第5話 わたしの6つのお祝いに


「エヴァ様、おはようございます。それから、お誕生日おめでとうございます」


 カーテンを開けるギーゼラの銀髪が、水面のように朝の陽光を反射している。私は6歳になった。


「おはようギーゼラ。そしてありがとう」


「私などが最初にお祝いを申し上げて良いものか迷いましたが……」


「そんな事はないわ。誰であれ生まれた事を祝ってくれるのは嬉しいものよ」


 1年近くかけて蔵書室の本を読み漁り、基本的な言語はほぼ習得した。父であるレーモン公が来客と話している内容も、単語レベルで知らない事以外は理解出来る。


 朝食を済ませ、普段より少し改まった格好に着替えさせられると、広間へ来るようにと両親から言伝があった。誕生パーティーという訳ではないだろうが、わたしが一つ歳を重ねた事と無関係ではあるまい。朝方はまだまだ冷える廊下を抜け、両親の待つ広間の扉が開くと、大きな暖炉が放つ温もりが頬を撫でた。


「エヴリーヌ、参りました」


 私と同じように身なりを整えた両親の笑顔に迎えられ、少なくとも悪い話ではなかろうと判断する。まぁ、悪い話の時も人はぎこちない笑顔を浮かべるものだが、1年近く本だけ読んでいた訳ではない。両親や使用人、頻繁に訪れる来客の顔色もまた読んで学んでいた。


「来たか。まずは掛けなさい」


 口数は少なく、愛想が良いとはとても言えない父・レーモン公。だが、こうした家族の節目には僅かでも必ず顔を出す。うっすらとだが笑顔を浮かべているのが分かる程度には観察してきた。ゲームでも、実の娘を追放はしても結局その後の面倒を見てやっている辺り娘を可愛がってはいるのだろう。使用人達も表面上だけでなく心から彼を敬っているのが態度で分かる程度には、彼は人格者だ。

 隣に座っているのが母・パトリツィア。使用人達に聞いた話では、以前彼女の実家は没落の危機を迎えていたが、パトリツィアに一目惚れした父によってそれを乗り越えたのだという。普段の父の仏頂面からはおよそ一目惚れという言葉は連想出来ないが。


「貴女が無事に6歳まで育った事、嬉しく思います。健やかに育てばそれで良いと思っていましたが、ここ最近の理知的な眼差しといったら! あなたのお若い頃を思い出しますわ。第三王子との婚約が良い契機になったのでしょう」


「うむ、読書によく励んだ結果か。家庭教師を付けるのはもう少し先にと思っていたが、明日にでも来てもらうとしよう」


 一見すると仲の良い夫婦だ。しかし、使用人の世間話を何度か耳にした後では見え方が少し違う。


 僅かに引き攣った笑顔、媚びているようにも聞こえる物言い、探るような視線。全て母から発せられている。

 無理も無い。没落を免れたとはいえ、公爵家との繋がりが途絶えるような事があれば、彼女の実家はまたも衰退の一途を辿るだろう。夫の機嫌を損ねないよう、愛想を尽かされないよう常に気を遣っているのだ。無論、レーモン公は言葉や態度にこそ出にくいが妻を心から愛している。そんな心配は無用だろう。パトリツィアもまた、不安を抱えつつも夫を心から愛している。どちらかが己の愛を率直に表せば仲睦まじい夫婦の出来上がりなのだが。


「それから……お前を呼んだのは祝いの言葉を贈る為だけではない。何か欲しい物でもあればと思ってな」


「欲しい物、ですか?」


「そうだ。用意してやれる物なら何でも言ってみなさい、遠慮する事はないよ。お前に相応しくないと私が判断したなら別だが」


 どうやら誕生日のプレゼントをくれるらしい。   

 エヴァの記憶にある限りこれまでの誕生日はいつもより豪華な食事と祝いの言葉だけだったので、この世界もしくは国にはそういった風習が存在しないのかと思っていた。

 少し考えて、かねてから父に頼もうと考えていた事を口にする。少し前倒しではあるが。


「では……武芸を習いたく思います」


 おおよそ予測していた事だが、父は僅かに眉をひそめ、母の顔から血の気が引いた。この国……厳密にはゲームの設定上、女性が剣を握るのは珍しいのだ。それも公爵家の令嬢ともあれば一生無縁の話と言える。

 何か言いたそうに腰を浮かせる母を制した父が、冷静にこちらを見据えた。流石は国王の信頼も厚いレーモン公と言うべきか。


「……何故、武芸を? 冒険譚の真似事という訳ではないだろうが」


「トゥールーズ家の未来の為」


「未来……だと?」


 いざという時に身を護る為だとか、これからは女性も武芸を身に付ける必要があるだとか、理由はいくらでも捻り出せる。だが、賢明な父も貴族には違いない。ならば生まれた時から育まれてきた貴族としての矜持を刺激してやろう。


「はい。我がトゥールーズは武門の誉れ高い家柄と記録で読みました。しかし近年は他国との戦も無く、お父様は剣よりも筆を執る道を選ばれたのだと聞いています。それでも3日に一度の鍛練を欠かさない、とも」


 これはゲームには無かった情報だ。フレイス王国は周りを他国に囲まれており、それら近隣諸国と争った時代がある。かつて多くを奪われながらも、未だ近隣の中で最も広い領土を保持出来ているのはトゥールーズ家をはじめとする貴族が戦い抜いた結果なのだ。


「いかにも、我がトゥールーズ家はかつての戦で挙げた功績を以て今の地位と王家の信頼を得た。よく勉強したようだが、お前が武芸を学ぶ事に関わりが?」


「大いにあります。わたくしはいずれ婚姻を結び、王宮へ嫁ぐでしょう。その時、薄氷の如き和平が破られていたとしたら……私はそう考えてしまうのです。そうなれば、いつか産まれる我が子にトゥールーズ家の血筋として恥じる事の無い教えを授けられる者が必要ではありませんか?」


 使用人達は本当に有益な噂話をしてくれる。幼い私には理解出来ないだろうからと、国にとって良くない噂も。

 そして噂は本当だったようだ。口を引き結んだ父へ続ける。


「再び戦となれば殿方は出陣され、子らに武芸の手解きをする者は皆無となるでしょう。もちろん王国の勝利を信じておりますが、戦では何が起きるか分かりません。トゥールーズ家の血に宿る武門の記憶を絶やす訳にはいかないのです! そう思えばこそ、お父様も鍛練を欠かさないのでしょう?」


 無論、薔薇も青ざめるほど真っ赤な嘘。出産の願望は無いし、ましてや男と結ばれるつもりもない。「わたし」としての意識が人格を支配している以上、トゥールーズ家の事すらどうでもいい。

 では何の為かと言えば、いずれ来るであろうイベントに備えての事。悪事を告発されたエヴァが王子との婚約を解消され、父によって追放を言い渡される、私にとっての最終イベントだ。まぁ、そうなる前にクロエを手に入れられれば王子の行く末になど興味は無いのだが、ある種のデッドラインとして考えている。王子や邪魔者を排除してでもクロエを奪って逃げる、その為に私自身も必要な力量を付けねばならないのだ。


「まぁ、その歳でそこまで家の事を考えていたなんて……母は感動しました! しかし、淑女たる者が武芸など……」


 ゲーム中でエヴァがスプーンより重い物を持っている描写は無く、魔法を行使するような様子も無かった。同じように育った母の戸惑いはこの世界では正常だ。


「……いいだろう」


「あなた?! そのように容易く許されては……」


「パトリツィア、私はなにも今考えて決めた訳ではないのだよ。エヴァの言う通り、他国との和平は暗がりで薄氷の上を歩くような状態だ。私もおまえも、この子もいつ他国の刺客から命を狙われてもおかしくはない。それに、帝国辺りでは才があれば男女の区別無く武器を持つ風潮が拡がっている」


 "帝国"というのは、隣国のゲール帝国の事だろう。フレイス王国とは和平を結んでいるが、王国と領地を接しない別の国とは未だに争いを続けている戦闘国家らしい。ゲームにはもちろん登場しない。


「そこに我が一族の為などと言われてはな、当主として無下には出来んよ。すぐに手配しよう」


 時勢の助けもあるが、レーモン公が賢明な人物で助かる。理を説けば話の通じる相手というのは話が早い。


「だが、弱音を吐いたり稽古を怠る事があれば即座に辞めさせる。トゥールーズ家の未来と口にしたからには、失望させてくれるな」


 喰えない御仁だ。流石は王国の中枢たる公爵、ただ賢明なだけではない。彼にはお目通しなのだろう、私の真意が。看破とまではいかずとも、純粋に家の事を案じているのだけではないと。その上で試そうというのだ。

 まったく、6歳の娘にすら疑いの目を向けねばならないとは、王城はどれだけの伏魔殿なのか。彼の苦労を思って僅かに笑みが漏れる。


「お計らいに感謝を。必ずやご期待に応えてみせますわ、お父様」

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