第55話 離脱

 ルイの手が、彼の袖の端を軽く摘むわたしの手に重なっている。

 その指が軽く握るようにしてから、心配することはないと伝えるようにとんとんとわたしの手の甲を軽く叩いた。

 

「それに貴方のご子息のベルトラン殿とは、ちょっとした縁もある」

「あれは……愚息がとんだ愚行を。知らないわけではなかったが、幼い頃から兄妹同然に過ごし憎からず思っていたが故のことで……」


 話が三男である坊っちゃまことベルトラン・ド・モンフォールに移れば、ややあからさまに当主様は顔をしかめた。

 

 それはそうだ。

 ルイがうやむやにして誤魔化したとはいえ、モンフォール家の子息である坊ちゃまが勝手に決闘の申し入れを、彼よりも遥かに上位で目上のルイに叩きつけたのは事実だもの。 

 当主様からすれば、うやむやに処理されたことも含めて、ルイからその話を持ち出されたくはないだろう。


 坊ちゃまは、面倒くさいけど性根は悪くない。

 けれどそれが裏目に出ることが多い。

 当人にも大いに問題があるのだけれど、これまで手のつけられない三男坊として父親である当主様との折り合いは子供の頃から大変によろしくない。

 彼が騎士団にいるのだって、モンフォールの家や貴族の付き合いが合わないと言って飛び出していったも同然だもの。

 そんな息子が王族の次に高位といっていい公爵相手に王都の市中で決闘騒ぎを起こして……この件については、当主様がお気の毒だ。


 そもそも家が合う合わない以前に、坊っちゃまは大領地を治める伯爵家の息子として、貴族としての恩恵を十分受けているのだから、わたしからすれば「本当、甘ったれの坊っちゃまですね」といった感想しかない。

 お家を飛び出したって、騎士団で短期に活躍出来るのはその出自のおかげですよと言わないけれど言いたくなる。

 あのしつこい求婚だって本当に大迷惑だった。

 子供の頃の延長で物を言ってもらっては困るのだ。

 わたしは小領地の爵位なし領主の娘なのだから、本来ならお世話になってる大領地の息子からそんなこと言われて断れるわけがないことを、まったくわかっていなかったのだもの。

 両家の親が共に取り合わないままでいたからいいけれど、本来は悪ふざけでは済まないことなのだ。

 

 そういった意味では――。

 やり方は悪徳だし認めたくないけれど、ルイは身分差婚を申し入れてきた求婚者としてはかなり真っ当ではある。

 むしろ行き届き過ぎなくらい……やり方は悪徳だけど。

 

「夕方も近くなってきましたから、お酒もご用意しましょう。せっかく西部にいらしたのですもの秘蔵のものをお出ししますわ」


 夫人がそう言って席を立ち、部屋に控えていた使用人と共に退室した。

 それらしい言葉だったけれど、彼女の夫にとって愉快な話にならないと判断したに違いない。

 しばらく戻ってこないだろうなと思いながら、当主様とルイとわたしだけが残された室内に、緊張の糸がきりきりと張り詰めていくのを感じとる。


「貴方の仰るご子息の振る舞いについては、特に気にしていません」

「閣下の寛大さに感謝ですな」

「むしろ、“最強の魔術師”などと持ち上げられる私を相手に、ああも真正面から挑むなど……三男なのが惜しい気骨がある」

「……」

「あの若さで、西部騎士団支部の大隊長を務めているのも納得です」


 うわぁ……と、思わず声に出そうになった。

 悪徳魔術師だけに性格悪い。 

 あれこれ褒め言葉を並べているけれど、それを言っているのがルイ本人では当主様からしてみればねちねちと嫌味を言われているようにしかきっと聞こえない。

 

「話が逸れました。王宮で法務大臣を務めるグレゴリー・ド・サンシモン伯からの推薦もあり、ジュリアン殿とはフォート家の専属法務顧問として正式に契約を結びました」


 ルイの言葉に、当主様が息を吐く。

 困惑とも不快とも怒りともつかない、しかし事態を歓迎していないのは伝わる反応だった。


「彼はこの王国でも貴重な古い契約魔術すら扱える高度法務人材。おまけに妻の実父でもある」

「莫大な結婚支度金の為といったことも耳にしたが?」

「ジュリアン殿がそう?」

「いや……噂だが。なにしろ普通は成り立つには困難過ぎる婚姻ではあるため、閣下がご配慮したのかと」

「まさか。ユニ領が小領地とはいえ、王宮の貴族すら縁を持ちたがる富を持つことを、まさか知らない貴方ではないでしょう」


 な、なにをいけしゃあしゃあと――!!


 呆れてものも言えないとはこのことだ。

 いさめようとどんなにルイを見詰めても、彼はまったくこちらへは視線を向けずにこにこと当主様へこの上なく人畜無害そうな微笑みを向けている。

 言葉の悪質さと表情が、まったく釣り合っていない。

 そう思ったのだけれど。


「その恩恵を存分に受けていたでしょうからね。領地の収益三分の一を納めてもやっていけるユニ領もユニ領ですが。とはいえ平民領主が治める小領地にとって大領地であるモンフォール所縁あることの恩恵は大きい。なかなかどうして素晴らしき友好関係です」

「え……?」


 思わず声が出てしまった。

 ユニ家は、高祖父の代に冷害に強い葡萄の品種改良を行った功で、現在の領地を自分の土地として与えられた。

 それだけではなく、当時のモンフォール伯はただ土地を与えただけでなく、領主としてその地を治め、独立することも高祖父に許した。

 その恩もあって、独立してもユニ家は伯爵家を主君同然と敬い、独立してその必要はないけれど大領地と縁を持つことでの庇護を受けているのだからといくばくかの寄進をしているのは知っていた。

 けれど、領地の収益三分の一なんて知らない。

 帳簿ならわたしも見ているのに、まさか帳簿に現れないように父様がしていた?

  

「専属といっても、ジュリアン殿の能力を独占する気は勿論ありません。なにせ西部における彼の実績件数といったら……ロベール王も呆れて“何故そのような者を田舎で遊ばせている”なんて口にしましたから」

「王……?」

「ご安心を。きちんと彼がユニ領の領主であることは説明しました。万が一にも、モンフォール伯が宮廷魔術師にも匹敵する貴重人材なジュリアン殿を、平民であることをいいことに取り込んで便利に使い倒しているなどと、誤解が生じては申し訳ありませんから」


 ルイの言葉に、いよいよわたしは当主様の顔を不躾に見詰めてしまった。

 当主様はそんなわたしを一瞥したものの、眉ひとつ動かさず「無論だ」の一言でお茶を飲む。

 

 ――もうずっと長い間、ジュリアン殿は妻と娘のために一人で堪えてきた。


 紙に落ちたインクのしみが滲んでいくようだった。

 ユニ領はモンフォールに敬意を示し、モンフォールはそれに応える……ではなかったの。

 

「連合王国にも絡む西部の案件をジュリアン殿に取り次ぎ、解決の要請をしてきた貴方や西部系貴族の方々に迷惑をかけるわけにはいかないでしょうし」


 そもそも、込み入った契約魔術の読み解きや無効化など出来る能力がある方が少ないのは勿論、出来ても普通は請負わないですからね。


「請け負わない?」

「契約魔術の無効化は、失敗すれば手掛けた者にとががかかって最悪命を落とすこともありますから。契約の矛盾や抜けや盲点を突いて無効化する支援を行うのは、単なる契約締結よりはるかに難しい。ですから費用も締結時の数倍から数十倍と大変高額なのですよ」

 

 ようやくこちらを見て穏やかに目を細めながらのルイの説明だったけれど、その内容はまったく穏やかなものではなかった。

 最悪、命を落とすこともある?

 それにそんなに費用が高額だなんて……父様は労が多くてあまりお金にならないって。


「それなのにジュリアン殿の実績ときたら、近年生じた西部の大掛かりな案件はほぼ彼が解決していると言っていい。王都でもこれだけの実績を持つ専門家はそうはいません」

「わざわざお調べになられたのですか?」

「ええ、法務大臣の推薦といって王宮関係者の言葉を鵜呑みにはしません」


 私が規格外の魔術師として警戒されているのは皆さんご存知のところでしょう、そう苦笑してルイもお茶を飲んだ。

 

「それにしても。地方であるほど高度な専門家は少ない。ジュリアン殿の学問の才を見出し、学資支援をしたのはモンフォール家だとか。西部全体の利益を考えた実に聡明なご判断です」

「まあ、それは……」 

「貴方からフォート家に要請いただければ、いつでも取り次ぎましょう」

「っ……東部はあまりにも遠い!」


 当主様が、たまりかねたように声を荒げた。

 わたしには、穏やかに話をするルイがもう暗黒魔王にしか見えない。

 表向きの言葉はそれをすべて否定するものだけれど、これって……明らかに当主様への糾弾だ。

 なにも知らなかったわたしでもそうだとわかるのだもの、当主様にとっては彼が言葉を発するたびに、細い針を一本一本刺されるようにこれまでの行いを責められているような気分に違いない。

 けれど、ルイは言葉では一つも当主様を責めてもいない、むしろ擁護し賞賛してすらいる。これでは言い掛かりだといった反論や弁明すらできない。

 

 ――怒るのはここぞという時に。ぐうの音出ないほど事実をしっかり掴んでさくっとにこやかに刺すほうが旦那様やルイ様のような殿方には効くものです。


 ええ、ええ……その通りだわ、オルガ。

 ルイがいまやっているのは、まさにそれ。

 相手に反撃や弁明の機会すら一切与えず、すでに外堀も埋めてあり、助かりたいなら彼が提示する条件に従えと告げている。


「ええですから、“箱”をお持ちします」

「箱?」

「王都と東部の何か所かに設置している通信用の魔術具です。そちらに手紙を投げ込めば瞬時にフォート家に届きます。逆もまた然り。郵便はもちろん鳩を飛ばすよりも早い、用途外に使えば壊れますがそのようなことはなさらないでしょう。お近づきの印も兼ねて」

「閣下の魔術具を?」

「私からのせめてもの誠意と受け止めていただければ」


 これは……一体、なに?

 父様はフォート家に仕える者となったのだから、勝手に使うなって警告にも聞こえるのはわたしだけだろうか。

 そしてこれって実質的に、ユニ領の領主でもある父様を公爵家が押さえたってことにもなるのでは?

 当主様がそれに気がつかないはずがない。

 彼はユニ領の領主でもあると地を這うような低い声が聞こえて、ええそうですねとなんでもない様子でルイは応えた。


「そうですね? とても閣下のお言葉とは思えませんな。専属というからにはジュリアンは必然的にフォート家に移ることになる。東部と西部では遠すぎる、ユニ領は……」

「私が契約したのはあくまで法務の専門家としてのジュリアン殿です。ユニ領の領主である部分は関係ありません。ええ、貴方の仰る通り東部と西部では遠すぎる」


 ですので、ユニ家の屋敷を私の屋敷と繋げます。


「な……ん、繋ぐ……?」

「ええ。先ほど申し上げた瞬時に届く手紙同様、ジュリアン殿がフォート家に瞬時に行き来できればことは簡単に解決します」


 ジュリアン殿と私の屋敷の一部の者のみが互いに行き来を可能にし、普段、彼はユニ領で領主としての責務を行なっていただく。

 そして、必要に応じてフォート家に来ていただきます。

 ユニ領の統治、領地運営はいままでとなに一つ変わりありません、とルイが説明する。

 

「まあ、ユニ家の屋敷はフォート家の領地屋敷の延長にあるものになりますが。それはユニ家のことですからモンフォール家には関係ないことですから、問題はないはずです」


 高位貴族による、皆が丸く収まる解決方法の提示。

 そんな様子で両手の指を組むように掌を合わせ、無邪気なまでに朗らかな様子でいるルイと、額と眉間に無数の皺を寄せて声を荒げている当主様の様子があまりに差がある。

 なんだかとんでもない茶番劇を見せられている気分だった。


「馬鹿なっ! 東部と西部にある屋敷を繋ぐ? いくらなんでもそんなことできるはずがっ」


 ガシャンと、机に置かれたカップが音を立てるほどの勢いでテーブルに手をついた当主様に清々しいほど晴れやかにルイはいいえ出来ますと答える。


「私は、魔術師です。モンフォール伯」


 領主といった立場では私とジュリアン殿は対等、それを侵害する気はありません。もちろんこれまでユニ領がモンフォール領や他領と結んだ契約もそのまま・・・・です。

 領主の立場もお持ちの専門家を雇ったというだけ、別にユニ領を公爵家が支配下に置くというわけではないのですから。


 淡々と、まるで父様が屋敷で揉めている人たちを仲裁し双方の言い分を考慮した和解の条件を示すかのごとく、父様がフォート家の法務顧問となった後のユニ領の今後についてルイの説明が続く。


「勿論、妻の実父です。私としても出来る限りジュリアン殿の意向には便宜を図り、困りごとがあれば助力もしたい所存です。対等な領主同士、いわば盟友といったところでしょうか」

「……」

「しかしながら事務手続き上、貴方がジュリアン殿に直接要請していたこれまでと違って、今後はフォート家を通してのご依頼となることはご了承ください。家令のフェリシアンという者が担当します」


 ルイの言葉はことごとくそれを否定するものではあるけれど。

 これは父様を法務顧問として雇い入れることで、父様を通じてフォート家が実質的にユニ領全体を庇護下に置くと宣言しているのも同じだ。

 だって父様を動かすためにはフォート家の許可が必要で、もしそのことでユニ領に圧力がかかるようならフォート家は干渉するということだもの。

 東部の約六割を占める大領地で、その領主は先の戦争で共和国を退けた王国屈指の魔術師。いくらモンフォール家が西部筆頭の大領地でも太刀打ちできない。

 それに公に抗議もできないはずだ。

 ルイの話がすべて本当なら、当主様は他領の領主である父様を長年不当に搾取していたことになる。

 

「ルイ……」


 涼しい顔で説明するルイとは反対に、当主様の顔はいまや直視するのが躊躇われるほど歪んでいた。

 手駒や領地を奪うなといった、ルイへの非難と憤怒が滲み出ている。

 それが当主様の本音だというのなら、わたしは一体これまでなにを見ていたのだろう。

 ユニ領が成立した経緯上、ユニ家はモンフォールに敬意を示しモンフォール領はそれを認めユニ領と良好な関係で、父様にも同様だと信じ切っていた。

 なにより父様自身、わたしの認識を否定する言動が一切なかった。

 けれどいまの当主様を見る限り、とてもそうと思えない。

 

 でもだって、だったら、どうして?

 わたしが子供の頃や王都に出る時に、どうしてあんなに親切にしてくださったの?

 

 わたしにとって、モンフォールの当主様は大領地を治める貴族の威厳が少しとっつきにくくはあるけれど、親切で優しいお祖父様のような人だったから。

 まだどこかで、当主様は王都で法科を修めた父様の知識や実力を評価して、他領が父様に無茶を言わないよう、取り次ぎ役となり盾となってくれていたと思いたい部分が少しあった。


「当主様……」

「ああ、そういえば。モンフォール伯は北部の貴族とも懇意にされていますよね。妻が王都へ向かう際に途中の宿としてお世話になったと」

「は? ん……ああ、それは西部寄りで交流がある小領地の領主だが」


 わたしが当主様に声をかけ、当主様が物言いたげな表情を見せた間に強引に割り込むように、突然話題を変えたルイに、わたしも当主様も呆気に取られて彼を見た。


「お付き合いはあるでしょうが、貴方ご自身のためにも出来れば距離を置いたほうが」

「それはどういうことだ」

「実は……たまたま偶然ではあるのですが、こんなものが私の元に相談・・で持ち込まれまして」


 ローブの中からルイが取り出したのは、小さなメダルだった。

 あれって、オドレイさんがルイから指示された用事から戻って彼に渡していた。


「焼き付けのメダル……?」

「ええ、仰る通り。契約魔術の中身を他者に知られないようにするためのメダルです」

「それが、なにか」

「私はあまりこういったことに関わりたくないのですが、相談ですから仕方ありません。まったく国境の防御壁の補強をしたところで次から次へと……国境周辺の地の力を使う魔術なのですが年々地の力に衰えがみえていまして、西部の青々と肥沃な地が羨ましいさぞ魔術的な力も強いでしょうね」

「地の力を使うなぞ、ぞっとしない話だ」

「西部は王国の穀物庫ですからね。東部は農地は少なくそれに国境の護りは王国の重要事項ですから最優先で対策を考えなければ。ああ、愚痴になってしました……」


 ルイの言葉に、当主様はため息を吐いた。

 もう一刻も早くこの場を切り上げて、ルイを追い返したいといった気分が伝わってくるようで思わず共感しかけてしまう。

 ええ、本当に……彼に追い詰められる側になった人でないと、きっとこの気分はわからないだろう。

 なんでもないやりとりから、じわじわと詰められて、気がつけばまるで打つ手なしの状態に追い込まれてしまう気分は。


「メダルの話に戻りますが、都合よくも条文再生が出来る魔術師です。再生してみればあまりよろしくない類の内容でして……なにやら筋の良くない者達に略奪をさせるような、そんなものの契約者の一方に、妻から聞いた貴方の北部のご友人の名があったもので」

「まさか……いや、あそこは困窮の兆しを見せていたのであるいは……」


 机の上に手を組んで額を預けた当主様に、父様とユニ領についての疑惑についてもしもそうであったなら許さないけれど。

 それはそれとして、本当に次から次へとお気の毒だわと少しだけ思った。

 

「だとしたら非常に悲しいことですね。よほど切羽詰まっていたのでしょうか」

「そう思いたくはないが」

「困窮を解消するためにしては……いささか法外な前金条件が」

「んぅ……」

「どのように工面したのでしょうね」


 どのようにも、このようにもない。

 当主様に目を細めたルイは、まるで貴方でしょうと言っているようなものだった。

 理解が追いつかない。

 モンフォールの当主様は、父様やユニ領だけでなく他の場所でも、なにをして、なにをしようとしていたの?


「さあ、それに他の事情かもしれん」

「筋の良くない者達の根城が東部にあるため、東部騎士団支部で詳しい事情を調べることになっていますが、守秘義務が結ばれているため無効化しないと口を割らせるのが難しい……ですがまあ、ジュリアン殿にかかっては簡単でしょう。私が見てすら綻びが見て取れましたから」


 びくりと、当主様の眉の端が動く。

 わたし同様ルイもそれを認めて、実に満足げに口の端を心持ちつり上げた。

 彼の言葉を使えば、「結構」とでも言いそうな雰囲気だ。


「これがもしジュリアン殿の手掛けたものだったらと考えたら打つ手なしでしょう。しかし幸運にも彼は我々の仲間です、実に心強い」

「……でしょうな」

「本当は、こんなことを外部に漏らすこともよくないのでしょうが。大金が動いている以上は交流関係を洗うでしょうし、その中で大領地の貴族である貴方が目を付けられないか心配に思いましたので。余計な差し出口でしたら謝ります」

「いえ、お気遣いに……感謝いたします」


 まるで発作かなにか起こしたように顔色を失い、わずかに震える声でそう言った後、当主様は体の不調を申し出てルイに詫びた。


「老体ゆえ……ご容赦くだされればと……」

「いえ、こちらこそご挨拶にしては少し長居しすぎました。ご無理させたのはこちらですのでどうぞ気にせずゆっくり休まれるとよろしいでしょう。“箱”についてはいずれまたあらためて」

「ええ」


 ……その臆面もないのは見せかけではないということか。


 椅子にかけたままの当主様に退室の挨拶をして、ルイとわたしが彼に背を向けて部屋を出ようとしたその時、不意にルイの後ろを歩くわたしの耳にまるで低く呻くような言葉が聞こえて思わず振り返った。

 振り返ったのは、その言葉は明らかにわたしの背に向けて投げかけられたものだったからだ。


「……当主様?」


 マリーベル、と扉の側で振り返ったルイの静かな促しと、わたしに黙ったままでいる当主様になんのことだろうと思いながらも軽く会釈してわたしはルイと共にモンフォールの城館を後にした。

 なんだか色々と情報過多で、ユニ家に戻るまでの間、頭がまったく働かなかった。

 

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