第54話 モンフォール家
モンフォール家への挨拶は丁度お茶の時間。
昼下がりの鐘の鳴る頃が約束の時刻だった。
ユニ家からモンフォール家の城館までは馬車で約一刻かかる。
「少し早いかもしれませんが、昼食を取ったらすぐ出ましょう」
着替えて食堂の前で落ち合ったルイが、ローブのポケットから懐中時計を取り出して言った。
ユニ領は鐘楼のない小聖堂しかないから、時間を確認するなら家の玄関ホールの柱時計かルイの時計しかない。
王国の時間は二通りある。
一つは時計。
一日を十二に区切って、一の刻、二の刻……と呼ぶ。一区分が一刻。
時間がきっかり等分に分けられているため、王宮のお偉い方や文官や軍属、宮廷魔術師が使うことが多い。皆忙しくて、きちっと共通の時間で集まったり区切りをつけたい仕事が多いのと、鐘のならない夜遅くまでかかる仕事をする人が多いためだ。
それに時計のある場所へ確認に行かなくて済む懐中時計はとても高価なものだから、高位の貴族や高官職でもないと持てない。
もう一つは聖堂日課に合わせて鳴る鐘の音。
中聖堂以上は鐘楼があり、夜明けから日が暮れて閉門までの間の時間を、多くの人はこの聖堂日課に合わせた鐘の音に従って生活している。
夜明けの鐘、勤めの鐘、休息の鐘……と名前があって、小聖堂しかない集落も、近隣の集落の鐘の音が聞こえたりするためそれを目安にしていることが多い。
大抵は一刻区切りだけど少し間隔が長い時間帯もある、季節でも多少変わるけれど、皆が鐘に合わせるからあまり問題はない。
ユニ領みたいな辺鄙な場所で近隣の鐘の音も聞こえてこない場合は、まあなんとなくだ。
夜明けと共に起きて、日暮と共に一日を終えるといった具合で。
ユニ家には時計があるけれど、その刻を皆に知らせたところでそれほど意味はない。
「そういえば一階に時計がありましたね。なかなかないですよ時計を設置する家は」
「簡易の法廷や協議の場、あと商人との取引を決める場になったりするからです。鐘も聞こえないので」
「成程。一階は公共施設を兼ねている」
「ええ」
わたしが頷くと、ルイは時計をローブの中にしまって食堂へ入った。
その後に続いて、わたしはようやくその日の挨拶を父様とした。
ルイが話をしたからだろう、朝に顔を見せなかったことでは特になにも言われなかったけれど、わたしの新型ドレスを見て一度目を細め、しかしこれはなんというかすごいようなものだなと若干呆れを滲ませた小声で呟いた。
高級特注素材を集めて作られたようなものだから、そんな感想が父様の口から出てしまうのも仕方がないのかもしれない。
「トゥルーズの素材を使った試作品で……」
「試作? 冗談は止しなさい」
「え?」
「そこまで大事にされているというのなら……やはり公爵様でよかったのだろう」
どういうこと?
これはいわばトゥルーズの産業を活性化を促すための仕掛けなのだけれど、とはいえ一番上のローブはたぶんルイからの春の祝いの品だから、父様もそれがわかったのかしら。
首を傾げながら食事の席につく。
「マリーベルはまだ、貴族社会の中でははっきりと立場が示されてはいませんから、わかりやすいと思いまして」
わたしと父様のやりとりを聞いていたらしく、ルイがそう言えば、うむぅと父様は軽く唸った。
「儂も人のことは言えたものではないが」
「そうですね。公のそう簡単にいかないものに刻みつけるジュリアン殿と比べたら、私などまだかわいいものです」
「マリーベル、公爵様はお前が思っているより重いぞ。覚悟しておきなさい」
「ええ、まあ……それは」
大領地の領主にして、最強の魔術師ですから普通の貴族とは背負う重みは違うだろう。
けれど、父様よりかわいいものというのはなんのこと?
あれかしら、ルイがトゥルーズで言っていた父様が契約魔術の案件を利用して近隣の干渉を跳ね除けているやり手といった話かしら。
わたしが首を傾げれば、本当にお前は……と父様は諦めたようなため息をついて、気持ちを切り替えるように軽く頭を振って食事をいただこうと言った。
*****
いくらお隣で近く元はユニ領もその領地だったといっても、モンフォールのお屋敷は訪ねるとなれば結構時間がかかる。
古七小国時代に治めていた地をほとんどそっくり引き継いだとされる、フォート家が治めるロタール領も呆れるほど広いけれど、モンフォール領も大領地というだけあって広いのだ。
流石にフォート家の東部の六割なんてことはないけれど、西部の二割くらいは優に占めているのじゃないかしら。
「そういえば……」
「なんですか?」
旅の移動と比べて、随分のんびり暢気な速度で進む馬車の中で、聞いてみようと思っていた疑問が浮かんだ。
のんびり進むけれど旅の間よりよく揺れるのは、振動防止の魔術がかかっていないのだろう。
てっきりそれだけだと思っていたけれど、よく考えたら速度が上がればそれだけ転倒の恐れもますし馬だって消耗する。
オドレイさんの言葉通りに、きっとそういったことも魔術で抑えていたはずだ。今日の魔術はかけていないらしい馬車に乗るとよくわかる。
トゥルーズを出てから、何日も何日もずっと魔術を維持し続けていたなんて。
「マリーベル?」
「聞こうと思ったことよりも言いたいことが出てきたけれど、ひとまずそれは後にします」
どうせ言ったところで、なんだかんだと理屈を言い出すに決まっている。
正当な理由があるにせよ、ご自分にかかる負担のことも天秤にかけて欲しい。
けれど、その話はいま、一応は晴れやかなご挨拶に向かう途中でするには不向きだ。だから最初に尋ねようとしていたことをわたしは優先した。
「ロタール領ってどうしてロタールなのですか? 家名はラ・フォートなのに」
比較的歴史の浅い貴族や、分家して独立した家やその他、家系が入り組んでいるような家は別として、大体において古い貴族の家名は治めている地と結びついていることが多い。
モンフォール家だってそうだ。
モンフォールの地を収める伯爵家だからモンフォールとなっている。
ユニ家はそれに倣っただけで、元々一介の農夫に家名なんてない。
もらった土地がユニと呼ばれていた地だったから、そのままユニ家となった。
土地をもらった当人は、“ユニの地を治める”というよりは、きっと“ユニの地に住む農夫”くらいの気分でいいただろうけれど。
「王国建国時に、王家に一旦明け渡したとされているはずの小国君主の名前が堂々残っては、君臨する側としてはちょっと格好がつかなかったのでしょう。ですのでロタール領として改めて与えられたといった形をとったのだとか」
「なるほど。政治的なご事情でしたか……」
それはありそうな話だ。
なにせ元々は複数の別々の国だったわけなのだから、それらの中で影響が強かったりあまりに独特だったりしたら、王家の御威光は弱くなるだろう。
名前は大事だ、名を取り上げてしまったら取り上げる前とは違うのだとわかりやすい。
「もっとも、元の国の名がフォートだったかもわかりませんけどね」
「え?」
「そのような記録がないので。人だけではなかったですしね。いつからこの家名を名乗っているのかもいまひとつよくわかりません。しかしヴァンサン王の子孫であるということは主張したいようで、当主になればそれを背負う決まりです」
ルイという名前は彼のお父様が付けた名であるらしい。
フォート家の血を継ぐ者は七歳の受洗式を迎えたら、家に迎え入れた女性の名を添え名とするのだそうだ。
メナージュというのはルイの大祖母様の名前で、おそらくはフォート家の“祝福”によって悲劇的な目に合わされる迎え入れた女性達への哀悼や敬愛の意味もあるのでしょうと説明して、彼は肩を軽くすくめる。
ヴァンサンは、先程言った通りですと半ば投げやりな調子だった。
「さしずめ、“フォート家のヴァンサン王の血を引く、メナージュという女を親族にもつルイ”とでもいったところでしょうね」
至極つまらない話だといった様子で、淡々とルイは自分の名前についてそう語った。
彼は、フォート家の事情が込められたような自分の名前があまり好きではないのだろう。
「名にまつわる謎が解けたところで、言いたいこととはなんです?」
「後にしますと言ったはずです」
「ふむ、まあ想像はつきますが。貴女は本当にそういったところはいい妻ですね……なんですかその警戒の眼差しは」
「あなたに甘いような言葉でほめられても、あまりうれしくないといいますか」
「本当に、貴女は私をなんだと思っているのですか……ああ、答えなくていいです。それも想像がつきます」
悪徳魔術師と答えようとしたのを先回りして遮ると、額を押さえてルイはため息を吐く。
まるで昼食時の父様みたいで、なんだかよくわからないけれど心外だといった気分になった。
そんな少しむっとしたり、明日はユニ領を案内いただけますかなどといった相談や、彼から教わった魔術の基本知識についてきちんと理解して覚えているか口頭で試験してもらったりしているうちに、馬車はモンフォールの城館に到着した。
「マリーべル」
馬車を降りるのを補助するように差し出されたルイの手の指先に自分の指先を掛けるようにしながら、幼い頃から父様が御用で呼ばれる時に連れられた慣れ親しんだ城館であるというの、少しばかり緊張を覚える。
久しぶりだからというだけではない。
――モンフォール家に、貴女はなにも知らないで行ったほうがいい。
あれは一体、どういうことなんだろう。
ルイの顔を見れば、わたしを見てふっと目を細めた。
ローブ姿なだけあって、大変に悪徳魔術師なルイだ……。
*****
モンフォールの城館は、ずんぐりと太く丸い柱のような塔がいくつもひしめいている奥に、まっすぐな長方形の建物が隠されるようにある。白い壁に尖った三角の深い青の屋根を載せている。
城に入る狭い通路と入口を通る時は、両側から迫るような塔に圧迫感を感じる。そこから広がる前庭を通ってやはり丸い塔を二つばかり通過し、ようやくその奥の建物の中庭へ続く回廊へ出るのだ。
応接間にあたる部屋でモンフォールの当主様夫妻に出迎えられた。
「ようこそお越しくださいました、ロタール公爵閣下」
身近な西部の大貴族である当主様の挨拶と共に夫妻が身を屈めたのを、なんだか驚きも飽和してしまった不思議な気分で眺めた。
王家の次とされる公爵家、それも王家の縁続きではなくて元七小国王家の家系であるからの公爵だ。しかも王国を王国たらしめている魔術の祖である。
王家も気を遣う、頭を下げることはない臣。
それがフォート家であり、ロタール公である。
挨拶のために出向いたけれど、こちらが先に挨拶を受ける側だ。
公爵夫人となったわたしもまた。
父様と共にずっと頭を下げる相手だったモンフォールの当主様相手にその違和感といったら。
頭ではわかっていても、そう簡単に切り替えられるものじゃない……。
「いえ、こちらこそ。こうして日を割いてもらい感謝します、モンフォール伯。噂通りに西部は風光明媚な地ですね。ここに来る間に見た大半が貴方の領地と妻から聞きました」
「ご無沙汰しております、当主様。王都に出るにあたってはとてもお世話になっているのに色々なご報告が遅れてしまって……」
上手く言葉が繋がらなくて、考えていたご挨拶や近況報告の半分も言うことが出来なかった。
あら、そんなこといつもお手紙を送ってくれていたじゃないのと、伯爵夫人が仰る言葉を聞き、当主様の促しで当たり障りのない世間話をしながら歩くルイの背中に隠れるように、白い巻貝を思わせる螺旋階段、ギャラリーを兼ねる大廊下をオルガに注意された通りに俯くことなく歩くのが精一杯だった。
はじめて、少し怖くなった。
ただの体面上の問題の解消としてのトゥール家との養子縁組、ルイが強引に進めた結婚。
わたし自身はなにも変わらないと、ルイは言ったけれど……でもきっとそうじゃない。
斜め後ろから、ルイの綺麗な横顔の線を見る。
もしかしなくても、そうに違いない。
わたしが変わらず過ごせるようにしてくれていた?
彼の妻となっただけで、当主様がわたしにも身を屈めて挨拶する。
わたしはもう王妃を輩出した一族の養女で、王の誕生祭に招かれる貴族の中でその筆頭に名前が記される公爵家の奥方なのだ。
これまでルイが誰にもつけ入る隙を与えなかったように、わたしも外に出れば失敗できない。
もしかすると彼は、これまで通りに王都や他家との関わりは最小限に、フォート家の屋敷に閉じこもる気で最初はいたのかもしれない。
わたしが彼の庇護下で困らない程度の口実を作り、体面は保って。
それならわたしもこれまでの延長で過ごせる。
けれど、そんなわけにはいかないと判断した。
だから急に――。
――戻られたらお父上殿に甘えるといいですよ貴女は。
この帰省がこれまで通りの父と娘でいられる最後になることを、ここにくれば嫌でも自覚することになるって、きっとルイはわかってた。
――ご健在で甘えられるのなら歳など構わないと思います。貴女は少々しっかりし過ぎている一方でとてもお若い娘さんのようなところもありますから。
もうわたしは公には公爵家に嫁いだトゥール家の娘。
いくら実父でも田舎の小領地の爵位もない平民領主で、モンフォールの当主様に実質仕えているような状態の父様は、わたしに簡単に会ったり声をかけたり出来る立場じゃない。
莫大な結婚支度金を融通するためというのは建前だ。
父様を専属で法務顧問にするなんてめちゃくちゃな契約は、きっと結婚後も父様やユニ家とわたしが繋がりが持てるようにするためで……。
――それに、わたしもう嫁いだ娘です。
いやだ、泣きそう。
こんなところで、いまになって、それがどういうことかを理解するなんて。
自分が自分ではないみたいだった。
わたしがこれまで通されたことがない伯爵家の居間でお茶の歓待を受けながら、当主様や夫人が話す子供の頃に出入りしていたわたしの思い出話、ルイが語る嘘ではないけれど、嘘すれすれに脚色過多なわたしとの結婚経緯などが飛び交うテーブルの上で、当主様やルイを軽く諌めたり微笑んだり夫人の問いかけに答えたり。
こんなに自分の見せかけと心の内が遠く離れて、人と歓談するなんて初めてのことだ――。
「ところで義に厚いジュリアン殿のことですから黙っていることはないとおもいますから、すでにお聞き及びのことでしょうが――」
「んぅ?」
それまで至極和やかな歓談だった雰囲気に終止符を打つように、僅かに重みを増したルイの声音が耳を打って、どこかこの場を遠くから突き放して眺めていたような意識が引き戻される。
そんなルイの変化に気がついたのはわたしだけではなかった。
温厚な好々爺といった表情は残しながら、眼差しになにか油断ならない狡猾さを宿した当主様の初めて見る様子に、わたしはお茶のカップを口元に当てたまま少し背筋がひやりとする。
「あくまでマリーベルの実父である“ジュリアン殿と私との話”であり、小領地ながら
父様とルイとの間の話、独立、妙にまどろっこしくそんな言葉を強調する、勿体をつけた言い方で切り出したルイに、わたしは中途半端にお茶のカップを下ろして彼の横顔へ目をやったけれど、彼はまったくもってそれまでの歓談の延長だった。
「おそらくはモンフォール領ひいては西部全体にも多少関わる話でしょうから、私からも話は通しておくのがよろしいかと思いまして」
「そちらが本題か……」
当主様……?
ルイ同様に穏やかな口調であるのに、心臓をぎゅっと掴まれたような震えを覚えてカップをテーブルに戻す。
なんだか、怖い。
当主様が。
それまでじっとルイに当てていた視線を外して軽く目を伏せ、緩やかに波打つ色の抜けたような金髪の一筋を指に絡めて弄ぶ様子も、薄く微笑みの形をとる口元も。
「これまでモンフォール家とは交流もなかったのですから、まずはご挨拶が手順としては順当でしょう。西部は妻の故郷で、貴方には大変お世話になっているとも聞いています。いくら正規の手続きとはいえそれで余計な心配はかけたくない」
「あの……」
当主様の様子とルイの言葉に形容し難い不安を覚えて、思わず隣に座る彼の袖をテーブルの下で軽く摘めば、わたしを見ないかわりにそっと上から彼の手が重なった。
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