第53話 見守る朝

 夜が明けても、ルイは目を覚さない。

 部屋を訪れたオルガには、自然に目を覚ますまでそっとしておいてあげてと言って、自分の身支度に取り掛かる。


「魔術を使うととても疲れて、寝入ってしまうの」

「まあ、そうなのですか」

「それより着替えを手伝ってくれる?」

「ええ、かしこまりました」 


 午後はまた着替えるにしても、農地だからなあと服に迷う。

 部屋着でも生地が上等過ぎるように、わたしには思えるのだ。

 トゥルーズで裂かれてしまったドレスは修繕できていない。

 結局、フォート家を出た時の黄色いドレスにした。

 移動に考慮されたあまり大仰じゃないスカートのドレスであるし、それに荷物に用意された衣装の大半、リュシーによる新妻演出なのか空色や淡い色のドレスが多い。それらよりは土に裾が汚れても目立たないだろうといった考えでの選択だった。

 わたしの着替えを手伝いながらオルガは、お嬢様にきちんと合わせてお作りになられてますねとうれしそうに言った。

 本当に公爵家に嫁いだ後のわたしの扱いを心配していたようだ。

 

「彼が事前に用意してくれたのだけど、合わせすぎて体型が崩せないわ」

「次回は少し意見するのがよろしいかもしれませんね。子供のことを考えるとお嬢様は少々華奢ですから」

「子供……っ」

「まあいますぐ気負う必要はなくとも、いずれはですよ」

「それはそうでしょうけど」


 精霊の“祝福”のことで作る気がないと言われているなどとオルガが知ったら、きっと一悶着あるから、大貴族の後継を生む妻としての役目が気重な形に誤魔化した。

 でも仮にその問題が解決したとしても。

 ルイは、それを望むのだろうか。

 なんとなくこのあたりのことは繊細な話な気がして、彼の言葉以上のところを聞けないでいる。それにそういった行為をなるべく避けている身で、それを尋ねるのもなんだかおかしな話だ。

 

「ところで自然に目が覚めるまでとは、一体どれほど眠られるのですか?」

「さあ。お疲れの程度によってまちまちみたい。わたしが見たのは半日くらいのものだけれど、丸一日や二日ということもあると聞いているし」

「本日は午後からモンフォール家とのお約束がございますよ。大丈夫ですか」

「大事な用があるのがわかっていて、間に合わないような失態をする人ではないと思います」


 昨晩の様子は気になるけれど、ルイはその点においては徹底している。

 完璧主義者といってもいいくらいだ。

 おかげで他者への要求水準も自然と高くなっているようなのが、これから妻としてのご期待に沿わないといけないわたしとしてはつらいものがあるのだけど。


「では、ピエールでも側に仕えさせましょうか。フォート家のお二人はファビアンと“扉”のことで朝早くから相談しているようですから」


 オルガの提案に、ならついでに朝食を運んでもらえないかしらと言えば、まあこちらでお召し上がりになるのですかと確認してきた彼女に頷いた。

 彼に抱き締められた、腕の力を思い出す。

 なんの説明もされないことも相まって一方的な振る舞いに憤りも感じたけれど、なんだか離さないとでも言われたような気がして、少しだけどきりともした。

 いつもだったらオドレイさんに任せて放っておくだろうけれど、側を離れている間に彼が目を覚ますことに気が引けた。


「いない間に目を覚ましては申し訳ないから」

「仲がおよろしいのですね」


 返ってきた言葉に、違いますと慌てて言い添えた。


「彼からも父様からも、彼の側にいるように言われているだけでっ」

「まあ、なんですかそれは」

「知らないわっ、二人ともなにも説明してくれないもの」

「お嬢様」


 堅くなったオルガの声に、あ……これはお説教だと、反射的にはいっと返事する。


「淑女がそう簡単にぷりぷり怒ったり不満を口にするものではありません。旦那様も、おそらくルイ様も、軽率な方ではございませんでしょう。真意も掴まない内に感情任せや早合点でなにか言っては後悔することになりかねませんよ」


 オルガのお説教はごもっともなので、でもと思いつつもしゅんと項垂れれば、お顔をお上げください、お嬢様はもう公爵夫人ですどのような時も俯いてはなりませんとまた叱られる。

 髪を結ってもらっている最中なので逃げられない。


「それに、怒るのはここぞという時に。ぐうの音出ないほど事実をしっかり掴んでさくっとにこやかに刺すほうが、旦那様やルイ様のような殿方には効くものです」

「あ、はは……はい」


 流石、オルガ。

 勉強になります。


「髪が随分お綺麗になりましたね」

「わたしの侍女が美容や装いに熱心で。リュシーという子で春の祝いで成人になる子なのだけど」

「流石は公爵家、お若いのに素晴らしい腕をお持ちです。ですがきっとそれだけではございませんよ」

「え?」

「女は愛されてこそ美しくなるもの。お嬢様が大切にされているようでわたくしは一安心です」


 うーん、それはなんだか。

 少し違うような気もするようなしないような。


 なんとも複雑な気分でオルガの言葉を聞き流し、はいよろしいですよとの声に手鏡で軽く確認して頷くとでは朝食をご用意いたしましょうとオルガは客間を出て行った。

 ほぼ入れ替わりでオドレイさんが、失礼いたしますと扉から声をかけたのにどうぞと応える。


「おはようございます、奥様。旦那様は……」


 言いかけてわたしが寝台へと視線を送ったのに、すべてを察したようだった。

 ごく小さく眉尻を下げたオドレイさんに昨日馬車でうとうとしていたのと言えば、よく知らない人が見れば無表情にしか見えない様子でわたしを見た。


「そうなるのではないかと、少しばかり」

「やっぱり。わたしが知らないところでなにかしていた?」

「いえ、そうではなく……馬車の揺れを抑えたり、目眩しをかけたり、馬の疲労も抑えるなど、細かいですが複数の魔術を維持し続けていたようですので」

「そういうの、気がついたらわたしに教えてください。護衛する上でも危険でしょう?」

 

 彼女曰く、木の杭を胸に打ち込んでも目が覚めないだろうというのだから、その間で万一にも襲撃などにあってしまえばひとたまりもない。

 オドレイさん達の部屋はすぐ斜め向かいの客間だ。

 三日三晩不眠不休補給なしでも平気だなんていう彼女だから、おそらく屋敷の外にいてルイの指示で休息を与えでもしなければ、その間、熟睡はしないだろうし注意も怠らないだろうけれど。

 

「はい。申し訳ございません」


 謝る必要はないわ、薄々そうじゃないかと思いながらも聞けずにいたのですからと、わたしは彼女を宥めた。

 

「側についていられる?」

「はい」

「なら、ユニ家の下男にあなたの食事も用意させるわ」


 補給は大事!

 そう言えば、わかっておりますと苦笑した。

 ほんの少しずつではあるけれど、王都で出会った頃と比べてオドレイさんは表情豊かになってきている気がする。


「奥様」

「はい?」

「奥様が、奥様になられて本当によかったと思っています」


 寝台の側に椅子を運んだオドレイさんにお礼を言えば、椅子に腰掛けたわたしのドレスの裾を身を屈めて直しながら、そんなことを言い出した驚きにちょっとあたふたしてしまう。


「な、なあに。急にっ」

「申し上げた通りですが」


 淡々と不思議そうに返されて、そこはオドレイさんかと思う。

 彼女は少しばかり、悪気なく人よりずれたところがある。


「近頃の旦那様は、とても、なんと表現すればいいのか楽しそうです」

「楽しそう?」

「はい」

「求婚された時から、いつでも人を揶揄からかい、周囲を翻弄して楽しそうに見えるけれど?」

「それはまあ、ですがそのようなのとは少々異なる気がします」


 そうかしらと、首を傾げるわたしに生真面目に頷いて、オドレイさんは部屋の端に控えるように立った。

 椅子にかけてもと思うのだけれど、以前、咄嗟の時に反応が遅れてもいけませんのでと断られたことがあるため仕方なくそうさせている。

 下男のピエールが朝食を運んできたのにオドレイさんの分もお願いして彼女が護衛につくからと下がらせ、わたしは自分の分の食事をとると、裂かれたドレスをのんびり修繕しながらルイが起きるのを待った。


「ん……」

「おはようございます。随分とお疲れだったのですね」


 おひるも間近になって目を覚ましたルイに、修繕していたドレスに針を止めて寝台の中へそう話しかけると彼は気怠げに起き上がって額を押さえて頭を振った。


「随分、寝過ごしたようだ」

「おひるの前です。なにか飲まれますか?」

「水を」


 ドレスが手元にあるため、オドレイさんに目配せしてお願いする。

 彼女から受け取った杯を彼に渡す前に、飲みましょうかと尋ねた。

 

「口移しでもしてくださるのですか?」

「まだ寝ぼけてます?」

「信頼していますし、多少なにか混入していたところで平気です」


 慣らしているのか。

 王族も少々の毒では倒れないと聞く。


「王妃に仕えていただけありますが、いまは私の妻であることを忘れないください」

「え?」

「昨日も思いましたが、貴女が毒味役では意味がないと言っているんです」


 水を飲み干した後の杯をわたしとは反対側からオドレイさんに渡して、彼はこちらに向き直って眉間をほぐすように指をあてた。

 

「まだお疲れが?」

「いいえ、本当に単純に眠り過ぎました」


 そしてようやくわたしの手元のドレスに気がついたようで、膝にかかっている布の塊へと目を落としてわたしの顔を見た。


「もしかして起きてずっとこちらに?」

「そうですけど。ご自分で側を離れるなと言っておいて……」

「ええまあ、そうですが」

「着替えますか?」


 ドレスを持ち上げてわたしは立ち上がった。

 テーブルの上に、ひとまずドレスは預けてオドレイさんにルイの服はと尋ねる。

 

「ローブを着ますのでシャツと脚衣で構いません」

「ローブでいいの?」


 ええと応えて、寝台から降りておもむろに寝間着のシャツを脱ぎ落としたルイに、振り返りかけて慌てて斜め後ろを向いた。

 見かけのすらりとした姿からは意外に思える、鍛えられた胸の肌の色を見せてオドレイさんが持ってきたシャツを羽織る彼から視線を外し、頃合いを見てからゆっくりと振り返って近づく。

 シャツの留めきれていないボタンを見てなんとなく手伝えば、貴女にさせることではないですが悪くありませんねと言ったルイに、どうぞとオドレイさんから受け取ったローブを渡した。


「貴女はもう少し……そうですね例のドレスがいいでしょう」

「もう少し大人しめでいいのでは?」

「あれほど貴女の立場を示す衣装もないですから」


 だからちょっと着るのが気が引けるのだけれど。

 モンフォールの当主様相手に、結婚後の立ち位置をなんだか見せつけるようで。

 あちらもあまりいい気はしないのではと思う。


「心配せずとも、貴女よりもその側に立つ私にすでにいい気はしませんよ」

「それならなおさら……」

「問題ありません。私はお父上殿に挨拶してきます。オドレイをつけますから、あなたは午後の支度をするといいでしょう」

「はあ」


 それでいいなら、ずっと側にいなくてよかったのじゃないの。

 彼の言葉に相槌を打ちながらそう考えたところで、たっぷりした濃紺色の布に包まれた。


「怒っても、言い付けは守ってくださるのですね」

「仕方がありませんから」

「私の妻は、誠実です」


 こめかみを唇で触れるように囁かれて、オドレイさんがいる手前恥ずかしさに顔が熱くなる。

 お、お食事は……と少し彼を押し退ければ、もうひるなら昼食でと半ばわかり切った返答をして、彼は部屋を出て行った。


「うぅ、なんか悔しい」

「奥様、でしたらやはり旦那様を骨抜きにできそうな技をお教え……」

「そういったこととは違うし、それはいいですっ!」


 初夜の数日後の夜にオドレイさんから一度申し出があったことを再度お断りして、彼が出ていった扉を軽く睨むと、着替えますとわたしは言った。

 

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