第51話 横揺れと近づく場所

 黄昏時へと向かう、空を淡く黄色に染める光は、子供の頃から何度も何度も繰り返し眺めてきた光の色だ。

 山の傾斜に沿ってまるで緩やかな階段のように広がる農地、時折見える美観よりも実用重視な家畜を囲うための柵。

 傾斜に馬車は揺られ、近づいていく。

 わたしが生まれて育った場所に。


「言っておきますけど、小領地ですからね。領主といっても集落の長の館をちょっと大きくしたくらいのものですからね。領内の村だって三百人もいないんですからね」


 わたしがそう念押しするのを、ええなんて苦笑しながら頷いているルイに本当にわかってるのかしらと腕組みしてしまう。

 

「間違ってもフォート家のお屋敷みたいなの想像しないでくださいね」

「わかっていますよ」

「途中で見かけた城館なんかとも違いますからね」

「構いません。客間をご用意いただける広さはあるのでしょう。そう手紙にありました」

「それくらいは……そうですけど。大貴族様の基準で考えるとなんだと思うのじゃないかと」


 どう考えてもユニ家屋敷の客間より、通常の空き部屋を与えられているフォート家の使用人の部屋の方が立派だもの。


「問題ありません」

「心配」

「トゥルーズの富裕層くらいのお屋敷なのでしょう。使用人もフォート家と同じくらいいらっしゃるようですし」

「ならいいけど。それと使用人は、フォート家が少な過ぎるだけでユニ家は普通です」


 まるで公爵家と同等であるかのような言い方をしないでほしい。

 そう。本来ならあんなお屋敷、身分的にも何十人、百人単位で人がいたっておかしくない。

 ルイが人嫌いの変わり者と言われる理由の一つだ。

 方々へ出資していてもお金が余って仕方がないのは、たぶん抱えている使用人が少ないこともある。

 ちゃっかり利益も出ているならなおさら。

 

「色々と面倒なこともあったもので」

「それはまあ、なんとなくお察しするところですけど」


 わたしだって王妃様という王族にお仕えしていたんだからといった思いで、彼の言葉を曖昧に受ける。


 ルイは十二歳で家督を継いでいる。

 まだ彼自身にはなんの実績も人脈もない王宮に上がれる歳にもなっていない子供。

 フォート家は長く魔術の家系として、王家に一歩下がりつつも頭は下げないような立ち位置にいる。それはその由緒正しい家格もあるけれど、魔術大国である王国の魔術そのものを担っているような強大な力を持っていることも大きい。

 少なくとも王様が、ルイは友人でありまた王として彼を押さえていることを、対外的に知らせる必要があるくらいにはフォート家の魔術師は規格外。

 きっとそれを目障りに思い、脅威と感じている人もいるに違いなく、そんな人達の中にはフォート家を追い落とす絶好の機会と考えた者もいただろう。

 

 フォート家は少子短命。

 魔術院の話で、ルイは後見になるような親族はいなかったと言っていたし、家系を見ても嫁いでみての実感としても、本当にルイ以外の直系親族もいないし傍系の繋がりもほとんどなくて、断ち切っている節がある。

 ルイがいなくなれば公爵家を継ぐ者は、誰もいない。

 自分の代で終わって構わないとルイは口にするけれど、彼がいなくなったら本当に終わってしまいかねない。

 家督を継いだばかりの頃なら油断すればいつそうなってもおかしくなかったはず。

 彼が幼過ぎることで失点を狙う者、いくら魔術師でも子供と侮ってもっと確実なものを狙う者すらいただろう。

 

 フォート家は素晴らしい銀食器を日常使いしている。

 それにトゥルーズの、彼のほとんど私物といってもいいような宿ですら、直接口をつけるものにはすべて銀が施されていた……銀は毒で変色しやすい。

 強固な守りのかかっている自分の屋敷、出資している場所ですらこの用心。

 ルイはなにも言わないけれど、子供の歳で家督を継いだ時からそんな用心が必要な悪意に晒されている。そう考えたら、途端にユニ家のもてなし以外の部分も心配になってくる。


「マリーベル?」


 彼のように常になんでもないような様子でいることが出来ないわたしは、きっと物言いたげな顔で彼を見てしまったのだろう。

 斜め向かいに座っているルイが、僅かに首を傾げる。


「本当に、大丈夫なのかしらと思って」


 父様とはなにか結託するくらい仲が良さそうだけれど、それとこれとは別の話だ。

 すぐお隣のモンフォールの当主様にも、なにやら警戒心を抱いているようなところもあるし。 

 ため息を吐けば、妻の生家ですよなにを思うことがありますとルイは呆れてみせるけれど、この人のことだからよくわからない。


 寛げるといいのだけど――。


 以前、蔓バラ姫が領地のあちこちで厄介ごとを起こしていた対処に彼が奔走していた頃、問題を片付けたら夜通しの対処になっても現地で休まず屋敷に戻ってくる彼に休んでから戻ればいいのにと言って口論した時のことを思い出す。


 ――私にとってはこの屋敷ほど安全なものはありません。それに妻のそばに一刻も早く戻りたいと思うのはいけないことですか?

 

「……ならいいけど」


 ルイに応じながら、なんだろうこの気持ちと左右にゆらりと傾く馬車の窓へと目を向ける。

 見慣れた景色は、もうユニ領の中だった。

 ユニ家の屋敷は北寄りの山に近い場所だから、もう少し先。

 外側の装飾は控え目な馬車ではあるものの、造りの質が違うし、馬も違うからか、家や宿に戻る途中らしき農夫や行商人がなんだろうといった様子で通り過ぎるわたし達を見送っていく。

 道中、賊に目をつけられるのではないかとひやひやしたけれど、馬車に掲げられた公爵家の紋章の効果かそんな危険はなかった。 

 賊も流石に、“竜を従える最強の魔術師”とは、安易に敵対したくはないのだろう。

 若干、遠回りになる東部を進んだのは防犯も考えてだったのかも。

 窓の外から、ルイへと再び目を移す。

 少しお疲れなのかうとうとしがちで、いまも壁に寄りかかって船を漕いでいる。途中なるべく不便がないようにしてくれて、馬車一つとっても振動を抑える魔術をずっと維持している。

 彼自身のためであるかもしれないけれど……なにかとご自分のことは蔑ろにしがちな人のようだし彼だけだったらどうだったんだろう。


 妻……か。


 どうやら本当にわたしのことを気に入ってくださっているにしても、彼は大貴族。ただ気に入っただけであるはずがないことくらい、わたしだってわかっているつもりで、それがなにかはっきり説明して欲しかった。

 正直、気に入ったにしても身分差まで解消してまで結婚を進めたのは、なにか都合がいい事情があるからと考えていた。

 フォート家がどんな家か知ればますますそう思う。

 下手に貴族のご令嬢を妻に迎えたら、貴族社会や王宮勢力を混乱させる。

 王宮で王家と関わりのある平民の娘だなんて都合が良過ぎる、それも込みで気に入ったというのならそうと言えばいいのに。

 騙し討ちのような婚約や、わたしが彼を好きになる前提で強引に進められた結婚は腹立たしいけれど、身に余るような結婚であることも事実だもの。


 これでも穏便に離婚するまでの間は、妻としての務めを果たすつもりでいたのだ。夫婦の営みや義務のことだって、彼が寛大でいるのをいいことに甘えていることもわかっている。

 四十近くまで独身でいたけれど後継者のことがある、養子でいいなんていっても実子のほうがいいに決まっている。

 なのに人を揶揄からかうことはあっても、本当に強引に進めたのは初夜だけで……本当に子供も作る気はなくそうしているなんて言うし、だからなのか、触れられるのが嫌じゃないことにも戸惑うし。


 なによりフォート家の“祝福”の話や、トゥルーズであまりに色々なことがありすぎた。

 自分のことを話すといって、本当に話してくれた。

 もちろん彼のすべてではないけれど……たぶん大事な部分を。

 “祝福”の作用はともかく、“祝福”がフォート家にもたらす厄介を説明するのに、彼の過去や家族……お母様とのことやお父様と確執がありそうなことまで教えてくれなくても済む話のはずなのに。


 トゥルーズでも、ただ単に公爵家の妻として見られればいい程度じゃない、本気で彼が側にいなくてもそういられるようにとあれこれ詰め込んで、夏の社交を前に実績まで作ろうとしてくれている。

 まるで自分のそばで並び立つに相応しくなければ守りきれないとでも言わんばかりに、要求水準も厳しい。

 だってよろしいや結構といった言葉はなく、及第点だとか若干感心するとか解釈が実際的過ぎるとしか言われていないもの。

 一方で、人のご機嫌をとったり、なんだか寛いだ様子を見せたり、単に欲望でってわけでもない感じで扱うし、消耗したわたしを本気で心配して手当てもして。

 それにわたしに施された加護の術は、ムルト様があの大掛かりなとぼやくほどの魔術だ。

 こんなの、なにもかも覆されてしまう……彼自身もなんだか放って置けないところがある人だし。

 どうしよう……なんなのかしら本当に。

 マルテやテレーズさんのことだって――。


 王都へ連れて行ける女性使用人は必要で彼女達が良いと思ったからだけど、頭の片隅で少し試すような気持ちがなかったかと問われてないと言えば嘘になる。

 二人を雇うため、事前にフェリシアンさんに条件を整えてもらったのには理由があった。

 ひとつは、いくらフォート家が出資している宿といってもテレーズさんを引き抜くのに迷惑かけたくなかったため。

 もうひとつは、ルイはきっと信用のおける者しか屋敷には置きたくない。わたしの独断で願い出てルイが頷くか怪しく思えたから。

 そしてもうひとつ、ルイに黙ってフェリシアンさんを、ルイを納得させるためなのも含めて勝手に使い、そのことをフェリシアンさんから報告してもらったら、対等な妻でもないのにと流石に苦言か嫌味の一つも出るだろうと考えたから。

 結果は、あっさり彼女達が問題ないなら構わないと言われて、苦言を呈すどころか……。

  

「どうしました?」

「え……?」


 ルイの声に、はっと我に返れば真正面から気遣わしそうに彼がこちらに身を乗り出していたのに驚いた。

 

「な、なに? どうしたの?」

「それはこちらの台詞です。一瞬ですが、泣いているのかと思いましたよ」

「へ……泣く?」

 

 わたしの言葉に、ルイは少し安堵したように息を吐いて身を乗り出していたのを戻し、そんな顔に見えたのでと言った。

 彼の言葉に自分の右頬に手を当てる。

 一体、どんな表情をしていたんだろう……。


「どうもユニ領に近づくにつれ、浮き沈みが見られますね」

「うーん、そんなことは。思ったより懐かしさはありますけど」

「それだけなにかと気が張っていたのでしょうね……きっと」


 わずかに目を伏せて呟くように言ったルイに、それは違うとそうかもしれないが半々に混じった気分になる。

 こういった時こそいつも人を揶揄からかう時みたいにしてくれたらと思いかけて、そんな自分に驚き、一体なにを考えてと軽く頭を振る。


「こ、故郷を出てから色々なことがありすぎて、そういったことを考えていたらなんだか……なんとも言えない気分になったといいますか……」

「やはり、戻られたらお父上殿に甘えるといいですよ貴女は」

「もうっ、ですからそんな歳では、それに……」

「ご健在で甘えられるのなら歳など構わないと思います。貴女は少々しっかりし過ぎている一方でとてもお若い娘さんのようなところもありますから」


 人の言葉を遮って淡々とそんなことを言ってくるルイが、なんだか癪に障る。

 ありがたいようなお言葉ではあるけれど、本当に父親に甘える歳ではないし……それに。


「なにを不満げにしているのです?」

「あなたが人の言葉を遮るからです……それに、わたしもう嫁いだ娘です」

「ふむ……成程……」


 なにか考えるように口元に手を添えて、わたしをじっと人を見透かすような目で見詰めてきたルイになんですと顎を引いて、彼の視線から逃れるよう窓へと顔を傾けたけれど彼の視線が外れる気配がない。

 

「私の認識から考えると半信半疑ではあるものの、考えられるいくつかを並べて検討するにその線が濃厚といった結論になる」

「なにが、なんの話?」

「こちらに、マリーベル」


 端に寄って座面を空けた場所を示したルイに、どうしてと眉をひそめれば、いいからいらしてくださいと腕を引っ張られた。

 狭くて横揺れもしている馬車の中で急にそんなことをされると、結構怖い。

 危ないじゃないと文句を言えば、膝の上に抱き寄せられた。

 後ろからわたしの右肩に顔を伏せるようにして、ルイがわたしに問い掛ける。


「まったく悩む必要もないことを無駄に考えていたのでは?」

「え?」

「貴女と私では……これまでの立場の違いもあって色々と物事に対する認識や、捉え方が異なる部分がある」

「それは……どういう……?」

「たしかに偶然都合がよいこともあり、なんの思惑もまったくなかったわけでもないですが……私は貴女と出会った時から貴女のことしか考えていませんよ」


 それって、と……彼の耳元で呟く。

 

「偶然都合がよいこともあり、なんの思惑もまったくなかったわけでもない」

「ですからそうであってもと言っているのです、なんのご不満が?」


 不満というか……いや、わたしが不満に思う筋合いじゃないし。

 あなたがわたしのことしか考えようが考えまいが……。

 

「知りません」


 ゆらゆらしている。

 馬車の横揺れの中で、抱き抱えられているとなんだか揺り籠のようだ。

 温かで寛いでしまうような。

 これまで散々振り回されている、悪徳魔術師の腕の中なのに。

  

「……知らない」


 彼の胸に額を預ければ、とりあえず貴女や貴女のお父上殿はもちろんユニ家を信用していますと耳打ちするようなルイの囁きに、彼の体に顔を伏せたまま目を見開いてしまう。


「その意味がわからない貴女ではないでしょう?」


 どうしよう……そんな言葉ばかりが浮かんでは消える。

 なんて答えたらいいのか言葉が見つからない。

 

「そろそろ着きますね」


 わたしが戸惑っていたら、不意に窓の外へと顔を向けてルイが呟いたのに、わたしも顔を上げて彼の視線を追って窓の外を見た。

 山の斜面とユニ家の屋敷の影が小さく見える。


「流石にお父上殿の前では貴女の仰る慎みは保たねばなりませんから、しばらくこのまま補充を」

「お断りします」


 心地良かったのでほんの少しだけ惜しい気もしたけれど、家の近所でこの様子を窓から見られたら困る。

 えいっと、彼のたっぷりした濃紺色のローブの腕を押し除けて。

 わたしは澄まし顔で、彼の隣に座り直した。

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