二 不思議な怒り

 ところが、どうにも変なんだ。


 A子さん、そうしてブランド品に群がる女子社員達に、なぜだか強い怒りを感じたそうなんです。


 いや、みんな仲のいい同僚ですし、嫌味な人間なんて一人もいやしません。誰もが純粋に自分を羨ましがってくれるだけで、何か気に障るようなことを言われたなんてこともないんです。


 それなのに、どういうわけか? 理由もわからないのに彼女達に対して怒りの感情を抱いてしまうんだ。


 A子さん、せっかく高級ブランドのバッグでいい気分になれると思ったのに、ぜんぜんそんな心境にはなれなかったそうです……。


 でも、これはまだ異変の始まりにすぎなかったんですね。


 その日以来、A子さんはどうにも怒りっぽくなっちゃったんです。


 会社でも、ほんの些細なことで怒りがふつふつと湧きあがってくる。


 ああ、あの人の今の言い方が気に入らなかった、あの人の態度、きっとわたしを見下してるに違いない…と、これまでなら別に気にも止めなかったようなことでムカっときて、常にイライラが収まらないんですよ。


 それも、不思議と怒りを覚えるのは女性に対してばかりなんですね。逆に男性に対してはそんなことまるでないんだ。


 なのに、女性なら親しい友人や家族でも、やっぱり怒りを感じるのは同じなんです。母親や妹と話していても、すぐにケンカになってしまう。極めつけはテレビに出ている女優や女性タレントに対してまで、特に理由があるわけでもないのに強い怒りを覚えてしまうんですね。


 そして、ついには放置もできないような問題まで起こってしまった。


 A子さん、小学校の頃から仲のいい大親友がいたんですがね、いつものように一緒に食事へ出かけた際に大喧嘩をして、そのまま絶交状態になってしまったんだそうです。


 ケンカの理由はなんてことはない、「好きなものは最初に食べるか? 最後まで残しておくか?」なんていう、ほんと取るに足らないことだったんですがね。最後まで残しておく派だったA子さんは最初に食べる派の親友がどうしても許せず、激しく批判する内に売り言葉に買い言葉で口論となり、最後は罵声を浴びせて帰って来てしまったようなんですね。


 後から冷静になって、ああ、なんであんなくだらないことでケンカしちゃったんだろうと反省したそうですが、ここは電話して謝ろうといざスマホを手にとると、またなんだかじわじわと怒りが蘇ってきてしまうんです。


 やっぱりこれは何かがおかしい……思い返してみると、そういえば、こんなんに怒りっぽくなったのってあのショルダーバッグを買ってからじゃないかとA子さんは疑い始めました。


 それでも、まさかそんなバッグが原因なんてバカなことないよなあ…と半信半疑のA子さんだっんですが……また、さらに奇妙な出来事を体験することになったんですね。


 ただの思い過ごしかもしれないですし、それからもそのショルダーバッグを持ち歩いていたんですが、ある日の仕事の帰り、不意に意識が朦朧としたかと思えば、気づくとA子さん、とあるキャバクラの前に立っていたんだそうです。


 キラキラとネオンの輝く繁華街の通りに建つ、よくある普通のキャバクラですよ。白とゴールドを基調にしたシックな外観で、ちょっと高級そうな感じのね。


 でも、どうやってここへ来たのかもまったく憶えがない。急な眠気に襲われて、目が覚めたら、この店の前に立っていた……そんな感じなんですね。


 あれ? わたし、なんでこんな所にいるんだろう?


 まだ少しぼんやりとしている頭で不思議に思っていると、ちょうどそこへ派手な格好をした一人のキャバ嬢が、見るからにお金持ちそうなお客と同伴出勤してきたんですね。


 まあ、派手って言ってもキャバ嬢はみんなそんな感じですからね。ブランドもののピンクのワンピースを着て、明るい金色に染めた髪もゴージャスに盛っていて、メイクは濃いんですが顔立ちもいいし、けっこう人気のあるキャバ嬢みたいなんですね。


 でも、A子さん、そのキャバ嬢を一目見た瞬間、これまでにないくらいの激しい怒りが込み上げてきたんです。


 もちろん初めて見る縁も所縁ゆかりもない相手なのに、どうにも憎らしくてたまらないんだ。なぜだかわからないけれど、彼女のことが憎くて憎くて仕方がない。もう、その怒りにぶるぶると全身に震えがくるほどなんですね。


 そんなA子さんに気づくこともなく、同伴の男性客に媚びた笑みをみせる彼女を目にすると、その怒りはついに限界に達してしまった。


 もう、その感情を抑え込むことができず、彼女のことを一発殴ってやらないと気がすまなくなったA子さんは、ツカツカとキャバ嬢達の方へ歩み寄って行きました。


 いまだまるで気づかずにいるキャバ嬢に、A子さんは真っ直ぐ一直線に近づいて行く……そして、手を振り上げ、憎たらしい彼女の頬を思いっきり平手打ちしてやろとしたその時。


「当店に何か御用ですか? もしかしてうちで働きたいとか?」


 そう言って店の入り口に立っていたキャッチの男性が声をかけてきました。どうやら、職を探してる入店希望の女性と勘違いされたみたいですね。


 幸いににもその男性の声で我に返ったA子さんは、あわやというところで事なきを得て、逃げるようにその場を去ったそうです。

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