[10章8話-3]:『天使』への置き手紙
封筒の中から取り出した便せんを開いてみると、間違いない。見慣れた筆跡が飛び込んできた。
『大切なあなたへ
もし、この手紙を私たちの子であるあなたが読んでくれているなら、こんな素敵な奇跡はありません。いつかそれが叶うことを信じてお手紙を書きます。
もしかしたら、私たちのせいで、あなたには辛い人生を送らせてしまっているかもしれない。それでも私たちは誓います。精一杯の愛をあなたに注ぐことをね。
日記にも書いたように、私たちはあなたを無理に音楽家になるようには言いません。あなたの道は真っ白なの。自分の道は自由に選んでいいものなのよ。
いま、私のお腹には、お父さんと一緒にお願いした天使、あなたがいてくれると確信しています。
男の子か女の子かはまだ分からないけどね。どちらでもいい。大きくなって、素敵な人と出逢ってお互いの将来を誓えたなら、迷わずに結ばれて欲しい。私たちはあなたのお相手の方にお願いするだけ。
私たちの大切な想いから生まれたあなたを幸せにしてあげてくださいと。
永遠の愛を込めて…… 秀一郎&成実』
「パパもママも……、こんなの反則だよぉ……」
涙が止まらない。これまでも二人の想いが詰まった日記は読んできたけれど、これは間違いなく自分に宛てたメッセージそのものだ。
幼い頃からの記憶が一気に溢れてくる。
確かに5歳での別れは急だったし、大きすぎるターニングポイントになってしまったことは予想外だったに違いない。
それでも、二人は茜音が外に出ても恥ずかしくないように、最低限のことを覚えさせてくれていたし、茜音が持ち続けた家庭のイメージは間違いなくこの二人から受け継いだものだ。
どんなに辛くても乗り越えてこられたのは、きちんと愛情を教わっていたから。
『育ててあげられなくてごめんね』
雪山の中で、母親から聞いた最後の言葉。
茜音を授かった喜び。これから一緒に過ごすはずの時間が途切れてしまう悲しみと悔しさ。そして、独り残してしまう娘の行く末の心配。これらが全て凝縮されていたから。
健も横で涙を抑えられなかった。
間違いなく茜音は「望まれて」生を受けたことが証明された。たくさんの想いが彼女には詰まっている。全てが明らかになった今、彼女を幸せにするために二人ですぐにでも歩き出さなければならないと思う。
「健ちゃん……」
「うん?」
一生懸命に笑顔を作っている茜音が、幼いあの日の姿と重なる。
10年という途方も無い時間の約束。あの日の茜音もきっと無理だとは思っていたのだろう。それでも彼女は懸命に笑ってくれた。
「わたしね、2カ月だったけど、離れて分かったの。わたしは健ちゃんがいてくれなきゃダメなんだって。冷静になって分かったの。あなたがいてくれるから、わたしが笑えるの」
「うん」
両腕で華奢な体を抱きしめる。
自分を見上げた彼女の顔。涙の筋が何本もあったけど、ただ愛おしかった。
そんな唇をそっと合わせる。
「茜音ちゃん。結婚しよう」
「えっ…………?」
大きな瞳から再び雫が零れ落ちる。
「帰ったら話を進めよう。二人で歩いていこう」
「わたしで……、いい?」
「片岡……、ううん、佐々木茜音さん。僕のお嫁さんになってください」
茜音は彼の胸元に顔を埋めた。
「お願い……します……。健ちゃん……」
背中に回した腕に力を入れる。
「茜音ちゃん、もう逃がさないぞ」
「うん、最後までここにいさせて……」
茜音は静かに肯いた。
食事をして、お風呂に入って、ベッドに入る。
こんないつもと変わらない生活シーンなのに、胸がドキドキしてしまう。
もう一人だと泣かなくていい。そして、ついに辿り着いたゴール。そしてスタート地点でもある。
「ねぇ、健ちゃん……」
「うん?」
前日と同じく、茜音が健の胸元から見上げてくる。
「このお部屋も、このベッドもきっと20年以上前から変わらないんだろうね」
「そうだね」
一番上のマットレスは交換されているだろうが、家具としては変わっていないだろう。
「このお部屋って、パパとママのお願いで、わたしが空から降りてきたお部屋なんだよね。わたしたちも同じお願いしてもいいのかな?」
「茜音ちゃん……」
以前だったら、意味が分かっているかの確認をしただろう。
「わたしは健ちゃんのお嫁さんになるの。だから、お願いしてもいいかなって……」
これまで何度も二人で愛を確認してきた。それは、順番違いの間違いを起こさないように、準備をしてからだった。
いま、茜音が望んでいるのは、その準備は行わないこと。二人が望んだ天使を迎え入れるためだから。
健にキスをして、茜音は健と自分のパジャマのボタンを外しながらサイドテーブルの明かりを消した。
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