第58話 母様の秘密

 “祝福持ち”だったのではないか――。


 そう、母様について考えを話したルイに、お祖母様はあり得ないわと言った。

 貴族の子供は十三歳までに魔術に関する基本的な知識を学ぶことが必須教養とされている、貴族の家の娘だったお祖母様もそうだったはずだ。


「魔術の適性もない子なのですよ」

「ああ、マリーベルの適性のなさは母親の遺伝でしたか」


 お祖母様の言葉にルイは頷いた。

 魔術適性は、強い血筋は強い者が生まれやすいなど遺伝的要因が見られるものらしい。


「精霊となんの関わりもない人間の場合、“祝福”は赤子の時に一方的に与えられるものです。内容によっては本人が自覚していない場合もある」


 そう話す彼の口ぶり……ちょっと、いやかなり、魔術研究の方に思考が傾きかけていらっしゃるような気がする。


「魔術ではないため検知もされにくい。西部は農地が多いですからその日常に上手く嵌ってしまうものだと、あり得ますよ」


 日常からはみ出してしまうような祝福であれば、例えばシモンのように異端扱いされ迫害を受けるなど、呪いも同然なことになりやすい。

 しかし、そうでないようなものの場合。

 聖なる力を授かったと反対に歓迎されたり、本人も周囲も気がつかず才能としてもてはやされたりすることもあるらしい。


「“祝福”は精霊がよかれと勝手に与えるものです。良い方向に働けば、言葉通りの祝福となりえます。もっとも“祝福”を与えられること自体、稀なことですが」

「あの子が……」

「しかし、そうだとしても若干疑問の余地が残る」


 疑問って?

 そうわたしが尋ねれば、あまりに影響を及ぼす範囲が広く強力過ぎると彼は言った。


「少なくともフォート家に祝福を与えた蔓バラ姫以上の、地の精霊の直の眷属くらい力ある精霊でなければそこまで干渉できる力にはならない。ご存命のうちにお会いしたかったですね」


 淡々とした調子だけれど、心底から残念だと思っているのがわかった。

 魔術の家系であるご自分のことはあまり快く思っていない節があるくせに、本当に魔術に絡むこととなれば目の色が変わるというか、夢中になるのだから。

 どうしようもない人だわとルイに少し呆れる。

 

「あの、公爵様」

「はい」

「その……“祝福”というものは娘にも?」

「わたし!?」


 ないないない、そんなものはない。

 庭師のエンゾさんからは、リュシーよりは手伝いとして助かるくらいの評価でしかないのだから。


「“祝福”は与えられた当人だけ、一代限りのものよジュリアン。でなければそこいらじゅうに異能を持つ者が現れます」

「ええ、クロディーヌの仰る通りです。“祝福”より稀有な“加護”であっても与えられた者だけです」

「しかし、フォート家の祝福とやらはそうではないと」

「あれは、“ヴァンサン王の子の血統と力は途切れない。子から子へと引き継がれる”といった、与えられた当人ではなくその血を引く次代にかかる、非常に厄介かつ異例な祝福なため、特別です」

「そもそも父様、わたしそんな母様ほど上手じゃないわ。ジャンお爺さんからも母親と比べてまったくだめだっていつも文句いわれてたもの」

「ああ、偏屈者だがお前と遊んでくれるという村の老人か。言われてみればたしかにマリアンヌのようにお前に驚いたことは儂もないな……」


 飲み干して空になったままだったゴブレットに、父様は手ずからワインを注ぎ入れる。

 人払いをしているため、ファビアンとオルガや他の使用人も部屋にはいない。

 

「マリアンヌの遺言があったものだから」

「遺言?」


 父様の言葉を聞いて、ルイが眉根にわずかに皺を刻んだ。

 

「差し支えなければ、それはどういった……?」

「え、ああ。この子は私と同じ、“緑の指”を持っているからと。だから自分の時のように娘のことも守ってくれと」

「……成程」

「ルイ?」


 口元で指を折り曲げて呟くように、父様の話に相槌を打ったルイになんだろうと思う。

 あれはなにか考える時の彼の仕草だ。


「おそらくは……ご自分と同様の目を、マリーベルも向けられるのではないかと心配されていたのでしょうね」

「そうだろうと思います。妻とのその約束があったからこそ、私もここまで踏ん張ってこれた」


 どうやら母様の言葉の意味を考えていたらしい。

 そして母様の遺言と父様の言葉を聞いて、あらためてわたしとわたしが過ごす日々ごと、母様が父様に託したその通りにずっと守られていたことがじんわりと胸に迫り、今度こそ視界がぼやける。


「父様……」

「なんだ、マリーベル」


 突然、父様の腕に額を擦り付けるようにして、袖を摘んだからだろう。

 父様が驚いた声を上げたけれど、離れる気になれなかった。


「……ありがとう、父様」

「まったくお前は、いつまでも娘気分で……」


 子供の頃に泣いた時にそうされたように、父様の、書類仕事で乾いて少しインクの匂いのする指が頬を拭ったのに、だってと自分でもびっくりするほどの涙声で応える。

 そうして本当に小さな子供に戻ったように腕にぴったりくっついたままのわたしはそのままに、父様はルイに向かって頭を下げた。


「公爵様……いや、ルイ殿。あらためて娘をよろしくお願いします――」


*****

  

 時間が経っても大丈夫な軽食を皆でとって、お祖母様はドルー家へと公爵家の馬車で送られた。

 わたしとルイは客間へ。オルガに湯浴みと就寝支度を手伝ってもらう。

 衝立で区切られた場所から、昨晩同様に魔術で身を清めたらしい寛いだルイの側まで近づく。下がろうとしたオルガを止めて、わたしは嫁ぐ前の自分の部屋に移動すると伝えた。


「お嬢様のお部屋にですか」

「部屋は使えるでしょう」

「使えますが……」


 困惑するオルガに、構いませんとルイが声をかけた。


「彼女の好きにさせてください」

「いいの?」

「色々と思うところもあるでしょう。しかし、大丈夫ですか?」


 なにについての、大丈夫だろう。

 思い当たることがあれこれと多すぎて答えられない。

 少しだけ微笑んで勝手を許してくれた礼を言えば、屋敷ではそれが当たり前で今更だとルイは苦笑した。

 そういえば、そうだった。

 フォート家を出てから十余日ずっと彼と一緒にいて、共寝していたのですっかり忘れていた。

 

「あのお嬢様……その、とても仲睦まじく見えたのはこのオルガの目が老いたからでしょうか」


 かつてわたしが使っていた部屋に移動して、埃除けの布などを取り払って寝台を整える手を止めてのオルガの問いかけに、へっと変な声が出てしまった。


「先程、公爵様が屋敷では別々なのが当たり前のようなことを。まさか――」

「つ、妻にはなっています。きっちりしっかりと」


 ものすごく気遣わしげな顔をオルガにされてしまって、反射的にそう言えば心底ほっとしたようにならようございましたとオルガは寝台を整える作業を再開し、こちらで大丈夫ですよと言った。


 うう、子供の頃から面倒を見てもらっているだけに、そういうことをあらためて聞かれるとかなり恥ずかしい。

 ありがとうと言いながら、頬に熱を帯びてしまう。


 わたしが王都にいた間も、わたしの部屋は定期的に掃除されていたらしく床に埃がうっすら積もっているようなこともなくとても綺麗だった。

 薄い青に塗られた壁。淡いクリーム色の寝具で整えられた寝台に飴色の艶を持つ簡素なテーブルと椅子。小さなひきだしがたくさんついたチェストと衣装箪笥と小さな書棚。

 自分で言うのもだけど、若い未婚の娘が使っていたにしては少々殺風景かもしれない部屋を見回し、王宮で目まぐるしく働いていた生活やルイと出会ってからのことが全部夢だったような錯覚にとらわれる。

 まるでほんの二三日、ドルー家にでも泊まって戻ってきたみたい。

 不思議な感覚だった。


「結婚してすぐ、領内から色々と相談を寄せられルイが忙しくなってしまったたものだから……」


 それとわたしが身構えていたこともあってと、付け足そうか迷ったけれどまたオルガを困惑させそうだと思って口を噤んだ。

 

「お嬢様」

「あ、えっと、なに?」

「……いえ、ゆっくりお休みください」


 なにか注意される?

 オルガの顔を見ればとても物言いたげな表情をしてはいたけれど、なにも言わずに退室の挨拶をして下がった彼女に拍子抜けした。

 蝋燭の火を吹き消して、一人になったかつての自分の寝台に倒れ込む。

 なんだか疲れた、とても疲れた。

 窓から差し込む月の光が明るく、蝋燭を消しても薄明かりだった。

 

「っう……っ……」


 そして一人になったら、今日一日のこと、これまで自分が目隠しされてきた世界が一気に押し寄せてきて、しらず嗚咽が漏れていた。

 泣き声が、部屋の外に漏れないように寝具に突っ伏す。


 王都に出てからの日々が夢を見ていたようなら、それ以前、ここで生まれ育った日々は偽りだ。

 わたしの身と心を守るためだったことは、もちろんわかっている。

 本当に命がけで、わたしと、わたしが生まれ育ったこのユニ領を守ってくれていた父様には感謝しかない。

 けれどそれとこれとは別だった。

 それに……ルイも。

 彼のことだ、最初は自分の思惑のために利用できそうだと考えて利用することにしたのだろう。

 けれど、父様では手が出せないところをまるで父様から引き継ぐようにして、やっぱり父様と同じくなにもかもから、わたしに目隠しをした。

 あの親切だったモンフォールの当主様が、母様とわたしに対してどんなおぞましい扱いを考えていいた人だったのか、人としてすら見ていなかった。

 わたしが信じて見ていたものは……まるで違う。

 怖い……。

 いまわたしがそうだと思っている、いまのこの状況は本当なのだろうか。

 自分で自分が信じられなくなりそうだった。

 なんだか、どんどん暗い場所へ沈んでいくよう。

 心の中がぐちゃぐちゃで、だから部屋の扉が細く開いたかすかな軋みにも気がつかなかった。


「――やはり大丈夫ではありませんね」


 聞こえた声と、扉の閉じる音にはっと顔を埋めていた枕から頭を上げて、肩だけ持ち上げて振り返る。

 扉の前に立っているのは、思った通りルイだった。 


「深夜に淑女の部屋を忍んで訪ねる非礼をお許しください、マリーベル」

「どうして……」

「貴女の部屋を訪ねないと約束した覚えはありませんよ」


 いつもの調子でそう言って、やってきた彼はわたしと距離を置いて寝台の隅っこに腰かける。

 わたしを斜に見下ろし、いまの貴女にとってはこういったのも腹立たしい限りでしょうがと言った彼に、驚きに一度凪いだ心が再び激しく波立つ。

 憤り任せに起き上がって、枕の端を掴み投げつけたけれど難なくルイは受け止めた。

 

「なにがっ……嘘吐かな……っ」


 う……うぅっ……と、言葉は途中で嗚咽に変わってしまう。

 だらだらぼたぼたと流れ落ちて止まらない涙をぬぐうことも、顔を覆うことも忘れて……後から考えたらひどい形相で睨みつけていたにちがいない。

 しゃくり上げる声を押し殺そうと唸っていたわたしは、令嬢としても公爵夫人としてもあるまじき姿だったはずだ。

 けれどその時は、そんなことを考える余裕もなかった。


「嘘は吐いていません。ですが嘘を吐かなければならないところは黙ってやり過ごし、隠し事は大いにしました」

「……っ」

「貴女のためといった私の勝手な判断の下に。ジュリアン殿は魔術師ではないので方便程度のことも言ったでしょう、娘を思う父親として」


 そんなことはわかっている。

 

「しかし貴女からすれば、貴女の目を長年眩ましてきたことには違いない。私もその片棒を担いだことには弁明のしようもない。時間を巻き戻しやり直すことも叶いません。なにもかも信じられなくなりそうな気分だろう貴女に“守り切るためだった”と、せいぜい開き直るくらいです」


 正面を向いて横顔を見せ、わたしが投げつけた枕をご自分の目の前でふかふかと両手に押し挟むようにして弄びながらのルイの言葉に、かっと頭に血が上るような怒りで息が詰まる。


「わたしっ……そんなことっ……」


 はっ……と短く息を吐き出す。

 そのまましゃくり上げてしまったわたしの声に、彼は目線だけをわたしに向けた。


「望まない? 本当に? 人とも扱われない境遇に陥るか不安の日々を過ごしたかった? いつ向けられるかもわからない悪意を意識し始終怯えながら暮らしたかった?」

「……やめ、て」

「自分のために不当な扱いを受ける父親を見てみぬ振りをするのと、おぞましい提案に頷くのとで葛藤したかった?」

「やめてよ……」

「その結果、涙ぐましい献身を選び、結局なにもかも無駄に後戻りできない我が身を嘆きたかった? 貴女を守れなかった父親はどうなるか、その末路を人伝に聞き絶望したかった? ああ、その前に気が触れることもあれば、あるいは案外受け入れてしまうことも……」

「やめて――っ!」


 教えてくれたら、などといったわたしの小さな意地は粉々に打ち砕かれる。

 起こり得たかもしれない現実を、淡々と無慈悲に並べ立ててくるルイの言葉を遮るように涙で濁った声でわたしは目を閉じて叫び、後はもう本当に嗚咽の声しか出なくなった。


「っ……うっ、く……っ……」

「貴女はしっかりした人ですが、そこまで強い人ではありません」


 マリーベルと、やはり淡々と静かな調子で呼びかけられる。


「貴女が見ていたものは本当です。貴女を大切に思う人達が、本当にしてみせるとしていたものであり時間です。それが嘘で偽りだと?」


 下ろした髪が乱れるほどにわたしが首を横に振れば、結構とルイは呟いた。


「なにも知らなかったなどとご自分を責めるのはお門違いです。教えてくれればなどといった意地なら愚かですらある」

「……それならっ……最後まで、教えないでほしかっ……」


 熱くなった目元を左右の掌で押さえながら絞り出すようにそう言えば、無理ですねと切り捨てられた。


「モンフォール伯に手を出させないための手立てもですが、ジュリアン殿やユニ領を実質的に庇護下におかなければならない時点で、いずれ貴女の知るところとなる。その手続きや、口さがない部外者の噂などで中途半端に知りたかったですか?」


 ふるふると再び首を振る。

 目を閉じていた視界がさらに暗くなったのに瞼を開けば、ルイが間近に寝台の外からわたしを見下ろし、斜めに伸びる彼の影がわたしにかぶさっていた。

 

「小さな子供みたいに泣きじゃくる貴女も可愛らしいですが、少々痛ましくもある顔ですね」

「え……」

「流石にいまは触れません」


 言いながらわたしの顔に触れるか触れないかのところまで彼の手が伸びて、その手が目隠しするように目元を覆う。


「――……」


 言葉の意味はわからない。

 彼が唱える魔術のための古い言葉が聞こえて、思わす閉じた目元にぽうっと淡く柔らかな光を感じると同時に熱を帯びた腫れぼったさが引いて、冴え切って眠れそうになかった神経までもが和らぐのを感じた。

 きっと癒しを施す魔術だろう。


「ゆっくりお休みなさい。マリーベル」

 

 目元を包んだ光のように柔らかな声音を聞いて、彼の名を口にするより前にわたしは心地良い眠気に誘われるように眠ってしまった。

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