第70話 三つの贖い

 支度を終えて寝室に移る。

 先に寝台に入って、紐付きの一枚革に挟んだ古びた厚みのある冊子を片手に、そのページをめくっていたルイに近づいたら、彼に腕を軽く引かれた。

 前のめりに寝台へと引っ張り込まれ、わたしは寝具の中で脚を伸ばして座っているルイを乗り越えて、いつも寝ている位置へもぞもぞと移動する。

 彼の隣に並び、寝具の中へ入ってわたしは彼の手元を見下ろした。

 羊皮紙を束ねて糸で綴じた冊子には、手書きでびっしりと細かな文字や様々な図形と紋様が記されている。

 

「アントワーヌ様の手稿?」

「ええ」


 わたしが就寝支度をしている間、長椅子ソファか寝台に寛いで本を読んでいることの多いルイは、いつもなら読んでいる本について教えてくれる。

 けれど彼のお父様の魔術研究を記した手稿については、わたしに内容を説明しづらいものなのか、なにも言わずに冊子を閉じて表紙に付いている革紐を巻きつけてサイドテーブルへと置いた。


「マリーべル」


 わたしの髪の一筋をすくうように手に取り撫で下ろしたルイに、思わず俯いてしまう。いまさらなにを恥ずかしがることが……とは思うのだけれど、夫から誘うように触れられることにどうしても慣れない。

 とはいえ拒む気もないから、ルイの行動を待っていたけれど、どうやら違ったようで再び名を呼ばれ、わたしは顔を上げた。


「なに?」


 頬にルイの手が触れて、彼の方を向くように促される。

 少し頭を傾けてルイを見れば、ねやの睦言を囁くには真面目過ぎる面持ちでいた彼に、どうしたのだろうと目をしばたかせれば、「私も……」と彼は呟いた。

 

「私も、精霊博士の資質ではないかと焦りました。いまとなっては確認できない貴女のお母様のこともある」

「母様?」


 唐突に、昼間の話をされてわたしはルイに問い返した。

 どうやら昼間、蔓バラ姫が屋敷に現れて、わたしが彼女の姿を見て会話できるとわかったことと、母様のことを重ねて考えていたらしい。

 モンフォールの当主様が貴き血と誤解した、母様にまつわる不思議な現象。

 母様が植物を手当すれば、茎が折れたり萎れかけて色が変わったりしている花や苗や蔓でもよみがえったと、父様は話していた。

 ドルー家のお祖母様ばあさまは、母様が十歳の頃に起きた大嵐の時にモンフォール領の穀物畑の大半が、母様が大丈夫と言った通りに助かったと話した。


「やはりなにかしら精霊の祝福を受けていたと思うのですが……しかし、精霊の祝福は与えられた者だけの一代限り」


 ルイの推察では、わたしの母様は精霊の祝福持ちだったのかもしれないということだったけれど、それだけで説明できるものではないということだった。 

 精霊の祝福だとしても、母様の周囲で見られた現象すべてを可能にするとしたら、その有効範囲はあまりに広範囲で強力なものになるからだ。

 仮に母様が祝福持ちだったとしてもそれだけではなく、“緑の指”と呼ばれる植物を育てる才能に秀でてもいて、ただ偶然も重なったのだろうと見解のようだ。


「もう一度お聞きします。蔓バラ姫の干渉以外に、精霊を見たりその声を聞くことはないですね? たとえば、貴女しか知らない人などもいませんね?」

「え?」

「……精霊絡みの判定は難しい。なにしろ魔力は関係ないため、風を操るシモンのような明らかに異能とわかるものでなければ、それが特別な才能か祝福なのか判別がしにくい。胎児の内や生まれてすぐに与えられるものが多く、顕現の仕方も多様で本人も無自覚なまま一生を終えている例はきっと多いでしょう」


 精霊博士が希少なのは絶対数が少ないのもあるけれど、そのような性質もあって発見しづらいことにもあると言ったルイに、わたしは水浴びした犬のようにぷるぷると首を横に振った。


「ないし、いません。それに蔓バラ姫が見せてくれるまで、この屋敷に家付精霊が潜んでいたことも知りませんでしたし」

「ええ、そうですね。そうなのですが……」


 昼間、解決した話のはずなのに。

 どうしてこうもしつこく尋ね、不安そうにするのだろう。


「どうしても、ジュリアン殿から聞いた貴方のお母様の遺言が……“この子は私と同じ、“緑の指”を持っている”といった言葉が気になってしまう」

「でもそれって、モンフォール家に“貴き血”を持っていると狙われた母様が、娘のわたしも植物の世話が得意だから、同じように狙われるのを心配したからですよね」


 ルイが口にしたように、たとえ母様が祝福持ちだったとしても、それは一代限りであって、わたしに引き継がれるものではない。


「仰る通りです。ええ……そう、きっと思い過ごしです」


 わたしの言葉に、ルイは自分に言い聞かせるように呟きながら、わたしを抱き寄せるようにして左肩に額を乗せてきた。


「あの、大丈夫? なんだか神経過敏じゃない?」

「過敏にもなります……本当に、貴女という人は落ち着き払って」

「だって、魔術や精霊のことはよくわからないもの」

「……そうなのでしょうが、私から見ると魔術適性はないのに魔力や魔術への適応が妙に高いことが不可解で、どうしてもあれこれと考えを巡らせてしまうのですよ」

「でも、それなら余計に精霊とは無関係だと思いますけど? だって魔力は不要で魔術とはまったく別物なのでしょう? それに魔術って、そもそも“ヴァンサン王の子”にヴァンサン王のような精霊他人外と交流する力がなくて、それを補うために編み出された技法なのですよね?」

「ええ」

「だったら魔術に適応が高い方が、彼等から遠くなるような気がします。蔓バラ姫もそんなことを言っていたし」

「なにを?」

「ルイほど彼女達に指図する魔術師はいないのに、彼女達との交流はさっぱりだって」


 わたしの言葉に、ルイは少し驚いた様子で顔を上げた。

 わたしから身を離して口元に指を当てて黙り込み、しばらく考え込んで「確かに」と呟く。

 再び黙り込み、サードテーブルに置いてあるアントワーヌ様の手稿へちらりと目を向けたルイは、それまでのわたしに対する心配とは別のことへ考えが移っているようだった。


「そんなことより。ずっと気掛かりだったこのお屋敷の問題が解決して、わたしはうれしいです」


 そうなのだ。

 抜いても抜いてもとても追いつかない勢いの雑草問題、老朽化した建物を見た目だけでも整えたい問題、住居部として使用するこの“王妃の棟”だけでも広すぎる屋敷の手入れに関する問題……その大半が、蔓バラ姫のあがないによって解決した。

 それも代償なしで!

 思わずにこにこしてしまうわたしに、何故かルイは不服そうな恨めしげな眼差しを向けてくる。


「貴女がああいったことを望むとは……」

「だって、下手に自分やあなたにかかるようなことを望むのも怖いじゃない」

「代償なしの向こうからの申し出なんて、滅多にない機会。それも一つを、三つに増やしたというのにっ」


 勿体ないことこの上ない……と、ぶつぶつぼやき始めたルイに少しばかり顔が引きつってしまう。


「ルイ……」

「検証したかったのに」

「……わたしのためのあがないだってことお忘れですね」


 ルイは少しばかり、魔術や魔術に関係することに頭を使い過ぎると思う。



*****


 

あがないよ。私が出来ることなら一つ叶えてあげる」


 そう――わたしが倒れたことに責任を感じたらしい蔓バラ姫が、彼女の意志で精霊の力をわたしの望みを一つだけ叶えるために使ってくれると申し出たのに、すかさず横槍を入れたルイは流石の悪徳魔術師だった。


「おや、誇り高き古精霊の贖いとはそんなものですか」

「なんですって?」

「だってそうでしょう? 貴女がマリーベルにしたことは、強引に精霊の領域へ連れ去ろうとしたことだけではありません」

「なによ」

「貴女のせいで、マリーベルに施している途中だった加護の術が暴発した。そのためにマリーベルは消耗して倒れ、身の内にある加護の術も破綻しました。魔術師でもない人間の娘にとって、それがどれほど危険なことか」

「ちょっと待ちなさいっ! 連れ去ったのと倒れたのは私のせいかもしれないけれど、お前の魔術は関係ないでしょう! 言いがかりよヴァンサンの子っ!」


 まったくもって、蔓バラ姫の言う通りだ。

 言いがかりにもほどがある。

 そもそも加護の術は、ルイがわたしに黙って勝手に施していたもの。

 その暴発まで蔓バラ姫のせいにするのは、さすがに責任転嫁だ。


「貴女のような精霊がマリーベルに手出しすることを用心したからです。そして案の定、貴女は私を弱らせてマリーベルの前に現れた。私を消耗させたことや領地が被った迷惑や被害も本当なら贖ってほしいところです」

「お前のことは関係ないでしょう」

「ええ、貴女にとってはマリーベルのためを思ってしたことでしょうからね」

「ふん、当たり前じゃない。いいわ、お前じゃなく姫様を消耗させたことの二つにしてあげる」

「先ほども申し上げた通り、貴女がマリーベルに贖うべきは四つです」

「魔術は関係ない」


 ふん、とそっぽ向いてルイの言葉を切り捨てた蔓バラ姫は間違ってはいない。

 むしろ、一つだけが二つに増えたことに驚いたくらいだ。

 

「貴女さえマリーベルに手を出さなければ、起こり得なかった事ですが?」


 額を抑えて俯き深く嘆息しながら、緩く首を振ってぼそりとこちらに聞こえるか聞こえないかといった声量で呟いたルイに、わたしはもう内心呆れ返って言葉もない。

 この人……精霊である蔓バラ姫の代償なしな力を使う権利を、もぎ取れるだけもぎ取るつもりだ。


「“ヴァンサンの子の嫁”だの“姫様”だのと懐いたところで、“誇り高き古精霊”の貴女からみれば所詮はただの人間の娘。“誇り高き古精霊”としては、その程度で有り難がれと仰るのは当然なのかもしれませんが……」

「ちょっと! 私たちはいつだってっ」

「よき隣人。ええそうでしょうとも。四大精霊の直に仕える“誇り高き古精霊”な貴女です。従えている数多の小精霊達を失望させる、吝嗇けちなことはしないでしょう」

「……」


 妙に“誇り高き古精霊”を強調しつつ、あからさまに当て付けるようなことを言うルイに、わたしのすぐ隣でうなだれて肩を震わせた蔓バラ姫を見て、流石にこれは言い過ぎだと思う。

 精霊である彼女が逆上したら、厄介だろうことを考えない彼ではないはずなのに。


「あの、蔓バラ姫。ルイの言うことは……」

「……そうなの?」

「え?」

「私が連れて行こうとしたから、姫様の内に施されていた魔術が姫様を傷つけたの?」

「ええと」


 正直、これはどう答えたらいいのかしら。

 わたしは魔術師ではないけれど、やっぱり精霊相手に嘘はよろしくないだろう。

 だとすると、そうじゃないとは言えない。

 だって魔術が暴発したのは、あきらかに蔓バラ姫がわたしを強引に精霊の世界の住人にしようとして襲いかかってきたからだもの。

 でも私自身もあの時点では施されていると知らなかった魔術の暴発について、そうだと答えるのも心苦しい。


「す、少しばかり? 蔓に絡まれて驚いてしまって、怖かったといいますか……身の危険は感じたことはその通りで、おそらくは魔術もそのために……」


 だから事故のようなものと、わたしは言おうとした。

 悪徳魔術師の片棒なんか、これっぽっちも担ぐ気はなかった。

 なのに。


「じゃあ、本当にヴァンサンの子の言う通りなのね」

「え? あの……蔓バラ姫……?」


 弱々しい口調で呟いた蔓バラ姫に、本当に事故のようなものだとわたしは言うつもりだったのだけれど。


「わかった!」


 がばっと勢いよく顔を上げた蔓バラ姫に気圧されて、そう言えず。


「でも三つよ!」


 そう、蔓バラ姫自身が宣言してしまった。


「ほう?」

「魔術が壊れたことは知らないわ。壊れなかったかもしれないし、それに施し方が悪かったのかもしれないじゃない、ヴァンサンの子」

「不本意ですが、妥協しましょう」

「それにこれは姫様のための贖いよ。三つは姫様の考えで決めた、姫様に直接関わる、姫様の望みしか受付ない。ヴァンサンの子は無関係よ」


 ルイについては無関係と言い切られるのも……それはそれで釈然としない。

 むしろわたしとしては、ルイを一ヶ月も翻弄して消耗させたことや領地が被った迷惑や被害の方が贖うべきことなのではと思ってしまう。

 しかしルイ自身も、蔓バラ姫がわたしのためにしたことだから、彼や領地が被った迷惑料は請求できないことのように話していたし。

 精霊の理屈、よくわからない。

 それにどうやら、ルイとしては十分満足な落とし所となったようだ。 

 仕方ないといった様子で、指を当てている口元の端が心持ち上がっている。

 悪徳魔術師。


「三つ、ですか」

「ええ、私に叶えられることならなんでも言って」


 にこにこと人懐っこく、蔓バラ姫がまたわたしの腕にしがみつく。

 精霊って、なんだかものすごく気紛れで身勝手な子供みたい。

 

「フォート家の“祝福”の影響をわたしが受けないようには?」

「それは無理。だって正確には姫様ではなく姫様が授かる子にかかる、私であって私ではない私が与えた“祝福”だもの」


 やっぱり無理か。

 精霊は概念的な存在らしいから、与えられた時代が古すぎて、いまの蔓バラ姫の手から離れたものになってしまっているのだ。

 蔓バラ姫自身の口から聞くと、あらためて根の深い“祝福”なのだと思う。


「ごめんなさいね」

「いいの、無理なものは仕方がないわ」


 蔓バラ姫にそう言いながらルイを見て、彼と庭の雑草について話していた時の言葉がふと脳裏を過った。


 ――まあ、精霊が自らやってくれたら楽ですけどね。


「あ……!」

「なに?」

「ええと、ずっと悩んでいることがありました! 蔓バラ姫は地の精霊の属なのですよね?」

「そうだけど」

「……マリーベル? 貴女一体なにを」

「整えられた庭園や花壇に、雑草が生えないようにすることはできる?」

「生命の営み自体は変えられないの。でもそうねえ……すでに生えてきたた草の成長を早めて枯らし、こぼれ落ちた種が土に戻るまで眠らせることならできるけれど?」

「でしたら、一つ目はそちらで!」

「マリーベル、なにもそんなことに使わずともっ」


 わたしを止めようとしたルイに、じゃあなにを望めばいいのと思う。


「そんなことではありません! 魔術でもかなりきついことなのですよね? それにいくら通いの下働きの者がいたって、エンゾ一人で管理するには広すぎる庭で花壇だと前から気になっていたのです!」

「……しかし」

「いまの季節に皆の手が雑草除去にとられることに、わたくしこれ以上煩わされたくないです!」


 フェリシアンとオドレイが控えている。

 ヴェルレーヌから自分一人かルイと二人きりの時以外は、言葉遣いに意識するよう注意されているから、貴族夫人な言葉できっぱりとルイに言い返す。

 なんとなく、いままでのわたしよりちょっと強くなった気がする。

 ルイも黙ってくれたし。


「なら、一つ目は決まりね。二つ目は?」

「廃墟同然になっている使っていない建物がこれ以上崩れず、人が入れないようにして、見た目もなんとかできないかしら? あ、虫の害なども起きないように!」

「姫様……意外と要求が多いわね。本当ならそれで使い切ってしまってよ。まあでも私も朽ち果てるのはしのびないからおまけしてあげる」


 老朽化していて危ないけれど壊すのも一苦労な建物について、これで心配する必要がなくなった。

 そして三つ目は、わたしやルイをはじめとするフォート家の皆が使っている“王妃の棟”と正面玄関などの主棟の一部の維持管理を助けてもらえないか。

 そうもちかければ、ルイだけでなく、蔓バラ姫までが腕組みしてなんだか渋るようなそぶりを見せたのに、難しいのかしらと尋ねれば彼女は首を横に振った。


「それが姫様の望みというならいいけれど……」

「どうしたの?」

「私、地の精霊グノーン様直属の古精霊よ。森の一つや二つ豊かにさせたり、地中の宝を集めさせたり、“祝福”だって与えられるけれどそんな簡単なことでいいの?」

「そうですよ、マリーベル。それこそ貴女が物騒と仰る、私の加護の術に替わるような守護をかけてもらうことや、ないものをあるようにすることも……」


 わたしを誘導するようなルイの言葉に、魔力の代償なしで人間のために揮われる精霊の力と魔術の違いを検証したい彼の考えが読み取れた。

 悪徳魔術師ではなく魔術研究馬鹿の方だったのか。蔓バラ姫からのあがない申し出を聞いて、一つでは検証に足りないと考えて数を増やす交渉した。

 その頭の回転の早さと熱心さには、本当に感心してしまう。


「わたくしにとってはその三つが大問題です。使用人を数十や百単位で雇い入れることが難しく、屋敷の管理をルイが渋るのなら精霊でもなんでも使って解決します」

「なんだか精霊の無駄遣いのような気もするけれど……わかったわ」

「貴女のための贖いである制限がついている以上、仕方がないですね」


 というわけで――廃墟同然だった建物はすべて蔓バラに覆われた。

 それも精霊の力を宿した蔓バラなので枯れることはなく、年中花が咲き、虫の害などもない。

 蔓バラに覆われたその内側は、人間の世とは異なる停滞した時間の流れとなるらしい。おまけに一種の結界にもなってくれるという。

 なんて万能。栽培できるものなら栽培したい。

 小さな枝を少し分けてもらって接木で増やせないだろうか、建物保存に悩む古い貴族の方々にとって素晴らしい植物苗として取引できるのでは?


「精霊の世界のものは人間の世界には持ち込めませんよ、マリーベル」


 釘を刺してきたルイにどうして考えていることがわかったのと驚けば、顔を見ていればなんとなく察しがつくと言われて、思わずわたしは頬を押さえた。

 そんなに表情にでていたかしら?


「それに、貴女やフォート家が結んでいる蔓バラ姫との関係性と屋敷にかけている護りもあるから成立しているものです。他では育ちません」

「そうですか」

 

 屋敷の使用部分の維持管理については、彼女の眷属でもある家付精霊がこの屋敷には複数いるから、彼等を働かせるとのことだった。

  

「家付精霊?」

「ええ」


 そう彼女が肩を竦めて、長椅子ソファから真横の壁へと首を回す。

 なんだろうとわたしとルイが彼女の向いた先を見れば、サロンの壁際にまるで子供のおもちゃの木彫人形のように小さな体の、農夫のような格好をしたお爺さんが七人いた。


「えっ……?!」


“ふむふむ、ワシら見えておるようだぞ”

“ほっほっ、蔓バラ姫に呼ばれてみれば”

“おやおや、主殿までもこちらを見ておる”

“おおおお、可愛らしい奥方を娶った羨ましい主殿か”

“ほれほれ、近頃浮かれておるからの”

“いやいや、屋敷が賑やかなのはよい”

“しかりしかり、めでたいのう”

“めでたい”

“めでたい”


 ごしょごしょと寄り集まって、ルイを指差しなにか頷き合っている。


「蔓バラ姫……なんですかこの者達は?」

「本来は山の岩や鉱物に潜む小精霊達だけれど、ここが気に入っているのですって。気がついていなかった?」

「まったく」

「お前ほどあれこれ私たちに指図する魔術師もいないのに。本当にさっぱりね」

「精霊と馴れ合う気はありません。長年放置している割に寂れないとは思っていたらそのためでしたか。人が住んでいればそれなりに保たれるものなのかと……」

「そんなわけないじゃない」


“ほっほっ、ワシらがちょいちょいやっておるからの”

“ふむふむ、ここは旨いものも多くある”

“しかりしかり、あのワシらにちょっと似た台所の娘が色々こぼしてくれる”


「それって、アンのこと?」

 

 アンは、ロザリーの調理助手だ。

 ロザリーが以前に働いていたお屋敷の厨房にいて、彼女についてきたのだという。

 スカートに隠れた足元がゆらゆらと床からいつも少しだけ浮いているため、人ではない。ルイにもどういった存在なのかよくわからないらしい。

 料理長のロザリーさんに懐いていて調理を手伝い、よく働き、害意も見られないためにフォート家の使用人の一人ということになっている。

 前のお屋敷では、いるようないないような存在だったそうで。

 ロザリーはルイと同類だ。料理のこと以外は雑事な人だから、アンが調理助手として役立つならそれ以外の細かいことはまったく気にしていない。


“おやおや、そうですぞ奥方”

“いやいや、しかしあれは精霊とはちと違う”

“おおおお、人の子でないのにまるでそのように働く娘”

“ほれほれ、あの奇妙で旨いものを作る女人を好いておる”


「本当、妙な者達が多いわ。犬狼が花を育てていたりもするし」

「エンゾは先祖返りです。それにしても、アンは家付精霊の一種と考えていましたが精霊の貴女から見てもよくわからないものですか」


 少なくとも精霊ではないわね、と蔓バラ姫はルイに答える。


「私の蔓で覆ってしまったところは手をかけなくてよくてよ。お前達は、姫様が使っているところで働きなさいな」


 蔓バラ姫の言葉に、また寄り集まってごしょごしょと相談しはじめた家付精霊達が、一斉にこちらを向いて同時に頷いた。

 特別に、蔓バラ姫がいなくなっても、ルイとわたしには引き続き家付精霊達を見て声を聞けるようにしてくれるらしい。

 もっともその家の者が一度気がつくと、彼等はそれなりに姿や声を見聞きしやすくなるものではあるようだけれど。


「私たちはいつだって、よき隣人だもの」


 そう言って、蔓バラ姫も家付精霊達もどこかへ消えてしまった。

 たぶんわたしが彼女に連れられた精霊の道とやらで、どこかへ行ってしまったのだろう。


 ちなみに蔓バラ姫の三つの贖いがすべて行われる間、屋敷はにわかに慌ただしくなっていた。

 大慌てで外から屋敷に駆け込んできて、お屋敷に一体なにが起きたのかと廊下で叫ぶリュシーを落ち着かせるため、フェリシアンがわたしから概要を聞いて説明に部屋を出て行ったり。

 フェリシアンと入れ替わりでやってきたテレーズは人外の気配に敏感な人のようだ。フォート家の環境も手伝って、もやもやの光状態の蔓バラ姫がなんとなく見えたそうで、「精霊ってなんだか不気味ですわね」と彼女が言ったのに、蔓バラ姫がご機嫌を損ねてわたしがなだめたり。

 警備上の確認をした方がいいと言い出したオドレイに、ルイがいままで通りで問題ないと指示したり。


 屋敷の中が慌ただしかった間。

 外にいたエンゾとシモンとマルテと下働きの人達は、屋敷の建物を覆い隠していく蔓バラが伸びていくのや庭の雑草が枯れていくのを眺めながら待機していた。

 エンゾがざわつく皆に、「なにかあるなら旦那様から説明があるだろう。明らかに大きな魔術かなにか動いているようだから、むやみに近づいては危険だ」と落ち着かせて、草むしりの仕事がなくなったのでのんびりと水撒きをしたり、労いのお菓子を食べて休憩していたらしい。

 正しい判断と対応すぎて、エンゾがいてよかった。

 屋敷に飛び込んできたリュシーのことも、蔓バラ姫の蔓が建物を覆っている間は止めくれていた。流石はフォート家で一番の常識人だ。

 わたしがエンゾをほめてお礼を言えば、彼はぱたぱたと尾を揺らした。

 どうやら少しばかり照れたらしい。

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変人魔術師に一目惚れされて結婚しました ミダ ワタル @Mida_Wataru

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