第4話


 蔵書室を入って真っ直ぐの突き当たり、陽光を最大限取り入れるかのようなガラス張りの空間に大きな椅子が1つ。子供には少し大きいそこに腰掛けて読書に勤しむ。


「エヴァ様、お茶をお持ちしましたよ。冷めない内にどうぞ」


「ありがとう、ギーゼラ」


 傍のテーブルに置かれたティーカップを傾ける。生前に紅茶を飲む習慣は無かったが、きっと高価な物なのだろう。本は半分ほど読み終えた所だ。


「すっかり夢中で読み耽っておられましたね。エヴァ様は聡明でらっしゃいますから、私ではお教えする事が殆どありませんでした」


 ヴォルテール英雄譚。国内で広く読まれる勇者の冒険の数々を記した物らしいが、同じ人物の物語というには無理がある。恐らく、各地で伝わるおとぎ話を誰かが編纂したのだ。内容はごくありきたりな勧善懲悪の悪者や怪物退治の物語。だからこそ読み易くはあったが。


「ギーゼラのおしえかたがじょうずなのよ。こんどはもうすこし、むずかしいものもよんでみるわ」


 実際ギーゼラの教え方は上手い。分からない描写は近い例えを出してくれるし、何より根気強く付き合ってくれる。時代が違えば教師を勧めているところだ。


「ふふっ、その調子でしたら成人される頃には蔵書室の本全て読み尽くしてしまわれますね。昼食はいかがなさいますか?」


「あまりおなかはへっていないから、すこしでいいわ」


 この世界にサンドウィッチかそれに近い物があればいいが、流石に読書をしながらというのは貴族令嬢でなくとも無作法というものか。急がずともこの本は陽のある内に読み切ってしまえるだろう。


「かしこまりました。頃合いを見てお持ちします」


 ティーセットを下げるギーゼラが去ると、蔵書室は再び静寂に包まれる。窓の方に目をやればすっかり太陽は昇っており、なるほど昼食時かと納得した。時計はこの世界にも存在しているが、まだ拡まってはいないようだ。蔵書室には無いようだし、屋敷でも広間でしか見ていない。


「ううん……やっぱりこどものからだはふべんだなぁ。すぐにねむくなって……」


 身体は正直というやつだ。暖かさを意識した途端に瞼がどうにも重くなり、文字を追うのが億劫になり始める。無理に続けても頭に入らないし、身体の成長の為にも少し眼を閉じる事にした。


 意識を手放さないよう、ゲームの内容でも思い出す事にしよう。


 "ラヴァーズオブキングダム"、通称LOK。フレイス王国の王立学園を舞台にした乙女ゲーム。わたしの立ち位置は主に主人公であるクロエの妨害をする悪役令嬢だ。攻略対象である第三王子の婚約者でもある。

 あまり良い役回りとは言えないが、まだマシな方だと思っている。生前と違う性別の攻略対象では何かと不便だったろうし、かと言ってモブに近い女性キャラクターではクロエに近付く事すら難しい。


 ああ、クロエ、クロエ。愛しい人。彼女もこの世界で幼少期を過ごしているのだろうか。あるいは私が15歳になり、学園に入学した瞬間に彼女という存在が生まれるのか。構わない、どちらでも。最終的には私が手に入れる。


 だが、世界は何と言うだろう。

 ゲームの内容通りなら、私は上級生の卒業パーティーでクロエへの嫌がらせや暴力行為を攻略対象に糾弾される。見苦しい弁解は通らず、更に実の父であるレーモン公によって直々にトゥールーズ家からの追放を告げられるのだ。当然王子との婚約も破棄。確かゲーム内の後日談で一行だけ、地方の分家へ養子にやられたとあった筈だ。死にはしないが、貴族としての破滅には変わらない。私の望みを叶える為にもその結末は避ける必要がある。さりとて、王子との婚約は破棄しなければ。

 クロエをこの手にし、婚約者の立場を捨てる。両方を叶えるのは難しいが、不可能ではない。全ての攻略対象を排除すればいいのだ。全員で4人。


 第三王子カミーユ・フレイス。初見のプレイヤーの多くが最初に攻略する相手で、エヴリーヌの婚約者でもある。

 第五王子ノア・フレイス。カミーユとは腹違いの兄弟だ。序盤は暗い皮肉屋なのだが、ストーリーを進める内にクロエに心を開いていく。

 ニクス・ウォルモンドは宰相の息子。賢く勇気もある若者だが、損得勘定で動く節がある。

 最後にアルフレッド・ヴェルズ。下級貴族の息子で、彼とのルートを選ぶとクロエはエンディングで駆け落ちする事になる。


 というのが攻略対象の簡単な情報、はっきり言って何とも面白味の無い連中だ。いや、ファンに言わせればもっとオリジナリティのある設定があるのだろうが、私は最初からクロエ目当てでゲームを購入した訳で。クロエの姿を見る為の攻略に必要な情報以外は興味が無かった。

 差し当たって一番排除が容易なのはアルフレッドだろうか。当主でないにしても公爵様の権力を以ってすれば、下級貴族を潰す事など造作も無い事だ。

 いや、彼の出身は王都から遠い国境付近だった筈で、家同士の親交も無い。今の私の立場では手出しは難しいか。なにせ国内の地図すら見た事が無い。ゲームは学園内の出来事なのだから仕方が無いが。

 ある程度言葉を覚えたら地理の把握に努めよう。クロエの住んでいる場所も頭に入れておけば、学園に入る前に会えるかもしれない。


「……様、エヴァ様、そろそろお目覚めになりませんと。日が暮れて参りましたよ」


「……ん、ギーゼラ……?」


 ぼやけた視界の先で私を呼んだのは吸い込まれるような黒髪の愛しいクロエではなく、ギーゼラの銀髪だった。もちろんギーゼラの髪も美しい部類に入るのだろうが。私ことエヴリーヌの金髪はどうにも主張が強すぎる気がして好きになれない。


 それより問題は私がまたも眠気に屈した事。困り顔をしたギーゼラの銀髪を照らす陽光は、すっかり夕暮れ時のそれだった。


「申し訳ございません。よくお休みでしたので無理にお起こしするのが憚られまして……」


「いいえ、ありがとう。どくしょは、またあしたにするわ」


 結局その日は両親と夕食後、またすぐに眠ってしまった。

 やはり目下の敵は幼さらしい。

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