裏庭日記/孤独のわけまえ

中田満帆

第5話 シンプル・メン



 映画館に着いた。声の主を求めてわたしは扉を叩いた。はじめにレッドネックがでた。わたしを招き入れて舞台まで歩く。スクリーンのまえにはY、裏にはfiveと、見たことのない顔があった。かれが社長ことスコフスキイだった。緑色の眼でわたしを見る。太りかけたからだをスーツで匿い、銀縁の眼鏡が光ってみえた。楽に話しを進めようとかれはいった。登場人物全員が焦ってた。出し抜かれまいとゲームを始める。ナイト、クイーン、ポーン、あるいは桂馬。机のしたで足を蹴り合う子供みたいに、意地のわるさが際立ってる。わたしはだれを殺すのか、だれから殺すのか、だれがいちばんロージーを苦しめたかを算段に入れた。そいつはスコフスキイと、ハンクだ。

   狙いはなんだ、現ナマか?

  そうだ、──でも贅沢はいわない。

 Yとfiveはわたしを睨みつけ、牽制する。社長はレッドネックを呼び、金を持ってくるようにいった。指3本を突きだした。わたしはナイフの柄をポケットのなかで握った。やがて現金が来て、社長が受け取った。素早く勘定を済ませ、わたしのほうに差しだす。立ちあがってテーブルを見下ろした。不意にうしろから撲り倒された。レッドネックだ。長いあいだ眠った。ひさしぶりに眠ったような気がする。夢のなかでテープレコーダーがまわってる。録音室らしい。でも歌手も技師もない。わたしはだれかのために青い馬を育ててる。首のみじかい、おかしな馬だ。やがてレコーダーがとまって、スピーカーから滝田の声がした。わたしはかれに助けを求める。

 テーブルのうえにわたしがいた。からだを縛られ、どうしようもない。足も手も首もだめだ。社長がわたしを見下ろしてた。自由になりたいか?──自由には金がかかるんだよ。きみは少しばかりついていた。でも、まちがった道を歩いてたんだよ。──わたしは黙って天井を見た。蜥蜴のマリアッチが描かれてる天井をだ。なぜこんなところにいる? ツアーはどうした? 音楽はどうしたんだ?

   きみがYやfiveを殺るのなら放してやろう。

   わたしに忠誠を誓うんだ。

 選択の余地はない。けっきょくわたしは1週間でふたりを殺すことになった。わたしはあたらしい銃とナイフを授かった。黒人には気をつけろともいわれた。わけは訊けなかった。それから町へでて、あたらしい宿に就いた。ラジオに耳を凝らした。Cursiveの"What I have done" が流れている。懐かしい歌だ。ひとりぼっちでアルバムを聴いていたときをおもいだす。

 わたしがYを殺ったのは火曜日の雨の日だった。午後6時、ダンスクラブのマスターとして働きにいくかれを尾行した。車はスコフスキイが手配した、ラッピング・トラック。炭酸ジュースの広告がでかでかと載ってる。やつが駐車場に車を停めた。車を降りた。店へ入る。姿は消える。わたしはトラックをやつの車のまえに停めた。でられないように。ラジオに耳を傾け、口笛を吹く。そしておれも姿を消す。夜になって霜が降りてきた。やつが駐車場にもどるまで、手前のレストラン・バーで食事をとった。ありきたりのステーキに、つけあわせの野菜と赤インゲン豆、そしてコーヒーを味わい、窓の隅から様子を伺った。やつは駐車場で慌ててた。携帯電話でどこかへかけている。おそらくそこの管理人だ。わたしはバーをでる。ポケットのナイフに祷った。やつを殺させてくれ。お願いだ。ロージーのためだ。

  どうかしましたか?

   車がだせないんだ。

 Yの顔が一瞬、静止した。声もない。

   なにしに来たんだ?

  車を取りに来たんですよ。

 ナイフでやつの腿を刺した。下から突きあげるようにして。感触はない。倒れかかったやつを蹴りあげ、脇腹から腰を抉った。やつは膝を折って崩れ落ち、頭を打って仰向けになった。雨が血を洗い、やつのからだから体温を奪っていく。死はもうじきだ。わたしはトラックに乗って走り去った。そのあいだずっとハミングしてた。ラジオから流れる、Joy Divisionに。《But I remember when we were young》──わたしはまた宿を変え、考えた。愛についてどれほど勇敢であっても、感情にふりまわされる愚かものであってはいけない。つぎはfive医師だ。かれをどうするか。おれはなぜこんな諍いにこだわり、ひとまで殺すのか。殺せるのか。ずっと心のなかにあった復讐心かも知れない。父への、母への、同級生たちへの。

 医者は隣の村に棲んでた。金曜の夜。寒さはずっとひどい。家はくすんだ黄色や灰色になって、植え込みの植物は伸び放題だ。荒んだ生活が見えた。しかし、車は真新しいアウディだ。道へ油を撒く。車の動線にたっぷりと注いだ。朝、車はおもいどおりに滑って、路肩に突っ込んだ。わたしはやつを助けるふりをしてドアをあけた。エア・バッグが作動し、やつは気を喪ってる。わたしはやつを棍棒で叩き殺した。返り血が顔や服を濡らした。いい気分じゃない。わたしはじぶんの車に乗った。またしてもラッピング・トラック。顔を洗い、服を着替え、タオルと一緒に荷台に隠した。もちろんのこと、警察だって黙っちゃなかった。いくら内通者がいようが死人が多すぎる。それにおれは失った仲間を待つひとりのよそものだ。叩けば埃がでる。おれはロージーのところへいった。あとひとり、スコフスキイさえ殺してしまえば終わりのはずだ。そう信じてかの女を抱いた。電話がかかってきた。ハンクからだ。

   この豚殺しめ!

  いきなりなどうしたんだ?

   おれは失せろといったはずだ。

   なぜまたおれの妹に手をだすんだ?  

  かの女を傷つけたひとりはおまえなんだぞ。

  いったいどの口がいってるんだ?

 わたしは怒って電話を切った。

  ここからでよう、ロージー。

   だめよ、わたしは。

   もうなにもできやしないって。

 長いあいだ、窓を眺めた。どこにも警官の姿はない。だが確かにリストには入ってるだろう。やがて夜になって、ロージーは眠った。アルコールと睡眠薬をまぜてた。とめようとしたときには、もう口のなかだった。わたしはかの女を寝台まで運び、寝かしつけた。坐ってかの女を眺めた。おれはどうしても、かの女から離れたくなかった。ハンクの白いピックアップがモーテルの裏手に駐まり、かれが降りて来た。まっすぐこちらにむかって来る。そして寝台のロージーを見、わたしを見た。

   組織のやつらを怒らせたみたいだな。

  ああ、そうらしい。

   おまえは何人、殺すつもりなんだ?

  わからない、ただかの女を救えればいい。

   おまえなんかに救えるはずがないさ。

  薬はあんたが渡してるみたいだな?

 長い沈黙がずっとつづき、やがてハンクは階下へ降りていった。そしてそのまま朝までどっかに消えた。光り。翌朝、わたしはやつを問いつめた。やつはたやすく吐いた。ロージーのために薬を買ってること、ふたりは近親相姦まがいの仲であること、その暮らしをずっとつづけるために組織とつながってると。関係を解消する気はない、やつはそういった。わたしはやつを撲り飛ばしていった。

  そんなことはまちがってる、もうやめるんだ!

   いやだ!

  ぼくはロージーが好きだ!

 騒ぎを聞いてかの女が降りてきた。

 「なにをやってるの?」──わたしはなにもかもをぶちまけた。かの女は怒ってわたしの襟を掴んだ。──あなたにはなんの関わりのない話よ。さっさとでてって殺しでも繰り返せばいいわ。なんたってあなたがいちばんの鴨だもの。たかがひとりの友人がいなくなったからって大騒ぎして、情けないとは考えないの!──わたしを連れて去りたいなら、そんなことはもうほっとくべきよ!──ロージーが吠えた。

 わたしはなにもいえなくなって立ち尽くす。太陽がじりじりと高くなる。わたしはふたりを宥めすかし、ベッドに横になった。やがてロージーがわたしを慰めに来た。酔ったロージー、キメたロージー、憐れなロージー。わたしはかの女の愛撫に応えて、抱き合うと、シャツを脱いだ。もちろんズボンだって。




 やさしい、

 しとやかな痴性に埋もれて、

 ぼくは暮したい


 夏の絵葉書

 禽獣を描いて閉じ込める


 まったく人間というのは善を圧倒し、

 悪を見ない

 それぞれがそれぞれの失寵を懼れ、

 軛を待つ

 水平線のむこうがわで

 神々よりも退屈した男が携帯テレビジョンで日本の話芸を観る


 平和があるかぎりにひとは敵を欲しがる

 われわれは手を洗うまえにきみを殺したい

 われわれが愛し合うためにも 

14/06/24





















 家にはいられない。またしても愛隣地区へいった。そしてセンター付属の病院で診察を受けた。精神科を受けたいというと入院できた。おれのあたまのなかには、世界の果てが、ここではないどこかがあった。ジャックスの「腹貸し女」を聴き、モンティ・パイソンを聴き、婦長から借りたジャニス・ジョプリンを聴く。外出禁止だった。毎日、ブラックコーヒーを呑み、詩や散文を書いた。あるとき、看護婦に本を買いにいってもらった。ブコウスキーの詩集「モノマネ鳥よ、おれの幸運を願え」だ。こいつは難ものだとおもった。どう読めば、愉しめるのかがわからない。不眠症の夜、おれは突然なにもかもがわかった。ブコウスキーの詩を愉しめるようになった。とくに「鼡」という詩がよかった。おれは新聞記事を読み、それを引用しながら「広告」という詩を書いた。つぎつぎに詩が生まれた。どれもひとびとや歴史や文化を憎悪してた。「喫煙所」、「天使」、「停留所」、「脅迫者」、「検品」、「前線」、「不眠」、「吉報」、「正午」、「悪意」──悪態をつき、世界を罵った。

 ひと月経ち、丹比荘病院の精神科へと移された。そこは男女共同だった。鳥取さんという女の子がよく話しかけてきた。長尾という老人とも親しくなった。おれは新訳のホイットマンと万葉集を買って読んだ。絵を描き、詩を書いた。そこへ背広をきた憂鬱の大きな塊りが「わたしも絵を描きたい」、「わたしも詩を書きたい」といって近づいてきた。やつはどの患者からも毛嫌いされてた。おれは画材を貸してやった。顔も見たくはなかった。みんながいった、相手にするなと。おれは詩をまとめ、冊子をつくった。そいつを永易に送った。

 長尾老人の使いにいったり、外で酒を呑んだり、おれは満喫してた。高価い葉巻を買って喫煙所で味わった。森先生にも作品を送った。だがあるとき、飲酒がばれてしまった。引き出しに隠してたワインも見つかった。おれは牢獄へ入れられた。そしてそこをだされ、いつ外出が自由になるかと医者にいった。にやにやしながら医者はいった。──きみはずっと外出してていい、退院だ。看護師たちがでていけと促す。おれは慌てて長尾老人のところへいった。

 ここを追い出されるんです。お金を貸してくれませんか?

  きみにはまえにもあげたよ。

 この絵をあげます。これでどうか──じぶんの描いた静物画を渡した。

  わかったよ。きみに投資する。

  話もおもしろかったし。

 2千円を得て西成区役所へいった。保護科から精神福祉士を紹介された。アルコール症であるのを話し、入院への検討が始まった。けれども、けっきょく実家に連絡されてしまった。父がでて迎えにいくという。おれは切符代を渡された。12月の寒さのなか、駅に降り立つ。雪が降りそうだった。やがて父の車が見えた。乗り込んだ瞬間から面罵された。正月までに仕事を探す約束をさせられた。

 おれは夜勤の荷物流しになった。昼は、シャンプーの箱詰めをした。どちらもくだらないことだった。おれはサラ金で10万を借りた。上津台へいき、アウトレットモールで半額のダウンを買った。9千円。廊下で父に出会した。──そんなもん買う金あったら、全部よこせ。

  なにいってるんだ、仕事するにも金がいるよ。

   だったら早くでていけ!

  防寒着ぐらい仕事にはいるだろ?

   そんなものぜんぶワークマンで買えるわ!

  飯代やガソリン代はどうするんだ?

   さっさと金をだせ!

 こんなやつと話すのはむりだ!──おれはカブに跨って仕事にいった。たった2日で仕事を辞め、20万を借りた。愛隣地区のどや街、おれは安いホテルに泊まって求人をめくった。土方も飯場もうんざりだった。データ入力の求人があり、いってみた。出会い系サイトのさくらだった。女になりすましてメッセージをやりとりする。タイピングが遅いといわれ、採用されなかった。おなじように幾つかの入力作業にいってみた。おなじことだった。つぎはポルノビデオの男優、これもだめだった。貧相なからだと女性経験のなさを知られただけだ。次にゲイパブの面接へいった。身ぎれいな小男が案内した。狭い階段をあがり、室に招かれる。黒いベッドがならんでた。そして冊子がたくさん置いてある。表紙にはゲイのカップル、そしてエイズの文字。──おれは靴をもっておもてへでた。けっきょくなにもできなかった。金はなくなっていく。おれはルート配送の仕事をみつけ、滋賀へいった。面接を受け、寮に入った。でも仕事は、冷蔵庫の組み立て作業だった。バックパネルを4人がかりでつくる。現場主任らしい老夫がいった、──だれだ、こんなとろいやつを連れてきたのは!──こいつは反撃しないやつにしか、そんな口は叩けまい。

 おれはその日辞めた。流れ作業なんざできやしない。金を握って大阪へ帰った。次の朝だった。キセルして和歌山までいった。ソープランドの店員になるためにだ。社長はいきなりおれに1万をくれ、そいつで靴を買えといった。からだがもうくたくただ。酒でいかれてる。出勤初日、這うようにして店にいった。薄汚いビルディング。裸婦の彫像。赤茶色。──おもてでずっとそとに立って、客が来るのを待った。来なかった。夜になってようやく客だ。かれらの車をおれは配車した。車をぶつけないか、気が気でなかった。休憩時間、おれはネクタイを路上に棄てて愛隣地区に帰った。足が痛かった。突き刺すような痛みが内側からする。跛を引くみたいに歩く。おれはホテルをとって横になった。おれにはなにもできない。おれにはなにも書けない。そんなとき、永易が訪ねてきた。

   仕事、見つかりそうか?

  いいや、全然。

   なんか紹介できたらなあ。

 おれたちはそとにでて貧民窟を見学してまわった。おれは幾らか酒を呑み、またも金を減らした。足の痛みはひどくなるばかれいだった。腿のつけ根まで痛みはひろがり、歩くのがつらかった。永易はいいやつだが、おれはその陽気さについて行けなかった。いつしか股間までが痛くなり、眠ることもままならなくなった。おれはまた西成区役所へいった。そして新生会病院を紹介された。アルコール症の専門病院で、和泉中央にある。入院するまでホテル・ポパイに投宿することになった。料金はあと払いでだ。どや街の図書館で本を借りて読んだ。あの新今宮文庫は驚愕もので、ブコウスキーもあり、ノーマン・メイラー「タフガイは踊る」があるかとおもえば、コリン・ウィルソンの「暗黒の祭り」があり、さらにはドイツ文学の「犬」やロシアの労働文学全集もおかれてあった。入院当日、おれは駅でブルーベリー・ジュースを呑んだ。金はなくなった。終着駅からバスに乗り、病院にいった。まるでなにもないところに病院、そのさきには十字路があった。けれど天使も悪魔もいない。車のない通り、角地のコンビニエンス・ストアだけが明るい。

 受付にいくとおなじ姓の女の子がやって来た。おれはじぶんでアルコール中毒だといった。かの女はじぶんで認めるひとは珍しいといった。足の痛みのこともいった。治るのに時間がかかるらしい。はじめは閉鎖病棟に入れられる。いちばん奥の室。40ぐらいの男が声をかけてきた。窓を指す。

   あそこに3本の樹があるだろう?

   あそこで3人が首をつったんだ。 

 そういって、嗤いながら蒲団に潜り込んだ。小さな悪魔みたいだった。なんなんだ、ここは。おれははやくも後悔しはじめた。一般病棟に移され、外出が赦された。永易が見舞いに来た。庭に坐って話しをした。やつはジョイントらしいものを持ってる。ふたりでまわして吸った。なんにも感じなかった。あたまがくらくらしただけだ。あるとき、富山から来た青年が見舞いに来た。蟹谷くんといった。かつておれがつくった連作動画のファンだった。ふたりで駅までいき、牛丼を奢ってもらった。2ヶ月経って、おれはまたしても酒を呑んだ。3回も。牢獄に入れられた。娯楽室に「自由こそ治療だ!」という本があるのはなんの皮肉だろう。こんなものは医療とは呼べない。ただの暴力だ。和気院長なら鉄格子と婚姻できるかも知れないが、おれにはできない。隣の牢獄では老人がずっと叫んでた。

   看護婦さん、看護婦さん!

   ここは看護婦さんのおらん病院か!

 それから転院が決まった。浜寺病院だ。そこでは外出禁止だった。ひとと月我慢した。またしても蟹谷青年が来た。おれは横になったまんま話をした。かれは発達障碍を抱えてるといった。おれもそうも知れない。ずっとずっと感づいてたことだ。おれは恐らく学習障碍で、数字に疎いんだ。だからいつも計算に躓いてしまう。恥ずかしい眼に遭う。早くそれを明らかにしてもらうしかない。おれは「カーヴァーズ・ダズン」と「拳闘士の休息」を読みながら過す。あるいはブコウスキーの詩集「水に焼かれ、炎に溺れ 撰詩集1955-1973」の原著を眺めた。いつになったらおれは自由になれるのか、そしてだれといったい口づけをするのか。まだまったく、なにもわかっちゃいなかった。いまわかってるのは、おれはろくでもない男だということでしかない。作品はずっと書いてないし、もはやなんの霊感もイメージも見えなくなってる。さあ、長男よ、おまえ、どうする?──おまえ、どうなる?


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裏庭日記/孤独のわけまえ 中田満帆 @mitzho84

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