05 恋する魔王。(シャンテ視点)


 魔導師リリカ様の部屋を訪ねれば、朝と昼の間の時間帯だというのに、ベッドで眠っていた。

 両手両足を投げ出すように仰向けに眠っている彼女の格好は、白いブラウスと黒のズボン。そしてローブをつけたまま。

 さらには、腰には装備と言えるポーチなどがつけられたまま。

 すぅーっと息を吸い込んでは、ふぅーっと息を吐き出す。規則正しい寝息。

 しかし、ちょっと苦しそうに何度かベルトをずらす。それでも深い眠りについているようだ。

 私がそばに立っていても、目覚める気配はない。

 手を伸ばしてみる。

 悪意がないから、魔法壁は発動しない。

 首の前で結んだ紐をほどけば、肩から掛けているローブは外れた。

 口を少しもごもごさせた彼女は、やはり起きない。

 指先を彼女の胸の上まで移動させて、一つだけボタンを外した。

 胸の谷間が、露になる。

 膨れた胸に触れることなく、さらに下へ手を移動させた。

 腰のベルトを外す。


「んー」


 声を漏らす彼女の腰の下に手を滑り込ませて浮かせ、そのまま装備を引き抜く。


「あっ、んぅ」


 腰を撫でるように触った瞬間に漏れた声に、ぞくりと興奮を覚える。


 今の……甘い声……。


 好奇心から指先で薄いブラウスの上から、腰を撫でつけた。


「んっ、あ」


 腰を自ら浮かせて、また甘い声を漏らす。

 ぞくぞくっと、さらに興奮を覚えた。

 私に触れられて、甘い声を出してくれている。

 欲望が、溢れ出る。


 ――欲しい。

 彼女が欲しい。

 もっと。その声を聴かせてほしい。

 私に触れられて、快楽を感じて、甘い声を溢れさせたい。

 初めて会ったあの日。

 私に向かって笑いかけてきた顔を忘れられない。

 戦いの最中だというのに、無邪気な笑みだった。

 縁などないと思っていたが、これを恋と呼んでもいいだろうか。


 持ち上げた腰をゆっくり下ろし、彼女のブラウスに手をかける。

 ボタンを下から一つずつ外してしまおうとしたが、その前に忍び寄る気配に気付く。

 振り返る前に、首を掴まれた。


「オレの女だぞ」


 オーガの王が、そこにいる。

 この巨体が近付くまで気付かなかったとは、不覚だ。

 それほど、彼女に夢中になってしまっていた。


「それは断られたはず」


 オーガの王のものになることを、リリカ様は断ったと耳にしたのだから、この男が”オレの女”呼ばわりすることに不快感を覚える。

 当の本人はベルトが外れて身動きしやすくなったため、寝返りを打っては丸くなり、深く息を吐いた。


「貴様は承諾をもらったとでも言うつもりか?」

「……何しに来た?」

「何しに来たと? 承諾をもらいに来た。抑止力のために作られた王の分際で、このオレと同等だと勘違いしていないか? そんな口の利き方をするならば、握り潰してくれてやろう」


 ぎしっと首が軋んだ。

 攻撃をするのならば、こちらも攻撃をするつもりだった。

 他種族の王など、どうでもいい。

 私が心から傅きたい相手は、目の前で眠っている彼女だけなのだから。


「あの。何をなさっているのですか?」


 そこに子どもの声が響いた。

 見れば、トレイを持った少年が戸惑ったように見上げている。

 確か……この国の王の息子。

 勇者と聖女が帰った日に、リリカ様を抱き締めていた王子だ。


「女性が眠っているのに、そばで何を……?」

「よう、ジェフ。お前こそ、なんで来た」

「最近の習慣です。リリカ様を起こしに来たのです」


 私の首から手を離すと、ニカッと笑いかけるオーガの王。

 ジェフと呼ばれた王子は、どこか自慢げに胸を張っては、リリカ様の元まで行く。


「リリカ様。もう起きてください。あれほど飲みすぎはやめてくださいと言ったではないですか……飲み物を持ってきましたよ。飲んでください」


 ベッドに乗ると、ぺしぺしっと頬を叩いた。

 呻くだけでリリカ様は、まだ起きない。

 ぺしぺしっ。ぺしぺしっ。


「わあったよ! ジェフ!」


 しつこさに負けて、リリカ様は飛び起きた。

 ぐらりを頭を揺らしては、目元を擦る。


「はい、温かい蜂蜜入りのオレンジの紅茶です」


 満面の笑みで王子はコップに注いだ紅茶を差し出す。


「あーりがとぉ」


 眠気たっぷりの声を伸ばしては、受け取り、ふーっと息を吹きかけて飲む。

 今日初めて、彼女のうとうとした視線が、私に向けられた。


「なんで二人ともいるの? 変な組み合わせ」


 私とオーガの王のことを言っている。特に驚くことなく、飲み干すとおかわりを求めた。


「リリカ様。昨夜はお酒を飲んでいる最中に消えたと聞きましたが、どちらに行っていたんですか?」

「んぅ? どちらって……あれ? 私どこ行ったんだっけ……?」


 王子の問いに、リリカ様は首を傾げる。


「んーう。あっ! 精霊の森に行ったわ」

「リリカ様だけが自由に出入りできるという、植物の宝庫である精霊の森に……?」


 今度は、王子が不思議がって首を傾げた。

 リリカ様は、パッと明るい笑みになる。


「思い出した! 不老不死の薬を作りに行ったんだ!!」


 オレンジが香る紅茶を飲み干すと、ベッドから飛ぶように出た。

 そして、部屋の隅の本が積み上がっている机に向かう。

 私はリリカ様についていこうとしたが、足元に小瓶があることに気付く。

 拾ってみる。空の小瓶だ。


「不老不死? 人間が、不老不死になる。そんな薬を作ろうとしたのか?」


 オーガの王は、確認するように問いかけた。


「そうだよ」

「ぶっはっはっ! そんな願望を持っていたのか?」

「いや? 別に不老不死になりたい願望は持ってないよ、ぴちぴちの十六歳だったら願っていたところだけれど、三十歳だよ?」

「まだ若くて綺麗だ」

「ありがとう、陛下」


 笑うオーガの王に言葉を返しつつ、リリカ様は本のページをめくり、何かを探している。


「でも! 作れるのですか? そんなおとぎ話みたいな薬!」

「可能だよ! 私を誰だと思っているの? 天才魔導師凜々花様よ?」


 追いかけて来た王子に、額から髪を掻き上げて、決めポーズをするリリカ様。


「と、言いたいところだけれど……思い出せない」


 言葉を付け加えては、本をぱたんと閉じた。


「はぁー酔ってたからなぁー。レシピを書き留めるの忘れたみたい。作った……気がするのだけれどなぁ。うん、作ったはず。作ってから寝るって決めたもん」


 髪をぐしゃぐしゃに掻き乱しながら、リリカ様は机から移動して、隣の鍋を覗き込む。

 そして、スンスン、と鍋の中を嗅ぎ取った。


「作った形跡はあるなぁー。あれぇええ? 不老不死の薬、どこだろう」

「あの」

「なんか誰かが天才なら作れるだろうって言い出したから、私は精霊の森に行って……そこで成長を止める植物をもらったはず」

「あの、リリカ様」

「何よ、今思い出そうとしてるの、シャンテ。邪魔しないで」

「空の小瓶がベッドのそばに落ちていますが、関係はありませんか?」


 ぴたり、と動き回っていたリリカ様は止まる。

 そして私の元まで駆け寄ってくると、手にした小瓶を私の手ごと掴んだ。


「……覚えのない小瓶」

「つまり?」

「中身は……一滴もない」


 小瓶の中身を匂いを嗅いで、小瓶の縁をぺろりと舐めて、調べた。

 私に小瓶を持たせたまま、リリカ様はぱっと離れると笑い出す。


「あっはっはっはっ!!!」


 お腹を抱えて笑う。


「どうした? リリカ」


 オーガの王は、笑う理由を聞いた。


「不老不死の薬、自分で飲んじゃったかも!!」


 ゲラゲラと笑いすぎて、涙まで出したリリカ様は言い退ける。


「は? 一晩で……不老不死の薬を作り、自分で飲んだと? しかも記憶にないほど泥酔しながらも?」

「うん、うふふっ! やっちゃったね!!」


 笑いが止まらないと言った様子で、リリカ様はオーガの王に答えた。


「だ……大丈夫、なんですか? 成功なんですか?」


 おろおろしだす王子は、リリカ様の身体を心配する。


「さぁ? 試しに死ぬわけにもいかないし、十年待ってみなきゃわからないね。はぁーどうしよう……作り方を思い出さなくちゃ、治す薬も思い出せないもんなぁー。この姿で永遠に生きるわけにはいかないなぁー嫌だなぁー」


 私は構わなかった。

 永遠に、生きてもらえるなら――……。


「どんな不老不死なのだ? 本当に老いることなく、死ぬこともないのか?」

「わからないよ、陛下ぁ。覚えてないもん。材料を思い出せれば、効果もわかるはず! ちょっと静かにして!」


 両手を突き出して、私達に沈黙するように要求したリリカ様。

 すぐに目を閉じては、こめかみをこねくり回す。

 少しの静寂のあと。


「だめだ。断片的にしか、覚えてないわ……」


 力を抜いたように肩を竦めて、ベッドに飛び込む。


「思い出して、解く薬を作るべきではないか? 不老不死の薬だ。どんな副作用があるかもわからない」

「それな!!!」


 オーガの王の言葉に、声を上げて飛び起きるリリカ様。


「副作用……。今のところ、身体に異変は感じませんか?」

「そう言えば、頭も身体もだるい気がっ!」


 私の問いに、リリカ様は深刻そうな顔をした。


「遅くまでお酒を飲んでいたせいでは? ここ毎日そんな体調不良を訴えていたではないですか」


 王子が、指摘する。

「そうだった」とケロッとしたリリカ様は、背伸びをしては身体を左右にひねって、両足を順番に上げた。

「普通かな……」と変わったところはないと自己診断する。


「覚えている材料から、効果は推測出来ないのか?」

「成長が止まる植物で、老化を止めようとしたなぁ。効果を倍増させるために、賢者の石のエキスを三滴入れたことは覚えている。あとはなんだったかな……」


 私はオーガの王に答えたリリカ様の言葉の中に、聞き間違いではないかと思う単語を聞いて顔をしかめてしまう。

 オーガの王と王子は、瞠目したようだ。固まってしまっている。


「リリカ様。今、なんと仰りました?」

「あとはなんだったかな」

「その前です」

「ああ、賢者の石のエキス?」

「賢者の石のエキスとは……なんですか?」


 リリカ様はベッドそばに立てかけた杖を持つ。そして先にある赤い石を指差した。


「賢者の石」

「賢者の石」


 思わず、オウム返しをしてしまう。


「便利だよ。効果も威力も倍増させてくれるから、杖につけた。その力を抽出して、エキスを作ったんだと思う」

「ちょっと待て。今まで所持していたことにも驚きだが、待て。どこで手に入れた?」

「賢者の石って! なんでも願いを叶えてくれるおとぎ話の石では!?」


 オーガの王はあくまで冷静を装いながら、出所を尋ねた。

 王子は驚愕を隠せないでいる。

 そんな王子と視線を合わせるためにしゃがんだリリカ様は答えた。


「違うよ。大昔に魔導師が作った賢者の石は、なんでも増幅装置ってところだね。効果も威力も、倍増にして力を与えてくれる最強の素材」


 それから、オーガの王を見上げる。

 

「ちゃんと魔導書に書き記してあったから作った」

「賢者の石を作った!?」

「うん、古代文字で書いてあったけれど、学んだから作れた。天才魔導師でごめん」


 ケロッと言い退けるリリカ様は、立ち上がると同時に髪を掻き上げて決めポーズをしたのだった。


「でも杖の賢者の石から力は抽出してないみたい……新たに作った賢者の石から抽出したんだね、きっと」


 我々を驚愕させていることに気付いているのか、気付いていないのか。

 リリカ様が杖の中の賢者の石を覗き込んだあと、椅子に座った。


「賢者の石の力を身体に取り込んで、本当に副作用がないのか?」


 心から心配した様子で、オーガの王は片膝をついて、リリカ様を見る。


「異変はないよ。ステータスだって……不老不死の称号もついてないわ」


 ステータス。称号。

 なんのことかわからないのは、どうやら私だけのようだ。


「失敗したのね。酔ってたっし……。ま、いっか。不老不死なんて望まないしね。ある方が厄介そうだ」

「それもそうです! リリカ様、酔い潰れるのはおやめください……泥酔したまま、どこかに行くことも」


 リリカ様の手を取ると、握り締める王子。

 前も思ったが、馴れ馴れしいな、この子ども。


「では、ヤケになって酒を飲み干しているという噂は本当か?」


 にやり、とオーガの王は笑う。


「寂しさを埋めてやるのに、何故オレの元へと来ない?」

「また求婚しに来たの? 陛下」

「親しく、ロゾと呼ぶがいい」

「お断りしたでしょう、ロゾ」


 やれやれと言った様子で、肩を竦めるリリカ様は、オーガの王から私に目を向けた。


「シャンテはどうしたの?」


 私の訪問の理由を問う。


「弟子候補を見付けました。その報告に参りました」

「弟子候補? 探してくれていたの?」

「当然です。私めが提案したのですから、探しておりました」


 きょとん、としたリリカ様は、大きな茶色の瞳を瞬かせた。

 私は胸に手を当てて、丁寧に傅く。


「ご案内いたします」


 十年後、私は後悔をする。

 この時、彼女が飲んだ薬について、忘れさせたままにしてしまった。

 そうすれば――――私は彼女を失わずに済んだ。



 

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