第57話 貴き血

「最悪は回避しました。調べれば関与につながるだろう証拠も掴んでいる。モンフォールは私と全面戦争でもする気がない限り、手は出せないはずです」


 父様を促すようにルイが畳み掛けるのを、あの、とわたしは遮った。 


「証拠って、さっきのメダルですよね?」

「ええ、そうですよ」


 わたしの問いかけに応じたルイに、胸を過った不安で眉をひそめる。

 あれはオドレイさんが持ってきた。

 つまりオドレイさんは実行犯と相対したことになる。


「どうやって……まさか」

「まさか、オドレイに奪わせたとでも? 私もオドレイも賊でも盗人でもないのですよ」

「それはもちろん! だけど」

「こちらの意向をお伝えし、解除を条件に先方から譲ってもらいました。あちらもあまり気が進まなかったようで」


 北部貴族と賊、一体どちらと交渉して譲ってもらったのか。

 あるいは両方? 

 メダルは一枚しか目にしていないけれどそれもありえる。

 ユニ領へ向かうにあたり、近道で馬車が走りやすく道が整えられてる北部を避けて東部を進むとしたのはルイだ。

 

「本当に本当?」

「本当に本当です。貴女という人は……もう少し夫である私を信用してくださいませんか」

「だって」


 わたしがそう呟いたのに、ルイは軽く咳払いした。 


「……話が横道にそれました。モンフォールにとって、たしかにユニ領は旨味がある取り戻したい地かもしれません。それにマリーベルを手に入れれば必然的にジュリアン殿も手に入る。ユニ家の財も臨時収入としては魅力的でしょう」


 同じ穀倉地帯を有する大領地の領主として、目障りなトゥール家を追い落とす機会にもなる。しかしだからといって、公爵家に対しこのような画策は少々度が過ぎるのでは?


 ルイの問いかけに、父様が困ったようにルイやわたしが向けた視線からも目を逸らし、お祖母様へと目を向ける。

 お祖母様も難しい顔をして父様を見た。


「……貴方、どう説明したの?」

「モンフォール家とユニ家のはじまりと確執を」

「ええ。あちらから見れば、かつて独立を許した後、再び婚姻で繋がった影響下にある成功している他領。後継者ではない三男が、娘であるマリーベルに懸想している。縁を結べばそれなりにモンフォールにとっても利益になる、と」

「ほぼすべてではあるけれど、随分と表面的ね」

「事情はお聞きしました。私を後押しする取引として納得できる理由ではありません」


 口調こそ丁寧だったけれど。

 父様とお祖母様に対し、ルイは彼にしては強い口調できっぱりと言った。


 なんだか、ひどく……怒ってる?


「深い事情があるのなら、昨日今日会ったばかりのただの求婚者に話すことはないと考え、私はジュリアン殿に結婚を認めてもらう条件を承知しました。必ずマリーベルをモンフォール家から守ると」


 約束を果たした暁には、真に彼女の夫として認める。

 クロディーヌはいいでしょうと答えましたが――そう、ちらりとお祖母様を見てルイは父様に視線を戻す。

 わたしの身にもしかするととんでもない危険が降りかかっていたかもしれない話なのに、彼の切れ長な眼差しに不謹慎にもどきりとしてしまったのはきっと彼の言葉のせいだ。

 そんな約束を、ルイと父様が交わしていただなんて。


「貴方はどうなのですか、ジュリアン殿」


 向けられているルイの眼差しが父様を射抜くようだ。

 父様……と、わたしが声をかければ肩を支えてくれていた手が外れた。

 両膝に肘を立てて組んだ手に額を乗せ、父様は項垂れる。

 しばらく、そのまま。

 わたしにとってはとても長く感じる間、沈黙が書斎を満たした。


「――マリアンヌは……」


 俯いたままお腹の底に溜めていたものを吐き出すように、父様が溜め息を吐きながら母様の名前を口にする。


「“緑の指”を持っていた」

「緑の指?」


 話の流れとしては、随分と突飛な言葉だ。

 思わず父様の言葉を繰り返し、わたしは首を傾げる。

 緑の指――植物をうまく育てられたり、世話が上手かったりすることを、そう呼ぶ。

 そういえば。

 わたしも一度、王宮でルイにほめられたことがある。


「マリアンヌは……その、それが単に育てるのが上手いといった範疇を超えていた。茎が折れたり、萎れかけたりして色が変わりつつある花や苗や蔓まで、彼女が手当てをすると蘇る。公爵様なら“貴き血”の迷信はご存知でしょう?」


 父様の言葉に、ルイがええと答える。


「かつてのいにしえの貴族は不思議な力を持ち、その力でもって領主として人々を従え導いた……本当の話なら、私の先祖であるというヴァンサン王の精霊博士を超えるような王の才もその一種なのかもしれません」

 

 父様がルイの言葉に頷いたのに、ちょっと待ってと思う。


「父様は、ルイの……フォート家のこと知っていたのっ!?」

「すべて結婚前にお話ししています。結婚の申し入れなのですから、不都合を伝えた上で判断いただくのは当然です」

「そんな」

「お父上殿を責めないであげてください。貴女の性格を考えたら無駄に悩ませるだけと、私が口止めしました」


 愕然とするわたしに、ルイは彼には珍しく若干申し訳なさそうな表情を浮かべてそう言った。

 たしかに、そうかもしれないけれど。

 でも、だからって……父様ぐるみで隠し事をされていたことに胸の奥がもやもやする。


「それにフォート家の“祝福”のことも度外視するくらい、娘の貴女を守ることを優先させた。私はずっとそこに引っかかりを覚えていました」

「ルイ?」

「マリーベルの母君は、モンフォール家の遠戚であるドルー家の娘。一族に生まれた娘を政略の道具にすることはよくあることです。緑の指……農耕が盛んな西部なら利点にもなるのでしょうね」

「ええそう。はじめは私もアルテュールがそのつもりでモンフォールへ預けるよう言ってきたと思いました。思惑は癪でも、よい嫁ぎ先を見つけてくれるのならと私はこの子の母親マリアンヌをモンフォール家へ行儀見習いに出したのです」


 アルテュールとは当主様の名前だ。

 お祖母様がルイの言葉を補足するように、モンフォールの当主様に言われて母様をモンフォール家に出したことを説明する。

 王都進学のため一時的にモンフォール家の食客のような立場だった父様と行儀見習いだった母様が、モンフォールのお屋敷で出会ったことは知っていたけれど、そんな背景があったなんて知らなかった。

 

「先ほどのジュリアン殿の言葉と貴女の物言いで納得しました……モンフォール伯は、マリーベルの母親であるマリアンヌに“貴き血”を見出したのですね?」

「そうです。ただ人より少しばかり植物の扱いが上手いというだけのことを。西部の貴族にとって“貴き血”は信仰に近いものがあるのです。年輩の、高位貴族は特にその傾向が強い」


 父様が気を取り直したように顔を上げて姿勢を直し、ルイの問いかけに答える。

 母様に、“貴き血”?

 わたしには、ばかばかしいような話にしか聞こえない。

 けれど、父様もお祖母様も沈鬱な面持ちで、ルイも大真面目でいる。


「あの子がそのように思われていたなんて。まともな政略結婚ではなくなる恐れがありました。運良く王都の伯爵家の跡取りが興味を持ってくださり縁談探しが止まってほっとしたものです……この人の仕組んだ狂言と知った時は呆れ返りましたけれど」


 お祖母様がぎろりと父様を睨んで、結果的には良い事でしたとため息を吐く。


「あの、お祖母様?」

「なんです、マリーベル」

「母様に“貴き血”を見出したとして、どうしてまともな政略結婚ではなくなるの?」


 むしろ父様の話だと、高位貴族がとびつきそうに思える。

 ドルー家には爵位がないから、父様には悪いけれど母様にとって悪い話にはなりそうにないと思える。

 元々ドルー家は、一応と頭につくような男爵令嬢であっても貴族の娘であるお祖母様が嫁ぐくらいにはお金持ちの家だったらしい。

 けれど父様と母様が結婚した頃には没落しかかっていたとも聞いている。

 結婚してから父様は、母様の実家だからとドルー家を支援してもいる。

 

「“貴き血”は、受け継がれるとされるからですよ」

「それなら余計にいい条件の家から声がかかりそうに思うのですけど」

「マリーベル……貴女のような貞淑な方にこのような話は気が引けますが、血を入れるだけなら子さえ成してくれれば、正妻でなくても構いません」

「もっと言えば、譲り渡すことも……」

「クロディーヌ様っ!」


 怒鳴りつける剣幕で父様が立ち上がって声を荒げ、お祖母様の言葉を途中で遮る。父様の剣幕に驚いて、わたしは頭の中が真っ白になった。


「貴方を前に、娘のことだというのに余りの言い方ね。ごめんなさい、ジュリアン」

「いえ。私も……クロディーヌ様がそんなつもりでないことは……」

 

 言葉を濁しながら父様が腰を落とし、マリアンヌはともかくマリーベルは本当に普通の娘であるのにと呟く。

 わたしの頭の中では、ぐるぐるとルイとお祖母様の言葉が回っていた。

 その意味を深く考えたくない。

 こめかみがじんと痺れるような痛みに疼いている。

 

 血を入れるだけなら……。

 子さえ成してくれれば、正妻でなくても構わない……。

 譲り渡すこともと、お祖母様はたしかにそう言った。

 それってつまり……子供さえ産めればいいだけの――。

 どうして母様が、わたしがそんな。

 

「普通の娘であっても、“貴き血”を継ぐ娘であるのならその子や孫はわからない。そう考えたのでしょうね」

「正気じゃないっ」

「ええ、正気の沙汰ではありません。マリーベルから王都に向かう際の話を聞いて確信しました。モンフォール伯には彼女への普通ではない執着がある。それが不可解だった」


 自分の娘でも、騎士団に護衛を要請するなどあり得ない。

 対外的にマリーべルを送り出したことを隠すためなのは明らかだとルイは言った。

 あれでは、お忍びで西部に遊びに来た王族でもモンフォールが王都へお送りしたようにしか見えない、と。


「王族って、まさかそんな馬鹿な」

「他領の、平民の娘を己の一族より優先させるなど、明らかになにかあると思われる。王都に辿りつくまでなにが起きるかわかりません」

「でもっ」

「そうでなければ貴女から聞いた、ジュリアン殿がモンフォール家の当主に頼み込み紹介状を書いてもらった話には違和感しかない。紹介しても道中のことまで責任は持てない。義理なら他領の娘がどうなろうと気の毒だったで済む話です」

「それは、心配したお祖母様が掛け合ってくれたからで」

「ドルー家はジュリアン殿から経済的支援を受けていますよね」

「え? ええ、まあ……母様の実家だから」

「モンフォールの一族なら面子の問題でジュリアン殿よりあちらの支援が先に入るはずです。ドルー家もまたモンフォール家に不当に冷遇されている」


 そんな……と、わたしがお祖母様を見れば、片方の眉の先を軽く吊り上げてアルテュールは意地の悪い男なの、と言った。


「マリアンヌをジュリアンに取られた腹いせに、少しでもユニ家を困らせるつもりなのでしょう。元々マリアンヌの嫁ぎ先を見つけるのが難しくなるよう、周囲に圧力をかけてドルー家を困るように仕向けていた彼だもの」

「だとしたら尚更、後に手駒にするつもりの一族末端の娘と考えても、モンフォール伯のマリーベルへの思い入れは過剰です」

「そうね」

「ジュリアン殿から聞いた話にも、マリーベルから聞いた話にも、明らかに単なる領地や両家の利害だけではなさそうな部分がある。しかしいくら調べてもはっきりしなかった。当然だ、まさか“緑の指”が“貴き血”などと結びついての妄執だったとは……」


 西部は“王国の穀物庫”とも呼ばれるような地だから、領地に益をもたらす才能をそのように捉えることはないこともないのかもしれない。

 だが、はた迷惑では済まない話だとルイは首を横に振った。

 

「おそらくジュリアン殿は、王宮勤めとなれば箔がつくとモンフォール伯を丸め込んだのでしょう。父親としてせめて普通の結婚の体にとくらい言ったのかもしれない。成人した貴女の結婚時期を引き伸ばすために」


 ルイの言葉に、父様が苦しそうに顔を歪めながら項垂れる。


「結婚時期を引き伸ばす?」

「あの父親に似ない三男が、伯爵家を出て騎士団へ行ったために防波堤がなくなった。王都、それも王宮であれば西部からは手が出しにくいとグレゴリーを頼りました」

「防波堤……って」

「折り合いが悪くても彼は当主の実の息子。その彼がああも大ぴらに求婚を口にし、釣り合いも取れないわけでもない。モンフォール伯は実の息子の振る舞いに苛立ったでしょうね。あの無思慮ではあるが正義漢ではある息子に思惑を悟られれば厄介なことになると考えたに違いありませんから」


 あの坊っちゃまは性根はなかなか悪くない。

 夫としてマリーベルを酷くは扱わないだろうし、父親に抵抗もするだろう。

 しかし、モンフォール家に入ることには変わりない。

 モンフォール伯は計算高い。

 他の息子達や他の一族の者達にそれらしいことを言って、実質的にマリーベルを支配する可能性もあると、父様が項垂れたままぽつりぽつりと説明する。

 

「幸い、娘自身が彼の求婚を幼なじみの悪ふざけと捉えていました。人に聞かれればそう答え、周囲も取り合わないでいた。だから私もひとまず静観の構えでいたのです」


 ルイに説明する父様の話は、ルイがモンフォールの当主様と話したのと同じ。

 わたしが見ていたのとはまるで違う、わたしの周囲の話だった。

 父様もお祖母様も、ずっとそれをわたしに悟らせないように振る舞っていた。

 当たり前だ。わたしがあの大領地を治める当主様に、“貴き血”を入れる子供を産むためだけの道具として見られているなんて、そんなこと口が裂けても言えるわけがない。 

 はっきり言葉にして考えるだけでも、そのおぞましさに震えと吐き気がくる。


 大丈夫。

 父様がそうならないようずっとわたしを守って、ルイが解決してくれた。

 心の中でそう自分に言い聞かせても、わたしは自分自身を守るように腕を交差させて抱きしめ、吐き気に苦い唾を飲み込まずにはいられなかった。


「まさか家を飛び出すとは。本当に中途半端な坊っちゃまだ。もう少し見込みがあると思っていたのに」

「彼を見込んでいたとは、それはなかなか危ないところでした」


 暢気な口調で勝手なことを言うルイをわたしは睨みつけた。

 自分の周囲にあった理不尽への憤りをぶつけるように。

 それなのに。

 それで気が済むならどうぞといった平然とした表情に受け止められて、なんだか泣き出したくなる。

 

「殿方の狭量は見苦しいですよ、ルイ殿」

「なんとでも仰ってください」


 開きかけた扇で口元を覆うようにしてのお祖母様の呟きに、ルイは肩を竦めて足を組むと膝の上に組んだ両手を置いた。

 お祖母様もルイも。

 わたしのために、あまり深く考えず聞き流して終わりにしろ、実害なく済んだのだからと言外に諭すような態度だった。


「とにかく。マリーベルは彼女の母親の“貴き血”を繋ぐ娘として、まずはモンフォールの一族内、おそらくその後は血を入れたい者の願いを叶える道具として利用されようとしていた。それでよろしいですか?」

「……ええ」

「でしたら今後その心配はありません。ジュリアン殿をフォート家に迎え入れる話は通しました。ユニ家はその領地も含め、西部にありながら実質的に東部ロタール公爵領の影響下に置かれます。もちろんユニ家との契約があるドルー家も」


 手紙に書いた通り、北部系貴族の人脈も中継を潰してモンフォール伯にも失点が及ぶことになり、当面そちらで手一杯になるはずだと。

 モンフォールの城館で当主様と交わした会話について、ルイが説明した。

 父様には先に伝えていたらしい。

 ルイの側を離れるなと帰省して言われたのは、そういったことがあってのことだったのかと理解した。


「三日の内にユニ家とフォート家の屋敷を繋げます。念のため二階より上には護りも施すつもりです。もうご老体ですから、序列一位の公爵家に直に喧嘩を売るほどの元気はないと思いたいですね」

「近隣は大丈夫かしらね」

「貴族社会の噂はあっという間に回ることは貴女もご存知でしょう、クロディーヌ。東部の騎士団が越境捜査なんて噂にならないはずがない」

「そうね」

「公爵家や王都のある北部も絡むとなれば、そんな面倒な力関係の渦中にあるユニ領にあえて触れようなんて誰もしませんよ」

「なにやら私の領地が、西部の厄介者のようだ」

「裏の話で表向きにはなにも変わりありません。モンフォール領はもちろん近隣他領との関わりも。美食の西部を支えるユニ領を正当な理由なく締め出すことは不可能でしょうし、抗えないでしょう」


 締め出されたら、フォート家を仲介に王都へ販路を広げればいいと事もなげにルイは言う。


「西部の法務案件はフォート家を通すことになり、これまでのようにはいきませんが。二十年以上お試し価格なら十分でしょう」


 我が家の家令は厄介な案件を丸く収めるのに慣れていますのでご心配なく、と微笑んだルイになんだかフェリシアンさんに申し訳なくなる。

 どうかフェリシアンさんに、四季の女神様と命運の女神様の御加護を……。


「片付いた話よりも」


 ルイが僅かに居住まいを正したのに、父様とお祖母様が彼を見る。


「いまの私が気になるのは、マリーベルの母君であるマリアンヌに何故モンフォール伯がそこまでのものを見出したのか理由を知りたいですね」

「それはまだ幼かった頃のあの子が、妙な事を言ったのが発端です」

「妙な事?」

「心優しい子でしたし子供特有の気遣いです。それを……馬鹿馬鹿しいにも程がありますよ、一度そう見てしまえばなんでもかんでもそれに結びつけて。貴方の仰る通りまさに妄執です」


 ぴしっと開きかけた扇を閉じて、再びその先で掌を打ってそれを握り憤るお祖母様に、具体的にどのようなことだったのですかとルイは尋ねた。


「あの子が十歳になった頃、とても激しい防雨風の嵐がこの一帯に吹き荒れました。一族の女子供や老いた者は堅牢なモンフォールの城館で過ごすことになり、それはひどい嵐に皆が伸びかけたばかりの穀物の苗は全滅になると不安がっていました」


 お祖母様の話を聞きながら、ルイが口元に手を当てて目を閉じる。

 なにか思い出しているような様子だった。


「三十年程前の話ですね。私もまだ子供でしたが、父が慌てていたので覚えています。その年は西部は不作で、南部も天候不順。国境の争いは激化し、王国の備蓄が回らないかもしれないと」

「そうでしたわね」

「それで?」

「不安がる大人達の中であの子は何故か落ち着いていて……昔からそういったところがあったのです。おっとりしているというか、ぼんやりと空想に耽るような。ですから、“大丈夫よお母様、そんなことにはならないわ”とにこにこしながら言ったあの子に、なんて不謹慎なと」


 お祖母様はその時、そんな気休めは口にするものではないと母様を叱ったらしい。ところが嵐が去った後、モンフォール領の穀物畑の大半が助かった。


「いえ、助かったというのは語弊があります。たしかに土は荒れ、苗は倒れ、水浸しになったのです。けれど普通ならだめになるはずの苗が、手を入れた途端に生き返るように成長した。他領は手を尽くしてもどうしようもなかったところが多かったというのに……」

「その話なら、結婚後に私もマリアンヌから聞いたことがある。それでモンフォール伯が誤解してしまったと。マリアンヌは皆を気遣っただけで、馬鹿馬鹿しいほどなんの関係もない」


 たしかに。

 ちょっと不思議な話ではあるけれど、まだ子供の母様が大丈夫とお祖母様を励ましただけで何の関係もない。

 母様は苗の世話すらしていないもの。

 ちょっとは手伝ったかもしれないけれど、いくらなんでも領内の穀物畑を回るなんてことはない。


「その年の西部の穀物の生産に関し、モンフォール領は大きな割合を占めました。アルテュールは三十代の領主になったばかりの頃で、自分の立場を高めるため精力的に色々と動いて」

「そういえば、王宮で西部系貴族の勢力が強くなってきたのもその頃でしたね」

「ええ。南部も不作だからと領内の備蓄も上乗せて王家に恩を売ったのです。そしてあの時近くにいた一族の誰かからマリアンヌの話を聞き、それまで見向きもしなかった遠戚のドルー家に近づいてきました。その後は先ほどまで話していた通りよ。アルテュールのあの子への思惑に気がついたのは随分後になるけれど」


 お祖母様の言葉に、成程とルイは相槌を打つ。

 たしかにそれは範疇外だと呟いた。


「偶然です。嵐は西から来て、西部では東の端にあたるモンフォール領に来たときには他領よりいくらか勢いが弱まっていたとしか……」

「たしかにその可能性も。ですがジュリアン殿が仰っていた彼女の植物に関する才能は、マリーベルのそれと比べても別格と言わざるをえません」

「どういうことです、ルイ殿」


 問いかけたお祖母様には応えず、マリーベルと突然ルイはわたしに声をかけてきた。


「は、はいっ、なに?」

「お尋ねしますが、茎が折れて萎れた花を貴女は手当て出来ますか?」

「それは……折れてる程度にもよりますけど、すでに萎れているならわたしには無理です」

「でしょうね。王宮の温室やフォート家の屋敷で貴女の世話した植物を見ていますが、たしかに貴女は普通よりは植物の世話に長けている。しかし庭師のエンゾを越えるほどではない」

「当たり前です」

「まさか公爵様まで……あの当主と同じことを」

「いえ、そうではありません」


 父様が訝しんだのを否定して、けれどと少し考え込むようにルイは黙った。

 彼の頭のなかで、父様やお祖母様の話やこれまでの出来事などを整理するような時間を置いて、お亡くなりになっているためあくまで推測でしかありませんがと再び口を開く。


「“祝福持ち”だったのではないか、と」


 ルイの言葉に、まさかと貴族の家に生まれたお祖母様が息を飲んだ。

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