 私は、安らぎを感じて、眠っていた。

 このベッドには、彼女の魔力を感じる。

 温かな魔力。だから、私は安らぎを得たのだろう。

 この人に、安らぎをもらった。

 そんなことをぼーっと考えていれば、彼女は告げる。

 精霊の森に行こう、と。

 転移魔法で、また魔力を感じた。

 温かい魔力。黄金色の煌めきが消えたあと。

 わたしは精霊の森にいた。

 外部から来る者を許さないとされる木の精霊様が、管理する偉大な森。

 あの人とは違う。爽やかなハーブのような魔力を感じた。

 森全体にある。いいえ。きっと多分、空気中にもある。

 精霊様の魔力が、ここに飽和していた。

 ただでさ立っているのもやっとなのに、あの人は進む。

 とても気楽そうな彼女のローブを掴んだまま、なんとか歩き続けた。

 わたしと獣人の少年と人間の少年が立ち入る許可を得ていないなんて言うから、わたしは失神しそうになる。

 逆鱗に触れたら、どうなることやら。

 木の精霊様は、崇める対象。絶対に、怒らせたくない。

 ここから去りたかったけれど、見とれていた。

 森の中の生き物達もそうだけれど、違うのだ。

 わたしが見とれていたのは、彼女。

 生き物達と戯れる姿。

 意思の疎通が出来るからって、好かれるかはどうか別の話。

 彼女は、愛されていた。

 そして、新しい生き物を創造する魔法を作ったことを知り、驚愕する。

 完璧な魔力回復薬を作ったことは知っていた。

 でも、新しい生き物を生み出すなんて。

 見た時は、幻影か何かだと思っていた。

 でも、生き物。全く新しい種族。

 しかも、知能は高く、喋った。

 驚いている間に、木の精霊様と会う。

 偉大な精霊様。

 なるべく怒らせないように、息を潜めた。

 そんな相手に、彼女は明るく話す。

 ため息をついたけれど、木の精霊様から滞在の許可は、あっさりともらえた。

 木の精霊様にも、好かれているようだ。

 呆れられていたけれど。


「あ、あの……不老不死の薬を飲んで、副作用はなかったのですか?」


 不老不死の薬を作って飲んだという話が気になってしまい、野菜を採りながら訊ねてみた。


「んー、なかった。とは思うよ。覚えてないほど泥酔してたから、きっと手元が狂って失敗したのね」

「人を不老不死にする薬なんて……不可能かと」

「いや可能だよ。多分ね。あの夜は思いついたから実行に移したはず」


 土から引き抜いた人参の泥を振り払いながら、彼女は言い退ける。


「思い立ったら、すぐ行動がモットーなの。アイデアは頭の中で生まれる。だから形にしなくちゃ、ないと同じ。私の世界ではね、”英雄とは、自分のできることをした人である”という名言があるの。続きはこう、”ところが凡人はそのできることをしないで、できもしないことを望んでばかりいる”」

「……あなたは英雄だから、行動するって意味ですか?」

「あ。英雄だったね、私」


 クスクスッと彼女は笑う。今まで忘れていたみたいだ。

 この世界を救った英雄だと忘れていたらしい。


「私は凡人ではなく、天才。だから、名言を正しく変えるなら”天才とは、自分のできることをした人である”だね。できることを行動する。英雄も天才も、行動しては、偉業を残す。私はできると思ったことは、したいんだよ。むしろしなきゃ気がすまない」


 なんて、悪戯っぽく笑った。


「天才魔導師だからね」


 長い髪を右手で掻き上げると、さらっと靡かせる。

 天才魔導師リリカ。

 戦争の時、超巨大範囲の攻撃魔法を放った姿を見た。


「……あなたは……魔物を根絶やしにできたのに、しなかった」

「できると思う。でもしないよ。前の魔王と同じにはなりたくはないもの。あなたの故郷を滅ぼした魔物と同じにはならない」

「……」


 ふぁさーっとそよ風が吹いて、わたしと彼女の髪や服を靡かせてくる。


「この森は素敵だよねー。心が穏やかになって、安らぐ」


 穏やかな声を伸ばして、彼女は深呼吸をした。


「あなたの森は、どんなだったの? 賑やか? 穏やか?」

「……両方」

「そう……寂しいでしょう」


 彼女の手がわたしの肩に触れて撫でてきたけれど、振り払う。


「あなたにはわからないっ! 世界でたった一人になる孤独なんて!」


 言ってしまったあとに、思い出す。

 彼女は、異世界から来た。

 家族と引き剥がされて、独りだ。


「……世界でたった一人の孤独、ね」


 笑う横顔は、悲しげだった。


「仲間、は?」

「聞いてないの? 勇者と聖女は帰った。まだ未成年の子どもだから、家族の元に帰してあげた」


 仲間がいたはず。勇者と聖女。

 でも二人は、帰ったという。

 戦争のあとは魔物退治に明け暮れていたから、知らなかった。


「なんで、あなたは」

「残ったか? そうするしかなくてね。術者自身は、移動出来なかったの。だから私だけ残って、見送った」


 異世界で、独りになった人。


「世界でたった一人は寂しいから、精霊のお酒を飲んで泥酔してたの」

「ごめ、なさい……」


 彼女だって、わかっているんだ。

 世界でたった一人の孤独も、寂しさも、悲しみも、苦しみも――。

 わたしが味わったそれを、彼女は知っている。


「謝らなくていいよ、アルテ。私は友だちが出来たし、弟子もいる」


 彼女が振り返ると、離れた場所で野菜を採っていた弟子と獣人の少年が立っていた。

 どうやら、弟子の方も初耳だったらしい。

 涙を浮かべた目を、見開いていた。


「独りじゃない」


 独り、じゃない。


「……わたしも」


 また涙を溢れさせてしまいながらも、わたしは声を絞り出す。


「孤独はもう嫌」


 もう、嫌。嫌だから、どうか。


「弟子に、してください……」


 ポロポロッと目から涙を溢して、頼み込む。


「わたしの師匠に、なってくださいっ」


 瞬いて涙を落として見えた彼女の顔は、仕方なさそうに笑み。

 そして頬を伝う涙を、親指で拭ってくれた。


「なんか私に弟子入りする子は、泣いてばかりの気がするわ」


 優しい笑みで、彼女は言ってくれる。


「二人目の弟子だ、アルテ。よろしくね」

「っ、うっ……ううっ」


 泣きじゃくるわたしを、彼女は抱き締めてくれた。


「独りじゃないよ」


 その言葉に、どれだけ救われるか。


「おい、待てよ! オレが二番目だろう!?」

「え? スクリタも、弟子になりたかったの?」

「弟子候補だって言ったじゃねーか!!」


 急に騒がしくなった。獣人の少年のせいだ。


「もういい! 一番強いやつが一番弟子にしようぜ!!」

「なっ! 一番弟子は、おれだ!!」

「一番ガキで無知なくせに!! この天才の一番弟子なんて名乗るなんておこがましいぞ!!」

「こらこら、喧嘩しないの」


 わたしの肩をぽんぽんっと撫でながら、彼女は二人の口論を宥める。

 でも、獣人の少年はやめなかった。


「やめなさいっ! 師匠と精霊様を怒らせないで!!」


 立ち上がって、ぺしっと獣人の少年の頭をはたく。

 よくよく見たら、瞳が赤い。魔族の血を持っている。


「ふざけんなエルフが!!」

「何よ魔族!!」

「こーら。喧嘩しないの」


 師匠も立ち上がると、呆れたように肩を竦めた。


「スクリタ。弟子になりたいなら、そう頼んでからにしなさい」

「うっ、ぐぅ……」


 魔族と獣人の少年は、押し黙る。


「師匠! こんな粗暴なやつ、弟子にすることないです!!」

「てめぇに決める権利ねぇだろうが!! 泣き虫エルフ!」

「アンタと違って二番弟子なんだからあるのよ!! この粗暴魔族!!」

「それ以上口論するなら、杖で頭叩きのめすわよ? 痛いって知ってるよね? スクリタ」


 反対意見を言うけれど、口論をやめないと持っている杖で殴られそうだったので口を閉じた。

 それに見張るように見てくる精霊様も、不機嫌な顔付きになっている。

 スクリタと呼ばれる少年は、頭を押さえて縮こまった。


「今は精霊の森にお邪魔しているのだから、静かになさい。帰ってから話しましょう」


 スクリタとギロリと睨み合ったあと、わたし達はぷいっと顔を背ける。

 それから、採取を続けるリリカ師匠に、ぴったり寄り添う。

 温かい魔力を感じて、心から安らぎを感じた。



 

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