第52話 ユニ家
「ようこそいらっしゃいました、ルイ様。おかえりなさいませ、マリーベル様」
「執事のファビアンです。元気そうでよかった」
灰色の石を細かく積み上げた壁に上部がアーチ型の窓を等間隔に並べる、三階建のユニ家の屋敷。
玄関先に下男二人を従えて曲がった背をさらに屈めて控えていた老執事の出迎えの挨拶に、ルイに彼を紹介すれば頷いたルイにファビアンは立ち上がった。
「ファビアン、フォート家の従者のオドレイさんと従僕のシモンです。荷物を運ぶのを手伝ってあげて」
続けてわたしが、ルイが乗っていた馬車の側に控えていたオドレイさんとシモンを紹介して二人が頭を下げれば、ファビアンも丁寧にお辞儀してかしこまりましたとわたしに応える。
「ピエール、アベル」
屈んだままでいた下男二人の名を呼んで立たせ、オドレイさんの指示に従って手伝うよう言い付けると、ファビアンはルイを見上げ、そしてわたしを見て相好を崩す。
「ではこちらへ。すっかりお綺麗になられて」
「父様は?」
「お二階に。お二人のご到着を心待ちにしておりましたよ」
壁同様灰色の石でできた数段の階段を上がって、真四角の箱に屋根を載せたようなユニ家の屋敷へ入った。
案内するファビアンが先頭に、続いてルイがその半歩後ろにわたしが続く格好で玄関ホールを進む。
しばらくぶりというのもあるし、こうしてファビアンに出迎えられ案内されると自分の家だというのになんだか余所余所しく感じてしまったけれど、見慣れたタペストリーのかかった壁や柱に彫られた溝、燭台を置く台に掘り込まれた植物文様、かすかな蝋燭の香りに、ああわたしの家だわと思う。
「これは蜜蝋? いや、しかし獣脂とは違う」
蝋燭の香りに気がついたのだろう、柱の燭台へルイが目を向けて呟く。
「そちらの柱だけ山になる果実で作った蝋燭です。今日はお二人がいらっしゃいますので特別に。他は木蝋です」
「ジャムなんかにして食べられる実なんですけど、蝋も取れるんです。少し甘いいい香りがするのですけど、ほんの少ししかとれないのでお客様がいらっしゃる時用で」
「このあたりは他にも種子から蝋が取れる木がございまして、獣脂より値は張りますが蜜蝋よりは安価なのです」
わたしとファビアンの説明を聞いて、成程とルイが応えた。
そういえば、王宮勤めになってからというもの木蝋の蝋燭のことを忘れていた。
王宮では蜜蝋か植物油のランプだったし、フォート家に至っては例の結晶でここにくるまでの間も蜜蝋か、フォート家のものよりかなり色褪せた小さな結晶だった。
どうやら質の劣る結晶は、外に少し出回ってもいるらしい。
おそらく熱も光も弱くて持続時間も短いから、悪用されることもなくひどく価値をおかれることもないからだろう。
「そういえば王都も東部も木蝋って見ないですね」
「ありませんからね。おそらく温暖な地でないとあまり育たない木なのでしょう。王都も東部も蝋燭の多くは獣脂ですよ。貴族と聖堂などは蜜蝋や植物油の灯りを使うことが多いですが」
「そちらへ流通させないのかしら?」
「あまり事業として利にならないのでは? 木の種子だと生産量も限られそうですし、木そのものを育てるのは時間もかかる。蜜蝋より安価で獣脂より高価なら、遠方への流通経費を載せれば蜜蝋とそう変わらなくなるでしょう」
「それもそうか」
「ご夫人らしくなられてもお変わりないようですな」
おそらくは街中のお屋敷より広いだろう玄関ホールを進みながらわたしとルイの会話を聞いて、首を左右にゆるりと振るファビアンにどういう意味と胸の内で呟く。
まだこの家にいて父様の仕事を手伝っていた頃、お嬢様が書類仕事に長けてもと度々ぼやかれていたのを思い出す。
玄関ホールが広いのは、農村とその農地といった小領地の領主の屋敷で多目的な集まりの場でもあるからで、そういった意味では一階は半ば公共施設も兼ねていた。
収穫祭の儀式の後の宴の場にもなれば、商人たちとのその年の取引を決める場にもなるし、領内や近隣で揉め事が起きた場合は簡易の法廷や協議の場にもなる。
玄関ホールの奥に続く、ゆるやかな螺旋の階段を上りながら、あらためて自分の家の多機能さに気がついてちょっと感心しながら、応接間に通される。
筆頭メイドのオルガをご紹介しますといったファビアンの言葉に顔を上げれば、応接間に入ってすぐのところに朽葉色のお仕着せのドレスを着た中年女性がにこやかな笑みを浮かべて控えていた。
右足を斜め後ろに引いて膝を曲げ、頭を下げる。
「ご滞在中の御用はなんなりとお申し付けください、ロタール公爵閣下」
「その呼び方はあまり馴染みがないので名で構いません」
「ではルイ様、旦那様からお聞きした通りに寛大な方でいらっしゃいますね」
とっても麗しい微笑を浮かべたルイに応えながら、にっこりと笑むオルガに思わず表情が固まる。
大丈夫、襟元は整っているし、スカートの裾もめくれてはいないはず。
「では、こちらへ。旦那様もすぐにいらっしゃいます」
どうやらここでファビアンと案内役は交代らしい。
特にわたしになにも言わずに背を向けたオルガにほっと胸を撫で下ろせば、マリーベルお嬢様と呼ばれたのに、思わず足を止めかけた。
「礼儀作法はきちんと守っていらっしゃるようですね」
「え、ええ……もちろん」
数歩先に進んでこちらに向き直り、奥の円卓にわたし達が向かい合う席を勧めながらそう言ったオルガに、若干ぎこちなく答える。
穏やかな表情は崩さまないままルイが目線だけわずかに動かしてわたしを見下ろし、勧められた席の椅子にかけながら心持ち口元を吊り上げるのが見えた。
とても嫌な予感がする。
お願い、余計なことは言いださないで。
「オルガはマリーベルの養育係も兼ねていたのですか?」
そのままお給仕をして、ルイとわたしにお茶を差し出したオルガにルイが尋ねれば、ティーポットを持ってはいと彼女はルイに応えた。
「わたくしは、まだ奥様のマリアンヌ様がいらしゃったお小さい頃からお嬢様の乳母を務め、マリアンヌ様がお亡くなりになってからはそのまま養育係をしておりました。大変元気なお嬢様で、すぐドレスの洗濯が必要になったり、お裁縫の時間に花壇のお世話にお庭にいらしたりとなかなか手を焼かされたものです」
「お、オルガ……昔の話はそれくらいで……」
ひとまずルイの安心のためにお茶を先に飲んでオルガを止めれば、まさかお嬢様が王妃様のご一族の養女に迎えられて公爵家に嫁がれるなんて、大変よろこばしくも心配でと頬に手を当てながらため息を吐いた彼女に、ご心配には及びませんと口に運んだカップを下ろして、ルイは華やかにオルガに微笑みかけた。
「マリーベルは夫である私が責任を持って、公爵家の妻として
「それは……とても心強ぅございますね」
にこにこ、にこにこと……穏やかに微笑みを交わしながら、「お任せします」「ええたしかにと」と鋭い光を浮かべた目で人を受け渡しするような無言の会話を交わさないで。
この二人の意気投合が、怖い。
「出会ったばかりの頃、マリーベルの言葉がとても綺麗だと彼女に言ったことがあるのですよ。まるで王都に育った令嬢のようだと」
「旦那様は王都で学問に出られておりましたし、奥様も長くモンフォールのお屋敷にいらした方ですから。わたくしは若い頃は北部の伯爵家の小間使いをしておりましたが西部に嫁いで、ドルー家にお世話になりマリアンヌ様にお仕えするかたちでユニ家に落ち着きました」
「ああ、成程。周囲がそのような環境で養育されたなら、彼女が他の令嬢に勝るとも劣らない振る舞いを見せるのは頷けます」
そう、ルイがカップを再び傾けた時、わたし達が通された扉とは異なる他の部屋に続く扉が開いて父様がお待たせしてと恐縮しながら現れた。
「結婚後のご挨拶にお伺いするのがすっかり遅くなってしまい申し訳ありません。ジュリアン殿」
「父様、王都の大聖堂ぶりです」
すかさず立って父様に挨拶したルイに続いて、わたしが立ってスカートを持ち上げて頭を軽く下げれば、座りなさいと言ってわたし達の間に挟まれる席に移動した。
「公爵様もどうぞお寛ぎください」
「では、お父上殿のお言葉に甘えて」
「オルガ、ここはいい食堂へ回ってくれ」
「かしこまりました」
父様の指示でオルガが静かに応接間を出て、三人だけになる。
人払いしたのだと思った。
「いただいた手紙は読みました。わざわざ軍部の便をお使いになるとは」
「あれは、伝手があるので使ったまでです。早くて確実ですから」
「軍部?」
「トゥルーズの通信局へ行ったでしょう。その時のですよ。ムルトに頼めば東部騎士団支部の便に乗せられますので」
「読み解きとありましたが……」
「その話は明日に。先に扉と他諸々を」
「扉なら、執務室を出てすぐの廊下の突き当たりを。すでに寸法に合わせ印をつけさせています」
「それは、大変結構ですね。流石に段取りのいい」
えっと、会うなりなんなの。
父様もルイも、まったく話が見えない。
「あのっ!」
「どうしました、マリーベル?」
「一体、なんの話?」
「ああ、ジュリアン殿との法務顧問の契約についてです。専属と言ってもユニ領の領主ですからね……まずはこの屋敷とフォート家を繋げます」
「え?」
「さすがに東部と西部では離れすぎていますからね、手紙のやりとりではすまないこともありますから“箱”というわけにはいかないので、“扉”にしました」
「えっと……」
「転送の魔術具と長距離転移の魔術を応用したものです。フォート家の屋敷で実験はしましたから上手くいくはずですが、私が直接行かないと繋げられませんし」
挨拶に、わたしのことに、まだあったのね。
よくわからないけどわかりましたと言えば、貴女は久しぶりのご実家でのんびりしていればいいですよと言われた。なんだか蚊帳の外だ。
「でも父様のことでしょう?」
「お前が心配するようなことじゃない、なにもかも決まったら公爵様が説明してくださる」
本当に蚊帳の外だ。
二人の間で相談事なら……わたしは食堂へ、お夕食の準備を手伝いにいこうかしら。
「でしたら、わたしも外します。客間の整理か食堂かどちらか手は必要でしょうから」
「いけません。貴女はここにいてください」
「ルイ、でも……」
「マリーベル、公爵様の仰る通りにしなさい」
「なっ……父様まで、なんなの一体っ、二人してっ」
なんの説明もなし、わたしには関係ないとして言うことだけ聞けって。
がたんと音を立てて立ち上がれば、マリーベルとさっきわたしを止めたのよりはいくらか調子を和らげてルイがわたしに呼びかける。
「貴女が苛立つのはわかりますが、なにもかも決まるまでは私の側から離れないでください」
「……なに?」
「お願いです」
まるで頭を下げるかのように目を伏せて、父様の前でルイからお願いされては……承諾するしかない。
仕方なくまた椅子に腰掛ければありがとうございますとルイの言葉にいよいよ疑問は募る。
久しぶりに父様に会ったというのに、ひどく釈然としない気分で夕食を取って、自分の部屋で休もうとしたらオルガにお嬢様のお部屋は客間ですよご夫婦なのですからと、ルイと共に客間に案内された。
オドレイさんとシモンによって荷解きは済んでいて、ルイが運んできたという“扉”のことで二人共、たぶん父様が指定した設置場所に出ているのだろう。
もしくは彼らの客間は別に用意してあるからそちらにいるか。
家で一番広い客間は洗面台のある小部屋の前を衝立で仕切られ、その向こう側でオルガに湯浴みと就寝前の身支度を世話されて衝立に敷居られた側から出れば、ルイは寝台の上にローブも脱いだ寛いだ姿で本を読んでいた。
「お酒やお飲み物はそちらにご用意しています」
「あの、オルガ……」
「今夜はお二人ともゆっくりお休みください」
そう言って、あっという間にオルガは下がってしまい、二人きりになった客間を見渡す。
どうして。
どうして寝台二つをわざわざ一つにつなげるように並べて整えてあるのっ!
「どうしたんですか? 部屋の真ん中で突っ立って」
「なんでも……湯、用意させましょうか?」
「身を清めるのは魔術でもできますので」
つまりわたしが湯浴みしている間に、すっかり身支度は済ませたということらしい。
「便利ですね」
「不精したい時は」
読んでいた本をサイドテーブルに置いて、マリーベルと腕を差し出されて呼ばれたのに仕方なく、彼がいるのとは反対側の寝台の縁に腰掛ける。
ほんの数瞬の間を置いて後ろから抱きすくめられ、少しだけ寝台の中へと引き寄せられる。
「怒っていますね?」
囁かれて頷く。
説明してくれますか、と言えば明日にと言われた。
「モンフォール家に、貴女はなにも知らないで行ったほうがいい」
「なんなの?」
「これだけは言えます。もうずっと長い間、ジュリアン殿は妻と娘のために一人で堪えてきた」
「父様が? 堪えるってなにを……?」
「どうかそれを無にしないでください」
モンフォール家に明日ご挨拶に行くのも、ただ挨拶するだけではなさそうだ。
本当に、なにも教えてくれないのだから嫌になる。
「あの、離し……」
振り返りかけて、視界に映る景色が弧を描くようにぶれた。
後頭部と背中に、軽く跳ねるような振動がかかり目の前が暗くなる。
やっ……と上げかけた声は声になる前に遮られて、まるで初めての夜の時のように、首も回せないほどの深い口付けと、あの時よりもずっと強い力の腕に身動きできなくされている。
息が苦しくて目眩を起こしかけた頃にようやく拘束が緩んで、真上から垂れ下がる銀色の髪に囲まれた端正な顔を睨みつければ、その表情に憤りが霧散してしまった。
彼らしくもなく焦点の定まらない、なにか他の場所へ意識がいっている様子でわたしを見下ろすその頬に、思わず手を伸ばす。
「どうしたの?」
尋ねれば、はっとルイは緩く首を振って、あらためてわたしを見下ろした。
なんでもありませんと呟いたけれど、そんなはずがない。
「ルイ」
「いえ、本当に……ジュリアン殿と顔を合わせ、以前聞いた彼の言葉を反芻していたら少々……そんなことあるはずがない……」
「それってさっきの話と関係が?」
「あるといえばありますが……私が、不安に思うこととは別です。ええ別の話です」
不安って。
「あなたが?」
ルイの額に落ちた髪を指でよけてあげながら尋ねれば、近頃あまりに私に都合の良いことばかり起きるので……と、自嘲する。
こんな彼は初めて見る。
「急にひっくり返されるようなことを見落としているのではないかと。どれだけ考えてもそんなものはないはずなのに」
「悪徳魔術師でもそんなこと思うのね」
「私は悪徳ではありませんよ……そんなものならこうしてうっかり感情任せなことなど……」
彼の言葉を止めたわたしの人差し指に、触れている彼の唇がわたしの指を擦るようにゆっくりと動く。
指先が、わずかに開いた隙間に誘い込まれる。
軽く歯を立てられたのに驚いて指を引けば、彼の青みがかった灰色の瞳が揺れて見詰め合ったまま目が離せなくなった。
どうしていいかわからない。
自分の心臓の音が耳の奥にうるさいほどの音で聞こえる。
「初めは仕方ない、二度目は気の迷いとして……」
「ルイ?」
「そんなに見詰めていては、三度目は本当に言い訳が立たなくなりますよ?」
そうなれば、きっと私も際限がなくなる。
彼の顔の間近にまだあるわたしの手の甲と指に軽く口付けて、ルイはわたしの隣に転がると、片腕にわたしを胴を引き寄せた。
「お互い眠ってしまうのがいいでしょう」
「ルイ」
「……そうしてください。おやすみ、マリーベル」
言った途端にわたしを引き寄せていた彼の腕が脱力して、お腹にかかっていた彼の手が滑り落ちる。
ルイ、と身動ぎしたけれど反応がない。
目が覚めるまでは起きることはない状態に、はあっと体の底からため息が出てわたしも全身から力が抜けた。
「馬車のなかで、うつらうつらしていると思ったら……」
そっと起き上がって、手燭を持って部屋に灯る蝋燭を消す。
ルイの本が置いてあるサイドテーブルに一旦、手燭を預けて、丁度二つ並べた寝台の中央にやや斜めに転がっている彼の体を引っ張り、なんとか元いた側に横たわらせて掛け布をかける。
なんだか一仕事した気分で手燭の火を吹き消し、わたしも寝台に上がった。
ルイの隣に横たわり、また少し起き上がって彼を見下ろす。
フォート家を出てから、だんだんわからなくなってきている。
「もし、好きになったって言ったら……してやったりなのかしら」
けれど、もしそうでも言えない。
言いたくない。
だって、彼は……わたしを好きかもしれないけれど、わたしの答えはきっと聞く気がない。
「父様はどうして、あなたにしろって言ったの……?」
それも、明日になればわかるのだろうか。
息を吐いて、横になって目を閉じる。
気分的に眠れないのではと思ったけれど、移動の終点に辿りついたことで体は休みたがっているらしい。
寝床のなかでうつらうつら寝入りかけては意識が引き戻される心地悪さを繰り返し、何度目かで眠りに落ちた。
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